2月14日。  
 今日もいつもと変わらずお嬢様とともに学校に向かいます。  
 いや、いつもと変わらないというのは変ですね。  
 朝からマリアさんとお嬢様にチョコを頂きましたから。  
 勿論義理チョコという奴ですが…  
 でも義理チョコといえどマリアさんが下さったチョコレートがおいしくないはずがありません。  
 ナギお嬢様のチョコは…執事として誠心誠意全身全霊で頂かせて貰おうと思いました…  
 学校から帰ってから、楽しみ半分不安半分な面持ちになりました。  
 ただお嬢様のチョコから  
『大好きだぞハヤテ』  
 という手紙がひらりと落ちてきたおかげで、  
お嬢様に学校に行く前からライフポイントを大幅に削られてしまいました。  
 しかししっかりと主に信頼してもらえている事が分かったので執事として嬉しいかぎりです。  
 これからも一層お嬢様の為に精進しようと思いました。  
 
 
 登校中はいつもの朝とは違う雰囲気なのがありありと伝わってきました。  
 公園を通る時に、  
『○君の事、実はずっと好きだったんだ…』  
『お、俺も…△の事、好きだ!』  
 といういかにもなセリフの応酬が交わされていました。  
 ただどちらも男声だったので僕とお嬢様を乗せた自転車はそのまま現場を通り過ぎました。  
 お嬢様は  
「止めろ!ハヤテ!あんなおいしい場面を見逃す気か!」  
 と喚いておられましたが、教育上まだ早いと判断した僕はやむなく命令違反をして学校へとペダルを漕ぎ進めました。  
 
 
 教室に入るとそこは既にある種の異世界でした。  
 義理チョコを仲の良い男子に配っておられる女子や、それを貰っている男子を嫉妬と憎しみの眼で睨み付ける男子。  
 
 わざわざダンボールを用意されている男子もいますが、すっかり閑古鳥を鳴かせています。  
 そんな男子に少し釣り目気味の女子がちらちらと様子を伺いながらそろそろと近付いていきます。  
 そして意を決したのか顔を真っ赤にしながら  
「そ、そんなダンボールなんか持ってくるなんて、ば、ばっかじゃないの!?  
ほら!!可哀相だから一個恵んであげるわよ!言っとくけど、ぎ、義理なんだからね!?勘違いするんじゃないわよ!?」  
 と、まるで用意されてあったかのようなセリフを早口に捲し立てて綺麗にラッピングされたチョコを差し出しました。  
 男の方はキョトンとしています。  
 そして…  
 これ以上はさすがに障気にあてられてしまいそうだったので僕は一時間目の準備を始める事にしました。  
 ただ誰もがその瞬間  
『ツンデレ乙』と心を揃えていたであろうことは言うまでもありません。  
 友チョコを渡しあっている女子グループの横を通って花菱さんと朝風さんが近付いてきました。  
 そしておもむろにポケットからチ○ルチョコを取り出すと、  
「ハヤ太君、バレンタインおめでとう」  
「では勿論白い日には20倍返しをよろしくな」  
 そう言って僕の机に合計40円分を置き、一度親指を立てた後去っていきました。  
 何がおめでたいのかも分からないし、  
何故定番の3倍返しが3分の20倍に跳ね上がっているのかも理解出来なかったので、  
白い日には800円分のジンギスカンキャラメルでも投げつけてやろうかと思いました。  
 そういえば瀬川さんがいないと思い何となく周りを見回すと、  
瀬川さんは律義に男子女子に限らずクラスの全員に義理チョコを配っていました。  
 
 このクラスの委員長である事に対しての責任感が強い瀬川さんなりの配慮のようです。  
 さっきからひとつも貰えず消沈していた男子の顔がみるみるうちに艶やかになっていくのが目に見えて分かります。  
 あ、貰った男子が調子に乗って告白してます。「ごめんね♪」  
 瀬川さんはいつもの笑顔で断りました。  
 それでも振られた男子は瀬川さんの方をデレデレと締まらない顔で見ています。  
「………死ねばいいのに」  
 おっと、口が勝手に動いてました。  
 瀬川さんがクラス全員にチョコを配るという事はつまり…  
 僕にもそれを貰う権利は充分にあるわけで…  
 内心で大きな期待を持ちながら瀬川さんが僕の席に来るのを待ちました。  
 そして瀬川さんの宅配チョコが僕の席の周辺に差し掛かったところで、瀬川さんの動きがピタリと止まりました。  
 僕の方を困ったような顔でチラリとみると、また配達を開始しました。  
 不自然に僕の順番を飛ばして。  
 
