※ハヤテとナギはラブラブではない、という設定です。  
 
 
 
「ふ…、二人きりやから、思い切って言うけどな…」  
「はい…?」  
「実はウチ、『お兄ちゃん』っていうのに、ちょっと憧れてんねん…」  
「は!?」  
 
咲夜からのいきなりの真剣な告白に、さすがのハヤテも面食らってしまった。  
今日は4月3日、咲夜の誕生日。  
夕方から開かれているそのパーティーにハヤテはナギと共に招かれていたのだったが、その人込みに疲れたのか、  
それとも何か他に理由があるのか、その会場から途中で姿をくらましたナギを探すために、  
咲夜とハヤテは、先ほどから広大な相沢邸の中庭に出ていたのだった。  
 
「えっと…、確か咲夜さんには、ギルバートっていうお兄さんがいらっしゃったはずでは…」  
 
妾腹であることは本人の責任ではないにしても、外見だけは明らかなアングロサクソンだが日本語も英語も覚束ず、  
やる事成す事全て的外れなギルバートが『兄』だと言われて、咲夜としても困っているんだろうな、とはハヤテも思ったが、  
しかし、それでも兄は兄である。しかし…  
 
「あんなん、ウチの思ってる『お兄ちゃん』と違ゃうわ!あんなもん、“兄”にカテゴライズしたないっちゅうねん!!」  
「それは…」  
 
ちょっとはなれた立ち位置でくるりとこちらを振り返ると、  
腰の両側に手の甲をグイッと押し当てて腹立たしげに台詞を吐き捨てる咲夜の様子に、  
ギルバートがどれほどまでに彼女の『理想のお兄ちゃん』と相違する存在なのかを思い知らされたハヤテは、  
ただ俯くほか無かった。  
 
「それで…、実はな…」  
「?」  
「最近…、ウチは自分の事を何て呼ぶか、密かに悩んどってん…」  
 
今さっきの剣幕とは打って変った恥ずかしげな咲夜の声音に、ハヤテは、おずおずと顔を上げる。  
 
「僕の事をどうお呼びになるか、ですか?」  
「そうや…。何時までも『借金執事』て呼び続けるわけにもいかんやろ」  
「あはははは…。そ、そうですね…」  
 
咲夜からの『借金執事!』という呼びかけに悪意がない事くらいハヤテは十分承知していたが、  
それと、『お兄ちゃん』への憧れとが咲夜の中でどう繋がったのか、もちろんハヤテには分からない。  
 
「そこでな…、今、思いついてんけど…」  
「はい…」  
 
“最近―つまり、このところずっと―悩んでいる”ことに、“(たった)今、思いついた”解決法がどれほどの効果を発揮するものか、  
やはりハヤテには分からなかったが、とにかくここは咲夜の言うことを黙って聴くにしくはない。  
 
「自分のこと、これからは、『ハヤテお兄ちゃん』て呼ぶんはどうやろ…?」  
「え…?ええ!?」  
 
常夜燈の冴えた明かりに照らし出される、  
パーティードレスに包まれたスタイルのいい肢体をモジモジとくねらせながらの咲夜の提案に、  
またまたハヤテは面食らってしまった。  
年は確かに自分の方が上だが、血族でも姻族でもない、ましてや他家の執事であるこの自分を『お兄ちゃん』と呼んで、  
咲夜は一体どうしようというのだろうか?  
 
