「綾崎様。何時も何時も御贔屓にして頂きまして、本当に有り難うございます」  
「いやいや、ここの店が一番サービスがいいからね!」  
「そうよね、あなた!『本当に有り難う』って言わなきゃならないのはこちらの方ですよ、店長さん!」  
「有り難うございます。奥様」  
 
この日本で外国製の高級乗用車に関心を持つ者であればその名を知らぬ者の無い輸入自動車ディーラーのショールームの中を、  
綾崎瞬とその妻は、恰幅の良い店長を当然のような顔で従えつつ、商談中の客たちを得意顔で睥睨しながら横切っていく。  
 
「これが、先日ご用命頂きました○クラスのロングタイプのフル装備仕様車でございます」  
「ほう。なかなか良いね」  
「ねえねえ!早速乗ってみましょうよ!!」  
 
そのまま二人はバックヤードに通され、傍に控える店長が丁寧に差し出すキーを瞬が気取った手付きで受け取り、  
如何にもそうした高級車を扱いなれた風にキーのヘッドに組み込まれたリモコンボタンでドアロックを解除すると、  
これまた当然のように何の躊躇いも無くその新車に乗り込んだ二人は、  
最敬礼で見送る店長やバックヤードの整備士たちへの礼もそこそこに、  
わざわざ店のショーウインドーから見える側の出入り口を選んで、  
クラクションを盛大に鳴らしながら店の敷地を出て行った。  
 
「何だ、今のは…」  
 
店のショーウインドー越しに瞬たちの乗る車の後ろ姿を苦々しげに見やる客の呟きに答える販売担当者は、  
もちろん誰もいなかった。  
 
「…」  
 
事務室に戻った店長は、背広の内ポケットから三千院家から預かっている携帯電話を取り出すと、  
その『短縮1』のボタンを押す。  
それに気付いた秘書代わりの女子事務員が、そっと席を外した。  
 
「もしもし…。はい、いつもお世話になっております○ナ○の田中でございます。  
…。はい…、たった今、瞬様と奥様が当店をお出になりました…。  
…。いえいえ、どう致しまして…。はい、あれ以来、お二人とも、ショールームで大きなお声を出されることも無く…」  
 
店長の口ぶりは、瞬たちを相手にしている時と全く同じく、とても丁寧だった。  
 
「あっはっはっはっ」  
「うふふふふ」  
 
信号が青に変わるたびに微かにタイヤを軋ませながらの急加速を繰り返すその車の中で、  
瞬がハンドルを叩いて大笑いすれば、  
その妻はパワーシートの背凭れを際限も無く倒したり起こしたりしながらニヤニヤとほくそ笑む。  
 
「あなたは本当に世渡りもお芝居も上手だわ!1万キロも乗り回しておいて、ちょっとメーター戻して、  
『たった500kmでエンジンがブルブル言うなんて信じられん!』とかショールームの真ん中で堂々と啖呵切るんだもの!」  
「全く、ちょろいもんだよ!オドメーターの数字をいじるのにお金がかかっちゃったけど、あれ以来、  
新しいのに乗り換えたくなったらショールームへ行って『これ』って指差すだけでいいんだから、こたえられないね!!」  
 
車内という密室で下卑た性根を曝け出し、高級外車のディーラー相手に仕掛けた薄汚いカラクリの種明かしをし合う二人だが、  
実はディーラー側は、そんなことは疾うの昔にお見通しだった。  
ただ、瞬の運が良かったのは、あの日、あの店のショールームで瞬たちが販売員相手に猿芝居を打っているとき、  
店の奥の事務所の中で、店の顧問弁護士へ連絡を取ろうと店長が受話器に指をかけた丁度その瞬間、  
その電話機に三千院家からの電話がかかってきたことだった。  
 
「これはこれは、三千院様。ご無沙汰いたしております。本日は、お車のご相談ですか?」  
『いえ…。その…、今そちらに、綾崎瞬という人物が行ってはいませんか?』  
「はあ…。それが…、その綾崎様が奥様とご一緒に、今…」  
 
