「あそこに木の実が成ってるけど、ハヤテ君なら何か分かるんじゃない?」  
「わっ、引っ張らないでください」  
「コラー! ハヤテにくっつくな!」  
 
涼しい空気が肌に心地よい、初夏の穏やかな休日、  
五人の少女……もとい四人の少女と一人の中性的な少年は、  
三千院家が所有する、とある山に一泊二日のハイキングに来ていた。  
それは少年のある思いが発端となるものであった。  
 
 
 
「cherry kiss」  
 
 
 
幼少から非凡な日々を過ごし、果ては親に借金を押し付けられた。  
そんな一生を過ごしてきた綾崎ハヤテにとって、  
今の日常は生涯で最も幸せであるのかもしれない。  
 
命の危機を一人の少女に救われ、現在は執事として少女に仕えている。  
大恩あるこの少女は、ハヤテにとって全てをかけて守るべき存在である。  
 
少々わがままで頑固なところもあるが、それもかわいらしい愛嬌であった。  
賢く優しくかわいい、三拍子揃った少女。  
 
だが、しいて気になるところを挙げるとすると……ひきこもり気味で体力がなかった。  
体育などは時々逃げ出してしまったり、  
何が何でも休もうとしてしまう。  
 
(マラソンの時は二人で頑張ったけど……  
だからといって、いきなり運動が好きになるものでもないですね)  
 
それがハヤテの小さい悩みであった。  
別に運動など苦手でもいいと思うのだが、運動不足なのはよくない。  
ずっと健康でいてもらいたいし、  
ナギと一緒に運動をしたいハヤテの想いも少なからずあった。  
そんな折、ふと思いついたのがハイキングであった。  
 
昔の貧乏癖が抜けないハヤテにとって(現在も極貧)、  
新聞の折り込みチラシチェックは、ここに来てからの趣味となっている。  
昔は新聞など取れなかったが、掘り出し物などを眺めるのは結構楽しいのだ。  
ただ、衣類から食料品に至るまで御用達に任せている三千院家には  
チラシチェックなど必要のないものであり、あくまで趣味の範囲である。  
 
(ロデオボーイってお嬢さまにはどうだろう。  
こっちのチラシは、日帰りのさくらんぼ狩りか。  
もうそういう季節なんですね〜。  
ん? そうだ、ハイキングなんてどうだろう。  
ちょうどいい季節ですし、山の空気も気持ちいいだろうなぁ。  
日頃お世話になっているヒナギクさんや他の方々にも聞くだけ聞いてみよう)  
 
 
―  
 
 
夜、ハヤテは意を決してナギの部屋を訪れた。  
お風呂から上がったばかりのナギと、ナギの髪を整えているマリアがいた。  
「お嬢さま、少しお聞きしたいことが」  
「ん、どうした」  
「今度の連休は何かご予定がありますか?」  
「ああ、特に予定はなかったと思うが。マリア、どうだったかな?」  
 
ナギの髪を梳いていたマリアは一旦手をとめ、  
ハヤテにお茶を用意した。  
「そうですね、おじい様からお呼ばれが『そんなもの行くかっ!』……とのことですので、  
今のところ予定はないです。 どうかしましたか、ハヤテ君」  
「はい、これを見てください」  
ハヤテは朝に見ていた折込チラシを二人の前に出した。  
「えーと、旅行がたくさん載ってるな」  
 
チラシをじっと見ているナギに  
ハヤテは一歩、二歩と近づき、とうとう息が触れ合うほどまで接近した。  
「ち、ちかいぞハヤテ」  
ハヤテはナギの両肩にそっと手を置き、じっと見つめ合った。  
 
「そうです、旅行がたくさん載ってますね。  
そしてこのさくらんぼ狩りなど、どうでしょうか。  
この季節は山の空気も涼しくて歩くには気持ちいいんです。  
そして、おいしいさくらんぼまで頂けるんですよ。  
ええ、たしかに家の中でのんびりと過ごす休日も悪くありません。  
でも太陽の下で笑っているお嬢さまは、僕はとてもかわいいと思います。  
(みんなで)一緒に行きましょう、ナギお嬢さまと一緒に行きたいんです!」  
 
