第二話『マリアさん。あんたゼンゼン分かってないよ』
気がつくと、ナギは全然知らない場所にいた。
そこは広大な宇宙。星々が瞬き、彗星が流れる、そんな空間。…のような気がした。
「んん? これは夢の中か? …なんだかア○ロがいつも白鳥のラ○ァと会う場所みたいなところだな」
などと言いながら、ナギはふと首をひねった。
「というか私はどうしてたんだっけ? ああそうか。昨夜はその、つい…モニョモニョ…して、そのまま寝ちゃったんだったな」
夢の中なのに、ナギは律儀にも少し頬を赤らめた。
「まったく、サクのアホがあんなことを吹き込むから私は…」
「人のせいにすんなやこのバカチンがー!」
バチコーン!と景気のいい音がして、ナギは後頭部を押さえた。
ナギが振り向くとそこには…。
「…なんだサクか。人の夢の中にまで出てくるなよ」
「かーっ! なんやそのうっすいリアクションは! 頭はたかれたんやからもっと怒ったり驚いたり、…ってそんなことはどうでもええ!
いや、よくはないんやけどここはこらえにこらえてどうでもええ! とにかく!」
「だからそんな父親に食ってかかるサードチルドレンみたいなテンションはやめてくれないか? ゆうべお前のホラ話にのっかったせいで疲れてるんだ」
「それやそれ! ナギ、あんたがゆうべ気持ちよくなれなかった本当の理由。それはあんたがまだまだお子ちゃまやからやないのか?!」
「なっ…! エゴだよそれはっ! …じゃなくて、そんな…ことは…ない、と、思う」
「ふふん。思い当たる節はあるみたいやな。…あとは自分で考えぇ!」
言いたいことを言うと、サクはさっさと消えてしまった。
(きもちよくなれなかったのは、私がまだ子供で、ハヤテが相手にするような、女の子じゃなかったから…?)
ナギは自分の身体を見下ろす。いつのまにか、着ていたはずの服はなくなっていた。
「たしかに私は、胸はまだ小さいし、下はその、まだ…ゴニョゴニョ…だけど」
切なさを通り越して哀しくなるほどの貧弱な身体。だが、
「きょうび小学生でもロボットに乗れるのだ! ならば私にもやってやれないことはないはずだ!」
逆境が、ナギの眠れる闘志に火をつけた。それが火種となって全く根拠のない自信が噴火する。
「子供だからきもちよくなれないということは、逆にきもちよくなれば大人に近づけるということだ。
私は、やるっ! やってやるぞぉ! ふふ、ふふふふふふ」
ナギは迷いを振り払い、立ち上がる。そんなナギを後押しするように、勇壮な声がどこからか聞こえてきた。
「「「ジーク・ジ○ン! ジーク・ジ○ン! ジーク・ジ○ン! ジーク・ジ○ン! ジーク・ナ○ン!!!」」」
「…待て、なんか最後のだけおかしくなかったか? …まあいい」
よし、とにかくやってやるぞ、と自分に気合を入れ直し、はた、と気づいた。
「…夢の中でオナニーって、どうやるんだ?」
だが、悩む必要などなかった。
「お嬢さま…」
突然、耳元で聞きなれた声がした。
「…ハヤ、テ」
夢の中とはいえハヤテの姿を見て、ナギの勇気は急にしぼんでしまった。
それでもナギは迷いを振り切るように首を振って、ハヤテに必死に訴える。
「ハヤテ。私はたしかに胸もぜんぜんないし、幼児体型だし、お前から見たら子供かもしれない。でも、でも私はお前のことが…」
ナギはその言葉を最後まで言い終えることができなかった。
なぜなら、その前にハヤテがほほえみを浮かべ、そんなナギの不安を吹き飛ばすかのようにナギに囁いたからだ。
「…お嬢さま。…きて、ください」
ナギは、信じられない、という顔をした。
「私で、いいのか?」
「…きてください。早く…」
