今まで大人のダーティな世界の中で生きてきた僕にとって、マリアさんは本物の聖女のような人だと思っている。  
だから僕はマリアさんを、お嬢様以上に手放すわけにはいかない存在になっている。  
それは、僕の新たな家族のような、僕の理解者のような、そして僕のかけがえのない・・・  
 
 
「でも、嬉しいかな。ハヤテ君の元いた高校を離れてから、ずっともう逢えないのかなと思ってたのに、  
こうして、何故か毎日のように逢えるなんて・・・あ、やっぱり迷惑なのかな?」  
 
僕の元の高校のクラスメートだった西沢さんと会って、今日はファミレスで一度じっくり話し合う事にしました。  
 
「いえ、そんな事無いですよ。学年末試験も終わった事ですし、家に帰ったらやっぱり執事の仕事で忙しいですから、  
こうやって息抜きも必要だと思うんですよ」  
 
「そっか、良かった。あ、私はね、ヒナさんのお陰で何とか赤点を免れたと思うの。  
やっぱり、ヒナさんは凄いな〜って。ハヤテ君も、そんなヒナさんに惚れてると思うんだけど、どうかな?」  
 
 
僕が思いを抱く相手・・・それはヒナギクさん、なのかもしれない。  
 
それは、分からない。決められない。なぜ?  
 
他にいるから選べないとか、そんな贅沢な理由だとしても僕はそんなに器用な人間じゃないし、  
ヒナギクさんに思いを抱いていたら、彼女を知らない内に傷つける結果になるかもしれない。  
そして、僕はまた一人ぼっちになってしまうかもしれない。  
 
だとしたら、僕が西沢さんに言うべき最良の答えは・・・  
 
 
「僕は、西沢さんの事も・・・好きですから」  
 
「えっ・・・?」  
 
西沢さんはオドオドしてました。  
 
「やっ!・・・そんな、その、嫌いじゃないって言われた事は、心の底から嬉しかったけど・・・  
で、でも、それは昔のクラスメートとしてじゃないのかな!?」  
 
ちょっと涙目で、赤面な西沢さんはいつもより可愛く見えました。  
 
「そんな事ないですよ。西沢さんとは、偶然でもこうやって時折会っているんですから。  
日々、西沢さんがどんな風に過ごしているのか、少しずつ分かっているし、  
何故か昔のクラスメートだったという遠い距離じゃなくなっている様に僕は感じているんです」  
 
「でも・・・私より、ヒナさんの方がいいと思う事がやっぱりあるんでしょ?」  
 
それでも消極的な西沢さんに僕は戸惑いました。でも、嘘をこの人につけられません。  
 
「それは・・・分かりません。でも、ヒナギクさんの事が嫌いになるような要素は・・・ないと言うか、その・・・」  
 
僕の恋愛に対する不器用さ。それは今日、西沢さんに会って改めて自覚しました。  
 
西沢さんは俯いたまま、僕の本音をどう受け取ったのかは分からないけれど、  
僕の本音を噛み締めながらのように言いました。  
 
「・・・ハヤテ君って、モテるんだね」  
 
「!?」  
 
西沢さんからまさかそんな言葉が出てくるとは、思いもよりませんでした。  
 
「そうなん、だよね・・・私がトラに襲われた時だって、ハヤテ君の事を願ったら、  
本当にハヤテ君が助けてくれたんだもん・・・私だけじゃなくて、女の子が放って置けないのは分かる気がする」  
 
「あ、あの時は・・・」  
 
「ハヤテ君だって、もし私がヒナさんみたいにカッコ良くなれたとしても、ハヤテ君は・・・  
カッコ良い私じゃなくて、そのままの、それでもハヤテ君が好きな私の事が、好きなんじゃないかな・・・?」  
 
それは、まだ自分にも僕に対する微かな希望を込めて言った言葉なのかどうかは、分かりませんでした。  
 
「はい・・・」  
 
ただ、僕の本音が十分に伝わった事に安堵が漂いました。  
 
 
西沢さんは、安心したかのようにけらけら笑ってました。  
 
「ははは・・・バカみたい。私、勝手に勘違いしちゃった。ハヤテ君って毎日バイトバイトで、  
考える事よりも体が勝手に動くタイプだから、私に対する恋心も鈍感だから、誰かの事が気になる事はあっても、  
誰かを好きになる事なんて・・・」  
 