……熱意を持って説得するべきだとハヤテは思ったいたが、  
あまりに熱意が入りすぎて、明らかに誤解を生じそうな発言であった。  
ハヤテは生来そういう気質なのだった。  
 
「ぁ、あ……そうだな」  
ナギは全身の血が顔に上るのを自覚した。  
なぜならハヤテからの積極的なアプローチは随分と久しぶりのことであり、  
そしてナギが何より望んでいることであった。  
(ハヤテが私を誘ってくれた! しかも私と二人でデートだなんて……。  
まったくもう、ハヤテときたらなんて熱い漢だ。  
なんか体が熱いな、これは風呂上りだからだそうに違いない)  
 
「はいナギ、お水ですよ。  
でしたら連休までに近場でいい所を探しておきましょう」  
 
(ハヤテ君は相変わらずですね。  
おそらくナギの運動不足を思ってのことでしょうが、  
ここまで情熱的に言われてはナギも断れません。  
しかし何か誤解が生まれてそうで恐いです、というか絶対ありますね)  
 
やはり一人理解しているマリアであった。  
 
 
そして当日、ナギが怒りのあまり爆発したのは言うまでもなかった。  
 
 
マリアは……いつも一緒にいる大切な人である、ナギも事前に承知していた。  
だが……だが、ヒナギクと、さらに歩が集合した。  
ヒナギクを誘ったのはハヤテであり、歩を誘ったのはヒナギクであった。  
寝具や食料の調達などのために、事前にメンバーを聞かされていたマリアも  
当初は唖然としたが、これはハヤテの自業自得としかいいようがなかった。  
(当日、頑張ってください)とだけ軽く祈っていた。  
 
ハヤテとしては、"ハイキングは皆で行ったほうが楽しいから"、  
ただそれだけであった、まる。  
咲や伊澄など他のメンバーは、既に旅行や行事の予定が入っており都合が合わなかったそうだ。  
 
「ばーか! ハヤテのばーか!」  
「いたた、すいませんっ すいませんっ」  
泣き笑いでハヤテを蹴る姿に、  
誰も割って入ることなどできなかった。  
 
帰ると言い出すナギを説得し終えたころには、  
ハヤテは気力も体力も使い果たし、ミイラのようになってしまった。  
――なぜ怒っているのか分からない時は、とりあえず土下座!  
それがハヤテであった。  
 
そしてナギのお許しの条件とは、  
 
"今日一日、私と手を握っていること"  
 
であった。  
山道もあり危ない中、それはハヤテにとって願ったり叶ったりの申し出だった。  
 
 
――  
 
 
「空気も肌に気持ちいいし、鳥の囀りも耳に心地いい。  
山歩きなど考えもしなかったが今は疲労が気持ちいいよ、ハヤテ」  
「ええ、そうですね」  
マリアに額の汗を拭ってもらいながら、ナギは笑顔を見せた。  
ハヤテはこの笑顔が見たかった。  
運動で汗をかき、みんなで笑い、楽しむひと時。  
やはり家だけではまた味わえないものだ。  
 
「あの、まだ1kmも進んでないような……」  
 
      シーン。  
 
みんなで座って休憩しているが、  
歩のツッコミ通り実はまだ500mも歩いていなかったりする。  
だがそれはハヤテとマリアも予測済みである。  
ナギの体力を考えれば長時間の山歩きなど無理、1kmがいいところだと踏んでいた。  
三千院家が所有し委託する、さくらんぼを育てている山々から候補をピックアップ、  
そのうちの一つから山道沿いに急ピッチで別荘を建設させたのだった。  
 
「そういえばハヤテ君、さくらんぼとか別荘ってどの辺りにあるのかな?」  
ヒナギクと持ち寄った飲み物を交換しあっていた歩が、ふと疑問を口についた。  
この二人、当然ながらまったく疲れていないご様子である。  
 
