少年は悩んでいた。恋愛の事で悩んでいた。好きで好きで仕方ないのに想いを伝えてしま  
えば現在の心地よい関係すら壊してしまうのでないかというジレンマを抱えていた。  
「まあ、相手があの伊澄さんやからなー。並のアプローチじゃどうにもならへん上に、何かとい  
えば『ハヤテさまーハヤテさまー(オロオロ)』やもんな」  
 人影もまばらなVIDEOタチバナのレジで、咲夜はかんらかんらと楽しそうに呟いた。学校帰  
りらしく制服姿である。そこそこ似合っているが鞄をかつぐように持っているのが制服特有の可  
愛気を相殺し、嫌が応にも彼女のキャラクター性を主張している。  
「で、いつか取られるんじゃないかと怯えつつ、そこはヘタレの自分やから何もいえずに縮こまっ  
とるっちゅーワケや」  
「うっせ。ビデオ貸してやったんだからさっさと帰れ」  
 ワタルは目を雑誌に吸いつけたたまま、しかし頬には一条の汗を垂らしながら憮然と言葉を  
返した。  
「ほっほう。ええんかなー? パソコンちょっといじればビデオ借りれるこのご時世に、わざわざ  
こんなツブれかけのレンタルビデオショップに足運んでくれる貴重なお客様兼可愛い幼馴染  
をムゲにして? 人脈は大事やからなぁ、あとあと後悔しても知らんでえ〜」  
 目を半円にして意地悪く呟く咲夜に、ワタルは気分を害しつつも一応いずまいを正した。  
 というか少年はもちろん気づいている。今貸し出したモノはいわゆるナギ用の「レアモノ」で  
はないのである。裕福すぎる幼馴染ならアマゾンあたりで買えそうな物であり、わざわざワタル  
の所で借りに来る必要はない。なのになぜ借りに来るかといえばワタルへの友愛に満ちた援  
助という解答しかないだろう。  
(分かっちゃいるけど、なあ……)  
 後は引き渡すだけの「一人ごっつ」の山の麓へ雑誌を放り出し、ずずいっと「お客様兼可愛  
い幼馴染」を見上げた。その様子をなんだろうと不思議そうにサキが遠くから一瞬見たが、す  
ぐいつものように見事な黒髪揺らしつつビデオの整理に戻った。  
「……訂正する。ビデオ借りに来てくれたのは感謝するけど、いちいち人の悩みをつつくなよ」  
 げんなりと呟くワタルに咲夜は意地悪く笑った。  
「自分あれやろ? あの執事と自分を比べてアレコレ足りひん部分ばっか考えて、んで、『あぁ  
オレは無力で何もできねーから伊澄に告白してもフラれるだけ。頑張ってドラゴン使っても氷  
技持ってる相手に総崩れ』ってなマイナス思考のスパイラル状態を連日連夜、悶々と続けとる  
んちゃうか?」  
 ワタルは石化した。いまVIDEOタチバナのレジ付近の壁がせり出して少年少女を圧殺せん  
と迫ってきたら、見事それを防げるのではないかと思えるほど石化した。それはもう彼は頭の  
てっぺんからつま先まで文句のつけようもないほどパロムポロムと石化したのである。  
「ほんま分かりやすいやっちゃで」とため息交じりに咲夜がいうと、ワタルはそれを輝く金の針  
として耳から打ち込み石くれをバラバラと全身から落としつつ復活。焦燥混じりに軽く怒鳴った。  
「だ!! だって仕方ねーだろ。アイツ完璧すぎるしオレと違って人当たりいいし……」  
「そこや!」  
 咲夜はバンと机を叩いた。ビデオの山が崩れかけ、ワタルは慌てて手を伸ばした。そしてそ  
れを待ち受けていたように咲夜の細い手がワタルの胸倉をむんずと掴んだ。  
「ええかッ! ウチが怒っとんのはお前の『心の弱さ』なんやで自分!」  
「ちょ」  
 情けない悲鳴をあげながら、とりあえずビデオの山だけは保持するワタルである。何故なら  
ばそれは義理ある幼馴染に渡すべき商品。もしコレが壊れた場合に咲夜が代金を払ったとす  
ればただの施しであるから、気位の高いワタルには色々な意味で耐えられないのだ。  
 故にビデオ死守であり、咲夜の演説も続く。  
「そりゃあ確かに『伊澄さんの心』をイキナリぶっ飛ばされたんや。衝撃を受けるのは当然や!  
自分まで『尊敬』してもーたんやからな。ウチだってヤバイなー思う!」  
 ワタルを厳然と見下ろしつつなお続く。  
「『成長せえ』! 自分。『成長』せなウチらは『栄光』をつかめへん! ブチャラティたちには勝  
たれへん!」  
「あの、もしもし?」  
 咲夜の右手が首に回ってきたのをワタルはどぎまぎと見つめ、顎に手が当てられると目を点  
にして硬直した。何故ならば咲夜の鼻先はワタルのそれとほぼ密着しており、芳しい咲夜の息  
がふうふうとかかっている──……!  
「なんや」  
 
