恋を、しました。  
 
 
一目惚れ、なんかではありません。  
むしろ、私がこのヒトにそんな気持ちを抱くことになるなんて・・・出会ったときには想像もしませんでした。  
想像もできませんでしたけれど・・・・・・あの日、あの雪の夜・・・彼と出会った、その時から・・・・・・  
私の胸には、この想いの種が植えられていたのかもしれません。  
 
彼と出会ってからの生活は、ちょっと慌しいものとなりましたが、  
同時に賑やかで、ときに悩ましくもあり・・・ですが、とても新鮮なものでした。  
彼自身もまた、きっと生まれつきなのでしょう・・・異様に不幸に付きまとわれる定めの下にあるようですが、  
懸命に、時には挫けそうになっても、それでも前向きに・・・生きていました。  
 
そんな姿に時には呆れ、ですが同時に感心しつつ、このお屋敷でともに過ごした日々。  
少しずつ彼のことを知って、自分のことを話して・・・共有した多くの時間、何気ない出来事・・・  
そんな日々が、水となり、滋養となっていたのでしょうか。  
胸に播かれた小さな種は気づかぬうちに殻を破り、根を張って・・・・・・  
ある朝、ふっと気づいたときには、ちいさな芽が顔を出していたのです。  
彼への恋心という、想いの芽が。  
 
こんな気持ちになったのは、初めてのこと・・・初恋、というのでしょうか。  
ドキドキしたり、切なくなったり、嬉しかったり、恥ずかしかったり・・・・・・  
話しているだけで、顔を見ているだけで・・・いえ、その人のことを想うだけで私の心は慌てふためいて、  
でも・・・・・・とても、満たされる・・・・・・  
 
誰かさんは恋もしない青春は灰色だ、なんて言って私のことを酷く傷つけてくれたりしましたが、  
どうです?  
私だって、ちゃーんと恋をしてるんですよ?  
 
・・・・・・恋をして、初めて知りました。  
お屋敷での代わり映えの無いと思っていた日常、  
それですら・・・こんなにも楽しくて、眩しくて、温かくて・・・そして、切ない日々になり得るということを。  
 
それは、かけがえのない・・・本当に素敵な、宝物のような気持ち。  
誰にも触られたくない、誰にも見られたくない・・・・・・私だけの、宝物。  
だから、この想いは大切に、宝箱の中に。  
誰の目にも触れない、誰にも知られない・・・私だけの、胸の中に。  
最後まで、永遠に・・・・・・私だけの、胸の奥に。  
 
何故なら、この想いはあのヒトをきっと、傷つけてしまうから。  
 
何故なら、この気持ちは、あの子を・・・・・・裏切るものだから――――――  
 
 
 
 
 
今日は12月24日・・・クリスマスイブです。  
私とナギがハヤテ君と出会ってから、ちょうど一年。  
なんだか、早いと言えば早いような、それでいて・・・・・・いえ、なんだか何年も経っている気もするのですが、  
まぁ、気のせい・・・ですよね?  
 
それはともかく・・・  
例年この時期は社交パーティーが目白押しなのですが、  
今日はナギのたっての希望で、よそ行きの予定はすべてキャンセル、  
お屋敷でナギとハヤテ君、そして私の三人だけのささやかなパーティーをしようということになりました。  
ハヤテ君がお屋敷に来てからの一周年と、私の誕生日を祝って、との名目です。  
私は自分の誕生日のこと、あまり好きにはなれなかったのですが、  
ハヤテ君が折角だから、と言うものですから・・・結局、同意してしまいました。  
あまり好きではないことであっても、想いを寄せるヒトが祝ってくれるというのなら・・・  
それはそれで悪くないような気もしたのです。  
想いを決して表に出さないことを決めたのです、せめて・・・これくらい甘えてもいいですよね?  
 