「そうですね、あと500mといったところです」  
「ちょ、短っ!」  
「何を言っているのだ、今までの道のりも険しい道だったじゃないか。  
これ以上歩いたら相当な運動だぞ! ふう、これだからハムスターはちょこまか早いんだ」  
 
……ほんとは少し傾斜がある程度の道のりだった。  
 
「むかっ、なにを〜…」  
「ま、まあお譲様。後半に備えて今はゆっくり休みましょう。  
西沢さん、今日は自然の空気を吸って日頃の疲れを取りましょう」  
「そうだね……ハヤテ君」  
「ふん、デレハムスター」  
 
嬉しそうな歩と、それがなんだが面白くないナギ。  
それをじっと見るヒナギク、さらに4人を見守るマリアという構図だった。  
ミイラ取りがミイラになってまた次のミイラ?  
のような不思議な空間だった。  
 
(これって女性四人に男性一人の旅行なのよね。  
マリアさんは分からないけど、みんなハヤテ君に気持ちが向いてるし)  
 
自分の気持ちを理解して認めているヒナギクは  
人生初めての恋と、今のこの状況にとまどうばかりであった。  
 
 
――  
 
 
ハヤテと手を繋いで、疲れていながらも終始ご機嫌なナギと、  
まったく疲れていない他のメンバーは、  
しばらくして別荘と桜の木々の近くまでやってきた。  
……きたのだが。  
 
手前で短い橋が架かっていた。  
 
ナギや歩やマリアが何の問題もなく進もうとするなか、  
ハヤテはすかさずヒナギクにアイコンタクトを送った。  
 
『イケますか?』  
『……』  
 
――笑いながら引き攣っていた。  
ヒナギクは橋の手前でそろりとハヤテに近づき、  
ナギとは反対側の手をぎゅっと握った。  
 
「こらヒナギク、ハヤテに何をしているんだ? 手を握っていいのは私だぞ」  
「ナギお嬢さま、ヒナギクさんも少しお疲れのようです」  
「む……そうか。 うん、なら仕方がない」  
器の大きさをアピールするナギだった。  
 
橋の途中まで進んだとき、とうとうヒナギクは  
目をつむりながらハヤテの腕にしがみついた。  
 
「むぅ」  
さすがにナギの器もそこまで大きくなかったらしい。  
「ちょっと! おまえ、疲れているからって抱き着きすぎだぞ!  
体がほとんどくっついてるじゃないか!」  
「お、お嬢さま。 橋の上ですから落ち着いて!」  
(や、やめて! 揺らさないでー!)  
3人で揉みくちゃになって、たたらを踏んでいたその時――  
 
「きゃっ」  
 
歩がつまづいて3人をどついてしまった……。  
 
 
「ぬわわわぁぁぁ! (やっぱりこういう展開かぁーー!)」  
「キャー! (ハヤテ君っ!!)」  
「ハヤテーー! (ハヤテっ!!)」  
 
「ナギっ! (私のセリフ山に来てからこれが初めてです!)」  
「いやぁぁ!! (私人殺し!?)」  
 
 
――  
 
 
「少し沁みますよ」  
「ごめんね……、ハヤテ君」  
「いえ、本当に気にしないでください、西崎さん」  
別荘についた五人は、まずハヤテの治療にあたった。  
マリアが消毒する中、皆が心配そうに見守っているがただの擦り傷だけである。  
 
あの時、二人を両脇に抱えたハヤテは  
崖の急斜面を足でひたすらに摩擦を起こして滑り、  
落下速度を落として下に落ちるまでやり過ごした。  
地面まで10メートル程のもので、一般人ならそれは大怪我を免れないが、  
ハヤテは膝を少し擦りむいた程度であった。  
ハヤテが両脇に抱えた二人を見たところ、  
ナギはハヤテへの信頼感からかケロっとした表情であったが  
高所恐怖症であるヒナギクの場合は何をか況やである、グッタリとしていた。  
二人とも傷ひとつなく、ハヤテはほっと息をついたのだった。  
 