「か!! 顔、近いって! サキに見られたらどうすんだ!」  
 薄紅色の唇にドキドキと目を奪われながら囁くと……  
「!! ちゃ、ちゃうねん、生ハムはんのマネしたらつい!」  
 果たして咲夜もそれにつられて真赤に顔で鞄を宙に放り投げ、慌てて飛びのいた。  
 宙に放り投げた鞄からは内容物がばらばらと降り注ぎ、その学業道具の雨を咲夜は貫きな  
がら背後五メートルまでスッ飛んだのだ。  
 然るに、ああ。何という運命の悪戯か! 飛んだ先にはちょうどサキがいた!  
 何の因果か天中殺か、奇跡的にも本日一度たりとドジを踏んでいなかったポンコツメイドは、  
眼鏡の奥の瞳を安堵につぶりつつ棚と棚の谷からレジ方面へと脱出したところだったが、そ  
こへ咲夜の変則的体当たりが迫ってきたからたまらない。  
 サキは美貌を臆面もなく「いぎ!?」とゆがませ硬直したが、しかしポンコツメイドはポンコツ  
メイドなりに頑張って生きてきた積み重ねがここで何とか功を奏した。下手に動くとビデオ棚が  
ドミノ倒しになるという経験則プラス大事な若の幼馴染を受け止めねば大変という使命感で、  
何とか踏みとどまって咲夜を受け止めたのである。  
「あ……サキさんスミマセン」  
「い、いえ。メイドとしての務めですから。でも何があったんですか?」  
 訝しげに質問するサキに咲夜は困ったように大口を開けて空笑いを上げた。  
「!! ま、まぁ色々や。あはは。ははは……」  
「ところでコレなんだ?」  
 レジから咲夜を追跡してきたワタルは、辺りに降りまかれた教科書やノートに混じって、どこ  
かの書店の茶色い紙袋や本が散乱しているのに気付いた。  
 何かサキがドジをやっていないかと確認しがてら、転がっている本たちをちらちら見ていると  
まず黄色い背表紙が目についた。ワタルは手慣れたもので、その黄色さが網膜から消えない  
うちにサキがドジをやっていないのを確認し終わり、改めて本へ神経を集中させた。  
 数は八冊。いずれもサイズは同じで、ナギがよく読んでいるコミックスより一回り小さい。  
 更に表紙がアニメアニメした絵柄ではなくひどくいかめしいのがワタルの目を引いた。ひどく  
リアルなタッチで軍人の群れや大砲、駆けずり回る騎兵の群れなどを描いている。白い裏表  
紙を天に向け照明を鈍く反射しているものもあるが、おそらくそれらの表紙も同じ絵であると  
察しがついた。何故ならば表紙や背表紙に描かれたタイトルが全て同じだったからだ。  
(よーするに何かのシリーズ物をまとめて買ったのか……?)  
 中には緑の帯がついているのもあり、どこぞの「アニメ第二期製作決定!!」の帯のように  
表紙の絵を無遠慮に遮りつつ「明治を描いた大叙事詩」という文字をデカデカと主張している。  
「でもお前、こういう小難しそうな本読む趣味あったっけ?」  
「あ!! それはなあ、要するにウチから自分へのプレゼントや。『成長』のために持ってきた  
んや」  
 サキのメイド服に包まれた豊満な肉体からよいしょと離れると、咲夜は素早く本をかき集め  
て埃払いつつ一巻から八巻まで整頓して角もピッタリ、重箱のように整然と積み上げてワタル  
に歩み寄り、最後にずずいっと押しやった。  
「この作者さんは大阪の人でなー。だからちょくちょく読んどるんや。確かに小難しそうやけど  
慣れれば色々おもろいで? 大阪生まれだけあって時々えろうツッコミ上手やし」  
「はあ」  
「まあなんや。平たくいったら日本がごっつ強い国に勝ったっちゅーお話でな。まぁ、お話いう  
ても実際にあった出来事やけど、その分参考になるんとちゃうか? 少なくても自称恋愛相談  
の達人どもに従ってるよりはマシやろ。ヤボ用の回でロクなコトにならんだし」  
 その時どこかでくしゃみをした姉弟がいたというが本題とは関係ない。  
「お前あいつらと接点あったっけ? つーかコレ読んでどうしろと?」  
 ワタルは不承不承と本を眺めながら首を傾げた。  
『坂の上の雲』と表紙に銘打たれたその本と伊澄への恋愛感情がどうにもつながらない。  
 ちなみにこの本は日露戦争を描いた本だから、少年の恋愛問題を結び付ける方が異常とい  
えるだろう。  
 ちなみにこの本は少年漫画的大勝利を描いた本で(以下五百行省略)旅順攻略が素晴らし  
く(以下五千行省略)日本海海戦が非常に燃えたりと、とにかく面白い!  
 だが余談がすぎた。本題に戻る。  
 