 
―――え?―――  
 
 瞬間、脳内が停止しました。  
 why?何故?  
 どっかのラノベの主人公のようなセリフが頭に浮かんできている場合じゃありません。  
 とりあえず瀬川さんに嫌われる事をしたか?という線で脳内記憶googleを使います。  
 検索結果は勿論0件です。  
 全く意味が分かりません。  
 しかも周りの女子達は憐れな僕を嘲笑うようにニヤニヤとした表情でこっちを見ています。  
 ナギお嬢様なんか僕が顔を向けると何故か拗ねたようにそっぽを向きました。  
 最悪です。  
 僕が何をしたというのでしょう?  
 ウツダシノウ  
 僕はその言葉を心に深く刻み込んでその後放課後まで抜け殻だったのでした。  
 
 
 最悪な朝から時は流れてやっと放課後です。  
 
 僕は早く帰ってマリアさんのおいしいチョコレートを食べてやさぐれた心を癒したかったのですが、  
悪い事は続く物で校門を出たところで体操着を教室に忘れて帰っていた事に気付きました。  
 お嬢様に教室に戻る旨を伝えると、  
「…なら行って来い。私は車を呼んで帰るからな」  
 と、何故か更に不機嫌さに拍車がかかったご様子でした。  
 もう今日は厄日だということは分かっているので、僕はすいませんと一言だけ謝って教室に急ぎました。  
 教室に着くと明かりが付いていて、まだ誰かがいるみたいでした。  
 悪い予感がしますが、中を覗いてみます。  
 
 
 やはり瀬川さんでした。  
 一人でせっせと日誌を書いています。  
 間違いなく人生最大クラスの気まずさです。  
 
 しかし三千院家の執事としては忘れ物などするわけにもいかないので、入らないわけにはいきません。  
 3、2、イチ!!  
 頭の中でスリーカウントを取ってから意を決して室内に入りました。  
 バク、バク、と心音が重い連撃を放ってきます。  
 鉛のように重い足を引きずって極力瀬川さんの方を見ないようにして自分の机に近付いて――――――  
 体操着を引っ掴むとドアまでダッシュ!、となるはずでしたが、代わりに体に電流が走りました。  
 いえ、正確には電流が走ったような衝撃を受けました。  
 いつの間にか僕のお腹の辺りに小さな手が回されていたのですから。  
 
 背中から感じる暖かさとマシマロと形容するのさえおこがましい様な柔らかさが僕の脳を一気に蕩かしていきます。  
「ハヤ太、くん?」  
 瀬川さんの囁く声が耳を通じて頭の中に麻薬のように浸透していきます。  
「な!な!なななんでしょうか!!」  
 無理です。舌が全く回りません。  
 すぅ、と瀬川さんが息を吸い込む感触がくすぐったくて、心臓は更にポンプ運動を加速させます。  
「うん、とねぇ…チョコ、貰って欲しいのだ」  
「え!?あっ…」  
 瀬川さんは僕の手に綺麗な長方形の箱を握らせるとそのまま僕を離して逃げ出します。  
 僕はとっさに瀬川さんの手を掴んでしまいました。  
「ほえ!?」  
「あ、あああのすいません!」  
 また手を離します。  
 僕の失態のせいでせっかく瀬川さんからチョコを貰ったというのに、気まずい雰囲気が流れてしまいます。  
 僕はとりあえず話題を代える事にしました。  
 
