「あ、しまった!」  
東宮康太郎は誰もいない放課後の教室でチッと舌打ちした。  
漆塗り金蒔絵を表面に施した特注の携帯が何時ものポケットに無い。  
きっと剣道場に置いてきたに違いなかった。  
ヒナギクに、自分の趣味の良い所を自慢しようと特注した漆塗りの携帯。  
業者からも父からも「傷が付きやすいから、表面に特殊な加工をしては?」との勧めがあったが、  
漆塗りの魅力はそのしっとりとした艶にあることを知っている康太郎は、それを断った。  
だが、そんな主人の思惑などとうにお見通しの野々原楓に、  
「旦那様のお勧めを断って表面加工をしなかったのですから、  
坊ちゃんの扱いが悪くて表面に傷など付けたら、ご自分で漆の採取から塗りまでやって修復して頂きますよ」  
ときつく釘を刺されていた。  
だから今日、剣道部の部活動の時、  
自分のロッカーの中でその携帯に傷を付けないような置き場所をあちこちと探したのだが、  
そうしているうちに先輩に声を掛けられて、結局、棚の上の方に応急的に敷いたハンカチの上に置いた。  
それがいけなかったのだ。  
「仕方ないな…」  
康太郎は、通学鞄をヒョイと背中に回すと、浮かない足取りで教室から出て行く。  
 
整然と敷き詰められた石畳を力ない足取りで踏みながら、康太郎は剣道場の入り口にたどり着く。  
入り口の引き戸に指を掛け、ちょっと力を入れる。扉がすんなりと動いた。  
(ラッキー!)  
生来の面倒くさがりの康太郎は、  
教員室に剣道場の鍵を借りに行く手間を惜しんでここに直行したのだが、これは“吉”と出た。  
「さーて、と…」  
康太郎は大きく溜息をつくと、スニーカーを蹴立てるように脱ぎ捨てる。  
こんな怠惰な姿を野々原に見られたら、  
ここの板張りの床が擦り切れるまで雑巾がけをするように命じられたに違いない。  
だが、彼が見ていない今なら、思う存分、やりたい放題何でもやれる。  
そんな開放感が、康太郎の悪戯心をサワサワと刺激した。  
 
入り口に対面する正面の壁には作り付けの棚があり、そこには部員の防具が収められている。  
剣道部の部長である桂ヒナギクの防具も、当然そこにあった。  
康太郎は、少し後ろめたそうに左右をキョロキョロと見渡すと、  
棚に忍足で近づき、ヒナギクの防具に手を伸ばした。  
 
 

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