第四話『三國一の勘違い無双』  
 
「そ、粗茶ですが…」  
「あ、ええ。どうも」  
ハヤテの部屋。マリアは差し出されたグラスに手を伸ばし、  
「「あっ」」  
ハヤテの指とぶつかって、焦って手を引っ込める。  
「す、すみません…」  
「いえ、こちらこそ…」  
今度は用心深くマリアの手前まで置かれたグラスを手に取り、  
「せっかくなので、いただきますね」  
緊張のせいか硬さが取れないものの、上品な所作でマリアはグラスを口元まで運ぶ。  
コクンコクンと白いのどが動くのを見届けて、ハヤテが尋ねた。  
「ど、どうですか?」  
「な、なかなか結構なお手前で…」  
が、すぐに会話が途切れてしまう。  
ふたりとも何かを話そうと相手の様子をうかがうのだが、その度に互いの目が合って顔をふせる。  
(な、なんなんでしょうか。さっきから辺りをただようこのラブコメ空気は…)  
突破口を求め、ハヤテから視線を逸らす意図も込めてマリアは部屋を見渡した。  
「それにしても…。さすがは執事の部屋というか、意外と片付いているんですね」  
「いえ、ただ物が少ないだけですよ。お嬢さまにもこの前、『まるで借金のカタに家の物全部持ってかれた後みたいだな』って言われました」  
「…ハヤテ君の場合、そういう冗談は本当に笑えないのでやめましょうね?」  
さすがに苦笑いでたしなめるマリア。  
「う、す、すみません。その、部屋の中に女の人が入ってくるのなんて、あまり慣れていないもので緊張しちゃって…」  
「あ、あはは。お互いさまですよ。私も普段はこんな時間に男の子の部屋を尋ねたりなんてしませんし、  
粗茶ですと言われて麦茶を出されたのも初めてですし…」  
こちらも多少動揺して言わずもがななことを口走る。  
「ぁああ! やっぱり麦茶はまずいですよね! すみません、すぐに用意できるのがそれしかなくて。  
じゃ、じゃあ今から食堂に行って、もっとちゃんとした物を…!」  
部屋を飛び出しかけるハヤテをマリアは慌てて引き止めた。  
「い、いいんです! 麦茶おいしいですし、今日はハヤテ君に聞きたいことがあって来たので…」  
「…は、はぁ。聞きたいこと、ですか? で、でも、だったら僕なんかに聞くよりは、もっと頭のよさそうな人に…」  
「いえ。ハヤテ君はちょっと常識外れですけど、それなりに一般常識に詳しいじゃないですか。  
なんというか、私の知り合いって、意外とその、常識に明るくない方が多いと言うか…。ですから…」  
ハヤテは内心、  
(ああ、わかる。それ、すごくよくわかります)  
と思っていたが、それを口に出すわけにはいかず、  
「ま、まあ理由は何にせよ、マリアさんに頼ってもらえるなら光栄ですよ。僕のわかる範囲のことなら何でも聞いてください!」  
それだけを口にするに留めた。  
 
「で、では…」  
マリアは居住まいを正し、ハヤテに向き直る。ハヤテも真剣な雰囲気を感じたのか、真面目な表情だ。  
(こうしてあらたまって向かい合っていると、それはそれで何だか恥ずかしくなってきますね)  
赤面をごまかすようにマリアは咳払いをすると、ズバリ直球で切り出す。  
「こほん。で、では恥ずかしながらお尋ねしますが……『おなにぃ』って一体何ですか?」  
「えぇっ!!!!!」  
一秒…二秒…三秒…四秒…。ハヤテはたっぷり五秒は石になった。  
「ええと…マリアさん? そ、それはどのようなボケなのでしょうか…」  
「ボケって…」  
マリアは硬直する。  
(そ、そんなに当たり前のことを聞いてしまったんでしょうか私は…)  
一方で、当然ながらハヤテも硬直していた。  
(まさか、『恥ずかしながらお尋ねしますが…』なんて言われて本当に恥ずかしい質問をされるとは…!  
侮れませんねマリアさん! …じゃなくて)  
ハヤテは品定めをするようにうろんな目つきでマリアを見た。  
(まさかマリアさんがこんな冗談を言うはずないし、だまそうとしているようにも…)  
ハヤテの脳がよせばいいのにムダに高速回転を始める。  
(あぁそうかマリアさんがこんなこと言うはずないだから実はこのマリアさんはニセモノで本物のマリアさんは今ごろ  
地下祭具殿の座敷牢に…って、これはただの強迫観念おかしなゲームのやりすぎだしっかりしろ綾崎ハヤテ!)  
