いや…、何といいますか…、
『いざとなると、意識より先に身体が反射的に動く』なんていえばアクティブな性格っぽくて聞こえはいいですが、
それってつまり、『切羽詰ると突飛な行動に出る可能性がある』ってことじゃないですか…?
こりゃ、人前で言うと、あらぬ誤解を招きそうですね…
おっと!僕の目の前で真っ赤になってるマリアさんを何とかしなければいけません。
でも、『何とかしなければ』ならなくなったのは、ほぼ完全に僕のせいなんですが…
で、火が点いてしまった、いえ、僕が火を点けてしまったマリアさんの心を如何にすべきか…
その火に当たらせて頂いて、身も心も温まらせて頂きましょう!
だって、火が点いちゃったんですから、点いたものは有効に活用すべきですし、
それになにより、火を点けた張本人はこの僕なんですから、
ここで僕が自分でその火を消したら、マリアさんの心を弄んだってことになるでしょ?
よく言うじゃありませんか『戦争と恋愛は、手段を選ばず』って!
でも、戦争中に悪いことをすると『戦争犯罪』っていうのに問われますけど、
『恋愛犯罪』とか『恋愛犯罪人』っていう言葉は聞いたことがありませんねぇ…
天の声『いや、今のアンタがそれだから』
あの、静かにしていてもらえます…?
天の声『へいへい』
では、気を取り直して…
「マリアさん!」
「は、はい!何でしょう…?」
マリアさんは、驚いた顔も綺麗ですねぇ…。パッと開く大きな目も、口元に手を当てる仕草も、とても女性的で…
お嬢さまのくるくると変わる表情もとても可愛らしいですけど、
マリアさんのいろんな表情は、どれもとても女性らしいたおやかさに溢れていて、ほんとに素敵です…
では、マリアさんに、いろんな表情を見せて頂きましょうかねぇ。
安全のために、ガスコンロの火を消して、と…
「僕と、踊ってくださいませんか?」
「ええっ!ここで、ですか…?」
「はい!」
戸惑うマリアさんの顔…
こちらの真意をそっと伺うちょっと不安げな眼差しと、少し「ハ」の字気味になった眉が、ああ…、何とも…
って、厨房で『踊る』って、一体何を踊ればいいんだ…?自分で提案しておいて情けないにも程があるけど、
僕は、ダンスのことは殆ど知らないんだよな。ダンス教室でアルバイトしたことはあるんだけど、
そのときは、教室のオーナーから「お前は、オバサマ方のお相手専門だぞ!」って言われてたから、
ステップなんてまともに覚えている暇なんて無かったし…
あ、そうだ!分からないときは、それを素直に、そして上手に言えばよいのです!
「でも、この部屋の中で踊れるダンスというと、どんなものがいいのでしょうか?」
「そうですね…。じゃあ、ちょっと変則ですけど、スロー・リズム・ダンスをワルツのリズムで踊るのはどうですか?」
「はい!お願いします」
では、マリアさんの正面に立って、片手をとって、もう片方の手はマリアさんの腰へ回して、と…
おっと!まだ、―そう、“まだ”です…―エプロンのリボンを崩さないようにしなければ…。手を、リボンの下へ、と…
わぁ…!マリアさんの腰…、細いけどとっても柔らかくて、柔らかいけどとっても細いですね…
で、その手にちょっと力を入れて、マリアさんの身体を僕のほうへグッと押し付ける…!
「あんっ!ハヤテ君…、ちょっと力を入れ過ぎです!」
叱られちゃいましたねぇ。
でも、『本当の美人は、怒った顔も美しい』っていいますけど、マリアさんを見る限り、それは真実です。
「すみません…」
僕は、わざと大袈裟にしょげて俯いてみます。すると、優しいマリアさんは…
「ああ…、ごめんなさい。ちょっとびっくりしたものですから…」
マリアさんの細い腕が、宥めるように僕の腰に回ってきます…
「いえ…、僕、ちょっと緊張しちゃって…」
そりゃ、自分でも、『おいおい、いったい何を言っちゃってるんだか…』とは思いますよ!