 
日も少し傾き始め、さて食事の準備をどうするかと話し合っていると、  
珍しく料理をしたがるナギにハヤテは顔面蒼白になった。  
代わりにハヤテが料理を作る条件でマリアと二人がかりで宥めすかし、  
歩とヒナギクはセッティングの手伝いに回った。  
ヒナギクや歩にとってハヤテの手料理は、なかなか食べられる機会がない。  
みな和気藹々とハヤテの料理に舌鼓をうった。  
 
「じゃあハヤテ、皆でお風呂に入ってくる」  
「いってらっしゃいませ、何かデザートでも作っておきます」  
「やたー、ハヤテ君のデザートだ!」  
「歩、スキップしてるとこけるよ」  
「お風呂の方を案内しますね」  
それぞれに会話しながら部屋を後にした。  
 
――  
 
寝室は女性組と、ハヤテ一人の二部屋に分かれた。  
修学旅行気分を味わうとのことで、畳の部屋に布団を並べて敷いている。  
今はハヤテも一緒に、並べた布団の上で持ち寄ったお菓子を肴にくつろいだ。  
綺麗な月明かりが部屋に差し込み、みんなで夜空を眺めたり  
ひと時ひと時が楽しく、時間が過ぎるのがもったいなくなる。  
それは青春であった。  
 
ナギとマリアはハヤテも一緒の部屋で寝ることを提案したが、  
ヒナギクや歩の手前もあり、ハヤテは丁重に断った。  
実はヒナギクも歩も同衾を少なからず期待していたのだが  
そんな恥ずかしいことを、本人の前で意思表示などできるはずもなく  
黙って事の次第を見守っただけであった。  
ただ、どんな時も迅速に対応できるように  
一枚戸の続き部屋にハヤテは寝ることになった。  
 
彼女達を守るのはハヤテの役目である。  
外の警備はクラウスなどに任せているが、別荘内を守るのはハヤテであった。  
いつ何が起こるか分からないのは身に染みていた。  
当然、寝ず番だった。  
 
「お嬢さま、少しよろしいですか?」  
「ハヤテ?」  
 
横になって少しくてっとしていたナギをお姫様抱っこで  
抱き起こし、布団の上に寝かせた。  
他の面子が見守るなか、ハヤテはナギに囁いた。  
 
「今日はお疲れさまでした」  
 
ハヤテにとって、やはり日の下で友人達と元気にはしゃぎ笑っているナギは  
本当に眩しいもので、胸が熱くなった。  
 
「僕はいつものお嬢さまも好きですけど、  
今日のお嬢さまはお日様の下で元気に笑っていて……とってもかわいかったです」  
 
心からのセリフであった。  
そして心からのセリフというのは、心の奥底までストレートに響くものである。  
 
ナギは布団に横になったまま、枕に顔をうずめて真っ赤になってしまった。  
湯気の音が聞こえそうなほどに。  
 
「先ほどから見ていましたが、体に少し疲れがたまっているようですね。  
僕が少しマッサージをしましょう、心得も多少ながら把握しています」  
 
沈黙して動かないナギを  
『うむ、やってくれ』  
という肯定の意味ととったハヤテは早速  
ナギの上にそっと跨り、足の付け根から指圧でほぐしていく。  
 
「ハ、ハヤテッ?」  
 
「やはり、筋肉に疲労がみえますね。  
でも優しくほぐしておけば、明日の筋肉痛もだいぶ変わります」  
 
「ああ……」  
(マッサージをしてくれていたのか)  
 
ようやく思考がクリアになってくると、  
ハヤテに自分の体を触られていることがナギは気になってきていた。  
太ももから、おしり、背中。  
ただのマッサージなのに……大好きなハヤテが触っている。  
先ほどの情熱的なセリフの余韻がナギには残っていた。  
 