という思考がハヤテの脳をゼロコンマ一秒の間に駆け抜ける。  
「あのー。ハヤテ君?」  
「…ハッ!」  
ハヤテはマリアの言葉にようやく我に返った。  
「まるでDI○に時を止められた花京○みたいな顔してましたけど、大丈夫ですか?」  
「あ、は、はい。比較的よくあることなので…」  
「それは…。ぜんぜん大丈夫ではないような気もしますが」  
マリアの頭には今さらながらに、  
(ハヤテ君に頼んでよかったんでしょうか…)  
という疑問が湧いてくるが、それも一瞬のことだった。  
ハヤテが勇気を出して口を開く。  
「ほ、ほんとに知らないんですか? その、お、お、オナニー」  
盛大に言いよどむ辺りにハヤテの羞じらいが見えるが、マリアは気づかない。顔を喜色に彩らせてうれしそうに叫んだ。  
「ハヤテ君はおなにぃを知ってるんですか?! よかった。誰も知らなかったらどうしようかと思ってたんですよ。  
ぜひ、私におなにぃというのを教えてください! 実は私、事情があっておなにぃに詳しくならなくてはいけないんです!」  
「ま、マリアさん、その、連呼するのはちょっと…」  
「…あ、すみませんハヤテ君。ハヤテ君がおなにぃを知っていると聞いて、少し興奮しすぎてしまって」  
薄紅に染めた頬に手を当てて照れ笑いをするマリアに、ハヤテはくらっときた。慌てる。  
「こ、興奮とか、そういう単語もダメですってば!」  
「あれ? 私、何かおかしなこと言いました?」  
「おかしなことは言ってないですけど…とにかく、ダメなものはダメです!」  
いきなり叫び出すハヤテに首をかしげながら、  
「ええと。でも、おなにぃはハヤテ君もやってるんですよね?」  
「ええっ!? な、なんでですか…」  
核心を突くマリアの言葉に、ハヤテはますます慌てる。  
「ナギが『十代の若者はみんなやっている』みたいなことを…」  
ハヤテは顔を赤くして下を向いた。  
 
「ま、まあ。やってないとは…言えないですけど」  
「でしたらそのやり方を教えてくれるだけでいいんです。…お願いできませんか、ハヤテ君」  
いつもの落ち着きを取り戻し、笑顔で頼み込むマリア。  
普段はナギのわがままとマリアのお願いは全部聞いてしまうようなハヤテだったが、さすがにこれには抵抗した。  
「いえ、でも…、ひ、人それぞれ色々とやり方も違うと思いますし…」  
「なるほど。奥が深いんですね。やっぱりいくつも流派とかってあるんですか?」  
「りゅ、流派ですか? 流派はないと思いますけど…」  
「そうなんですか? じゃあきっと個人で研鑚していくものなんですね。  
でも、だったらなおのこと、ハヤテ君がどうやっているのか興味がわいてきました」  
そう言ってハヤテを見つめるマリアの目に、一片の邪気も悪意もない。  
それを見て、ハヤテは観念した。  
(マリアさん、オナニーがどんなことか全然気づいてないみたいだし、ここは僕がはっきり教えてあげないと!)  
根がお人好しすぎるハヤテはひとりそう決心すると、意気込みを込めてマリアに向き直る。  
好奇心のきらめきに、いつもより心なしか輝いている瞳を正面から見据え、口を開いた。  
「い、いいですか、マリアさん。オナニーというものはですね…!」  
「は、はい…!」  
「その、オナニーというものは…!」  
「はい」  
「お、オナニーと、いう、ものはぁ…」  
「…?」  
ハヤテはがっくりと膝を折った。  
(い、言えない。マリアさんのこんな純真でつぶらな瞳の前で、とてもこんなことは…)  
それでもこのままにするわけにもいかない。  
(これも、マリアさんのためだ!)  