でも、マリアさんが綺麗で、どうしようもないんです…。この口が…、僕のこの口が、止まらないんです…
はにかみながら顔を上げて、そのままマリアさんの瞳を見詰めます。
すっきりと澄んだ琥珀色の瞳はとっても綺麗ですが、
でも、視線の焦点は、あくまでも瞳孔の奥、網膜に置きます。
更にじっと見詰めていると、瞳の表面に自分の顔が映っているのが分かってきます。
ああ…、マリアさんの綺麗な瞳に、僕の姿が映っているなんて…。なんて幸せなんだー!
「あの…、ハヤテ君…。そんなに見詰められたら…、私…、恥ずかしいです…」
キターーーーーーー!本気で照れるマリアさんの顔!キターーーーーーーーー!!
頬と耳がポッと赤く染まって…、それでも僕の目から視線を外せなくて…。可愛いです!最高です!!
天の声『ん〜作りかけの料理が散らばる厨房でぇ〜、ジィーッと見詰め合うぅ〜、執事とメイドォ〜』
やかましい!いいところなんですから、チャチャを入れないでください!っていうか、黙って見てて下さい!!
天の声『へ〜!あんた、そういう趣味があったのね…』
余計な事は気にせずに、ちょっと声のトーンを低く抑えて…
「でも、ワルツのリズムだけ、というのではちょっと踊りにくいですね。
何かご存知の曲がありましたら歌ってくださいませんか…?僕たち二人のために…」
「ええっ…」
ああ…、マリアさんが、動揺してる…。この顔もまた、とっても綺麗なんですよねぇ…
でも、ここまで来たからには、マリアさんの綺麗な歌声を、僕のためにだけ歌う歌声を聴くんだ!
「どうか、お願いします…」
「わかりました…。上手に歌えるかどうか分かりませんけど、笑わないでくださいね…」
マリアさんは、囁くように歌いだします…
歌ってくれたのは、僕でも名前に聞き覚えがあるヨハン・シュトラウス二世の『美しき青きドナウ』って言う曲。
新年を記念するクラシック・オーケストラ・コンサートの定番曲ですけど、もともとは男声合唱曲だったそうです。
マリアさんが、僕の瞳を見詰めながら、綺麗な声でそっと僕の心の上に置くように丁寧に、
ドイツ語の歌詞をゆっくりと、1、2、3、1、2、3、のリズムで歌ってくれます。
僕も、マリアさんの瞳を覗き込みながら、マリアさんが歌ってくれる聞き覚えのあるメロディーを、
少し遅れて鼻歌でなぞります…
ダンスの体捌きの基本は『押さば引け、引かば押せ』(と、さっき言ったダンス教室で、
そこの生徒だったおじいさんが言っていました…)。
でも、マリアさんのステップはこの上なく上品で優雅なのに、
僕のそれと来たら、まるで水溜りをぎこちなく避けながら歩く子犬のそれのようです。
「なかなか、上手く、いきません」
「いいえ。初心者としては、上手な方ですよ」
ですから、マリアさんの靴の爪先と僕のそれとがぶつかったり、
僕がマリアさんの靴を踏みそうになって、それを避けようとしてよろけたり…
「あっ!ごめんなさい。痛く無かったですか?」
「ウフフ…。大丈夫ですよ」
基本的な足の運びをやっとマスターできたところで、曲が終わってしまいました。残念…
ということで、マリアさんにもう一曲おねだりをします。今度もシュトラウス二世で、曲は『南国のバラ』。
僕はこの曲を知らないので、マリアさんの綺麗な瞳の奥を見つめることに集中して、
この身体をマリアさんの優しいリードに任せながら踊ります。
「マリアさん…、本当に綺麗ですよ…」
「えっ…!いきなり何を言うんですか…」
「歌を…、歌を続けてください…。
マリアさんの歌を…、僕たちのために歌ってくれる歌を…、ずっと…、ずっと…、聴いていたいです…」
僕のお願いに、柔らかそうな頬をポッと赤くしながら、歌を続けてくれるマリアさん…