「あっいやでも、一応興味はあるんですよ?僕だって恋愛とかだって・・・」  
 
西沢さんは僕が食いついてきたようで、またあの笑顔を取り戻していた。  
 
「じゃあ、ハヤテ君ってどんな人がタイプなのかな?」  
 
「そうですね〜・・・やっぱり、年上の人でしょうね」  
 
その時、急にあの人の顔を思い出しました。  
僕より一つ上なのに貫禄があって、僕が初めて逢った時の秘密を知っている人の顔を・・・。  
 
「じゃあ、三千院ちゃんじゃないんだね」  
 
「そ、そうですよ。僕だって、ロリコン呼ばわりとかされたくないですし・・・」  
 
「そうなんだ。あの子ね、会う時いつもハヤテはいつも私にラブラブだとか自慢してるから、もしかしたらと思って・・・」  
 
「違いますよ!お嬢様がどうしてそんな事を思ってるのかは知りませんけど、とにかく違いますから・・・」  
 
僕がそんな事言うと、西沢さんの表情が曇っていました。  
 
「・・・何か、少し三千院ちゃんが可哀相に思えちゃったかな。あの子ね、本気でハヤテ君の事が好きみたいで、  
そのせいか、ハヤテ君の事が好きな私の事を邪険に扱っちゃったりなんかして・・・  
まるで、ハヤテ君の事を縛るみたいな、そんな、なんて言うか、不器用な愛に感じ取れちゃったの」  
 
西沢さんの言葉で、僕は初めてお嬢様の心の内を知りました。  
 
僕が全てを失ったあのクリスマスの冬の夜。  
 
僕の一時の心の歪みが引き起こした一人の幼い少女の誘拐未遂。  
 
それがお嬢様との最悪な出会いでした。  
 
そして、あの夜の僕を救い出してくれた忘れられない出会いでもありました。  
 
僕は今でも僕を救ってくれたお嬢様に感謝をしている。  
そして、誘拐(未遂)というバカな行動で怖い思いをさせた償いをしている。  
 
そんなお嬢様がなぜ非難を浴びるべき僕に恋をしているのかは、分からなかった。  
そして、なぜ僕がお嬢様にラブラブと言う風にお嬢様が思ったのかも、分からなかった。  
 
分からないどころか、僕があの夜に一目見て、気になった相手は・・・  
 
 
「・・・三千院ちゃん、悲しむだろうな・・・」  
 
西沢さんは本当にお嬢様が悲しむ姿を想像しているのか、表情が暗いのです。  
 
「・・・すみません」  
 
「や、やだな。何で私に謝るのかな?あ、ごめんね。変なこと言って・・・そう言う事じゃないの。  
じゃ、じゃあ三千院ちゃんじゃなかったら・・・あ、そうだ同い年でもダメなのかな?」  
 