ハヤテは揺るがない。夢の中のハヤテは、はっきりとナギを求めていた。
(そうか。これは、私の夢だから…)
だがそうは思っていても、ハヤテに囁かれるとそれだけであの長い夜に充たされなかったものが満ちてくるような気がした。
「…ハヤテ」
ふらふらと、まるでハヤテに導かれるように歩き出す。そんなナギを、ハヤテは抱きとめてくれた。
(ハヤテ…。夢の中では積極的なのだな)
夢の中のナギはハヤテに身をゆだね…ベッドで眠るナギは無意識の内に自分の右手をショーツの中に進入させていた。
「ん、んぅ…!」
強すぎる快感に、ナギは思わず眉根を寄せる。
「…お嬢さま? 大丈夫ですか?」
「ああ、だいじょう、ぶ」
行為の最中であっても自分を気遣ってくれるハヤテに、ナギの想いは加速する。
「ハヤテ、ハヤテ!」
幻のハヤテにすがるように、必死で名前を呼ぶ。
夢の中のハヤテはナギに応えてくれる。
ナギはハヤテの熱い物が自分の奥深くに突き込まれるのを感じ…ナギの指先は、とうとう二枚の秘唇の奥に入り込んだ。
「くはっ、あっ、はっ、はっ…!」
ペースなんてものはない。
夢のハヤテはただがむしゃらにナギの中に突き進み…ナギの指は乱雑な動きで自身の処女地をかき回す。
ナギは、ただ必死だった。
「お嬢さま! お嬢さま!」
ハヤテも興奮が高まってきたのだろうか。ナギを呼ぶ声も強く、大きくなる。
そんなハヤテをいとおしく感じ、そしてハヤテを高まらせていることに歓喜して、ナギもどんどんと昂ぶっていく。
ハヤテの動きが…ナギの指の動きがどんどんと速くなる。
「お嬢さま、早くシないと…。僕、もうイッちゃいますよ」
ハヤテの言葉に、ナギは焦る。
性に対する恐怖を捨ててがむしゃらになって、ハヤテの幻の力を借りてもなお、昇り詰めるにはまだ足りなかった。
目の前のハヤテの幻影すら、自分を置いていってしまうような気がして、
「ダメだ、待て。待ってくれ。まだ、イかないで。ハヤテ、待って…」
夢なのに、夢だとわかっているのに、ナギはハヤテに置き去りにされることを恐れた。
ハヤテへの想いが、快感が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って何もわからなくなる。
(ダメなのか? やっぱり私じゃ…。…ハヤテ)
ナギの心が折れかけたそのとき、
「…お嬢さま」
ふいに、髪の辺りに温かいものの感触を感じた。そして、なにより優しい声。
「お嬢さま、僕はイかないで待ってますから。だから、お嬢さま、早く…」
その言葉が引き金になった。ナギはついに、臨界を、超えた。
「ん、ぁあぁぁ…」
どこまでも温かいぬくもりの中で、ナギは満足の吐息をもらした。
たゆたうようなまどろみの中で、もう一度ハヤテの声を聞いたような気がして目を開く。
「…お嬢さま?」
幻聴ではない。そこで、ナギはパッチリと目を覚まし、そして、
「おはようございます、お嬢さま」
超至近距離からのぞきこんでくるハヤテの顔に、夢と現実がオーバーラップし、
「うわぁああああああ!!」
ナギは手近にあった物を手当たり次第にハヤテに投げつけた。
「いきなりこれはヒドイですよぉ、お嬢さまぁ」
「うぐ…。すまん。でも、ハヤテもわるいんだぞ。いきなり目の前にいるから」
額を押さえたハヤテに、ナギはしかたなく謝った。
「いきなりじゃありませんよ。さっきからずっと起きてくださいって言ってたのに、お嬢さまは全然起きてくれないし。
何だか夢でうなされているみたいだったから心配していたのに…」
「…すまん」
もう一度謝って、ナギはようやく思い当たった。
(じゃ、じゃあまさか私は本当のハヤテの声で…。しかも、しかもイク瞬間を見られた…?)
