「只今帰りました〜…」  
「おかえり〜。…?どうした?すげー顔色悪りぃぞ!何かあったのか!?」  
 
スーッと開いた店の自動ドアから真っ青な顔を伏せながらフラフラと覚束ない足取りで入ってきたサキの姿に、  
ワタルは大いに驚いて思わずレジスターの前から立ち上がると、  
まるで幽霊のような風情になり果ててしまっているメイドに早足で歩み寄った。  
 
「若…」  
「ん?」  
「若を、神話に…」  
「はあ!?」  
「うっ…、ぐすっ…」  
「何泣いてんだよ!ちゃんと説明しろ!!」  
「若を『神話みたいな少年』にする携帯電話が〜…」  
「???」  
 
自分より背が低い主人の心配げな顔を縋るような眼差しで見詰めていたメイドの瞳に、見る見るうちに涙が溢れる。  
 
「ちょ、ちょっと待て!」  
 
ワタルは、『レンタルビデオ タチバナ』と店のロゴが大きく入った自動ドアの表に急いで『準備中』のプレートをぶら下げると、  
力無くだらりとぶら下がったままのサキの指先をきゅっと握り締めた。  
 
「とにかくこっちへ来い!そんで、そこに座れ」  
 
口は悪いが心優しい主人に手を引かれて導かれるまま、カウンターの中の椅子にちょこんと腰掛けた可愛そうなメイドは、  
「落ち着いて、訳を話してみろ」と促されると、ヒックヒックとしゃくりあげながら、事の次第を明かし始めた。  
 
「実は…、若が夢中になってる、あのアニメの…」  
 
つまりは、こういう事だった。つい先ごろ、ある携帯電話会社から、  
前世紀の放映当初以来根強い人気を誇るロボットアニメのデザインをモチーフにした特別仕様の携帯電話が限定で発売された。  
そのアニメが、自分の大好きな主人が普段から「伝説だ!」「神話だ!」と熱愛しているそれである事を知った健気なメイドは、  
早速、主人に秘密で予約に走った携帯電話会社の窓口での、「お色は、『ホワイト』、『レッド』、『パープル』がございますが、  
この商品は大変な人気のため、ご購入は抽選になります。出来れば、第2希望と第3希望のお色をご指定下さい」という、  
店員の適切かつ親切なアドバイスを、前二者が女の子キャラのテーマカラーだということを生半可に知っていたために、  
「いいえ!絶対『パープル』で!!」と撥ね付け、紫の奴一本に絞って抽選に挑んだ結果が、この有様なのであった。  
 
「そっか…。あんがとな…」  
 
深く俯いたままスカートの膝頭を握り締めながらポロポロと涙を流すサキの頭を、ワタルが優しくポンポンと軽く叩くと、  
失意のメイドは、漸く上げた顔をぎこちなく微笑ませるが、今となっては、  
店内で耳にした他の客たちの「ちぇっ!これ、第2希望なんだよな」「俺なんか、第3希望だぜ」という不平すらも心底羨ましかった。  
 
「携帯電話ってのは、その色の違いが性能の差じゃあねえから、な?」  
「はい…」  
 
小さな主人からの心の篭った何ともマニアックな慰めの言葉に一応コクリと頷いてみせるメイドではあったが、  
がっくりと落ちたその細い肩を優しく摩ってやりながら、ワタルは、サキの落胆の酷さをその掌にひしひしと感じとっていた。  
 
「じゃ、いってくるぜ!」  
「はい。お気をつけて…」  
 
翌朝、サキに何時もの笑顔は戻っていたけれど、しかし、閉まっていく自動ドア越しに見える何とも淋しそうなメイドの背中に、  
空を仰いだワタルが一つ漏らした小さな溜め息が、ふわりと一塊の湯気となって、その空へと溶けていった。  
 
