朝。  
 広大な敷地を持つ大豪邸の一室で少女は静かに目を覚ました。  
「ん…」  
 ひとつ伸びをしてぐしぐしと目をこする仕草はとても高校生には見えないほど幼い。  
 少女はまだ焦点の合わない半開きの瞳で枕元の目覚まし時計に目をやった。  
「ふわ…もうこんな時間だ!?」  
 瀬川泉は慌ただしく学校へ行く為の準備を始めた。  
 
 
「虎鉄く〜ん、なんで起こしてくれなかったの〜」  
 素早く歯磨き、顔洗い、着替えを済ませた泉は肩の辺りで揃えられた髪を櫛でとかしつつ  
居間で茶を啜りながら雑誌を眺めている執事の虎鉄に文句を言った。  
「お嬢、俺は昨日お嬢が『明日からは朝起こさなくていいよ!』って言ってたから起こさなかったんですよ」  
 執事というよりも主人の風格を漂わせる虎鉄は悪びれた風もなくしらりと言いのける。  
「えぇ〜!?そうだったっけ?」  
 泉は昨日の事を思い起こしてみた。  
 
 えぇと、昨日は美希ちんと理沙ちゃんが家に遊びに来て…何したっけ?あれ〜?  
 頭上にハテナマークを浮かべうんうんと悩んでいた泉に虎鉄が言い添える。  
「お嬢は昨日朝風さんと花菱さんと何か言い争ってましたよ」  
 そこで泉の頭上にピーンとビックリマークが浮かんだ。  
「思い出した!昨日美希ちんと理沙ちゃんに子供扱いされて、  
珍しく怒っちゃったわたしは二人を追い出すことになっちゃったのだ!」  
「誰に説明してるんですか」  
 
 言い終わると同時に泉は虎鉄のつっこみも耳に入らないぐらいひどく落ち込んだ。  
「そっか…そういえばわたし喧嘩しちゃったんだったよ…」  
 朝から気分の上下が激しい泉に虎鉄はぼそりと忠告する。  
「せっかく作った飯が冷えるんで早く食べてしまって下さい。学校にも遅れますし」  
 虎鉄の言葉で泉は一瞬にして我に帰る。  
「は!?そういえば時間ないんだった!」  
 泉はテーブルに着くと急いで虎鉄が用意した豪勢な朝ご飯を片っ端から片付ける。  
 慌てて食べる泉を見て虎鉄は、  
「そんなに時間がないんだったら食べずに出ればいいじゃないですか。朝は学校でも買えるんですし」  
 と、相変わらず天然さが目立つ主にアドバイスを与えた。  
「うん?」  
 そんな虎鉄の問いに泉は一旦食べる手を止めてさも当たり前のように答える。  
「せっかく虎鉄くんが早起きして作ってくれた朝ご飯なんだから全部食べてあげたいじゃない」  
 そう満面の笑みで言うと泉は再び朝食を平らげる作業に戻る。  
 虎鉄はたまに思う事がある。  
 俺は本当に綾崎が好きなのか?、と。  
 
 俺が彼に一目惚れしたのは事実だ。  
しかし、それ以前に自分の周りに気になる、否、気になる事が出来る異性がいなかったのもまた事実だ。  
そのことから導き出される仮説は、俺は自分が『気になる事が出来ない異性』への気持ちを隠すために  
わざと同性に好意を向けるフリをしたのではないか、ということ。  
あくまで仮説、だが。  
自分が異常なほど恋愛に対して一途なのは良く分かっている。  
好きになった人以外の異性が異性として目に入らない事も良く分かっている。  
だから異性ではない同性に自分の異常な好意を向ける事で気持ちを隠そうとした。  
 
周りからも、自分からも、『気になる事が出来ない異性』からも…  
それはあくまで仮説、だが。  
 
 虎鉄が自分のモノノローグに浸っていると、真横から快活な声が飛んできた。  
「こ・て・つ・くん!ごちそうさまって言ってるでしょ!早くしないと本当に学校遅れちゃうよ〜」  
 泉の顔があまりにも近かったので虎鉄は少し赤面した顔を隠すように目線を鉄道雑誌に移した。  
「…すいません、ちょっと良いのが見つかったんで」  
 そういって表情を悟られないように紙面のプラモデルを指差す。  
「虎鉄くん…」  
 泉は呆れてジト目で虎鉄を睨み付ける。  
 そんな泉に虎鉄は少し安心して雑誌を閉じ、毅然とした口調で言った。  
「では急ぎましょう。委員長が遅刻しては格好がつきませんから」  
「虎鉄くんが悪いんでしょ!」  
「まぁお嬢がもう少し早く起きてくれていれば良かったんですがね」  
「う…」  
 主を言い負かした虎鉄はいつもより少しうわずった心音を悟られぬように  
廊下の先にある扉を開きいつものように主を扉の外へ招く。  
「では参りましょう、お嬢」  
 そんな義務と愛情の葛藤に渦巻く執事と、友人関係に沈み気味の主の一日が今日も始まる。  
 