「っ、んぅ」  
必死に枕を噛んで我慢するがどうしても声が出てしまう。  
「少し痛いですか?」  
「っ、だいじょうぶだ。 続けてくれ」  
 
周りはナギが何に耐えているか気づいていたが、口に出せなかった。  
いや、その様子を見て一緒に赤くなっていた。  
 
「……ぅぅ……ふっ」  
(ハヤテはマッサージしてくれているだけなのに、私は何を考えているんだ)  
真面目なナギにとって、意識するほどそれは甘い苦痛となって返ってきた。  
 
今度は仰向けに寝かせ、  
下から徐々に上へと掌全体を使って揉み解した。  
ナギは羞恥のあまり、顔を枕で隠して耐えていた。  
 
意中の相手から笑顔がかわいいと囁かれ、マッサージといえど体を触られている。  
「もっ、もうやめ……はや、て」  
ナギが枕に顔をうずめたまま出した声はか細く、  
集中しているハヤテの耳には届かなかった。  
 
「……っ!!」  
ハヤテの掌は上半身へとのび、胸に迫っていた。  
ナギはこんなにも意識しているのに、ハヤテには遠慮がなかった。  
 
胸の周辺にシフトした手が、  
敏感になっている頂点に、そっと触れてしまった。  
 
「う゛ーー!」  
 
ゾクゾクと体を通り抜けるような感覚が奔り、  
ナギは枕に顔を押し付けたまま、体の震えに身を任せた。  
 
「はい、終わりです。  
どうでしたかお嬢さま、もしよろしければ感想を。  
至らないところがあれば次回までに勉強します」  
 
「…………」  
ところが枕に顔を隠したナギからはいつまで経っても返事が来なかった。  
 
「……おじょうさま?」  
ハヤテが首をかしげると、ナギとハヤテの間にスっとマリアが割って入った。  
ハヤテがナギの顔を見れないように位置取りつつ、ナギの枕をそっと上げると……  
 
(あらら、なんてことに……)  
 
少し涎をこぼし、放心しているナギがいた。  
 
「えーと、とっても良かった? そうです。  
ただ、胸周りは恥ずかしいから気をつけて、だそうです」  
 
「あ、はいっ。 気をつけます」  
 
ハヤテからなるべく死角をとりつつ  
そっとナギを抱きかかえると、隅の布団に寝かせた。  
 
 
――  
 
誰も動かなかった、原因は言わずもがなであった。  
そんな張り詰めた空気(ハヤテ以外)が、少し溶けた時――  
 
「あの、ハヤテくん……わたしにも」  
「「のええっ!!」」  
 
――歩がマッサージを希望した。  
 
(歩……あれを見てそれでもやるの?)  
 
(はっちゃけた展開になってきましたね。  
ハヤテ君のことが好きな歩さんからしたら、  
確かに先ほどの光景はあまりにも魅力的?)  
 
「え、えーとハヤテ君。 なら私も当然やってくれるよね?」  
「私も少し興味があります」  
 
「え? みなさん今日はそんなにお疲れでは――」  
と、それ以上口に出すことはできなかった。  
猛禽類のようなするどい視線で射抜かれていたからだ。  
 
(怒らせないうちに素直に従うのが生存への道ですね……)  
なぜ睨まれているのかは分からないが、  
自分が何かしでかしたことは理解したハヤテであった。  
 
「それでは早速、西沢さんからいいですか?」  
 
真っ赤な顔で既に布団にうつ伏せ、スタンバイOK!な  
歩の上に跨り、背中にそっと手を置いた。  
瞬間、歩の体がはねた。  
 
「西沢さん、リラックスしてください、痛くしませんから。  
はい息を吸って、吐いて〜」  
「ごめん。 すぅ〜、はぁ〜」  
聞き様によっては誤解を与えそうな会話であった。  
 
ハヤテはまず、足の指から揉み解していった。  
親指から小指まで丁寧に、少し力を入れて指を立て、  
痛みにならないさじ加減でツボを刺激していく。  
 
「うひゃらひゃら、いひゃひゃっ」  
「くすぐったいですか? 足はとりあえずやめましょうか」  
「平気です! お願い、続けて」  
一時でも長く触れ合っていたい、歩の乙女心だった。  
 