「ふぅ…」  
「おはよう。どうしたの?何か、心配事?」  
「あ、ねーちゃんか…。おはよ!」  
 
どうすればサキを元気に出来るかと、そればかりに気を取られながら校門まで辿りついたワタルに後ろから声をかけたのは、  
同じクラスの霞愛歌だった。  
いろいろな意味で切れ物揃いの白皇生徒会役員の中で、  
会長であるヒナギクを、書記の春風千桜と共に支えているのが副会長を務めるこの愛歌で、  
ヒナギクの若干一年生での生徒会長就任は、愛歌の推挙によるものだということは一部事情通の間での専らの噂であった。  
だが、敢えて二物を与えぬのは天の采配か、残念ながら健康面に持っている弱点によって、  
愛歌はもう一年間、二年生に留まることになったのだった。  
 
「今日、私たち日直よ。宜しくね」  
「あっ!そうだった!オレ、日誌、貰いに行くから!!」  
 
そんな事情を知るワタルは、愛歌の身体を気遣って一旦歩調を緩めたが、それを今度は駆け足にして、  
二人、三人と固まって歩く生徒たちの間を身軽に縫いながら、校舎へと急ぐ。  
 
「そんなに心配な事が起きたのかしら…?」  
 
その場に残された愛歌は、あっという間に小さくなっていくワタルの背中を目で追いながら、  
昨日の下校間際、ワタルと交わした「明日、私たち日直よね」「ああ、そうだな」という会話を思い出し、  
その長くて綺麗な淡い薄紫の髪をサラリと揺らして小首を傾げた。  
 
雪路に日誌を提出した二人が校舎を後にする頃には、太陽は既に大きく傾いて、大気も冷たくなりかけていた。  
 
「今日は本当に有り難う。とても助かったわ」  
「別に!あんくらいの事、二人掛りでやるほどのもんでもねぇし…」  
 
「俺がやるから!」「俺一人で出来るって!」と言いながら、今日一日の日直の実務を結局全て引き受けてくれたワタルに、  
愛歌が心から礼を言う。  
 
「お陰で、この頃は皆と一緒に活動できる時間が大分増えたのよ」  
「ふーん。そりゃ、良かった」  
 
ちょっと頬を赤らめながらプイとそっぽを向くワタルの返事は素っ気無いけれど、  
これは何時もの事、と了解済みの愛歌は、その横顔にニッコリと微笑みかけた。  
 
「何だよ!」  
「うふふ。何でもないわ」  
 
高尾山へのハイキングの時だって、そうだった。同じ班になったこの自分を何くれとなく気遣ってくれて、  
息切れが酷くなったのを素早く見て取って、石に腰掛けさせて無理やりに休ませ、  
「水分は大事だから」と、自分が飲んだミネラルウォーターのペットボトルのその口を拭わないまま、それを全く悪気無く、  
押し付けるように差し出して飲むようにと強く促したこの少年の不器用な優しさが擽ったかったものだから、  
その後、他の人を困らせて楽しむ悪い癖がついつい出てしまい、伊澄との仲をいろいろと煽っては怒らせてしまったのだった。  
 
「(あの時のワタル君の慌て様ったら、なかったわね…!)」  
 
「だから何だよ!ったく気色悪りぃな!…、じゃあな!」  
 
愛歌の悪戯っぽい微笑みに、そこを照らす夕日の分を差し引いてもまだ十分に赤いほっぺたを更に膨らませたワタルは、  
歩調を速めることで愛歌から急いで離れようとするけれど、これが逆に、  
相手が嫌がって逃げれば逃げるほどそれを追い掛けたくなる愛歌のドSの本能に、火を点けてしまった。  
 
「ちょっと待って!」  
「はあ?まだ何かあんのかよ」  
「ワタル君、今朝、何か考え事していたみたいだったけど、心配事でもあるの?」  
「あ…、ああ、まあね…」  
 
「うるせえな!」の怒声を予想していた愛歌は、ちょっと肩を落として俯くワタルの様子に、  
その心の興味と心配のツボを同時に刺激されながら、今日の恩返しも出来れば一挙両得と、真剣な声で言葉を繋ぐ。  
 
「余計な事かも知れないけど、私でも役に立てる事、ある?」  
「たいした事じゃねえんだけどさ…、実は…」  
 
なんだかんだ言っても乱暴なのは口だけのワタルは、再び愛歌に歩幅を合わせながら、  
サキと携帯電話の一件を、丁寧に順序だてて説明し始めた。  
 
「だから、その携帯電話ショップが悪りい訳でもねえし、サキが間抜けだったって訳でもねえんだよ」  
「うん」  
「まあ、何つーか、しょうがねえっていえば、しょうがねえんだけどな…」  
「ふ〜ん。なるほどね…」  
 