三千院家からの電話は、「支払いは当家が行うから、瞬たちに彼らが要求する通りの自動車を提供して欲しい」というもので、  
その日以来、彼らは、雨で汚れたり、ほんの少しこすり傷を付けてしまったり、  
或いは飽きというだけの理由でこの店に押しかけては自分たちの思う通りの仕様の新車をせしめていたのだった。  
また彼らは、闇金から金を借りては踏み倒すという事を平気で繰り返していたが、実は、彼らが金を借りた闇金業者も、  
取立てに来ては一通りの悪態をついて玄関ドアを乱暴に蹴飛ばして帰っていくヤクザ者も、  
その全員が三千院家の手の者なのであった。  
つまり、綾崎瞬夫婦は、三千院家の掌の上で踊らされている哀れな道化に過ぎなかったのだが、  
彼らがそんな幸運を享受できた理由は、彼らの息子が綾崎颯(ハヤテ)だったからである。  
だが、彼らが感謝もせずに漫然と送っていたその享楽の日々の“つけ”を支払わなければならない瞬間は、  
静かに、だが確実に刻一刻と迫っていた。  
 
 
「あのジジイ。いきなり私たちを呼び出して、一体何の用なのだ?もし、つまらんことだったら、蹴り一発では済まさんぞ!」  
「お嬢さま…」  
 
三千院総本家の広大な応接室の真ん中に置かれた一際豪華なソファーに座って帝を待つナギの只ならぬ言葉を、  
その後ろに立って控えているハヤテが諌めるが、その横に立つマリアは、沈黙を守ったままだった。  
 
「揃っておるな」  
 
その時、入り口の扉が執事の白手袋によって開かれ、そこから、クラウスを従えて入ってきた険しい顔つきの帝は、  
年の割には軽い足取りでソファーに歩み寄ると、ナギと向かい合わせにどっかと座る。  
 
「綾崎、ナギお嬢さまの隣へ…」  
 
クラウスの静かな言葉に従ってハヤテがナギの隣へ座ると、帝は、おもむろに切り出した。  
 
「今日、お前たちを呼んだのは他でもない…」  
「もったいぶらずに用件を早く言え!」  
 
いらついた口調で言葉を遮るナギに、「よし、わかった!」と言わぬばかりの勢いで、帝は一気呵成に言葉を繋いだ。  
 
「お前たち、お互いにお互いのことを、どう思っておるのだ?」  
「なっ!?」  
「ええっ!!」  
 
並んで座るソファーの上でナギとハヤテは同時に驚愕の叫び声を上げると、  
ナギはそのまま耳の先まで真っ赤になって俯いてしまい、ハヤテは、何が何だか分からずに帝とナギの顔をただ見比べた。  
 
「わしは、お前たちについて、全ての事を知っているということをよく心得た上で返答せよ!」  
 
帝の言葉に、ナギは後ろに立つマリアの顔をサッと見上げたが、しかし、  
自分もそのようにしたいという衝動を必死に堪えるハヤテの顔色が、見る見るうちに真っ青に変わっていく。  
そう、帝の情報源がマリアであるならば、この自分が企てたナギへの誘拐未遂の事も帝の耳に入ったに違いなかった。  
 
「マリア…、お前…」  
「マリアを責めるな。わしが、全てを話すように命じたのだ」  
 
ナギの何とも言えない声音でのマリアへの問い掛けを、帝が静かに遮る。  
 
「帝おじいさま…、ナギお嬢さま…、僕はあの夜、ナギお嬢さまを誘拐しようとしたのです…」  
「へ…?」  
「…」  
 
素っ頓狂な声を上げるナギと、押し黙る帝、クラウス、マリアの前で、  
ハヤテは、ナギとはじめて出会ったあの晩の真実を語り始めた。  
 
 
「…これが、あの日の夜に僕がお嬢さまに申し上げた言葉の本当の意味です…」  
 
ハヤテは、その場に居合わせたもの皆に全てを話した。  
親に1億5千万円の借金を押し付けられ、その取立てに訪れたヤクザたちから必死で逃げた事。  
だが逃げ切れないと悟って自棄になり、誰かを誘拐して身代金をせしめようと考えた事。  
ナギを標的にしたのは、ナギがたまたまそこにいたから、というだけの理由だった事…  
 
「僕は、お嬢さまに相応しい男ではないと思います…」  
 
話し終えたハヤテの顔は涙で濡れており、そんなハヤテの様子を見ていたナギの頬にも幾筋もの涙の跡が光っていた。  
そんな二人に、帝が優しく問い掛ける。  
 
「ナギ」  
「何だ…?」  
「綾崎」  
「はい…」  
「わしは、お前たちに、『今までの事を話せ』と言ったのではない。お互いの事をどう思っておるのかを聞いたのだ」  
 