と割り切って、ハヤテは提案した。  
「その、面と向かって言うのはちょっと恥ずかしいので、耳を貸してください」  
「あ、はい。それは、構いませんけど」  
姿勢を心持ち横にして、ハヤテに耳を差し出すマリア。  
その風呂上りのつややかな首筋に、ハヤテは一瞬気が遠くなりかけるが、なんとか持ち直す。  
大きく息を吸い、こっそりと。  
「そ、そのですね。僕の場合は……ボソボソボソボソ」  
「え、えぇっ!」  
「そ、それからときには、……ボソボソボソボソ」  
「な、なっ…!」  
キューと音がするような勢いで、マリアの顔がみるみる赤く染まっていく。  
「は、ハヤテ君って、意外に…。あ、いえ、何でもありません」  
気のせいか、ハヤテから身体を離すようにしながら、マリアは聞き返した。  
「つ、つまり、要約すると…チョメチョメ…を…モミュモミュ…したり…コシュコシュ…して、気持ちよくさせる、ということですか?」  
「ええと、はい。そういうことではないかと…」  
「そ、そうですか…」  
相当のショックを受けた様子のマリアは、そう言ったきり黙り込んでしまった。  
「…………」  
「…………」  
マリアは黙ったまま何やら考えている様子で動きがない。一方でハヤテは赤面したままずっと顔をふせていた。  
(あうう。ち、沈黙が、いたい)  
何もわるいことはしていないはずなのに、なぜかハヤテはマリアを汚してしまったような気がして、  
ひどい罪悪感に襲われていた。  
だが、マリアの脳の中では全く別の化学反応が起こっていたらしい。  
マリアは突然キッと顔をあげると、ハヤテをまっすぐに見つめ、こう叫んだ。  
「お願いしますハヤテ君! 私に練習、させてください!」  
 
「え、えええぇっ!!!」  
ハヤテ、本日二度目の大絶叫。ハヤテは狼狽するが、マリアの目はどこまでもマジだった。  
「事情はその…お話しできませんけど、私には必要なことなんです!」  
「え? えっ?」  
ハヤテには事態を飲み込む暇もなかった。言葉と同時にマリアが迫ってきていて、メイドの本領発揮か、  
腰の辺りに何かされたと思ったら、次の瞬間にはもうハヤテのズボンは下ろされていた。  
「わ、わあぁ! ちょっと、マリアさん!?」  
後ろに下がって逃げようとするが、足がもつれ、ベッドに後ろ向きに倒れ込む。  
「ごめんなさいハヤテ君。でもこれは、ナギのためなんです…!」  
「お嬢さまの…? そうですか、わかりました。お嬢さまのためなら…って、  
さすがにそんなこと言うわけないじゃないですか!」  
ベッドの上でじたばたと暴れるハヤテ。必死にとりすがるマリア。  
「わ、私だって恥ずかしいんですよ!?」  
「ぼ、僕の方がぜったいはずかしいですって!!」  
とうとうパンツまで引き剥がされ、ハヤテの分身が明かりの下にさらされる。  
マリアはポッと顔を赤らめつつも、  
「あ、なんというか、思っていたよりも可愛いサイズですね。これなら…」  
その言葉に反応して、ハヤテの分身がさらに力をなくす。  
(ま、マリアさん。それはこの状況で男の人に対して言ってはいけない言葉ナンバーワンですよ?)  