熱心な相槌を打ちながら聴いていた愛歌は、しかし、違うところに感心していたのだった。  
 
「サキさんは、ワタル君の事が大好きなのね」  
「え?な!?いきなり何言い出すんだよ!!」  
「で、ワタル君も、サキさんの事をとっても大事に思っているんでしょ?」  
「だ、だ、だから!どうしてそうなるんだよ!?訳わかんねえよ!!」  
「話を聞いていれば良かるわよ。本当に、ごちそうさまでした!」  
 
愛歌は、本当にそう思っていた。ワタルの話し振りは、如何にもサキを思い遣ったものだったし、  
今、自分が聞いたエピソードを、ワタルとサキが主人とメイドの関係だと知らない者が聞いたなら、  
十中八九の確率で、仲のいい兄妹か、恋人同士の間での出来事と思うに違いなかった。  
 
「ねーちゃん!この野郎!!」  
 
その勝気な顔を耳の先まで真っ赤に染め上げながら小さな背を一杯に聳やかして迫るワタルを、  
愛歌が真剣な声で押し止める。  
 
「わかったわ」  
「何が!!」  
「携帯電話のことよ。それ、私が何とかしてあげるわ」  
「だ…、だってよ…、あれはもう、全部売り切れちまってるんだぜ…、それを今更…」  
 
ちょっと腰を屈めて視線の高さを合わせた愛歌の、美しくも儚げでいながら、その奥底に強い芯を持つ深い緑の瞳に、  
ほんの間近からじいっと見詰められたワタルの、ドギマギとした言葉がとうとう途切れたのを見計らって、  
その瞳の持ち主は、良く出来たメイドを持つ優しい小さな主人に、静かにきっぱりと断言する。  
 
「大丈夫よ。任せておいて」  
「でも…、一体どーすんだよ…」  
「もちろん、ワタル君にもがんばってもらわなきゃいけないけど…」  
「がんばるって、何をさ…?」  
 
二人が丁度、優雅な造りの校門を出たところで、一台のリムジンがスーッとそこへ横付けになる。  
 
「愛歌お嬢さま。本日は日直でいらしたとか。お疲れ様でした」  
 
降りてきた白髪の品の良い執事が愛歌に最敬礼をする様子に、ワタルは一瞬戸惑った。しかし、  
白皇は、自動車による生徒の登下校を認めてはいなかったが、病身の愛歌には特別な許可が与えられていたのだった。  
 
「ううん。全てこのワタル君が引き受けて下さったの。じゃあ、また明日ね」  
「お、おう…」  
 
手を添えて愛歌の乗車を助けた執事が、ワタルにも丁寧に一礼してリムジンに乗り込むと、それは、  
校門にワタルだけを残して音も無く走り出した。  
 
車内では早速、愛歌が自動車電話の受話器を取り上げ、掛け慣れた短縮ダイヤル番号を入力した。  
 
「もしもし、お父様?」  
『愛歌か。この時間だと学校の帰りだね。どうしたんだい?』  
「私、携帯電話が欲しいんです」  
『ん?携帯電話なら、この間、新しいのを買ったばかりじゃなかったかね?』  
「ううん。私のじゃないの。何時も私の身体の具合を心配してくれるお友達が、限定発売の機種の抽選に漏れてしまって…。」  
『そうか。そういうことなら、今、秘書の田中に換わるから、手配してもらいなさい』  
「ありがとう!お父様」  
 
頼りになる父が請合ってくれたのだから、もう心配はいらない。  
愛歌は、電話を換わった秘書に、さっきワタルから聞いた情報を全て伝えた。  
 
『承りました。手配が出来ましたら、すぐに電話で連絡申し上げます』  
「ありがとう。宜しくお願いします」  
 
自動車電話を置いた愛歌は、今度は鞄から自分の携帯電話を取り出すと、  
生徒会で一緒に仕事をしている或る人物を、やはり短縮ダイヤルで呼び出した。  
 
『はい、千桜です。愛歌さんですか?』  
「そう。正解でーす!」  
『…』  
 
愛歌の明るい挨拶の中に隠れた只ならぬ邪気に気付いた千桜が電話口でゴクリと唾を飲み込む気配に、  
敏感な愛歌はすぐに気付いたものの、SPらが同乗する車内の事とて、ここは淡々と会話を繋ぐ。  
 