「なあ!良えやろ?」  
「そうおっしゃられましても…」  
「良えやんか。なっ!なっ!!」  
「しかし…」  
 
タタッと目の前まで走り寄って上目遣いで一心にせがむ咲夜に対して、ハヤテはどう対応すればいいのか分からなかった。  
それに、咲夜の事だ。自分が「はい、分かりました」と同意した次の瞬間に、  
「アホか!何でウチが自分のこと『お兄ちゃん』なんて甘ったるい呼び方せんならんねん!!」と来る可能性も十分にある。  
だが…  
 
「二人きりん時だけや…。二人きりん時だけ!な?」  
「ですが…」  
 
更に身体をぐっと近付けながらハヤテの胸元に縋り付かんばかりにして切なげな声音で哀訴を繰り返す咲夜の様子に、  
ハヤテは本当に困り果ててその真意を探ろうと咲夜の瞳をじっと見詰めた。  
 
「ウチに『お兄ちゃん』て呼ばれたら、けったいな感じがするか?気色悪いか?迷惑か…?」  
「いえ…、その様なことは、決して…」  
 
月明かりを映し込んで美しく輝く咲夜のクリクリと大きな可愛いつり目が、見る見るうちに悲しげに潤み始める。  
 
「…、そやったら、『お兄ちゃん』て呼ばせてぇな…」  
「咲夜さん!」  
 
銀色に輝く小粒の真珠のような泪を瞼一杯に溜めながら喉を詰まらせる咲夜の頼りなげに小さく震える肩先を、  
その涙が零れ落ちるのを防ぎ止めようとするかのように、ハヤテは咄嗟に大きな掌で優しく包んだ。  
 
「な…?良えやろ…?」  
 
咲夜がハヤテの胸元に掌をそっと押し当ててそのまま身体の力を抜くと、  
自然にハヤテの掌が咲夜の上半身の全てを支えるような状態になる。  
 
「…」  
 
ハヤテは真剣に考えた。  
これほどまでに取り乱しながらの咲夜の懇願が、嘘や冗談、ましてや『ネタふり』などであるはずがない。  
何より、「二人きりの時だけ『お兄ちゃん』と呼ばせて欲しい」というその条件を考えれば、それは最早明白だった。  
 
「分かりました…」  
「へ…?」  
 
パチパチと可愛らしく瞬く咲夜の涙目を優しく見詰めながら、ハヤテは静かに頷いた。  
 
「はい。咲夜さんがそうまでおっしゃるなら、どうぞご遠慮なく僕のことを『お兄ちゃん』とお呼び下さい」  
「ホンマ!?」  
「はい!」  
 
常夜燈と月の光が織り成すコントラストに、とても嬉しそうに微笑む咲夜の顔が美しく浮かび上がる。  
 
「あははは!嬉しいわぁ〜!!有り難うな!ハヤテ!!」  
「どう致しまして!」  
「あ!『ハヤテ』違ゃうわ!!」  
「?」  
「『ハヤテお兄ちゃん』や!」  
「はい!」  
「やったぁ!ウチに『お兄ちゃん』が出来た!」  
 
さっき泣いたカラスは何処へやら、軽やかなステップを踏みながらハヤテの胸元から離れた咲夜は、  
優しく見守るハヤテの周りをくるくると回り、その執事服の袖口を摘んだり、広い背中をポンポンと軽く叩いたりしては、  
嬉しさで一杯の声で「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」「ハヤテお兄ちゃん!」という“憧れの呼び掛け”を一頻り楽しんだ。  
 
「ハヤテお兄ちゃん…。あのな…」  
「はい。どうなさいましたか?」  
 
やがて、ハヤテの正面で足を止めた咲夜は、  
視線を忙しなげに宙に彷徨わせながら可愛い頬をプッと膨らませ、形の良い唇をツンと尖らせて、ボソッと呟いた。  
 
「少し…、寒いねんけど…」  
 
なるほど、上品なデザインだが露出度の高いパーティードレスは発育のよい咲夜の肢体をより魅力的に見せてはいたが、  
露になっている細くて白い肩先や背中は、この季節のこの時間の野外ではやはり涼し過ぎるだろう。  
 
「はい…」  
 
一応返事はしたものの、しかしハヤテは咲夜に相応しいショールを持参してはおらず、  
かといって簡単に自分の執事服の上着を掛けるというのも、他家の令嬢に対する態度としては余り相応しくはないだろう。  
ならばここは、ショールをとって再び出直すにしろ、暖をとるためにも一旦屋敷に戻った方がよいのではないか、と、  
ハヤテが提案しようとした時…  
 
「寒い言うとんねん!!」  
バシッ!!  
 