 よく分かってない感いっぱいのワタルに咲夜は唇を尖らせた。  
 
「鈍いなー自分。要するに容姿能力性格人気全てにおいてあの執事に劣っとる自分でもな、  
考え方と努力次第でなんとか勝てるいうのを、この本を読んで覚えろゆーコトや。いや、覚える  
んやない。考え出すんや。自分で考えた方策っちゅーのは何かと頼りになるよってな。……  
まぁ、この本の主人公の一人の受け売りやけど」  
「はあ」  
「だあもう。お前はアレか!? プラズマダッシュモーターを搭載した魚つりゲームか! 激しく  
空回りしとるだけでちぃっともつれへんわ!」  
 咲夜は目を三角にして気焔をあげたが途中でしぶしぶと沈静した。  
「ま、まぁええわ。ウチはお姉さんやから甲斐性なしのヘタレ相手にいちいちムキになったりは  
せーへん。もっとも、甲斐性なしのヘタレはすーぐムキになるよっていつも苦労かけられとるけ  
どな」  
「ば!! オレにだって甲斐性ぐらい……甲斐性ぐらい……」  
 少年は怒鳴りかけたが言葉半ばであれこれ考え、最終的には自信喪失の態で黙り込んだ。  
「まったく。花も恥じらう十四歳の乙女がわざわざ学校帰りに本屋さん行ってそんないかつい  
本をセットで買うてきたんやぞ? コレ実はものすごく感動的な話とちゃうか? おお、ええ話  
や。泣ける、泣けるでーとかやるべきやろ常識的に考えて」  
 咲夜は笑ったり嘘泣きしたり微苦笑したりと表情筋を忙しく活動し終わると、不敵な表情でワ  
タルを下から覗きこみつつ「ええか?」と人差し指を立てた。  
「これも受け売りやけどな、弱者の特権は考え抜くことや。そして平凡な主題でも徹底してやな、  
戦術や戦略もそれを叶えるために一点集中すればなんとかなるもんやし、運のうち四分ぐら  
いは努力で引き寄せられるっちゅーコトやで。ほら、ザボエラかて考え抜いて超魔ゾンビこさ  
えてクロコダインしばき倒したやろ? だから騙されたと思ってやってみ」  
(そうなのですか……!)  
 サキは咲夜の言葉に感銘を受けたらしく拳を握って感動を示したが。ワタルは複雑な表情だ。  
「どした? 何かいいたいコトがあるならいってみ?」  
「わ!! わざわざ本を買ってきてくれたのはすっげー嬉しいし感謝してるけど、その……」  