「今、お忙しいかしら?」  
『いいえ。大丈夫ですが…』  
 
千桜は今丁度、相沢邸の更衣室で、不思議なメイド・プリズムパワーを発動して―つまり、心身共にメイド服に着替えて―、  
咲夜の専属メイドである“ハルさん”に変身している最中だった。千桜は、愛歌の事を嫌いではなかったが、しかし、  
何気ないふとした瞬間に愛歌が時折覗かせるそのサディスティックな一面にはどうしてもついていけなかったし、ついこの間、  
咲夜の下でメイドとして元気一杯に働いる自分の正体を、その誕生パーティーに出席していた愛歌に見破られてしまったのは、  
千桜としては、悔やんでも悔やみきれない、正に一生の不覚であった。  
 
『じゃあ、あと30分ほどしたらもう一度掛け直すから、その時、電話に出られるようにしておいてくれるかしら』  
「はい。わかりました…」  
『それじゃ、30分後に…』  
「はい…」  
 
相沢邸の更衣室の中では、ツー、ツー、ツー、と機械的な断続音が聞こえる受話口から耳を離せぬまま、  
下着姿の千桜が、今から着用しようとしていたメイド服の袖口を握り締めて固まっていた。  
愛歌の携帯電話の送話口のマイクロホンが拾っていた騒音からすると、さっきの電話は、自動車内からかけていたのだろう。  
もちろん千桜は、愛歌が自動車での登下校を許可されているのを知っていたし、  
自動車で30分といえば、白皇から彼女の屋敷までの距離であることも分かっていた。  
 
「(お屋敷に着いてから掛け直さなきゃならないような話って…)」  
 
今から30分後にかかってくるであろうその電話の内容が自分にとって待ち遠しいものであるはずがないという事を悟った千桜は、  
ロッカーの内側に取り付けられた鏡に映る、まだ普段どおりの眼鏡を掛けたままのその気難しそうな表情を、  
思わず、尚一際「むむむむ…」と険しく引き締めた。  
 
「では、このカップを下げて、それから、洗い物もしてきますね」  
「うん。頼むわ」  
 
さりげなく咲夜の前を辞去した千桜が、汚れ物のコーヒーカップを載せたカートと共に厨房に入った瞬間、  
マナーモードに設定してメイド服のポケットに忍ばせておいた携帯電話が、ブルルルル…と振動して着信を知らせる。  
時間は、先ほどから30分きっかり。液晶に表示された発信者名は、もちろん愛歌だった。  
 
「はい。千桜です」  
『愛歌です。お話しても大丈夫かしら?』  
「はい」  
 
いや、なるべくなら話をしたくないのだが、「きゃぴきゃぴメイドの正体はクールな生徒会書記」という弱みを握られている以上、  
無下にするわけにもいかない。  
 
『お願いがあるんだけど、きいてもらえるかしら』  
「ええ…」  
 
他人に聞かれてはならないような“お願い”という名の命令の内容とは、一体何なのか。  
千桜は、思わず息を止めて受話口に耳を欹てる。  
 
『メイド服を一着、貸してくれないかしら』  
「は!?」  
 
素っ頓狂な自分の声の大きさに自分でビックリした千桜だったが、その驚きもすぐに収まってしまった。  
なるほど、こんな台詞はさすがの愛歌も、全くの赤の他人ならともかく、自分の家の使用人の前では言えるはずなどなかった。  
 
「メイド服…、ですか?」  
『そう。私が着るの』  
「ええっ!?愛歌さんが!!それはまた…」  
『出来れば週明けまでに手配してもらえると有難いわ。じゃあ、準備が出来たら電話をもらえるかしら』  
「は…、はあ…」  
 