咲夜の何時も通りのハリセンツッコミが、ハヤテのほっぺたに炸裂する。  
 
「あ痛たた…。」  
「寒いゆうたら寒いんじゃ!ホンマ、間ぁの悪い奴っちゃな!!」  
「じゃあ僕は、どうすれば…」  
 
ハヤテの胸元に人差し指を突き付けながら迫る咲夜の頬は、月明かりを通しても、  
今しがたひっぱたかれたハヤテの頬と同じくらい、ボーっと赤く染まっているのが分かる。  
 
「可愛い妹が『寒い』言うとんねん!」  
「はい…」  
「は、は、早いとこ…、う、ウチを抱っこして、暖っためや!」  
「ええ!?」  
 
幾らなんでも、  
夜な夜なこんな人気の無い暗がりで寒がる妹を抱き締めて温める兄など居る訳がなかろう、とハヤテは思ったが、  
ハリセンでの殴打は仕方ないにしても、  
さっきの咲夜の様子からすれば、ここで抱き締めてやらなければ、また泣き出しそうになるに違いなかった。  
 
「分かりました…。どうぞ、おいで下さい…」  
 
ハヤテは仕方なく、その胸元に咲夜を招き入れるために、掌を少し上に向けてそっと両腕を広げて見せた。  
 
「最初からこうしとったら、ほっぺた張られんでも済んだんや…」  
 
咲夜は赤らんだほっぺたを又もプッと膨らませてボソッと呟くと、そのまま、ずいっと一歩でハヤテのすぐ前まで近付き、  
その熱く火照る頬からドキドキと高鳴る胸元にかけてを、ポン!と投げ出すようにハヤテの逞しい胸板へと一息に凭せ掛けた。  
 
「済みません…」  
 
広げられていたハヤテの両腕が、咲夜の寒そうな肩口と背中を暖めるために、そっと優しくそこへ回されていく。  
 
「お兄ちゃんゆうんは、妹のこと可愛がるもんやで…。これからは、気ぃ付けや!」  
 
自分の胸元に縋り付きながら消え入りそうな声で我がままを言う困った妹に、  
ハヤテがもう一度「済みません」と詫びようとした瞬間…  
 
「せやから、『いい子、いい子』せんかい!!」  
バシッ!!  
 
「あ痛…。『いい子、いい子』ですか…?」  
「ウチの髪を優しゅう撫でんねん!コラ自分!『お兄ちゃん』の癖しやがって、妹も良う可愛がらんのか!!」  
 
胸元をくっつけたまま自分を振り仰ぎながら眉間に不愉快そうな皺を寄せて自分を詰り付ける咲夜の顔を見て、  
ハヤテは思わず呟いた。  
 
「やはり、ご親戚なんですね」  
「何や?いきなり…」  
「咲夜さんの目の辺り、ナギお嬢さまにとてもよく似ていますね。やっぱり、血は水よりも濃いって…」  
 
ハヤテの口からナギの名が出た途端、咲夜は身体を少し強張らせて、再びハヤテの胸元に顔を伏せてしまった。  
 
「咲夜…、さん…?」  
「二人ん時はッ…!!」  
「は、はい!」  
 
自分の胸元に深く顔を埋めたまま怒鳴る咲夜の語気の強さを心臓に直に感じたハヤテは、  
直感的に、又、咲夜を泣きそうに動揺させてしまったのではないかと狼狽えた。  
 
「自分とウチの二人しか居らん時は…」  
「はい」  
 
やはり顔を伏せたまま、やっと聞こえるだけの声で呟く咲夜に、ハヤテも静かに返事をする。  
 
「…、ナギの事は、言わんといてんか…!」  
「はい…」  
 
少し身動ぎをして、もっともっと深くその頬を胸元に埋めてくる咲夜の細い肩先を、優しく、そして強く抱き締め直すハヤテは、  
自分の主人が身に纏っているのとは違う匂いを、その鼻腔の奥に快く感じ初めていた。そして…  
 