ハヤテは心の底からそう叫ぶが、マリアのしなやかな手がそこに触れた途端、事態は一変した。  
「あ、え、…えぇ!?」  
ムクムク、という擬音が似合いそうな状況に、マリアは思わず説明を求めるようにハヤテの顔を見る。  
「ええと、心なしか何だか、さっきよりもサイズが大きくなってきたような…」  
「…すみません。そういうものなんです」  
「そういうもの、なんですか…?」  
マリアが触る度、際限なく脈動し、肥大する『それ』にすっかり気を呑まれてしまったのか、どこか呆然とした様子のマリア。  
それでも果敢に何度か手を伸ばすが、  
「きゃっ…!」  
そのグロテスクな風貌と脈を打つ熱さに怯え、伸ばした手もすぐに引っ込められてしまう。  
「こ、このくらい、で…」  
それでもあきらめないマリア。その様子から、必死さと一途さだけはひしひしと伝わってくる。  
(事情はわからないけど、マリアさんはお嬢さまのために真剣なんだ。僕もお嬢さまの、いや、マリアさんのために、何かできたら…)  
ハヤテは今まであまり見たことのなかったマリアの必死な姿に、ようやく覚悟を決めた。  
 
「身体、起こしてもいいですか? もう逃げたりしませんから」  
ハヤテの言葉にマリアは妙にビクン、と反応し、  
「は、はい! …そういうこと、疑ってませんし。情けないですけど、今はもう、私が逃げ出しそうで…」  
半泣きになってそう訴えた。  
「あの、やっぱりやめることはできないんですよね?」  
「そ、それはできません!」  
「えっと、じゃあ、こうなったら僕も手伝いますから。一緒に…」  
「は、はい! こんなムリヤリやってしまっておいて虫のいい話ですけど、私、どうしたらいいのか全然わからなくて…。  
で、ですから、最後までお付き合いいただけると、その…」  
「大丈夫ですよ。ほかならぬマリアさんのためですから」  
股間剥き出しではかっこつかないことこの上ないが、ハヤテは何とかマリアを安心させようと笑みを浮かべる。  
「見た目は恐いかもしれませんけど…」  
「はい。その…」  
フォローの言葉はなかった。それだけマリアに余裕がないということだろう。  
(うーん。これじゃあ、とても続けられるような状況じゃ…)  
ハヤテは少しだけ考えて、  
「ちょっと、失礼しますね」  
そっと手を伸ばし、マリアのやわらかい髪を優しくなでた。  
「え! え? は、ハヤテ君?!」  
さっきまでとは毛色の違う焦りで、マリアは慌てた。  
だがハヤテはそれすら受け止めるように、穏やかに髪をなで続ける。  
「えと、髪なでられたりするのって、気持ちよくないですか? それともやっぱり僕にされるのはイヤですか?」  
「そ、そんなことはないですけど。でも、わ、私一応年上ですし、これからハヤテ君を気持ちよくするのに、私がこんな…」  
しかし、ハヤテは首を振った。  
「同じ、だと思うんですよ」  
「え?」  
「これからマリアさんは、…その、僕のを触って気持ちよくさせてくれるんですよね?  
だったら僕は、マリアさんが気持ちよくなれるように、落ち着けるように、マリアさんの髪を触るんです。  
これはおかしいことじゃない…ですよね?」  
マリアはまじまじと目を見開いてハヤテを見ていたが、やがてハヤテを受け入れるように目を閉じて、  
「そうですね。私も、おかしいことじゃないと思います。…ハヤテ君には教わってばかりで、これじゃあ年上失格ですね」  
まるで慈しむような笑顔で、ハヤテにほほえんだ。  
「私、精一杯がんばりますね。…ナギと私と、ハヤテ君のために」  
 
ベッドに浅く腰かけたハヤテの足の間に、マリアはひざまずいた。  
さっきよりも間近にハヤテの股間との対面をしたマリアは、わずかに「うっ」とうめいて、しかし、  
「これも、ハヤテ君なんですよね。そう思えば…」  
さっきよりも落ち着いた仕種で、真っ白な手を伸ばした。  
まるで大切な宝物を扱うように、両手で包み込む。  
「あっ…。マリアさんの手、やわらかい…」  
「そう、ですか? 水仕事ばかりやっていて、ナギみたいにきれいじゃ…」  
「そんなこと、ないです。マリアさんの手、やわらかくて、優しい…です」  
ハヤテの言葉に、マリアはあらためて実感する。  
(私が触っているだけじゃないんですね。私は今、ハヤテ君と、触れ合っている)  
その思いに勇気をもらい、  