もみもみ、こりこり  
 
「ん゛〜〜」  
健気な少女は枕に顔を押し付けて耐えた。  
今日は枕が大活躍である。  
 
ハヤテの指はふくらはぎ、太ももと上がっていった。  
(あ、気持ちいい……)  
 
と、少し気が緩んだのが敗因だった。  
絶妙なタイミングでお尻を掴まれ、ぐいっと揉まれた。  
「うひゃぁぁっ」  
さすがに驚いて海老反りになってしまった。  
そうすると、そのままお尻が上に持ち上がるわけで……ハヤテの顔にぴったりフィットした。  
 
「ふむむむむっ…」  
「ふぇ〜!」  
びっくりしてさらにお尻をぐりぐり突き出す少女と、  
お尻を掴んだままお尻に顔を埋めている少年。  
 
「「……」」  
外野の二人はもう、何がなんだか分からなかった。  
 
「ふむむむっ」  
顔を押しつけたまま喋るハヤテの振動が、  
歩の大事な部分に伝わり、とうとう腰砕けでぐったりしてしまった。  
「ぷはぁっ、すいません! 西沢さん、わざとではっ」  
「…………」  
「……西沢さん?」  
 
ナギの時と同じく、すかさずマリアがレフェリーのように  
間に入り歩の様子を確かめた。  
 
(あ、またノックアウトのようです)  
 
「え、えーと? 今ので持病の腰痛が治った? だそうです。  
えっとこのまま今日は寝たいそうです、おやすみなさい」  
 
――シーン  
 
「……」  
「……」  
「……」  
 
――  
 
部屋はカオス状態である。  
さすがにハヤテも今の状態がとってもおかしいことに気づいた。  
 
「次は私の番ね。 前の二人のようにはいかないわ」  
「あはは……」  
布団の上でしゅたっと身構えるヒナギクと、苦笑いのハヤテであった。  
 
……  
 
もみもみ、こりこり。  
 
(マッサージなんて初めてだけど、これは確かに気持ちいいわ)  
 
「ねえ、ハヤテ君。 素人でここまでできるものなの?」  
「いえ、昔整体師のおじいさんに教わったことが。  
腕は本物でしたよ。 水商売などで疲れたお姉さん方が毎日たくさん来ましたし。  
見込みがあるということで、僕も少しお手伝いしていました」  
「……相変わらず濃い過去ね」  
 
ここにきてハヤテもさすがに学習したのか、  
お尻や胸の周辺は避けて一通り揉み解した。  
 
「うーん、気持ちよかった!」  
「それは良かったです」  
ヒナギクは立ち上がり、ぐぅ〜っと背伸びをした。  
 
「ありがと、ハヤテ君。 お礼がしたいから少し眼を瞑ってて……」  
「え?」  
 
      ちゅっ  
 
「私、飲み物取ってくるからー!」  
 
ヒナギクは颯爽と走り去った。  
ハヤテは顔を赤くし、しっとり感触の残るほっぺを触った。  
「い、今のはなんだったんでしょうか」  
「さあ、私に聞かれても困ります」  
「……なにか、怒ってらっしゃいませんか?」  
「何のことだか分かりません」  
「……」  
 
 
――  
 
 
「マリアさんも受けますか、マッサージ」  
「いえ、やっぱり私はもう。それにハヤテ君だってお疲れでしょう」  
「僕はだいじょうぶです。なら、軽くどうですか?」  
「んー、ではお言葉に甘えちゃいましょう」  
 
お互い、落ち着いたもので自然とマッサージを始めた。  
ぐりぐり、もみもみ。  
 
「やっぱり、凝ってますね」  
「ん〜、そうですか?」  
「マリアさん、いつもお忙しいですから」  
「それはハヤテ君もですよ〜」  
 
(ああ、とっても気持ちいです。  
意中の相手にこんなマッサージをされたら  
誰だって過敏に反応してしまうでしょう。  
ほんとうにもう、この天然ジゴロさんは……)  
 