「さよかさよか。その感想聞けてウチも嬉しいわ。で、その続きは?」  
 咲夜は満面の笑みを浮かべた。感謝の言葉やそれに少し照れる幼馴染に気を良くしたらしい。  
 言葉の続きを待つ瞳は大好きなお笑いの話題を待つようにキラキラ輝いている。  
 が、ワタルはその笑顔から視線を気まずそうに外しながら本をレジの傍に置き、後ろ頭をぼ  
りぼり掻くと呆れたように呟いた。  
「あのさ、萌えマンガの二次創作で歴史小説持ち出すの何か違わなくね? 絶対読者層と噛  
み合わねーよ」  
「死ね!!」  
 咲夜のハリセンがワタルの頭を直撃し、哀れ彼はタンコブをこさえたまま床に崩れ落ちた。  
 哀れ彼は地面にヒビを広げ、水面に腹を打ちつけたカエルがごとき無様なうつ伏せだ。  
「な……んで?」  
 呻くワタルに向かってハリセンがビシィっ! と突きつけられたのは理不尽という他ない。  
「今のまるでノリツッコミやないか! ホンマ考えられへんわ! 乙女の親切心をそんなしょー  
もないツッコミの前フリに使うな!! アホ!!」  
「ちが……!! オレはただ感想をいっただけだっつーの!」  
「もう知らん! 本はやるから勝手にしい!! ウチは帰る!!」  
 関西少女はふくれっ面で鞄に中身を、専用の袋にビデオを、それぞれ叩きこむように掻きい  
れ始めた。  
「若! 若ー! ああでも咲夜さんの鞄の中身は私が拾わないと……! あああ、私は一体  
どうすればー!!」  
 ワタルの傍にしゃがみ込んだサキが涙目でうろたえている間に、咲夜は大股で店を出た。  
 
 とまあ少年はそんな失態をやらかしつつも、咲夜の言葉に何か思うところがあったようである。  
 されどヘタレであるから武器とすべき自身の魅力などは簡単に発見できないのである。  
 例えば新学期に担任教師へ提出する自己紹介の紙に「長所:なし」と書きそうなのが少年で  
あり、そして担任教師が「そうは書くけどきっといい所もあるよ」と(いかなる意図があっていう  
かの詮索はさておき)、励ましてきても「オレなんか」と思うのもまた少年である。  
 何故ならば彼は強すぎる向上心に見合う成功を若年故に収めたコトがなく、強すぎる向上  
心のためいかにも便宜的な優しい言葉は受け入れられず、強すぎる向上心ゆえに人当たり  
が悪いという自覚があるのである。  
 
