世界は光と闇でできている。  
たとえ、普段どんなに明るくて光り輝いている人の心だって、闇を持っているのだ。  
ヒナギクはそう思った。  
 
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
 
 
――― 私……この人の事がスキなんだ ―――  
 
ガーデンゲートの上でそう気づいた瞬間から、ある人に強く心惹かれているのが分かった。  
 
 
綾崎ハヤテ――  
三千院家のワガママお嬢様を命がけで守ってる、ちょっとヘタレだけど心優しくてカッコイイ男の子。  
一億五千万という大きな借金を抱えていても、決して屈しない強さも持っている。  
 
「ヒナギクさん?どうかしたんですか?」  
「……えっ?あ、いや、別に何でもないわ」  
 
今日は、この前のファミレス事件のことで、ヒナギクがハヤテとマリアに謝るため屋敷までやってきたのだ。  
本来なら雪路が一緒に来るはずなのだが、またどこかで麻雀漬けになっているらしい。  
 
「ホントにごめんなさいね。あんなことに巻き込んだ上にお金まで払わせちゃって……」  
「いえいえ、気にしないで下さい」  
「そうですよ、桂先生の暴走はいつものことですから」  
 
三人とも思わず笑い出す。  
こんな他愛もない話が続き、いつの間にかあたりが夕焼けに染まってきた。  
 
「あら、もうこんな時間。そろそろ行かなきゃ」  
「そうですわね。もうすぐ暗くなりそうですし」  
「じゃ、そこまで送りますよヒナギクさん」  
「ありがとハヤテ君。じゃ、マリアさんもありがとうございました」  
「いえ、お構いもせずに。気をつけてお帰り下さい」  
 
紅茶のカップや皿を片づけはじめたマリアを背に、二人は玄関へと向かった。  
もしヒナギクが、この後最悪な人物と出会うと分かっていたら、このとき無理にでもハヤテを引き留めていただろう。  
もちろんそんな未来を見通す力を持っていないヒナギクは、ただ好きな人と二人で歩く幸せを感じていた。  
 
 
 
 
 
門を出て、屋敷の目の前を通る一本の広い道でハヤテはヒナギクに言った。  
 
「それじゃあ、また明日学校で」  
「えぇ」  
「気をつけて――」  
 
そのときだった。一陣の風が、二人のまわりを駆け抜けた。  
 
 
    ―― 久しぶりだな、ハヤテよ ――  
 
 
それと同時に、どこか不安になる声がハヤテの名を呼ぶ。  
 
 
「……あなたは………!!」  
「ずいぶんとまあ立派な屋敷に住んでるようだな。さすが我が息子、抜け目ない」  
「えっ、あなた、ハヤテ君の……」  
 
 
すらっと高い身長に、淡い青の髪の毛。  
纏っているのは執事服ではなかったが、まさにハヤテに生き写しの男が立っていた。  
 
「父さん」  
「そんなにかわいい女の子まで連れて。いやはや、羨ましい」  
「……何の用です?」  
 
ハヤテは、あくまで冷静を装って実の父親に尋ねた。  
ほんの三ヶ月ほど前に自分を捨て、すべてを押しつけていった、最低の父親に。  
 
 
「いやぁ、かわいい我が子が、どんな『楽しくて幸せな』人生を送っているのか見てみたくてね」  
「ちょっと、あなた!」  
 
なんの羞恥もなく飄々としゃべる男に、ヒナギクは口を開かずにはいられなかった。  
 
「莫大な借金を押しつけ、挙げ句の果てに臓器を売ろうとまでする親が、  
 よくもまあのこのことハヤテ君の前に姿を現せるわねっ!!」  
 
ハヤテの父は、その全てを吸い込みそうな真っ黒な瞳を、ヒナギクへと向けた。  
眼の形といい色といい、ホントにハヤテにそっくりだ。  
 
だがヒナギクには分かる。これは、自分の好きな人の瞳とは全然違う。  
その奥深くには虚無と欲望が渦巻き、ハヤテが持つような優しさは微塵も感じることができない。  
これが……あのハヤテ君の父親?ヒナギクにとって、俄には信じられなかった。  
 
ヒナギクの言葉に少しほほえんで、ハヤテの父は呟く。  
 
「フフフ……本当に幸せ者だな、ハヤテ。  
 ずっと独りで、逃亡と略奪の繰り返しの生活を送っていたお前にとってはさぞ嬉しかろう、仲間の存在は」  
「なにを……」  
「こんなふうに自分のことを庇ってくれる仲間なんて、誰一人お前にはいなかったからな」  
 