……  
 
「はぁぁ、気持ちよかったです。ハヤテ君ありがとう」  
「どういたしまして〜」  
お互い、座ったまま笑いあった。  
マリアは布団の上で正座をしたまま、優しい瞳でハヤテを見つめた。  
「今日は私も本当に楽しかったです、何よりナギがあんなに楽しそうでした。  
これからもナギをよろしくお願いしますね、ハヤテ君」  
「はい! 一緒に頑張りましょう」  
 
――  
 
時刻は夜も九時に迫っていた。  
ハヤテは入浴する前に別荘周囲の警戒にあたった。  
ぐるりと外周を回っていたが、  
ふと裏庭の方に人の気配を感じ、足音を殺して近づいた。  
 
「なにしてるんですか? クラウスさん」  
「っ! ああ、おまえか」  
ニコニコと笑うハヤテに向き直り、  
「いや、喉が渇いたんでな。 飲み物でも貰いにいく」  
「ああ、そうなんですか」  
 
クラウスはそのまま、そそくさとハヤテから離れ  
裏庭の裏口から中へ入ろうとした、が。  
 
 
「――だからなにしてるんですか?」  
ハヤテは、ポン、とクラウスの肩に手を置いた。  
そこには先ほどとは異なる――冷めた瞳をしたハヤテがいた。  
 
「今日、この別荘内に入ることを許されている人間は  
予め決まっているんですよ?」  
「あ、ああ。そうだったな」  
 
「もういいですよ、三文芝居は」  
ハヤテは珍しくうんざりするような表情を相手に向けた。  
 
「あなたに会う直前に、"本物の"クラウスさんから  
敵に警戒する旨のメールを頂いていたんです。  
ですが、あなたは僕に会ってもそのことに何も触れなかった。  
それに執事と、あなたのような刺客では歩き方ひとつとってもやはり違います」  
 
大方、他のSPを変装で出し抜き、運良くここまで侵入できたのだろう。  
だが、そこには少女に最も信頼されている少年が待っていた。  
 
「では、おしゃべりはこの辺にして……」  
 
相手もハヤテと距離を取り、腰を落とす。  
それは格闘技の心得があると分かる、堂に入った構えであった。  
が、すぐに意味を成さなくなった。  
 
しなやかに膝を曲げ、すり足から突如トップスピードに変化する  
ハヤテの動きは目で捉えることすら難しいものであった。  
 
――ズン  
鳩尾に掌底がめり込み、勝負は呆気なく幕を閉じた。  
 
 
「クラウスさんですか? ハヤテです。 ええ、問題ありません」  
携帯を閉じ、一息つきながら微笑を浮かべ夜空を見上げた。  
それはまさしく立派な執事の姿であった。  
 
 
――  
 
 
警備も安全レベルへと移行し、ハヤテはお風呂に来ていた。  
 
「ふいぃ〜〜、こんな広い浴場を独り占めなんて信じられない贅沢だなぁ」  
 
体の力を抜いてプカプカと湯に浮かび、  
この世の極楽浄土を味わっていた。  
……が、  
 
ガタタ、キャッ  
 
「なんか外が騒がしいな……嫌な予感が」  
 
ドンッ  
 
「ハヤテー!」  
「「ハヤテ君!」」  
突然扉が開かれ、女の子三人が浴場に乱入した。  
 
「皆さん、落ち着いてください!」  
と、その後ろからもう一人女の子がそろそろと入ってきた。  
 
ナギ、歩、ヒナギクの三人はバスタオルを巻き、  
後ろのマリアは寝巻きの裾を濡れないように捲くっていた。  
 
「ちょ、ちょっとどうしたんですか!?」  
ハヤテは頭の上に乗せていたタオルを素早く腰に巻いた。  
 
「マッサージのお礼に、ハヤテ君の湯浴みを手伝ってあげようかなって。  
あと、さくらんぼ持ってきたんだ!」  
「ハヤテ君も疲れたでしょ、私達もマッサージしてあげるわ」  
「ちょっと待て、ハヤテへの礼は私がする。みんなは部屋に戻れ!」  
 
