春先の、ちょっと冷たい雨が降る日のレンタルビデオショップ。  
人のいない店内には常連が1人いるのみ。  
「はいこれ、返却。ちょっと第一話は微妙だったけど……話が進むごとに引き付けられて来たわ」  
「だろ?ぐいぐい来るんだよ。後半3本は一気に見るのをおすすめするぜ」  
「商売上手ですね。ふふふ」  
橘ワタルはいつも不機嫌そうな顔をしていると言われる。  
しかし彼女、シスター・ソニアと話している時は、結構よい笑顔を頻繁に見せる事が多い。  
その事にワタル本人は気付いていないが。  
 
「でも実際、シスターが来るの楽しみにしてるんだぜ?」  
「えっ……」  
ぼっ、と頬を染めるソニア。  
「あ!いや、変な意味じゃなくてだな!」  
つられてワタルもまた顔を真っ赤にして弁解を始める。  
もう、はたから見ていると『なんなんだろうね、あのバカップル』(男子中学生K・Nくん)  
と言いたくなる。  
「いや、だんだんアニメとか話もわかってくれるようになってきたし……趣味について喋れるって、  
 けっこう嬉しいもんなんだよ」  
 
(それにシスターって、喋りやすいし)  
心の中だけで思うワタル。  
普段サキやナギ達と話をしていて優位に立てる事がほとんど無い(西沢姉弟は別としても)彼にとって、  
人に教えるという事がとても楽しいのだ。内容がアニメや漫画でも。  
「ま、まあ、私も……君と話すのは、楽しいわよ」  
人差し指で頬を掻きながらレシートを受け取るソニア。  
照れ隠しにか、店の奥へ歩いて行ってしまった。  
ワタルのおすすめDVDはレジ脇に用意されているというのに。  
 
「……ふぅ」  
その姿が見えなくなると、ワタルは息をついた。  
この店に彼女が足を運ぶのも、もう何回目になるだろう。  
常連の中には『絶対ワタル君に惚れてるね。恋する乙女の目だよ、あれは』(女子高生A・Nさん)  
などと言う者も出ているくらい、頻繁に訪れている。  
ワタル自身もソニアの気持ちに気付いてはいるのだが。  
「……俺……どうするべきだろ」  
新聞を棚に投げ、椅子に仰向けによりかかって天井を仰ぐワタル。  
その脳裏に想い人である鷺ノ宮伊澄の姿が浮かぶ。  
 
伊澄への気持ちは……変わっていない、と思う。  
ただ、ほとんど毎日のように親密に会話を重ね、時にはオブラートに包まれた好意を受けとめて……  
いつの間にか、シスター・ソニアに向ける気持ちが変化していた。  
「別に伊澄には告白したわけじゃないけど……それでも、ホイホイ恋愛対象を変えるのはなあ」  
自分の中で納得できない事はするべきじゃない。そうワタルは思っている。  
(あれ?ちょっと待てよ俺)  
今の思考回路、何か違和感があった。  
(俺……伊澄とシスターを天秤にかける事に罪悪感を感じてるんじゃなくて)  
恋愛対象を変える。つまり。  
「『シスターと付き合うこと』を前提にして考えてないか、俺!?」  
 
いくつものビデオ棚の間で、シスター・ソニアは考える。  
なんという事だろう。  
彼女に盗み聞きするつもりはなかったが、この音の響く店内ではどうしても聞こえてしまう。  
「……ワタル君……」  
ごく小さな声で呟き。  
ほぅ、と上気した顔で溜め息をついた。  
 
名前を呼ぶだけでこんなにも満たされる、その相手が自分を好きでいてくれる。  
これ以上の幸せがあるだろうか。  
彼が自分の訪れを楽しみにしてくれている事には、とっくに気付いていた。  
自分に向けられる笑顔は少年特有の無邪気なもので、恋だとかそんなものではなかったけれど。  
こうして彼の口から直接、好意の言葉が聞けるなんて……  
 