ハヤテにそっくりな、だけれども全然違うくちびるがゆがみ、嘲笑する父親。  
こうして話を続けている間にも、隣に立っているハヤテの表情がどんどんこわばっていくのが、ヒナギクには痛いほど分かる。  
だが、そんなハヤテをなだめる術を持っていない自分が情けなかった。  
 
 
 
 
以前、歩からハヤテの借金を聞いたとき、ヒナギクはハヤテに強い共感を覚えたことがある。  
この人も自分と同じなんだ、同じ苦しみを味わってきたんだ、と。  
 
 
だが違った。  
ハヤテが経験してきた、暗くて深い人生は、自分のそれよりもはるかに苦しくて絶望的だったのだ。  
 
借金の金額だけではない。  
ヒナギクの親は、優しかった。自分をかわいがってくれた。  
ヒナギクにはとっても強くて、大好きなお姉ちゃんがいる。ヒナギクを、暗黒の淵から救ってくれた。  
 
だけど、ハヤテ君はずっと独り。  
孤独というもののつらさを、自分が理解できるとも思えなかった。  
 
 
「あぁ、楽しい日々だったな。まさにお前にふさわしい」  
まるで、父親の紡ぎ出す言葉が、ハヤテの心から闇を引き出しているようだった。  
普段は温厚で、心優しく、笑顔を絶やさないハヤテも、さすがにこの男の前では冷静を保ち続けられない。  
 
「どうだ、思い出したか――  
 
 
 
                愛 し い 息 子 よ  
 
 
 
その言葉が、導火線となった。  
 
ハヤテが、目にもとまらぬスピードでヒナギクの横を駆け抜ける。  
どこからともなく取り出したナイフで、その悪魔を傷つけるために。  
 
 
広い通りに、金属がぶつかり合う音が響いた。  
ハヤテが渾身の力でつきだしたナイフを、ハヤテの父は拳銃で受け止める。  
 
「……フッ、ハヤテよ。確かにお前は速いし、強い」  
 
ナイフをはじいて少し距離を取り、父親は余裕たっぷりに口を開いた。  
 
「だが忘れるな―――私はお前の父親、お前が私を超えることはできない」  
「……っ!!」  
「私が憎いか……殺したいか…フフフ………そうだ、もっと怒れ」  
 
ハヤテには、父親が自分の前に姿を現した本当の目的がある程度分かっていた。  
自分の中に潜む、心の闇をあふれさせるため……  
長く、苦しかった暗い過去の中で、嫌でも生まれては自分の中にたまっていった――深い闇。  
 
だが、ハヤテの頭はそんなことを冷静に判断することを忘れてしまっているのだ。  
とにかくこの男を傷つけ、痛めつけ、殺したい。  
この、人の姿をした悪魔の体に、ナイフを突き刺したい。  
 
 
「ハヤテ君っ!!!」  
「………」  
「ど、どうしちゃったのよハヤテ君……やめてよ、そんなの……」  
 
人を本気で斬りつけようとしたハヤテに、ヒナギクは怯えた。  
闇色のオーラがわき上がってきそうな背中に、必死で呼びかける。  
 
「ハヤテ君……っ!」  
「ヒナギクさん」  
 
静かに、ハヤテがヒナギクを振り返る。  
ハヤテの表情を見たヒナギクは驚愕した。  
 
 
その瞳には父親と同じ――虚無と、復讐をするという欲望だけしかうつっていない。  
 
 
「黙っててください」  
 
 
もう、さっきまでの大好きなハヤテ君はいない―――――  
 
 
あ の 男 を 、 コ ロ ス  
 
ハヤテは、疾風(はやて)のように飛び、走った。  
目の前の男を倒すために、ひたすら斬りつけ、銃弾をはねのけ、そしてまた斬りつける。  
 
常人が相手なら、瞬殺だっただろう。  
だが、最凶の高校生を生み出した父親が相手では、傷一つつけることも叶わなかった。  
もっとも、ハヤテが常人相手に、こんなにも殺意をむき出すことなどあり得ないが。  
 
 
「フフ、いいぞ、楽しいぞハヤテよ。  
 お前が私に攻撃するたびにあふれ出る真っ黒な闇が、たまらなく美しい!!」  
「……ぐっ!」  
「まったく、執事になって他人を命がけで守っているお前なんて……  
 似合わなさすぎて、不自然すぎてヘドが出たわ!」  
 
――違う。  
違う、違う違う違うっ!  
ハヤテ君は、誰よりも優しくて強い執事のハヤテ君は、とっても輝いてる!!  
この人には、それが分からないの?  
 
