早朝の公園。ラジオ体操に励む老人や朝から友達と遊ぶ小学生達がまばらに見えるなか、
時折深い溜め息を付き念仏の様な独り言を唱えている、ある意味でひときわ目立つ青年がブランコに腰掛けていた。
彼の名は綾崎ハヤテ。日本有数の大富豪である三千院家の執事を勤めているにも関わらず、
日本有数の名門校である白皇学園にも通っているという良く分からない肩書きを持つ高校生だ。
その執事兼高校生のハヤテが何故朝から学校にも行かず、主人への奉公もせずに公園のブランコに腰掛けているのか。
その理由に行き着くには時間を明朝三時半にまで溯らなければならないだろう。
AM3:30
「ハヤテ!どうした?お前の力はそんなものか!?」
「お嬢様〜、流石にもう寝ましょうよ、明日も学校があるんですよ〜?」
ハヤテは主人である三千院ナギに深夜遅くまでゲームに付き合わされていた。
元来学校が大嫌いなナギという人間にとってこの様なオールでゲーム大会♪、なんて事は日常茶飯事だったのだが、
ハヤテが白皇学園に編入してからは以前に比べて格段に登校率が上がっていた。
最近では想いを寄せるハヤテとの学園生活がナギのさぼりたいという怠惰心に勝つ事も珍しくなくなり、
ちょうど明日も登校する予定だった。
にも関わらず何故その彼女がゲームに熱を上げているのか?
その原因は三千院家直属の研究者である牧村詩織の突然の来訪に端を発する。
という事で更に時間を巻き戻したいが、ごちゃごちゃしてきそうなので簡潔に言うと、
彼女が開発中のゲームの試作品が出来たという事でナギにモニターを依頼してきたというわけである。
しかし、そのゲームが問題であった…
「おお!これは!!」
「三千院家ってこんなものまで作ってたんですか!?」
ハヤテが驚愕するのも無理はない。そのゲームとは今巷で出回っているスマ○ラXの続編、スマ○ラγなのだ。
そんな物があれば当然の如くナギが飛び付くわけで。
「ハヤテ!早速やるぞ!初プレイだ!筆下ろしプレイだ!!」
「筆下ろしプレイっていうのはちょっと言い方がまずいと思いますが…」
そのままナギとハヤテは協力プレイをしながら睡眠時間を浪費していった。
「お嬢様〜…もうそろそろ僕の目が限界を超えて来ました」
そう言ったハヤテの眼球には赤い筋が張り、ピクピクと軽い痙攣が小刻みにそれを揺らしていた。
連日テスト勉強と執事仕事に明け暮れていたハヤテはろくに睡眠時間が取れていなかった。
加えてこのスマ○ラは彼の精神力と体力を確実に奪っていく。
「よ〜し!100面クリア!残り900面だな!ハヤテ!」
そんなハヤテの様子もどこ吹く風。ナギは軽々とハヤテにとっての死刑宣告を言ってのけた。
まずい!まずいぞ!綾崎ハヤテ!お嬢様は一日、いや、厳密に言えば二日でこのゲームをクリアするつもりだ!
もしそうなってしまったら…考えるな!考えたら負けだ!!いや、考えろ!どうすればお嬢様がゲームをやめてくださるかを考えるんだ!いや、考えたら…
ハヤテの思考は睡魔によって混乱しながらも、どうにかしてこのゲームを止めさせようという方向に向かっていった。
そんな事を考えながらも手だけはしっかりとスマッシュしている当たりはさすが有能な執事である。
ハヤテはゲームに集中している目をちらりとナギの方に向けてみた。
その顔には自分を蝕む睡魔の類いは一切浮かんでおらず、
ただただ新作のゲームを楽しむ少女の喜々とした表情が浮かんでいるのみであった。
そこでハヤテは改めて自分の危機的状況を思い知る。
くっ…!ダメだ…止める気配が全く無い!あっ死んだ。
「ハヤテ!動きが悪くなってきているぞ!まだ899面も残っているんだから気合いをいれろ!」
容赦ない主の一言に精神力を激しく摩耗していたハヤテの体は考えるより先に行動を起こしていた。
「うわ〜!!!!」バキッ!!!