「こ、このまま上下に動かせばいいんですよね?」  
「はい。つめさえ立てなければ、かなり強めでも、大丈夫ですから…」  
マリアはゆっくりと手を動かし始めた。  
「…うっ。…マリア、さん」  
マリアの手が上へ下へと移動する度、ハヤテの物は確実に硬く、大きくなっていく。  
「…あっ」  
限界まで膨張した男性器に、マリアの手がわずかに止まった。  
「やっぱり、…恐い、ですか?」  
ハヤテの声に、マリアは素直にうなずく。  
「はい、少し。…だから、ハヤテ君。髪、なでていてくださいね。ずっと…」  
「マリアさん…。わかりました。僕で、よかったら…」  
髪をなでる心地よい温かさに、マリアは「んっ」と目だけでほほえんで、手の動きを再開させる。  
その動作はまだぎこちないが、  
「…ハヤテ君、どう、ですか? 痛くはない、ですか?」  
「ん、気持ち、いいですよ。できれば、もっと、強く、お願いします」  
おっかなびっくりだった手つきは段々となめらかに、白い指はまるで吸い付くように竿をなでる。  
「ん、まだ、硬く…? ん、しょ、っと。……え?」  
そのうちに、ハヤテの肉棒の先から染み出してくる物があった。  
「…ぁ、これ」  
マリアはハヤテをうかがうように、顔を上げる。  
「それも、気持ちよくなってきた証拠ですから。指で広げて、塗り込んでいってください」  
「は、はい」  
ハヤテの指示に従いながら、マリアは奇妙な充足感を覚えていた。  
気が進まなかった行為のはずなのに、今はハヤテに快感を与えられることに幸せを感じている。  
 
照れ隠しのように、マリアはハヤテに問いかける。  
「ハヤテ君、きちんと気持ちよくなってますか? 私、下手じゃないですか?」  
「あ、う、うまいですよマリアさん。すごい…」  
いつのまにか、マリアは口元に淡い微笑を浮かべていた。  
頭に置かれた手から、ハヤテの震えと興奮が伝わってくる。それはマリアに伝染し、  
「ん、…はっ、…はっ、…はっ」  
いつしかマリアも、まるでハヤテの興奮にシンクロするかのように、吐息を漏らしていた。  
(私がハヤテ君を気持ちよくしているはずなのに…。なんだか、ふたりで一緒に気持ちよくなっていくような…)  
そんなことを考えながら、マリアはどことなく落ち着かなくなってもぞもぞと足を組み替えた。  
しかしその間にも、手の動きが休まることはない。時に激しく、あるいはゆっくりと、自然と緩急のついた動きでハヤテを攻める。  
ときおり強くしすぎたか、と思うこともあるが、その度、頭をなでる手が、  
(大丈夫ですよ)  
と言っているみたいに優しくマリアを励ました。  
…濃密な、ふたりだけの時間がすぎていく。  
一心不乱に目の前の物に奉仕するマリアの頭に、  
(そういえばこれ、いつ、終わるんでしょう…?)  
一瞬だけそんな疑問が浮かびあがるが、  
「マ、リア、さん…?」  
手を止めたマリアを見る、ハヤテの懇願するような、期待するような眼差しに、そんな考えは蒸発する。  
(ハヤテ君が、してほしいと思ってる。私のことを、求めている)  
そう確信した途端、今まで感じたことのない感覚が背筋を這い上がる。ぞくぞくする。けれど、不快ではない。  
「…つづけ、ますね」  
口から漏れる呼気が、熱く、重くなる。  
頭の奥が灼けつく。難しいことは何も考えられない。  
もはやマリアの頭に『ナギのために』とか、『うまくならないと』などといった考えはない。  
視界に映るのは、頭に浮かぶのは、ただハヤテのことだけ。  
マリアは目的も忘れてひたすら没頭していく。  
(ハヤテ君、のが、気持ちよさそうに、ぴくぴく、して、ます…ね)  
自らの触れている物から、髪をなでる手の感触から、ときおり漏れる息づかいから、ハヤテの快楽の全てが伝わってくる。  
そういった物から伝わるハヤテの快感を自らの喜びと変えて、マリアの奉仕は熱を帯びる。  
(ハヤテ君を、もっと、私が…)  
しかし、加速していく悦楽の波に、とうとうハヤテが悲鳴をあげた。  
「ま、マリア、さんっ! これ以上は、まず、い…!」  
ハヤテの言葉には切羽詰った響きがあるが、今のマリアには届かない。ただ、あふれる想いのまま、  
(ハヤテ君を、もっと気持ちよくさせてあげたい。ハヤテ君と、もっと気持ちよくなりたい。  
ハヤテ君と、もっと、一緒に…)  