「ハヤテお兄ちゃん…!」  
「はい?」  
「『はい?』違ゃうわ!『いい子、いい子』、忘れとる…」  
「済みません」  
 
つむじから後頭部にかけてを、ゆっくりと慈しみ深く何度も何度も撫で付けてくれるハヤテの掌の優しさを快く地肌に感じながら、  
咲夜は、そのハヤテの執事服の胸元に埋めた鼻先からそっと少しずつ息を吸い込んで、  
大好きなお兄ちゃんの匂いをこっそりと、だが、思う存分に確かめたのだった。  
 
「せや!ハヤテお兄ちゃん!!」  
「は、はい!」  
 
大好きなお兄ちゃんのほんのりと温かい大きな身体とその匂いに包まれながら髪を丁寧に撫でられるうちに、  
とても良いことを思い付いた咲夜は、ハヤテの胸元に埋めていた顔をパッと上げた。  
 
「自分のこと、呼び捨てにしてくれへん…?」  
「そ、それは…」  
 
自分の直接の主人はもちろんナギだが、しかし、いかに二人きりの時だけとはいえ、  
明らかな主筋にある者を呼び捨てにするということに、真面目なハヤテは、大変な心理的抵抗を感じざるを得なかった。  
 
「二人きりん時だけや…。な…?」  
「はあ…」  
 
再び胸元にしな垂れ掛かりながら鼻に掛かった甘えた声でねだる咲夜に、またまたハヤテは困ってしまう。  
 
「だって、お兄ちゃんは普通、妹のこと『さん付け』でなんて良う呼ばんもん!」  
「まあ…、それは、そうですが…」  
「なあ〜!なあてぇ〜!!ハヤテお兄ちゃ〜ん!二人きりん時だけ〜!」  
 
いや、だから、そんな発育のよい両の胸の膨らみをグイグイと兄の胸元に押し付けながら、うっとりとした上目遣いで、  
兄の二の腕を軽く掴んでゆさゆさと揺さぶる妹など、何処の世界にいるものか!と、やはりハヤテは思ったが、  
しかし、まだ幼さが残っているとはいえ、一個の女性である咲夜を自ら進んで抱き締めておきながら、今更嫌とは言えなかった。  
 
「それじゃ…」  
 
覚悟を決めたハヤテは、エヘンと一つ咳払いして咲夜の美しい瞳をじっと見詰めた。そして…  
 
「咲夜…」  
「ハヤテお兄ちゃん…」  
 
そっと囁くように返事をすると再び自分の胸元に顔を伏せて「ふぅ」と小さく熱い溜め息をつく咲夜の肩を再びギュッと抱き締めながら、  
ハヤテは、我がままで可愛い妹を持った兄の身の上の嬉しさと大変さを、  
「お兄ちゃん」と呼ばれる度にムズムズとしたこそばゆさを増してゆくその心の奥深くで、静かに噛み締めていた。  
 
 
 
おまけ  
 
熱く抱擁し会うその二人の姿を、物陰からじっと観察している三人の人影…  
 
「ハヤテの奴めッ…、絶対、絶対、許さんぞッ!!」  
「うむむ…」  
「困った事になりましたね…」  
 
握り締めた拳をぶるぶる震わせながらナギが憤れば、その隣では、咲夜の執事の巻田と国枝が、困り果てていた。  
 
「よし、分かったッ!!」  
「どうなさるのですか?ナギお嬢さま」  
「ハヤテたちがそのつもりなら…」  
「?」  
「巻田ッ、国枝ッ!」  
「はい!」  
「お前たち、私のことを、『妹ちゃん』と呼ぶのだ!いいな!!」  
「え〜!?それじゃあ私たちは、ハ○ヒじゃないですか!」  
 

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