いや、それよりも今は。  
 
カツン。  
ソニアは、一歩足を踏み出した。  
「わ!?」  
ワタルの心を掴むための、勇気の一歩を。  
「ワタル君……今の、私と付き合うって……」  
耳まで赤くして問いかける。  
その表情は真剣だったけれど熱がこもっていて、どうにも大人の「女性」を思わせて。  
これからの会話への期待と不安からか、彼女の視線はうつろい、恋する「少女」を思わせて。  
その魅力に、ワタルは声が出せなかった。  
 
思わず椅子から立ち上がったが、何もできない。体が動かない。  
「…………ぁ」  
誘惑に絡めとられた哀れな少年。  
ワタルは喉がカラカラに渇いてしまったかのような錯覚を覚えた。  
「聞いちゃったからには……知らないふりは、私にはできなさそうだから……言うわね」  
もう後戻りはできない。  
2人は、同時にそんな事を思う。  
 
「私は、あなたの事が、好き」  
 
生まれて初めての、愛の告白。  
熱に浮かされたようなソニアの雰囲気がもたらしたその言葉は、ワタルの心に深く刻み込まれた。  
「ワタル君以外なら……偽れたかも知れない。私が心の底から好きになってなかったら、知らないふりも  
 できたかも知れない。でも……あなただから。もう、隠しておけない……」  
レジカウンターの中まで歩み寄るソニア。  
「復讐を忘れるくらい面白いDVDを貸してくれるって言ったけど……それよりも、君の方が……ずっと  
 魅力的だったわ」  
 
そして一瞬の後、ワタルはソニアの腕に抱かれていた。  
ワタルの心の中で、わずかに浮かんだ思考の欠片が巡る。  
「…………」  
「……ワタル君?」  
ほんの少し力を入れるだけで、簡単に体を離す事はできた。  
それがシスターの、自分への思慮だとわかっているから、この先を言うのは辛い。  
でも。  
意を決し、言葉を発するために唾を飲む。  
「シスター。俺は……シスターの事は好きだけど、まだ駄目だ。ごめん」  
 
ソニアの表情は、意外に落ち着いていた。  
「……伊澄、っていう子のこと?」  
「……ああ」  
じゃあどうすればいいんだ、と、ワタル自身も思っている。  
伊澄に好きだった事を明かす?そんな事は無駄だ。今、好きなのは目の前の女性なのだから。  
なら、自分は何に負い目を感じている?  
(……それは後にしよう)  
とりあえずは目の前の人の気持ちをどうにかする。  
 
「それでも……今、私は、自分のことを抑えられないわ」  
「んなっ……」  
2人して、さらに顔を赤くする。  
それは、つまり、その……  
 
「だ、だから……我慢するから。せめて、君が私のことを好きだっていう印を……ちょうだい」  
ワタルの視線に合わせて身をかがめ、黙って目を閉じるソニア。  
それが何を指すのかわからないほどワタルは朴念仁ではない。  
 
少しだけ開いたソニアの口に、そっと自分の唇を合わせる。  
頬にキスするのとはまったく違う感覚。  
「……ん」  
唇を舐められた、と思った瞬間、ワタルは口を離していた。  
 
「……残念ですね。まあ続きは、ワタル君が自分の気持ちに決着をつけてきた時ということで」  
「急に敬語になってんじゃねーよ……冷静になろうって無理してるのがバレバレだぜ」  
頬を染めたまま、2人は別れの挨拶を交わした。  
今度、頬へのキスで。  
 
その、翌日。  
ワタルは一晩考えた。どういう形でふんぎりをつけるか。  
そして、自分の心に何がひっかかっているのか。  
「……咲夜んとこ、行ってくる」  
「え?何か用事でもありましたか、若?」  
「別に……」  
 
ただ、ありのままを話して一発殴られてくるだけだよ。  
 
 
まだシスターとの関係は、始まってさえいない。  
俺の心を前に進めるために、これは必要なんだ。  
 

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