マリアの手がひときわ強くハヤテの急所をこすり、  
「…マリアさんっ!!」  
叫びが耳を打つと同時、マリアの視界いっぱいに白い華が弾けた。  
突然襲いかかった白い雨が、マリアの顔と言わず肩と言わず広い範囲に降りかかる。  
「……あつ…い。これ、…なに? ……なん、ですか…ハヤテ君…」  
顔を白く染めたまま、呆けた顔でマリアはハヤテを見上げた。  
 
「す、すみません! すぐに拭きますから」  
手早く身なりを整えたハヤテがティッシュを片手にやってきて、マリアはようやく茫然自失状態から抜け出した。  
「あ、大丈夫ですよハヤテ君。このくらい、自分で…あれ?」  
マリアは立ち上がろうとして、ペタン、としりもちをついた。  
「な、なんだか足に力が…」  
再度立とうとするが、下半身に甘いしびれが広がってどうにも力が入らない。  
「だ、大丈夫ですか? 救急車とか呼んだ方が…」  
「いえ、心配要りませんよ。ただ腰が抜けてしまっただけだと思いますし。  
その、こんな姿を人に見せるのは、色々と、恥ずかしいですから」  
「あ、はい、その…ゴメンナサイ」  
謝ってから、ティッシュを持った手を伸ばし、  
「動かないでくださいね」  
マリアの顔を汚した物を、丁寧にぬぐっていく。  
その間、マリアは少しくすぐったそうな顔をしてなすがままにされていたが、  
「あの、ハヤテ君、これって…」  
「はい。なんというかいわゆる、その、精液です」  
「あ、知ってます。男の人が出す、子供の元、ですよね? でも、こんな物だとは…。なんだか熱くて、ベトベトしてますし…」  
「本当にすみません。こんな、服にもいっぱい…」  
顔についた分は大方拭き取れたものの、ティッシュでは服についた分を完全にぬぐうことはできなかった。  
だが、慌ててマリアの服にティッシュを押し当てるハヤテを見て、マリアはいつもの調子を取り戻す。  
「ほんと、すごいベトベトですね。んー。これはちょっと、洗ってもうまく落とせないかもしれないですねー」  
「重ね重ねすみません。どうしても、その、我慢できなくなってしまって…」  
申し訳なさそうに顔を伏せるハヤテを安心させるように、マリアはいたずらっぽく笑った。  
「大丈夫ですよ。おかげでハヤテ君の可愛い顔が見れましたし、そもそもメイド服とは言わば作業着です。  
汚れるためにあるような服ですから…」  
「そ、そうか。考えてみればそうですよね。あ、あはははは」  
「ええ。もちろん特別な服ですから、ちょっと値段は高いですけどね」  
マリアの言葉に、ハヤテは冷や汗をかき始めた。だがマリアは笑顔で、  
「今どきこんな服、普通の店では扱ってないですから買うのも大変ですけど、  
汚れるための服ですから」  
ハヤテの額からだらだらと汗が落ちる。だがマリアは笑顔で、  
「機能性と見栄えのよさをとことんまで追及するために少し高級な素材で作ってありますけど、  
汚れるための服ですから」  
ハヤテは全身から滝のように汗を流してすでにグロッキーだ。だがマリアは笑顔で、  
「もちろん三千院家お抱えのデザイナーによる完全オーダーメイドですけど、なにせ汚れるための…」  
 
「冗談ですよ」の一言でハヤテを解放したマリアは、足早に廊下を進んでいた。  
(ハヤテ君にはわるいですけど、とりあえずすぐにシャワーを浴びましょう。それから…)  
「お、マリアじゃないか。どうしたんだ、あわてて」  
「ひゃぁっ! …な、ナギですか。すみません、ちょっと考えごとをしていて」  
別にやましいことをしているわけでもないのに、マリアはつい言いわけがましいことを言ってしまう。  
それを逆に不審に思ったのか、ナギは訝しげに眉をひそめた。  
「どうした? こんなことで驚くなんてマリアらしくない。もっとベスキスを鍛えなきゃダメだぞ」  
「…ナギは本当にいつも通りで」  
できるだけ平静を装って会話をしつつも、なぜか後ろめたい気持ちがしてナギの顔をまともに見られない。  
「ん? マリア、あごのところに何かついてるぞ」  
突然ナギが手を伸ばし、マリアのあごについていた物を指ですくい取った。  
「なんだ? 白い…ソースか?」  
「あっ、ナギ! それは…!」  
制止する暇もなかった。指の先に白いとろみをつけたまま、ナギはその指を口に運ぶ。  
「…む」  
口にふくんだとたん、ナギは顔をしかめた。  