 
 
 
「虎鉄くん!自転車パンクしてるよ!?」  
「はい…?」  
 いつもは歩いて登校している泉と虎鉄だが、  
今日は遅刻を免れるべく自転車で二人乗りして行こうということになったのだ。  
 しかし、自転車のタイヤはすっかり元気を無くしていた。  
「何これ?」  
 泉はタイヤにくっついている見慣れたメモ帳の紙片を見つけ、それを拾いあげた。  
 
「理沙ちゃんのメモ帳のだ。ええと、  
『昨日は大人気ない事をしたな。とりあえず謝っておく。すまん。  
しかし、泉。お前にも非はあると思うぞ。そこでだ、この自転車をパンクさせておいた。  
きっとお前の事だから執事に明日は自分で起きるとか言っているんだろうから困っているんだろうな。  
そういうわけでこれで五分五分だ。学校に着いたら仲直りしようじゃないか。  
じゃあ遅刻しないよう頑張れよ!  
by Miki Risa』だって、読むの疲れたぁ…」  
「びっしり書かれてますね」  
「でもこれで美希ちんと理沙ちゃんと仲直り出来るよ!やった〜!」  
 虎鉄にはこれで仲直りしようという泉の心情が全く掴めなかったが、  
これが天然である所以なのだろうという事で納得した。  
「しかし困りましたね、これでは始業には間に合わない」  
「そうだね〜。困ったね〜」  
 仲直り出来るのがよっぽど嬉しいのか泉には全く焦燥した様子はない。  
 虎鉄は考えた。  
 俺が全力で走れば余裕で学校に間に合うだろう。しかし、お嬢が全力で走っても間に合わないのは明白だ。  
という事は俺の足の速さとお嬢の速さを足して二で割ればギリギリで間に合うかもしれない。  
 有能な執事は素早く遅刻回避の算段を立て、即座に実行に移した。  
 
「ほぇ!?」  
 虎鉄は泉の手を取って物凄いスピードで走りだしたのだ。  
 泉はわけが分からずただ虎鉄に引きずられるままだ。  
「こ〜て〜つ〜く〜〜ん!!いきなりどうしたの〜〜!!!」  
 泉は屋敷を出てそのまま街を走る虎鉄にめいいっぱい声を張り上げる。  
「こうすれば間に合います」  
 
 虎鉄はちらりと後ろを振り向いて言うと、その一言で事は足りるといわんばかりに疾走を続ける。  
「あぁ〜!なるほどねぇ〜〜!!さすが虎鉄くんだ〜!!」  
 泉は特有の飲み込みの速さでよく理解もせずにそう返事をすると、そのまま虎鉄に身を任せた。  
 そうしてぎゅっと握り返された泉の小さな掌の感触に虎鉄は少し息を飲む。  
 大丈夫だ。問題ない。お嬢は俺が走りやすいようにしっかり掴まってくれただけだ。他意はない。  
 そう自分に言い聞かせる虎鉄の左胸は走っているせいなのか、  
それとも他の要因によるものなのかは本人にも分からなかったが、不自然なほどに早鐘を打ち鳴らしていた。  
 虎鉄は走りながら後方の泉の様子を伺ってみた。  
 その表情には義恥の類は一切浮かんでおらず、瞳の中に頼れる執事を移しているのみであった。  
「虎鉄くん大丈夫?顔すごい赤いよ?ちょっと休んでもいいんだよ?」  
 泉は虎鉄を心配する。  
 その心配が主としてのものなのか、一人の人間としてのものなのか、  
それとも大切な人を想う気持ちからなのか、虎鉄には分からない。  
 ただそんな泉の仕草、表情、声色、動作。そのひとつひとつが確かに虎鉄の足を速めていく。  
 今や虎鉄の心を占めているのは正体不明の感情などではなく、ただ『忠義』の二文字だけなのである。  
「ちょ、ちょっと〜!虎鉄くん速い速い〜!足が痛いよ〜!」  
 空回りする忠義は揺るぎない信頼を乗せて朝の商店街を駆け抜けて行くのだった。  
 

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