30分前と同じく、言いたい事だけ言ってさっさと電話を切る愛歌に、千桜は、またその場で固まってしまった。  
 
「あ〜あ…。どうしよう…」  
 
メイド服の手配を頼んでおいて、「それを何に使うのか」という核心部分を自分から明かした上で一方的に会話を打ち切るとは、  
他人を苛める時の愛歌の事の運び方の巧みさにほとほと感心させられながら、千桜は深い憂いの篭った大きな溜め息をついた。  
 
愛歌からメイド服を要求された直後から、千桜は、それに纏わる全ての要素を必死に思考の中で繋ぎ合わせた。  
メイド服を相沢邸の更衣室から一着持ち出して愛歌に渡すのは簡単だったが、しかし、そんな事をすれば、  
今後、その事をネタにしての強請が始まるに違いないから、それだけは絶対にしてはならなかった。  
 
「(そうだわ!)」  
 
だが、伊達にヒナギクの元で生徒会役員を務めているわけではない千桜は、程なく名案を思い付いた。  
 
「咲夜さん。ご相談があるのですが…」  
「どないしたん?」  
「このメイド服なのですが、これは、私をスカウトして下さった時の、メイド喫茶のものなんですよね?」  
「そうや。可愛くて、ハルさんに良う似合うてるで」  
「ですが、改まったお席には、これは少々華やか過ぎるかと思いまして…」  
「せやろか?」  
「はい。出来ればもっと落ち着いたデザインのものを何着か揃えておいたほうがいいのではないでしょうか?」  
「そか。ほな、ハルさんに任すわ。良さそうなんがあったら、買うてきて、着て見せてんか」  
「はい!」  
 
こうして千桜は、何とか被害を最小限に食い止める目処を付けると、困った性癖を持つ生徒会の同僚に電話を入れたのだった。  
 
 
すっかり夜の帳に包まれた霞邸では、愛歌が、両親と食後の団欒を楽しんでいた。  
 
「お嬢さま。旦那様の秘書の田中様から、お嬢さまにお電話が入っております」  
「ありがとう!」  
 
老執事が丁寧に差し出す子機を、細くて白いしなやかな指先で受け取った愛歌は、嬉しい知らせの予感に顔を綻ばせる。  
 
『お嬢さま。田中でございます。お申し付けの携帯電話の手配が出来ましたので、お知らせいたします』  
「嬉しいわ!ありがとう。お手数を掛けましたね」  
『いえいえ。お嬢さまのお役に立てて、幸いでございます。つきましては、お色と台数をご指定いただきたいのですが…』  
「え?」  
 
忠実な上に有能な秘書は、何と、白、赤、紫を一揃い、それも、それぞれ複数台ずつ集めてしまったのだったが、  
それを聞いた聡明な愛歌のドS脳が、瞬時に結論を出す。  
 
「じゃあ、一色をそれぞれ一台ずつ、押さえておいていただけますか?  
契約は、お友達本人にして頂かなければならないんだけど、この事は、まだご本人には内緒にしてあるから」  
『はい、かしこまりました。契約書は、明後日の午前中にはお届けできるものと思います』  
 
秘書の話では、契約の手続きは一週間以内に行うのが望ましいとの事だったから、  
千桜に頼んでおいたメイド服調達の日程は、丁度良かった。  
 
♪どうやっても勝てない悪魔が〜、女神の顔をしてちゃっかり〜  
 
良い事(?)は重なるもので、  
父母のいる居間を愛歌が辞去した直後、そのポケットの中で携帯電話の白皇関係者用に設定してある着メロが鳴る。  
液晶画面の表示を確認すると、それは正しく千桜からだった。  
 
「もしもし、愛歌です。千桜さん?」  
『はい。例の物を手配する準備が出来ました…』  
 
それをはっきり“メイド服”と言えないのか言いたくないのか、  
千桜が追い詰められている苦境を表すその“例の物”という微妙な言い回しが、ますますゾクゾクと愛歌のドS性を刺激する。  
 
「ありがとう。助かるわ」  
『お渡しの段取りについては私から連絡しますので、それまで少し待って下さい』  
「はいは〜い。じゃあ、よろしくね!」  
 
受話口のこちら側で、「(なるほど、学校や、“メイドのハルさん”になってる最中に催促するなって訳ね…)」と愛歌が納得すれば、  
千桜は、今電話を切った相手が、自分にとっては、どうやっても勝てない女神のような顔をした悪魔なのだと、しみじみ感じていた。  
 