なるほど、言葉の意味としては確かにそうかもしれないが、しかし、そんなレトリックはもう、  
今のハヤテにとっては何の意味も無いことだった。  
だが…  
 
「わっ、私は…、ハヤテの事が好きなのだ…!だから、だから…、これからもずっと一緒にいて欲しい!!」  
 
ナギは、すぐ隣に座るハヤテの身体に飛びつくようにしがみつくと、  
その逞しいが今はナギたちへの申し訳なさに萎縮してしまっている体をギュッと抱き締めながら切ない声で訴えた。  
 
「お嬢さま…」  
「は、ハヤテは、私の事をどう思っているのだ…?」  
「しかし、僕は…」  
「今、ジジイも言ったではないか!ハヤテが、自分自身の事をどう思ってるかじゃなく、この私の事をどう思っているか、  
聞かせろ!!」  
「ですが…」  
 
なかなか煮え切らないハヤテの態度に業を煮やしたナギは、ピョンと勢い良くソファーから立ち上がると、  
ハヤテの鼻先にビシッと細くて白い人差し指を一本突き付けながら、何時もの調子で元気良く命令した。  
 
「ええい!男の癖に何時までも過去の事に拘りおって!!いいかハヤテ!今から私の事を好きになれ!いいなッ!!」  
「お嬢さま…」  
 
ハヤテは、その鼻先に突き付けられたナギの指先を大きな両手で大切に大切に包むと、  
何度も何度も「有り難うございます」と呟きながら、さっき冷たい涙で冷えた瞼から、今度は熱い幸せな涙を滾々と溢れさせた。  
 
ナギとハヤテが、マリアから差し出された熱いお絞りで顔に残る涙の跡をゴシゴシと拭い終えたのを見届けた帝が、  
ハヤテに声をかける。  
 
「綾崎。わしと一緒に来い」  
「はい」  
「ハヤテ…」  
 
ソファーからスッと立ち上がるハヤテの後を追おうとするナギを、マリアが無言のまま優しい顔で制止する。  
 
「うん…」  
 
ナギは、少し浮かせた腰を再びソファーの座面に戻し、帝に従ってドアの外へと消えて行くハヤテの広い背中を見送った。  
 
帝に付いてほんの小さな次の間に入ったハヤテに、帝は身振りで椅子に座るように勧める。  
 
「失礼致します」  
「これからもナギの傍にいると決めたお前に、もう一つ決断してもらわねばならんことがある」  
「はい」  
「お前の両親のことだ」  
 
「(やはり…)」とハヤテは思った。これからずっとナギの傍にいる以上、  
それも、『好き』という感情を表沙汰にしてそうする以上、それは避けて通れぬ問題だった。  
 
「僕は、どうすればいいのでしょう…?」  
「お前は、自分の両親を許せるか?」  
 
腰の後ろで腕を組んで部屋の中をゆっくりと歩き回っていた帝が、ふいに立ち止まって真剣な眼差しで尋ねた。  
これは、難問だった。  
 
「あんな人たちとは、親でも無ければ子でもありません…」  
「…」  
「…でも」  
「やはり、そう言い切るのは迷いがあるか?」  
「…はい」  
「よい。それが人の情というものだ」  
「有り難うございます」  
 
その帝の一言は、ハヤテにとって本当に嬉しかった。自分を捨てた親でも、やはり、親は親なのだ。  
 
「だが…」  
「はい」  
「辛かろうが、これを見てくれ」  
 
 
571 名前: ◆40vIxa9ses 投稿日:2008/10/22(水) 02:00:01 ID:A6k+Ool3 
ハヤテと向かい合わせの椅子に座った帝は、テーブルの上のリモコンを取り上げると、  
壁掛け式の液晶モニター画面の電源を入れ、続いて映像の再生装置の電源をオンにした。  
再生が開始された映像は、乱暴な発進と加速を繰り返す高級外車を追尾する車両の前席から撮影されたもので、  
聞こえてくる男女の会話は、その外車の車内のものらしかった。そして、その声は、紛れも無くハヤテの両親のそれだった。  
 
「(父さん…、母さん…)」  
 
だが、その二人の声音にハヤテがほんの少しの感傷すら感じる暇も無く、  
その酷い会話の内容が彼の腸を瞬時に煮えさせた。  
 
「そうだ、このカード、もうそろそろ残高が無くなるころだから、  
これ使って、この間と同じように携帯電話を二つ三つ契約して、そいつを例の連中のところへ持ち込もう!」  
「そうね。それで、ヤバくなったらポイ!でいいわよね〜!」  
「あははははは!!」  
 