ナギの全身が羞恥でみるみる赤くなる。
「どうしたんですかお嬢さま。顔、赤いですよ。やっぱりどこか体調が…」
「よ、寄るな! お前はまた私を、…その、とにかく近づくのは禁止だ!」
「…お嬢さま、今日は朝からおかしいですよ。起きるなり僕に向かって物を投げたりおかしなことを言ったり。
そういえば、夢の中で僕の名前を呼んでたみたいですけど、いったいどんな夢を見てたんですか?」
「…う、うう」
「う…?」
回答不能なハヤテの問いに、とうとうナギは逆ギレした。
「うう、うるさい! だいたいお前は『国松長官と同じくらい不死身』と言われた男の二の舞のくせに、
布団だの枕だのニンテ○ドーDSライトだのを当てられたくらいでさわぐんじゃない!」
「うわわ! やっぱり錯乱してますよお嬢さま。それといくらなんでもDSライトは痛いですってば」
「だいたい、なんでお前なんだ? 最近いつも朝はマリアが…」
ナギがそう問いかけると、ハヤテの顔が少しくもった。
「それが…、何だか悩みごとらしいんです。赤い目をして『昨日は色々と考えてしまってあまり眠れなかった』って。
僕でよかったら相談に乗りますよ、って言ったんですけど、やんわりと断られてしまって…」
「そ、そうか。ま、まあそっとしておけばいいんじゃないか?」
(ああ見えてマリアはウブだからな。あの『変態執事V』は刺激が強すぎたのかも)
とナギは考えたものの、もちろんハヤテに言えるわけがない。適当にお茶をにごした。
「それよりお嬢さま。本当に具合がわるいみたいですし、僕に何かできることがあれば…」
ハヤテはずずい、っと前に出てくるが、今のナギにはそれは毒だった。
狂ったビートをかき鳴らす心臓をなだめながら、わざと邪険な態度で応じる。
「い、いいから出ていってくれ。私は着替えるんだ」
「そうですか? 何かあったら呼んでくださいね」
ハヤテはまだ心配そうにナギを見ていたが、ナギがしっしと手を振ると、しかたなく部屋を出て行った。
ハヤテが部屋からいなくなると、ナギはおもむろに起き上がった。
「さて…」
一番の問題は、当然決まっていた。
おそるおそるショーツを脱ぎ、確かめてみる。
「…う。やっぱり」
濡れていた。思わず泣きたくなるほどに濡れていた。
「うーむ。洗うだけなら私でもなんとかなりそうだが、マリアに気づかれずに乾かすのは…うーん」
なんとかならないものかとショーツを裏返してみたり、ぶんぶん振ってみたりするが、何にもならない。
とりあえず現実逃避気味にショーツの染みを窓から差し込む朝日に透かしてみた。
何が何だかわからなくなって、ノリだけで叫んでみる。
「こ、これは…! もしや宇宙人が残した、アトランティス大陸の地図! これさえあれば地底人もヤンキーゴーホームだ!」
なんてやけ気味に自分でも意味不明なことを言ったとき、ガタン、という音が戸口から聞こえた。
「あ…」
マリアが、呆然と部屋の入り口に立ちすくんでいた。
「な、ナギ…? あの、それ…」
ナギの顔があっという間に血の気を失っていく。
(見られた! マリアに、見られた!)
瞬間的に頭の中が真っ白になる。
「これは、これは、ちがうんだ! 私は、そうゆうんじゃなくて…! この染みは、だから、ちがう! イヤらしいことを考えてたんじゃなくて、
ただ、ゆうべはハヤテのことばかり思い浮かんで、眠れなくて、もやもやして…」
(マリアは、こんな私をどんな目で見ているのだろう)
そう考えると、恐くて顔もあげられなかった。
情けなくて、はずかしくて、切なくて、しゃべり出す内に次から次へと涙があふれてくる。
「なんだか身体があっつくて、収まらなくて、それで夢を見て、目が覚めたら、こうなってて…。でも…!」
なんと言っていいかわからない。どんなに言葉を重ねても、目の前にある事実はひとつだけ。
それでもナギはマリアに軽蔑されたくなくて、さらに何かを言おうとして、
「あ…」
急に、身体が温かいものに包まれるのを感じた。
小さな子供をあやすように、マリアはナギをその手に抱きしめると、穏やかに語りかけた。
「わかります。わかりますよ、ナギ。だから、ね。落ち着いてください?」
「…うん。…………ゴメン、マリア」
マリアは泣きじゃくるナギが落ち着くまで、その髪をなで続けた。
それから、ようやく泣き止んだナギはベッドの縁に腰をかけたまま何も言わなかった。
そんなナギを、マリアはあたたかく見守る。
…やがて、上目遣いにマリアを見たナギが、おもむろに口を開いた。
「ま、マリアは…。自分でやったことはあるか?」
「え?」
思わず言ってしまってからとんでもないことを口走ったことに気づく。