きゃいきゃい騒ぎながら三人はハヤテに吶喊した。  
 
「あの、さっきのマッサージで皆さん、何だかスイッチが入ってしまったみたいです。  
もう私だけでは抑えきれませんよ。責任を取ってなんとかして下さい、ハヤテ君」  
 
時既に遅し、ハヤテは三人の少女に囲まれた。  
「ほら、さくらんぼ食べて。 あーん」  
指から直接あげようとする歩の腕を止めたのはナギだった。  
「だ、駄目! ハヤテ、ほっひをひゃべろ!」  
ナギはさくらんぼを口に咥え、ハヤテの口に押し付けた。  
「ふむむっ」  
「んむっ」  
 
――ぴちゅ、ぴちゃ  
 
口に押し付けたさくらんぼをあげるために  
舌で少し押すつもりが、ハヤテの咥内まで侵入してしまった。  
舌が絡み合う光景を他の三人は呆気に取られて見ていた。  
 
その時、ヒナギクがハヤテの体の変化に気づいた。  
 
「あ、ああ……ハヤテ君。タオルが妙に盛り上がって……」  
歩も気づき、チラリとタオルを捲ってしまった。  
そこには大きくなったモノがあった。  
 
「……わ、すご」  
「こ、これが男の子の」  
「……み、みなさん?」  
実はマリアも三人の隙間から見入っていた。  
 
「そ、そうだ。マッサージしようね」  
好奇心から、歩が陰茎に優しく触れた。  
「うあっ」  
キスで放心していたハヤテの体が震え、アソコが跳ねた。  
 
「ハヤテ君、気持ちいいんだ……」  
その光景に魅入っていたヒナギクも完全にスイッチが入ってしまった。  
陰茎に手を伸ばし、歩と一緒にくにくにと揉みほぐした。  
 
「ハヤテの大事なところに触るな!」  
二人に気づいたナギが止めようと手を伸ばすが、  
さらに揉みくちゃになってしまう。  
 
「も、もう、みなさん……もうやめ……」  
信じられない光景であった。  
三人の少女の手が絡み合い、揉まれている。  
妄想でなければありえない現実にハヤテは混乱した。  
腰が震え、快感がハヤテをおそった。  
 
「で、出ますから! それ以上は!」  
 
ハヤテのアソコに少女達が見入っていると――  
 
ぴゅ、びゅびゅっ  
 
「わわっ」  
「ひゃっ」  
「きゃっ」  
 
白い液体が飛び出し、少女達の手を汚した。  
 
……しーん。  
 
 
「……ぅ、ううっ。 いい加減にしてくださいっ!!!」  
 
 
その後、部屋に戻った少女達を待っていたのは  
ハヤテのながいなが〜いお説教であった。  
 
 
 
(エピローグ)  
 
数日後の休日、三千院家はいつもの日常に戻っていた。  
ナギ、ハヤテ、マリアの三人で中庭へ赴き、  
ピクニックシートを敷いて昼食を取っていた。  
そんなうららかな、午後のひととき――  
 
「あ、再来週の連休イチゴ狩りにいくから」  
「は、ええ〜!? また行くんですかっ!!」  
(散々な目に遭って、トラウマ気味なんですがっ!!)  
 
真っ青なハヤテには気づかないふりをし、ナギは胸に手をあて  
 
「あと!」  
 
声を張り上げた。  
そして意を決した表情でハヤテを見た。  
その表情を見てハヤテも姿勢を正す。  
 
「あいつらも別に誘っても構わないぞ、  
みんなでハイキングを楽しむというのも案外悪くなかったし。  
それとハヤテ……いつも見守ってくれてありがと」  
 
ナギは賢い少女だ。  
ハヤテが何を思って、今回のさくらんぼ狩りを提案したかなど  
初めからとうに理解していた。  
 
はにかみ、くるっとそっぽを向き、  
腰に手を当て踏ん反りかえる少女を見て、  
 
 
「――はいお嬢さま」  
 
 
少年は穏やかな声で答えた。  
 
 
 
 
(終わり)  
 

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