教室で毎日顔を合わせるワタルと愛歌と千桜の、さり気無くもぎこちない数日が過ぎ、いよいよ金曜日の放課後となった。  
愛歌は、昨日の夜、父の有能な秘書から都合三枚の携帯電話の契約書を届けてもらった直後、更に千桜からの、  
「調達いたメイド服は、明日の朝の内に、生徒会室に付属している準備室の物入れに入れておきます」という電話を受けていた。  
そう、準備は万端、整っていた。  
 
「さあ、こっちよ。生徒会室は始めてかしら?」  
「ああ。普段は用事もねえし、オレみいな一般の生徒は、何か、近付き難いっつうか…」  
 
『時計塔には、生徒会関係者以外、入室を禁じます』という注意書きが掲げられている優雅なデザインの掲示板の前を、  
それを全く気にする必要のない愛歌が何時もの通りのちょっとゆったりした足取りで、  
そんな愛歌に先導されるワタルが、それに複雑な視線を送りながら通り過ぎ、二人はそのまま時計塔へと入っていく。  
 
「でもよ、オレみたいなの勝手に連れ込んだりして、他の連中から怒られたりしねえのか?」  
「『連れ込む』って言い方が厭らしいわね!」  
「な!そ、そういうつもりじゃ…」  
「うふふふ。大丈夫よ。会長は今頃、理事会で理事長と遣り合ってる最中だし、千桜さんは…、そう、用事で居ないし、  
それに、花菱さんたちはとっくに下校しちゃってるから」  
「でもよぉ、二人きりで話をするだけなら、何もわざわざ生徒会室使わなくたって…」  
 
音も無くスムーズに上昇する豪華なエレベーターは、  
少し腑に落ちない表情のワタルからの当然の疑問に愛歌が答える前に、最上階の生徒会専用フロアに到着する。  
 
「ワタル君。約束していた携帯電話が手配出来たわ。これで間違いないかしら?」  
「凄え…!あるところには、あるんだな…」  
 
愛歌によって、その中でも一際豪華で、現在、主のいない生徒会長執務室に招き入れられたワタルは、  
その目の前にそっと差し出された三枚の書類をしげしげと眺めながら、うーんと唸るような溜め息をついた。  
 
「色違いで三つか…。ねえちゃん、凄えな!ほんと、凄えよ!!」  
「そう言ってもらえると、私も嬉しいわ」  
 
なかなかの恰好良さの中にも年相応の可愛らしさがあるアメジストの大きな釣り目を目一杯見開いて大いに感心するワタルに、  
愛歌も、儚さと美しさが絶妙に調和したその顔をふんわりと優しげに綻ばせる。  
 
「…つか、ありがとな。これで、サキも元気が出ると思う…。じゃ、この中から、サキに一つ選ばせていいかな?」  
「ええ、もちろんよ。でもね…」  
「?」  
 
細い指先を伸ばしてワタルの手元からその三枚の紙をゆっくりと取り上げる愛歌の瞳が、きらりと妖しげに煌めいた。  
 
「もちろん、サキさんはワタル君にプレゼントするつもりでこの携帯電話の抽選に応募したのよね」  
「ああ」  
「でも、ここには三通の契約書があるわ」  
「うん…」  
「ワタル君は、誰かに、この携帯電話をプレゼントしたいと思わないの?」  
「そりゃあ…」  
 
愛歌の態度の明らかな変化に戸惑うワタルだが、そこは年頃の少年の哀しさ、  
こんな緊迫しかけている状況下でも、その脳裏にはすぐさまサキと伊澄の顔が浮かんだ。  
 
「まあ…、遣りたいヤツは居るけどよ…、でも、それを三つっ全部って訳には…」  
「ううん…」  
 
改めて三枚の契約書をワタルの目の前に示しながら、  
そのドSの本能が身体中の血を内奥へ内奥へと急速に集め始めたのをざわざわと快く感じる愛歌は、  
奥底に妖しい炎をゆらゆらと点した瞳で、ワタルの顔をじーっと覗き込む。  
 