調子の外れた掛声ととともにハヤテが繰り出した手刀は、的確に絶賛稼働中の真っ白なハードをぶち抜いていた。
ぷしゅ〜。
間抜けな音とともにテレビ画面はブラックアウトした。
ナギは瞬間、何が起こったのかが理解できなかった。
えっ…ハヤテ?何をしてるんだ?
ハヤテは今まで失敗こそすることはあれど、ナギの無理難題も忠実に且つ懸命にこなし、ナギに反抗することなど一度としてなかった。
ナギ自身もそんなハヤテに執事としての全幅の信頼を置いており、自分に反抗することなど考えた事は無かった。
だがどうだろう。今目の前にはハヤテの手刀によって壊されたハードが転がっている。
なんだ!?何なのだこれは!?!?ハヤテが私に反抗したのか?いや、そんな馬鹿な事があるはずがない。
それこそ二次元と三次元を同一視するような愚か者の思考と同類だ。
では、何なのだろう?目の前の惨状は。鈍感野郎のハヤテにも私がこのゲームを楽しんでいることぐらいは伝わっていたはずだ。
私が楽しんでいる物をハヤテが自分から自分の意志で壊す事等あるのかな?
いやいやいやいや、ないよ絶対。ハヤテはそんなことはしない。
じゃあ、なんでなんだ?
年齢こそ幼いがその頭脳は高校生のそれを遥かに超えているはずのナギもこの自体には焦った。
そして彼女はその焦燥とも怒りとも驚愕ともとれる感情を渦中の本人にぶつけることにした。
「ハヤテ、これはどういうことだ」
ナギはコントローラーを持ったまま顔色ひとつ変えず、ゆっくりとハヤテの方を見ながら静かにそう言った。
あまりに静か。
壮厳にして雄大。
ハヤテはその時確かに、牙を剥こうとする大自然を感じていた。
心中ではやっちまったやっほおおおおいいい!!!!何やってんだよ馬鹿馬鹿阿呆執事うわああああああ!!!!!、と錯乱気味のハヤテは何とかその知能の全てのギアを一点に集中させた。
さあどうやって言い訳をしようかな♪
言い訳何て…何にもない、これは明らかに僕が悪い…
でもここで何も言えなければお前は終わりなんだぞ!綾崎ハヤテ!!
ハヤテは必死に脳内で拙い言い訳を生産した。
「お嬢様…」
やがて、ナギの問い掛けに対してハヤテはゆっくりと応じる。
ナギがハヤテに質問してからこの間4秒。
ハヤテの重々しい様子に一瞬気圧されたナギだが、やはり何か事情あってのことなのだろうと少し落ち着く事にした。
「ハヤテ、何故こんな事をしたんだ?理由を言ってみろ」
ナギは限りなく優しい口調でハヤテに語りかける。
その瞳にはハヤテに対する無償の慈愛が籠っていた。
「よっぽどの事があってこのような事をやったのだろう?ああ、可哀相なハヤテ…さぁ言ってみろ。黙っていては何も分かんないぞ?」
ナギの妙に大人しい様子が余計にハヤテの不安を一層駆り立て、心臓の鼓動を爆発的に加速させていく。
漫画の様な汗を額からだらだらと流して膠着している様子は、最早不審を通り越して追詰められた鼠への博愛の念すら湧いてくる物だった。
「お、お、て…」
口腔の乾燥がハヤテの発音を妨げる。
「なんだ?良く聞こえなかったぞ?」
ハヤテは決意した。
きっと…きっとお嬢様は分かってくれるさ!そうだ!僕とお嬢様はオリハルコンよりも堅く、コンニャクよりも柔軟な絆で結ばれてるんだ!
こんな、このような事でそれが揺らぐはずなんてない!
ハヤテは静かに主に真意を伝える。
「手が、すべっちゃいました♪」
「バカ〜!!!!!!!!!!」
深淵を裂くナギの叫弾が夜の闇に響き渡った。