 だから強がっていても電話のない夜とかはとりわけアイミスユーなコンプレックスの塊だ。根っ  
こはそれこそ冷凍ビームに対するプテラより脆いのである。  
 しかしそれでも戦わねば人生はどうにもならんのである。色々克服して生きていかないとし  
まいには人間学園にブチ込まれたり、ロジョーの根城を守るため暴走族と一戦交えるハメにな  
るのである。よって高所でボロ泣きしてカイジに後を託す人のように勇気を振り絞った。  
「なあ、俺に長所ってあるかな」  
 ワタルは意を決して聞いたのだ。伊澄に。家を訪ねて。  
「えーと……」  
 仕事のスイッチが入っていない時はまったくおっとりのんびりしている少女は、突然の質問に  
困ったように眉をハの字に歪めて「えーと、えーと」と考え始めた。  
 ワタルのような小市民で小心者な男にとってはすでにその仕草自体が恐ろしい。  
(もし「ない」とかいわれたら……自分でないって書くには別にいーけど、コイツにいわれてしま  
ったらオレ、マジで立ち直れねーぞ)  
 正座状態でカっと顔を赤らめたまま俯いて、膝のあたりをギュっと握ったりしながらドキドキ  
と返答を待った。少年は思った。たかが長所一つ聞くにも心臓が異常なまでに跳ねあがってる  
のだから、果たして告白などはできるのかと。  
(現にこの前誤爆した時、死ぬかと思ったしなあ。にしても早く答えてねーかな……てかこの重  
苦しさどっかで感じたよな。ああそうだ咲夜の誕生日パーティの時だ。うわ、じゃあ何か? 伊  
澄はあれだけの大人数並に緊張する相手なのかよ? そんなんで大丈夫なのかオレ?)  
 伊澄は伊澄でワタルとは別の感情でオロオロと回答を考えている。あたかもその処理の遅  
さは電話回線でたっぷり二ギガバイトはあるパッチを落そうとしているような感じだ。  
 およそ三十分はそうしていただろうか。やっと伊澄は口を開いた。  
「ワタル君」  
「は!! はい!!」  
 ワタルは正座で痺れる足も忘れてすっくと背を伸ばして伊澄を見た。  
「ワタル君はひ弱で乱暴で少し泣き虫で口が悪いけど」  
(え? 何その評価? オレもしかしてバッドエンドルートですか?)  
 目から涙を分泌させあやうく指摘の一つを体現しそうになった少年に、しかし伊澄はニコリと  
微笑してこう続けた。  
「決めたコトは必ず最後まで一生懸命やるし、なんだかんだいっても女のコには優しいと思い  
ますよ」  
「ホントか!? たとえば!?」  
 俄かに大声を上げたワタルに伊澄は小動物のように縮み上がり、袂で口を覆いながら  
コクコクと頷いた。  
「えっと、その……サキさんとゲームする時はときどきわざと負けてますし……あと、えぇと、こ  
の前のひな祭り祭りの時に……咲夜に綿菓子とか金魚すくいとかを……」  
 おごったからワタルは優しいと伊澄はいいたいらしい。コレは咲夜が飛び級の席をワタルに  
譲った恩返しであり罪滅ぼしである。しかし伊澄がそれを知っているというコトは恐らく咲夜が  
それとなく吹聴したのだろう。  
 もちろんこの時の少年はそういう根回しを知らず、ただ伊澄に評されたのを喜んで立ち上が  
り、足の痺れに情けなく崩れ落ちるだけであったが。  
「ぐは! 足が! 足がぁー!!」  
「ああ……ワタル君が……ワタル君が……どうすれば」  
 困りきった伊澄は四つん這いのまま手を伸ばし、悶絶するワタルを袂でちょんちょんつつい  
てひたすら狼狽した。  
 