「……もう十分か。ハヤテ、お前がいて、ホントに楽しかったよ。  
 自分の手で、この世に存在する究極の闇を産みだし、ともに生きれて……」  
「ぐあっ!!」  
 
ガキンという鈍い音がして、ハヤテの手からナイフがたたき落とされた。  
同時に、道の中央のコンクリートにハヤテが崩れ込む。  
その目の前まで歩き、ハヤテの父親は人間が作るとは思えないゆがんだ笑みを浮かべながら告げた。  
 
 
「さようなら我が息子よ。その自らが持つ心の闇にある、憎しみと復讐にとりつかれて――死ね」  
 
 
 
ハヤテの父は引き金に指をかけた。  
その刹那。  
 
ヒナギクの名刀・正宗が、彼の拳銃をはたいた。  
 
 
「お嬢さん、邪魔をするというならばあなたも―――」  
「もしも……人が持つ憎しみとか、復讐する気持ちが心の闇ならば――」  
 
倒れるハヤテを庇うように、ハヤテの父親と向かい合うヒナギク。  
 
怖かった。この恐ろしい悪魔のような人も、その人を目の前にしたハヤテ君の表情も……  
だが、ヒナギクは迷い無くハヤテの父親と対峙した。なぜなら、それはヒナギクの心が命じた―――  
 
「――人を愛する気持ちや、人を守ってともに戦う気持ちこそが……――」  
 
 
 
          ―――――光、だから。  
 
 
 
――――――…………………………  
 
暗い暗い、深い闇の中で、ハヤテはさまよっていた。  
 
 
――僕は、どうなるんだ?  
 
怖い。とてつもなく怖い。  
僕はこのまま、ずっとこの闇の中で……  
 
助けて、誰か!助けてください!  
ナギお嬢様、マリアさん――ヒナギクさん!!  
怖い……飲み込まれていく―――  
 
 
その時、ハヤテの目の前に、一筋の光が現れた。  
優しくて、だけど力強い手が、自分の方に伸びてくる……  
ハヤテは、必死にその手をつかんだ―――闇が、晴れた。  
 
……………………………――――――  
 
 
 
 
「しっかりしなさいよ、もうっ!それでも三千院の執事?」  
「ヒナギクさん……」  
 
気がつくとヒナギクに手を取られ、立ち上がっている自分にハヤテは気づいた。  
目の色が戻っていく。瞳の中に、ハヤテの光が戻っていく。  
 
 
「さぁ、ハヤテ君のお父さん。まだやるなら、私を倒してみなさい!」  
 
ヒナギクは、ハヤテの父親に向き直って身構えた。  
その瞳は、光り輝いて……誰も傷つけまいとすごんでいる。  
 
 
「フッ……フフフ…どうやら」  
 
そんなヒナギクを見て、ハヤテの父親はほほえんだ。  
拳銃をおろして言う。  
 
「まだまだ考えなければならないことがあるようだな。  
 もはや、ハヤテの心の闇はぬぐい去られた。今は、私にはどうしようもないだろう」  
 
 
最後に彼は、今日一番の人間らしい表情を見せてこう言った。  
 
「光か……おもしろい。ハヤテよ、私は、また必ずお前の前に現れる。  
 ――――――――――またな」  
 
 
再び一陣の風が吹いて―――その男は、姿を消した。  
 
 
 
二人きりになった道路で、ヒナギクはハヤテに背を向けたまま言った。  
 
「ねぇ、ハヤテ君……」  
「はい……」  
 
振り返ったヒナギクは、まぶしい笑顔。  
 
「たとえ、あなたがどんなに深く、濃い闇に飲まれそうになっても―――  
 
 
       ―――――――――――――――――  
    ―――― 私が、あなたの光になるから ―――――  
       ―――――――――――――――――  
 
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
 
 
世界は光と闇でできている。  
人の心に潜む闇は消すことができない。  
だけど、希望を捨てないで。  
 
―――消せない闇は、光で包んでしまえばいいのよ。  
 

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