「な、なんでもない。忘れてくれ」
慌ててそう言いつくろって、ナギは顔を真っ赤にしてうつむいた。
(またやってしまった…)
そう思うとナギはまた、マリアを見るのが恐くなった。それでも勇気を出して顔をあげようとしたとき、
「…ありますよ。わたしもそれくらい」
「あ、あるのか!?」
意外な言葉に、ナギは勢いよく身体を起こした。そんなナギを正面から見ながら、マリアは「ええ」と優美にうなずく。
「もちろんあまりよくないことですし、早い遅いは色々ありますけど、だいたいみんな一度は通る道ですから。
私もいわゆる若気の至りという奴で、してしまったことはありますよ」
「ふ、ふーん」
ナギはあまり興味のないフリをしてそっぽを向きながら、横目でチラチラとマリアをうかがう。
ナギの視線に気づいたマリアは優しい笑みを返してみせた。それに勇気づけられるように、
「あー。こ、こんなことを聞くのはアレなのだが、その、…き、きもちよかった、か?」
「それはまあ、開放感がありますし、気持ちいいと言えば気持ちいいような…。
でもその時はよくても、なにしろ後始末が大変ですから。そういえば親にないしょで泣きながらパンツを洗った覚えがありますね」
そこでマリアはくすくすっと上品に笑う。それだけで、ナギは気が楽になるように感じた。
「今は? 今はどうなんだ? まだ、やってるのか?」
「今はまあなんというかさすがに…。ほら、寝る前にいつもトイレでするようにしてますから」
「そうか、トイレで…。そうか…」
マリアの言葉になんとなく食い違いを感じたような気もしたが、ナギはあまり気にせずしきりにうなずいた。
「じゃ、じゃあ最後に、ひとつだけ。こ、こういうの、なにか、コツとかあるのかな?」
「コツ? コツ、ですか? うーん。…限界が近いと思ったとき、好きな人のことを考える、なんてどうでしょう?」
「好きな人の…」
その瞬間脳裏に優しい執事の笑顔が浮かび、ナギは顔を沸騰させた。
「ナギは特にだと思いますけど、好きな人のことを考えれば余計なことは入ってこないでしょう?
温泉とか海とか、そういう水に関係することを考えてしまうとよくないって聞きますし。
って、こんな意見、参考にはなりませんよね」
「い、いや! そんなことはない! すごく参考になる!」
「そうですか? そんなに力をこめて賛成されるほどのことじゃないと思いますけど」
マリアはマリアで首をかしげながら、「さてと」と、立ち上がった。
「それじゃあ、ナギ。それを貸してください」
「…いや、いい。私もパンツくらい自分で洗う。手で洗うなら、できるし。乾燥機の場所も知ってるから」
「そうですか? その、布団とかシーツは…」
「だっ、大丈夫だ! そ、そこまで私はハレンチじゃ…」
真っ赤になったナギを見てマリアはもう一度ほほえむと、部屋を出る。
マリアは最後に振り返って、言った。
「このことは、誰にも、もちろんハヤテ君にも秘密にしておきますから、あんまり気にしないこと。わかりましたね?」
ナギは素直にうなずく。
「マリア。その、…ありがとう」
「いいんですよ。さ、早く済ませて朝ご飯を食べに来てください」
「…うん」
パタン、と扉を閉めると、マリアはこらえきれない、といった風に忍び笑いを漏らした。
「うふふ。パンツにちょっとオネショしたくらいであんなになっちゃうなんて、ナギもまだまだ可愛いですねー。
これで夜寝る前に変な物飲んだりしなくなるといいんですけど」
根本的な勘違いに気づかないまま、ちょこんと首をかしげる。
「…でも確か私が最後にオネショをしたの幼稚園の時でしたけど、あんな話をしてよかったのかしら」
マリアはその場でしばらく固まっていたが、
「ま、まあいいですよねっ。昔のことだ、とは言いましたし。…さ、朝の仕事をしませんと」
結論を出した、というより考えることを放棄して、歩き出す。
と、そこへ、
「あ、マリアさん。お嬢さまはどうでした? 大丈夫そうでしたか?」
ナギを心配してずっと部屋の近くに張り込んでいた、ちょっとストーカー気味のハヤテが駆け寄ってくる。
(あー。ここで事情の知らないこの子に突撃でもされたら大変なことになりそうな予感が…)
マリアは少し思案すると、全てを知っている者の余裕の態度で意味深な笑みを浮かべてみせた。
「まあ今はそっとしておいてあげましょう。フクザツなお年頃というか、女の子は大変なんですよ、色々と、ね?」
「??」
こうして生まれた、ナギとマリアの小さなすれ違い。
この勘違いが後に大きな波紋を呼ぶことになることは、まだ、誰も知らない。