 とにかく少年は好きな人から一応ながら長所を指摘して貰えたので少し自信がついた。つい  
でに指摘された欠点に落ち込むのをやめて直そうと決めてみた。  
 
 で、彼が努力を始めて、伊澄をなけなしのお金で食事や遊園地に誘うようになってしばらくの  
時が流れた。  
 そんなある日。  
 
「贄(にえ)のさだめに従え!」  
「はい?」  
 鷺ノ宮家の伊澄の部屋でワタルは唖然とした。  
 普段あまり姿を見かけない銀華(伊澄の大おばあさま。たぶんみんな忘れかけてるキャラ  
の一人)がやってきたかと思うと、幼女の姿でワタルを見上げつつ叫んだのだ。  
「じゃから、贄(にえ)のさだめに従えというておる! 我が家の地下にあるアレな感じの大穴  
がいよいよ限界なのだ! お前には贄となってもらい何とかしてもらうぞ!」  
 
「いや、なんだよそれ。なんでオレが」  
「アレな感じの大穴……!」  
「知っているのか伊澄」  
 ワタルは、ハッと口を袂で覆う伊澄にキナ臭い雰囲気を感じつつもとりあえず聞いた。  
「ええ。鷺ノ宮家は元々、地下に開いたアレな感じの大穴を封じるために建設されたの」  
(何その超機動大将軍編の烈帝城みたいな設定)  
 咄嗟にそんなマイナーな返ししか浮かばないのがヘタレのヘタレたる由縁である。  
 ともかく話によればアレな感じの大穴とは、誰かが七人で掘って双子が燃えー尽ーき燃えー  
尽ーきな場所で瘴気満載、だから伊澄のご先祖様はその封印を任されたらしい。  
「なるほど。この家にそんな歴史が……」  
「ええ。埋立てようにも土砂を運ぶのが面倒臭かったので家を建てて誤魔化したという話です」  
 伊澄はきらんと得意気な光を浮かべたが……  
(そんなんでいいのかご先祖様!! 要するにその場しのぎじゃねーか!!)  
 なんという鷺ノ宮一族のおぞましさか。ワタルは忸怩たる思いである。  
 一方銀華は烈火の炎に出てきた門都みたいなマスクを被りつつ話を続けた。  
「しかし最近は小麦の値上がりや暫定税率の復活やサブプライムローン問題でアレな感じの  
大穴はいよいよ自分を抑えられず、政界に身を投じようと毎日徹夜で勉強する毎日だった」  
「……いい奴じゃね? その大穴」  
「しかし仕事をしない事に定評のあるチンパンジーがパンダを一億で買ってきたせいで、アレな  
感じの大穴は世を儚み始めた。このままでは典型的な浪人生よろしく燃え尽きたまま毎日毎  
日仕事もせず勉強もせず現実逃避に猫動画を見て狂い悶えるじゃろう! 喜びでな!」  
「いや別にそれ位いーだろ。散発的な怒りで国会議事堂とかに火炎瓶投げて人生棒に振るよ  
りは。なのになんでオレがわざわざ贄なんかに……」  
「ちなみにアレな大穴が猫動画に悶えるたび関東大震災級の地震がおきるぞえ」  
「え!?」  
「まあ。では穴の上にあるこの家はつぶれてしまいますね。建て直せば大丈夫ですけど」  
「ええ!?」  
 他人事のようにつぶやく伊澄と銀華をキョロキョロと見比べながら、ワタルは狼狽した。  
(いやいやいや、家潰れたらお前たち無事でいられないだろ!! 絶対みんな逃げ遅れるって!  
何故ならあらゆる出来事への反応が全部ゆっくりしているから!)  
 日頃悶々と過ごしている思春期特有の妄想力、否、想像力は聞き得た情報から  
 
 大穴が悶える → 地震で鷺ノ宮家倒壊 → 伊澄と彼女の家族がケガまたは死ぬ。  
 
という流れを描き出し、以下のような風景すら想像させた。  
 
 瓦礫に押しつぶされ腕と頭をだけをくたーと外に出している伊澄と母とその祖母と銀華。  
 とてもボロボロの伊澄が悲しそうに呟く。  
「ああ、もしあの時ワタル君が贄のさだめに従っていてくれたらこんな事には……」  
 