「約束だから、もちろん一つは上げるわ」  
「うん」  
「残りの二つが手に入るかは、ワタル君の…、頑張り次第よ…」  
「ああ…」  
 
愛歌の端正な顔立ちに一瞬過ぎった狂気に気圧されたワタルは、思わずコクンと頷いてしまった。  
 
「ちょっとここで待っていてね!」  
 
とても楽しげな声音でそう言い置くと、愛歌は、ワタルの返事を待たずに隣室の準備室へと消えていった。  
 
「オレは一体、何を頑張りゃあいいんだよ…?」  
 
本来の住人でない者にとっては只ひたすらにだだっ広いだけの執務室を所在無げに10分間うろつき廻っていたワタルが、  
痺れを切らしてそれをノックすべく準備室のドアに足を向けた瞬間、それは向こう側からゆっくりと開かれた。  
 
「お待たせ!」  
「ちょっ…、ちょっと待てよ!ねーちゃん!その恰好、どうしたんだよ!?」  
 
落ち着いたデザインの黒の服地にフリルの幅も控えめな真っ白なエプロンが映える清楚なメイド服に身を包んで登場した愛歌に、  
それまで不機嫌にぶすっと膨らんでいたワタルの頬が、見る見るうちにフニャリと緩んでいく。  
 
「ワタル君、やっぱりメイドさんが好きなんでしょ?」  
「え…?あ!ち、違げーよ!!ねーちゃんがいきなりそんな恰好で出てくりゃ、誰だってびっくりするだろ!?」  
 
にやけ切った表情を必死に引き締めるものの、その努力が全く間に合っていないワタルを、  
これをチャンスと見た愛歌がそのまま一気に追い詰めていく。  
 
「サキさんの話をする時のワタル君の顔を見て、思ったの。ひょっとして、メイドさん萌えなんじゃないかしらって!」  
「だから!サキがメイド服着てるのは、アイツの趣味みたいなもんで…」  
「でも、そういうサキさんが好きなんでしょ?」  
「だあーーーっ!だから、オレとサキの関係は、『好き』とか『嫌い』とかの関係じゃなくてだな…」  
「じゃあ、どんな関係なのかしら?」  
「うっ…!」  
「やっぱり、『メイド服を着ているサキさん』が好きなのね?」  
「…、ねえちゃん…、怒るぞ!」  
 
部屋の真ん中で仁王立ちになったまま真っ赤になって俯き、腰の両横へぴたりと添えた拳をプルプルと震わせているワタルに、  
そっと歩み寄っていく愛歌が、年上の女性らしく優しく宥めるようにしながら、誘導尋問を開始する。  
 
「怒らないの!じゃあ、本当に好きなのは、伊澄さんだけなの?」  
「何でここで伊澄の名前が出るんだよ!!」  
「うん。ひょっとして、伊澄さんにメイド服を着てもらったら、最強なんじゃないかなぁって…」  
「ええっ!?」  
 
猫にマタタビの喩えそのままに、こんな危急の折でも、やはり年頃の少年であるワタルは、  
メイド服を着た美しい愛歌に想い人のメイド服姿を想像させられて、さっきまでの憤りもあっという間に鎮火してしまう。  
 
「…」  
「やっぱりメイド服萌えなんだ!良かったわ、こうしてメイド服を用意した甲斐があって!」  
「へん!そんなの、ただ着てるってだけじゃん!!」  
 
愛歌の台詞に詰めの甘さを見て取り、それを反撃の糸口として掴んだつもりのワタルは、  
しかし、そこに潜む罠に、我知らぬまま自らまんまとすっぽりどんどんと嵌っていく。  
 
「あら?メイド服を着ているだけじゃ、萌えてくれないの?」  
「そんなもん当然さ!!『メイド魂』が無いヤツがいくらメイド服を着たって、そんなもん、ただの“人間ハンガー”っつうか…」  
「まあ!一生懸命メイド服を着たのに、“人間ハンガー”は御挨拶ね。それじゃ、その『メイド魂』って、どういうものなのかしら?」  
「知りてーか?」  
「ええ。是非!」  
 

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