だが本当にハヤテの全身の血を逆流させたのは、次に聞こえてきた彼らのこの遣り取りだった。  
 
「ハヤテのやつ、今頃どうしてるかな?」  
「さあね…。いろんな所にいろんな風に売られてるかしら」  
「でもあいつ、女の子みたいな顔してたから、ちゃんと女に生まれてりゃ、あいつを使ってもっと稼げてたかもしれないなあ」  
「あら、男だって同じようなもんよ」  
「男相手の売○かい?」  
「いえいえ、あの子のお嫁さんにそっちの方で稼いでもらえばいいのよ!」  
「ああ、なるほどなあ!夜の街で共稼ぎか!!あははははは」  
「うふふふふ」  
 
激しい憤怒に首から上の肌を紫色にしながらギリギリと握り締めた拳をぶるぶると震わせているハヤテの耳に、  
帝の冷徹な声が響いた。  
 
「お前の嫁、という言葉が彼らの口から出たからには、わしとしてもそれを放置するわけにはいかんのだ。  
許してくれとは言わん。だが、孫娘を思うこの爺の気持ち、どうか分かってくれ…」  
 
帝の言葉に、ハヤテはただ、深くしっかりと頷くだけだった。  
 
 
「お客様。それはご無理というものです」  
「何が『ご無理』だよ!この間このフェリーを利用した時、おたくらが車の固定方法を間違ったから、  
僕たちの大事なべ○○に傷が付いたんだ!修理代だって高かったんだぞ!」  
「そうよ!それを今回、ただで特等船室を手配してくれれば帳消しにして上げるって言ってるのよ!有り難く思いなさいよね!」  
 
フェリー乗り場のカウンターで、  
困り顔の客を大勢後ろに待たせたまま、また綾崎夫婦は彼ら十八番のダメもとの無理難題を係員に吹っかけている。  
 
「他のお客様のご迷惑になりますので…」  
「じゃあ、お前の船会社が俺たちにかけた迷惑は、どうしてくれるんだい?」  
 
その時、困り果てている係員の横の電話が鳴った。  
 
「…はい。綾崎様とおっしゃるお客様で…。はい、では、少々ここでお待ち頂けば宜しいですね…」  
 
受話器を置いた係員は、多少ほっとした表情で、目の前でむくれ返っている綾崎夫婦に告げる。  
 
「只今上司が参りまして、綾崎様のご希望に沿う形でご乗船いただけますよう手配したいと申しておりますので、  
今しばらくお待ちくださいませ」  
「そうだよ。初めから上司を呼べばいいんだよ」  
「ほんと!窓口の人が気が利かないのって、時間の無駄だわ!」  
 
こうして、綾崎夫婦は、まんまと特等船室での快適な船旅を享受することになったのだが…  
 
 
真夜中、夫婦の船室のドアをノックするものがある。  
 
「誰だよ…、こんな夜中に…」  
「ほっときましょう。どうせ酔っ払いが部屋を間違えてノックしてるのよ…」  
 
だがノックは繰り返され、そのリズムも強さも、とても丁寧だった。  
 
「何だよ、もう…。誰だい?こんな夜中に!安眠妨害だぞ!!」  
「このような深夜に真にご迷惑をお掛け致します、綾崎様。乗船者名簿についてなのですが…」  
「ああ?乗船者名簿…?」  
 
ドア越しの丁寧な呼び掛けに、瞬は気が付いた。  
フェリー乗り場に自分たちを迎えに現われた、立派な制帽、制服姿の船員に得意になって先導されるまま、  
綾崎夫婦は乗船者名簿に記帳せずに乗船してしまったのだった。  
 
「名簿に記入してくれって言わなかったのは、おたくらのミスだろう?何もこんな夜中に…」  
「いえ、名簿にご記入下さいとお願いしに伺ったのではないのです。むしろ、ご記入になられますと、  
こちらにとりまして大変に不都合でございまして…」  
 
深夜の訪問者に対面で文句を言ってやろうと瞬が無警戒にほんの少しだけ開けたドアをさっと押し開いて、  
昼間彼らを迎えに出てくれた制服姿の船員を先頭に、屈強な船員が数名、ずかずかと二人の船室に入りこんできた。  
 