「こんな事には」「こんな事には」「こんな事には」と語尾がリフレインする中でべそかく伊澄すら  
明確にワタルは想像した。そしてそれを想像した以上、黙っていられないのが彼である。  
「わ!! わかったよ!! 伊澄が助かるなら贄でもなんでもやってやるぜ!!」  
 少年は決然と胸に手を当て、景気づけに上向きの効果線をあちこちにつけた。  
「ありがとうワタル君」  
「い、いや。当然だろ。その、……幼馴染だから」  
 伊澄に手を握られ背景に点描が発動するも、赤い頬をかきつつ目を背けたワタルはやはり  
ヘタレといえよう。  
「それで大おばあさま、贄(にえ)のさだめというのは?」  
「初穂の占術によると、最近、伊澄をなけなしのお金で食事や遊園地やら誘っておるヘタレの  
少年を使えというコトだ」  
「なるほど。最近、私をなけなしのお金で食事や遊園地やら誘っておるヘタレの少年だからワ  
タル君が選ばれた訳なのですね」  
 伊澄の視線を浴びて「ヘタレの部分は否定してくれ」と情けなく俯いたワタルは、しかし突如と  
して重大な疑惑に気付き、恐る恐る銀華に質問した。  
「あの、いま気づいたけどオレが食事や遊園地に誘った部分がごっそりなくなってるようなんで  
すが……」  
 少年の肩がガチリと掴まれ、シワのよった狡猾な老婆のアップが迫ってきた。  
「あんなゲームやこんなゲームにはそれはもう未使用のCGが山のように入っとるぞえ。しか  
しプレイにはまるで影響がない。つまり……分かるな?」  
 
「え……そんな。まさか全部カット? オレの苦労がセリフだけで語られるワケ?」  
 その通り。  
「しかしじゃ」  
 銀華は仮面を着用すると、伊澄を指差した。  
「ホレ、童よ。一番おいしいところは残っておるではないかえ?」  
「?」  
 というマークがワタルと伊澄の両名から全く同時に出た。  
「初穂の占術によると贄の少年と伊澄をアレな感じの大穴の前で交わらせると、奴は賢者タイ  
ムに突入して落ち着くというコトだからな」  
 296行目にしてようやくスレの趣旨と合致したセリフ!! 当事者たちはカっと顔を赤らめた。  
「ま!! 待て!! 伊澄の事は好きだけど、こーいう形でするなんてオレにはできねーよ!!  
伊澄の気持ちだって分からねーし……というか好きな人いるかも知れねーし」  
「まあヌシが不満なら他の者に任すまでじゃがのう。ほれ、前にこのオババに血を与えた少年、  
別にアレでもいいと初穂の占術は示しておったし」  
「い!?」  
 色を成すワタル。しかし運命はたたみかけるように少年に試練を与えるのである。  
「あの……ワタル君」  
「な、なんだよ」  
 火のように顔を赤らめ、オロオロと首をふる伊澄にワタルはいいようのない緊張感に包まれた。  
「え……えっと……本当ですか……?」  
「何が?」  
「その、私の事が……好きだというのは」  
 それだけ告げるとおっとり少女は表情が見えなくなるほど顔を「かああっ」と上気させた。  
(しまった! 十三行上で口を滑らせた──!! 何これ! 数字からして不吉!!)  
 この辺りは実に人気投票で六百六十六票を獲得した伊澄への告白らしい。  
(ええい!! こうなったら仕方ない!! 平凡な主題を徹底する!! するぞぉ!!)  
 ここしばらく咲夜に渡された本を元にそれを考えていたワタルである。  
「あ、ああ!! 好きだ!! 俺は伊澄の事が好きだあっ!! その、恋愛的な意味で!!」」  
 かかる事態では仕方ないとばかりにワタルは大音声を張り上げた。  
(い、いった!! いえた……!)  
 目をみるみると見開く伊澄を前にワタルは耳たぶまで真赤にしてぜえぜえと息をついた。  
 

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