「あ、いや・・・ダメって訳ではないのですが・・・難しいですね〜。同い年は・・・」  
 
「そうだよね・・・じゃあ、年上だったら誰が好きなのかな?」  
 
予想できた問いかけながらも、改めて尋ねられると、心臓が痛むような動きをした気がしました。  
 
「もしかして・・・あのメイドさんの事かな?」  
 
「わ・・・分かりません・・・」  
 
西沢さんの言葉が、僕の胸に突いてくる。  
 
・・・どうしよう。  
 
心理学者なしでも分かる動揺。反射的に手で隠したくなる心臓の尋常じゃない鼓動。  
そんな体の異変に、今のハヤテはついていけなかった。  
 
・・・胸が苦しい。  
 
「やっぱり、そうなんだ・・・」  
 
無意味に、恥ずかしい。  
 
「あの人、すごく綺麗な人だもんね・・・」  
 
言葉が出ない。言葉にできない。  
 
「・・・サキさん」  
 
 
「・・・へ?」  
 
「やっぱり、ハヤテ君ってメガネドジっ娘の方が好きなのかな?ワタル君がいるのに・・・」  
 
その時の僕は、無駄に脂汗がだらだらと流れていました。  
 
「・・・・・あ、違います!た、確かにサキさんは綺麗な人だとは思いますけど、  
恋愛対象としては、失礼かもしれませんが、無関心だったと言うか・・・」  
 
それに、ワタル君には伊澄さんが・・・。  
 
「・・・マリアさんの事かとちょっと、動揺・・・あ」  
 
あ・・・・・。  
つい、口が滑って・・・。  
 
「えと・・・マリアさんって・・・あの、三千院ちゃんの所のあのメイドさん・・・のことかな?」  
 
頭が真っ白になりながらも、聞こえてはいるので、とりあえず答えました。  
 
「は、はい・・・」  
 
「好きなの・・・かな?」  
 
ついに、尋ねてきた、正真正銘の質問を。  
 
この答えについては、一度冷静になってから言うべきだったかもしれない。  
しかし、僕の口から出た言葉は・・・  
 
「分かりません・・・」  
 
今の僕には一番無難な答えでした。そして、西沢さんを苛立たせてしまうかもしれない、最低な答えでした。  
けれど、西沢さんはそんな僕を心配してくれました。  
 
「・・・一度、落ち着かなきゃだね。ドリンクお替わりしてくるね」  
 
西沢さんはソファの端まで腰を持っていきながら移動して立ち上がり、ドリンクバーでドリンクを選んでいました。  
 
気付いたら、喉が渇いていた事を忘れていました。だから、目の前の烏龍茶はありがたい水分補給でした。  
 
「あのね、ハヤテ君。ハヤテ君が授業が終わると、そそくさとバイトに行って、  
ロクに私やみんなと一緒に下校しなかったじゃない?」  
 
「そ、そうでしたね・・・バイト先が定休日の時にしか一緒に・・・」  
 
「他の皆からにしてみれば、バイトづくめでハヤテ君は金の亡者で、金に囚われた哀れで冷徹な貧乏人だとか、  
訳の分からない噂もあったと言うか、今もそんな噂があるんだけどね・・・」  
 
何か軽くへこませてませんか?西沢さん・・・。  
 
「私は、信じてたよ・・・ハヤテ君はそんな人じゃないって。学校でいつも見かけてたあの時のハヤテ君の笑った顔は、  
苦労してるから、それを皆に見せないようにしてるものだって事を。  
それに・・・ハヤテ君の笑顔は苦労してると言う割には、すごく可愛いし・・・」  
 
西沢さん・・・すごく、可愛いですよ。  
相手が自分じゃないと知りながらも、それでもまだ僕に恋を抱いている純粋な乙女の姿が僕の目の前にありました。  
 
「だから・・・私はね、ハヤテ君の事を・・・  
何か・・・単純だね。そんな事でハヤテ君の事が好きで・・・でも、それだけでも、本当に好きで・・・」  
 
「西沢さん・・・」  
 
「だから、ハヤテ君がそのマリアさんて人が好きだって言うのにも、別に深い理由なんて、なかったんじゃないかな?」  
 
そうだ・・・僕が初めてマリアさんに出会った時の事・・・。  
その時は僕が凍死しようと道端で眠りに就こうとしてた時だった。  
その時、僕の目を覚ましてくれたのは・・・僕が人生の中で、最も美しい人でした。  
お嬢様が「マリアに手を出したら、殺す程度じゃ済まさないぞ!」と脅すくらいに、  
指一本さえも畏れ多くて出せないくらい、名前の通り、聖女のような人でした。  
もう一度逢いたくても逢えない、神々しい女性だと思いました。  
 
しかし、お嬢様を誘拐犯から助けた時から、瀕死状態の僕が彼女とお嬢様と共に執事として、過ごす様になりました。  
それは日々、覚めても覚めても消える事はない夢のような時間。  
 
それでも、僕の苦悩は変わらない気がする。お嬢様のワガママに振り回されたり、やっぱりクビのピンチになったり・・・  
だけど、僕が何とかここまでこれたのには、お嬢様が最後まで僕の事を見放さなかったから。そして・・・  
 
 
・・・・・ハヤテ君は、笑顔の方が可愛いですから。ね。  
 
 
「・・・そうですね。西沢さん。じゃあ、一緒に帰りましょうか」  
 
「うん、少しの間でなら・・・」  
 
 
そして、僕は気付いてしまいました。  
 
僕が心から愛してるのは・・・マリアさんだという事が。  
 

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