「きゃあ!何よ!あんたたち!!」  
「失礼だなあ、君たちは!夜の夜中に、就寝中の女性がいる船室に、そんなに大勢で…」  
「お静かに願えませんか?我々は船内の“清掃”に参ったのです」  
「馬鹿を言うなよ!一体なんのつもり…」  
 
屈強な船員たちに少しだけたじろいだ瞬だが、今回ばかりはどう考えても自分の側に理があると思い直し、  
文字通りに胸を張って船員の一人に詰め寄ったその時、スッと伸びてきた別の船員の手が、  
なにやら白くて小さな布のようなものを瞬の口と鼻の辺りに当てると、瞬があっという間に床にくずおれる。  
 
「何するのよ!あ…」  
 
さっきからベッドの上に半身を起こしてこの有様を見守っていた妻は、大きな声を出しかけたその口元を、  
やはり瞬のそれと同じような白い布で押さえられて、再びパタリとベッドに仰向けに寝そべるように倒れこんだ。  
 
「では、先ほど説明した段取りどおり、こいつらの着ているものを、下着までそっくりこちらで用意した物に取り替えるんだ」  
「はい」  
「身分が分かるものは、どんな些細なものでも回収して私のところへ持ってきてくれ。どんな些細なものでも、だ」  
「了解しました」  
 
船員たちは、先ほど打ち合わせたそれぞれの作業に取りかかり、程なくそれを首尾よく終えた。  
 
「ご苦労だった。君らは持ち場に戻ってくれ」  
「はい」  
「君は、こいつらの荷物を持って、それから君たちは、これを担いで私と一緒に来てくれ」  
「はい」  
 
特に屈強な二人の船員は、さっきまでとは全く違った服装になった綾崎夫婦を一人ずつ担ぎ、  
先導する船員の後に従って、夫婦の荷物を持った船員と共に部屋を後にした。  
時間は、船酔いの客も酔い疲れて寝込んでしまうほどの文字通りの深夜だったし、  
船員専用の階段を使えば、この二人の“人間ゴミ”を船客に見られることなく船尾へと運び、  
そこから真っ暗な海へと投棄することなど、全く造作も無いことであった。  
そして、『清掃作業が完了した』という電話を帝が専用の携帯電話で受けたのは、この直後の事だった。  
 
屋敷の居間のソファーで、ハヤテは膝の上に乗せたナギの頬を愛しげに指先で撫でていた。  
 
「お嬢さまは、本当に可愛いですね。ほっぺもこんなにぷくぷくで、ふわふわで…」  
「そんなに触ったら…、くすぐったいぞ、ハヤテ…」  
 
ナギは飛び切りの美少女だったし、何よりもハヤテを恋い慕うその気持ちはとても深くて強いものだったから、  
そんなナギの気持ちを真正面から受け止める事になったハヤテが、ナギの事を本気で愛し始めるようになるには、  
それほど時間はかからなかった。  
 
『さて、今日で今年ももう二ヵ月をきったわけですが、テレビをご覧の皆さんは、今年、やり残した事はありませんか?』  
『ちょっと待った!そりゃ、まだ早いんじゃない?』  
『いえいえ、時間なんていうものは、お金と同じで、「まだある」と思って気を抜いていると、いつの間にやら…』  
 
テレビのニュースショーのキャスターたちのお喋りを聞きながら、ナギとハヤテはしみじみと話し合う。  
 
「帝おじいさまのところでのお話し合いから、もう、1ヵ月経つのですね」  
「うん…。早いようで遅いようで、でも…」  
「でも?」  
「ハヤテと一緒なら、どんな時でも最高に幸せだぞ!」  
「はい。僕もですよ、お嬢さま…」  
 
チュッと二人の唇がささやかに重なり合う、その甘く幸せな雰囲気に水を注すように、  
画面のこちら側の事情など全く知らないキャスターが、余り気持ちのよくないニュースを読み上げ始めた。  
 
「今日午前10時頃、○○県の××浜を散歩していた男性が不審な漂着物を複数見つけ、地元の警察に届け出ました。  
警察官が現場に急行して調べた結果、一つはワイシャツらしきものを着た人間の上半身、  
もう一つは、ジャージらしきものを穿いた女性の下半身と判明し、同県警では、現在、これらを司法解剖すると共に、  
残っている着衣などからこれらの遺体の身元の手がかりとなるものは無いか、慎重に調査しています…」  
 

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