「…ぁ、ぁ」  
マリアが口をぱくぱくさせているのにも気づかず、ナギは白濁をきれいに舐め取ってから、チュパッと指を引き抜くと、  
「なんだか苦いな。まぁ、きらいな味じゃないが…」  
ナギは『それ』を舌の上でコロコロと転がして味わい、最後にコクンと飲み込んだ。  
「――ッ! ――ッ!」  
あまりのことに、マリアはもう言葉も出ない。  
やはりそんなことには全く気づかずに、  
「つまみ食いはいかんぞ。つまみ食いは。それじゃ、次の食事は楽しみにしてるからな」  
笑いながら去っていくナギ。  
だがマリアはそれどころではない。  
あらためて今まで自分がしていたことを思い出し、ナギの仕種を思い出し、  
「――――ッ!!!」  
パニックがついに臨界を越え、マリアは走り出した。  
ハヤテとマリアの日ごろの掃除のたまものか、ホコリ一つ立たない廊下をまるで疾風の如く駆け抜ける。  
「ふぃー。今日も疲れた疲れた。ペットも楽じゃ…」  
と愚痴をこぼしながら二足歩行する虎の横を完全スルーで通り抜け、  
「あ、マリアさん。さっきは…」  
と言いかける借金執事の脇を全速力で走り抜け、逃げ帰るように自分の部屋へ。  
乱暴に扉を閉めるとしっかりと鍵をかけた。  
そのまま扉に背中を預け、ずるずると腰を落として、  
「私ったら、とんでもないことを…」  
思わず、そう呟いた。  
 
五分経っても十分経っても、マリアの心臓はいつものペースを取り戻してはくれなかった。  
気を逸らさないと、と思うのに、思考は堂々巡りを繰り返し、  
(ナギ…。あんなものを、口に…)  
結局同じところに戻ってきてしまう。  
ぶんぶんと首を振って、違うことを考えようとすると、今度は自分の手が目に入って、  
(私…。この手でハヤテ君を…)  
手にあの生々しい感触が戻ってくる気がして、マリアは顔を赤らめた。  
(…でも、どんな気持ちなんでしょうね。あれを、口に入れるというのは…)  
自然と、視線が右手に戻っていた。  
(…そうです、よね。これ、が、触れていた。ハヤテ君…に)  
気がつけば目の前には右手があり、まるで誘われるように半開きの口に指が迫る。  
「…ん」  
熱に浮かされたマリアは状況を把握できないまま、ちこっ、と舌の先だけで指に触れ、  
「って、私ったら何をしているんですか!?」  
その瞬間、ようやく我に返る。  
「自分からその、ハヤテ君のあれに触った手をなめるなんて…。  
な、ナギだってわざとやったわけじゃないですし…」  
(あれ? …ナギ、だって?)  
自分の言葉に、自分で強いひっかかりを覚えた。  
さらに深く考えようとして無意識に頭を振って身をよじり、  
ぐち、  
という音に、マリアはぎくっと身体を強張らせた。  
「ま、さか…」  
はしたない、と思いつつ、スカートの中に手を入れ、大切な部位を守る布に触れる。  
そこは、押せば水気が染み出すほどにぐっしょりと濡れていた。  
(どう、して…? …あっ!)  
マリアはこれと似た状況を思い出していた。それは、マリアがナギからエッチなゲームを取りあげた翌朝。  
(あの日のナギも、下着を濡らしてましたね。おねしょかと思ってましたけど、もしかすると…)  
思い起こすと、あの朝は不自然なことだらけだった。  
どこかかみ合わない会話に、ハヤテのことをしきりに口走っていたナギ。そもそも、ナギがあれほど動揺していたのは…。  
そう、あの日に限ってハヤテがナギを起こしに行った。  
それからマリアがナギの部屋を訪れるまでの十数分、彼らはふたりきりで、あの部屋の中にいたのだ。  
(そのときに、何かが起こったとすれば…?)  
するとハヤテが妙にナギを心配していた理由も、好きな人のことだけを考えた、というナギの言葉の意味も、ようやくつかめてくる。  
――マリアの中で、全てがひとつにつながった。  
(ハヤテ君は、ナギとも私と同じことを…?)  
マリアは目を閉じて、ぎゅっと両手を握り締めた。  
身体の奥から、どうにも処理し切れないもやもやとした感情が湧きあがってくる。  
「もうっ!」  
マリアは勢いよく立ち上がると、洗面台に向かう。  
それから何度も何度も、肌が赤くなるまで手を洗い続けた。  
 

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