 一流の執事たるもの、こんな空気ぐらい難なくやり過ごさなくてはいけないのです。  
「あ!、そういえば瀬川さんクラスの皆にチョコを配ってた時に僕だけ忘れてたじゃないですか〜!  
酷いですよ〜!結構傷ついたんですから〜!」  
 何とか笑い話っぽく持って行きたかったのですが、瀬川さんは俯いています。  
 まずいです。完全に滑りました。助けてサクえもん。  
 僕が自分で自分を追い込んでいると、  
瀬川さんが朱に染まっている顔をあげてうるうるとした瞳で上目遣いに僕を見てきました。  
 女の子のこんな表情に僕の胸が高鳴らないわけはなく、自らの失言で冷えた頬が再び熱を帯び始めます。  
 瀬川さんは相変わらず可愛らしい目で僕を睨んで「う〜」とか「む〜」とか唸っています。  
 そんな瀬川さんの真意が分からない僕は彼女の言葉を待つしかありません。  
 しかしそんな瀬川さんとの睨合いは先ほどの空気が刃に変わる様な辛い間ではなく、  
むしろ心癒されるような優しい時間なのでした。  
「ええと〜、その、クラスの皆にチョコをあげたのはいいんちょさんの仕事なんだよ…」  
 瀬川さんはぽつぽつと話し出しました。  
「でも………ハヤ太君にあげたのは、いいんちょさんの仕事とかじゃないんだよ?」  
 え?それってどういう意味ですか?、とは言えませんでした。  
 間違った解釈だったならば死ぬほど恥ずかしいですが、それでも僕は聞かずにはいられません。  
「瀬川さん、それは、もしかして、これは………所謂本命チョコ、だったりするんですか…?」  
「うん、そうだよ!」  
 瀬川さんの表情がパッと明るくなります。  
 
 代わりに僕の顔は先程より更に熱くなって沸騰してしまいそうな勢いで熱を吐き出します。  
 本命チョコ…それがそれが意味するところを思い浮かべると頭の中で『告白』の二文字が飛び交います。  
 返事、は考えるまでもありません。  
 この一時は僕が瀬川さんに夢中になるには充分過ぎるぐらいの時間だったのです。  
 しかしここで何と言っていいものか全く思い浮かばず、ただじっと瀬川さんの方を見つめます。  
 相変わらずにこにこと笑顔な彼女の顔を直視し続ける事は、結果的に僕の体内温度をあげることにしかなりませんでした。  
 そんな僕の心情に気付いたのか瀬川さんは少し悪戯っぽい表情で僕にすりよってきました。肉体的な意味で。  
「ねぇ、ハヤ太くん…いいんちょさんは、ダメ?かなぁ?」  
 僕の胸元にいる瀬川さんが甘い声でおねだりをしてきます。  
「え!あ、あの!僕は、その…」  
 またしても役立たずの声帯は機能してくれません。  
「いいんちょさんはハヤ太くんの事、だ〜いすきなんだよ?」  
 猫を彷彿とさせる透き通った瞳が僕を追い込んでいきます。  
「瀬川さん…返事は、もう分かってやってますよね?」  
「ええ〜、泉ちゃんはハヤ太くんの返事が気になるな〜」  
 ああ、もう我慢の限界です。これは明らかに瀬川さんが悪いです。  
 僕は瀬川さんを強くだきしめると、強引に彼女の唇を奪いました。  
「ふぁ…あ、んぅ…、ふ、あぅ…」  
 瀬川さんの普段とは違うなまめかしい声に興奮が高まります。  
「ん…んあ、はぁ…」  
 まだ舌を入れるなどと言う事はとてもじゃありませんが勇気がなかったので、そのまま唇を離します。  
 瀬川さんと僕が一本の糸で繋がっている事が何故かとても嬉しく感じられました。  
 
「もう…ファーストキスなんだよ?」  
「あはは、僕もですよ」  
 今の行動で主導権がこちら側に移った様な気がします。  
「じゃあ…ハヤ太くんも私の事好きって事だよね?」  
「いえ、すいません…今のは出来心で…」  
「え゙え!?」  
 コロコロと変わる瀬川さんの表情は本当に見ていて飽きません。  
「あはは、嘘ですよ。僕も好きです。泉さん」  
「もう…えへへ、これからよろしくね♪ハヤテくん♪」  
 僕達はまたひとつキスをしてぎゅっと抱き締めあいました。  
「差し当たってこれからどうしましょうか?」  
「ん?お腹空いたし日誌を提出してご飯食べに行こうよ!」  
「初デート、ですね…」  
「ほえ?ハヤ太くんは誰かと付き合った事ないの?」  
「瀬川さんが初めてですよ」  
「嬉しいな、いいんちょさんもだよ。じゃあ行こっか♪」  
「はい♪」  
 僕達はそのまま学校をあとにしてご飯を食べた後、お互いの初めてを奪いあうのでした。  
 ちなみに体操着は瀬川さんが盗んでおいたそうです。  
 
終わり  
 

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