そう、この気持ち・・・この想いは、今のところハヤテ君にも、ナギにも・・・看破されてはいないようです。  
まぁ、当然ですよね?  
だってあの二人は、未だに・・・もう一年も経つというのに、  
相も変わらず誤解を抱えたままの“超”がつく鈍感さん達なのですから。  
 
・・・なんて埒も無いことを思いながら、厨房でパーティーの為のご馳走の下拵えなどしていると、  
背後でドアを開く音がして、  
 
「マリアさん、今夜に向けて何か特別に準備するようなことはありますか?」  
 
ハヤテ君が声をかけてきます。  
今日は休日なのでハヤテ君も朝からお屋敷にいるのですが、  
彼がいるとお掃除なんかはあっという間に終わってしまうものですから、ちょっと手が空いてしまったのでしょう。  
 
「いえ、パーティーと言っても三人だけですからね、少しお料理の下拵えをしたら後は午後からで十分ですよ」  
「わかりました、ではお庭の掃除などしていますので、  
 なにかご用がありましたら呼んでください!」  
 
こんな、他愛のない会話・・・こんなところにも、小さな喜びを見い出してしまう・・・  
でも、それだけ。  
それ以上は、望みません。これで十分、以前の私よりはきっと、幸せなのですから。  
 
・・・でも、ちょっとだけ悪戯心。  
 
「でもいいんですかハヤテ君?」  
「へ? 何がですか?」  
 
そして・・・多分、少しだけ・・・  
 
「だってハヤテ君、今日はクリスマスイブですよ?  
 誰か一緒に過ごしたいヒトがいるんじゃないですか〜?」  
 
その“誰か”に対する嫉妬から。  
勿論、そんな思いを顔に出したりなんかはしません。  
あくまでも、“年上のおねーさん”として、ちょっと悪戯っぽく、なのです。  
 
「な、何を言うんですかー!  
 そんな、別に・・・・・・今日はお屋敷を出る予定もありません!」  
 
あらあら、真っ赤になっちゃって・・・なんだかいつもよりカワイイですね〜  
これは、なんかこう、もうちょっと・・・  
 
「あら、でも時期が時期ですし・・・そうですねぇ、例えば西沢さんなんか、  
 彼女の方から会いたがったりされたんじゃないですか〜?」  
「あ・・・・・・」  
 
・・・なんでしょう・・・ハヤテ君は先程のように即座に否定せず、  
ですが・・・なんだか酷く・・・申し訳なさそうな顔をしてしまいます。  
うーん・・・もしかして、あまり触れてはいけないところだったのでしょうか・・・  
 
「あ、あの・・・あまり聞かれたくないこと、だったでしょうか?」  
「あ、いえ! 別に、そんな訳じゃ・・・」  
 
ハヤテ君は慌てて取り繕うような笑顔を見せて、  
何でもないことのように振る舞いながら、  
 
「西沢さんからは確かに誘われましたけど、ちゃんとお断りしましたから!」  
 
はっきりとそう言いました。  
 
「そ、そうですか・・・それは・・・お疲れ様でした・・・」  
「いえ、別に・・・」  
 
ハヤテ君の言う“ちゃんと”というのが一体どんなものだったのか・・・  
彼の様子から、なんとなく想像できます。  
 
「よかったのですか? その・・・西沢さんは、ずっとハヤテ君のこと・・・」  
 
それは多分、私に言われるまでもなくハヤテ君が一番わかっていること。  
ナギよりも、私よりも、ずっと前から知っていて、その頃から一途に想っていてくれたヒト。  
断られた彼女は本当に辛いでしょう。  
でも、断ったハヤテ君だって・・・  
間違いなく西沢さんへの罪悪感にさいなまれているに違いありません・・・そういう子です。  
 
「あの・・・こういうことを言うと気分を悪くされるかもしれませんが、  
 “ちゃんと”ではなく、やんわりと、と言いますか・・・保留するような感じには出来なかったのですか?」  
 
そう、ハヤテ君一流の天然ジゴロ属性で。  
 
「それは・・・西沢さんに失礼ですから・・・」  
「まぁ、それはそうですが・・・  
 ですが、今は借金で恋愛どころじゃないのかもしれませんが、ハヤテ君だっていつかは・・・」  
 
いつか―――その枷から解放されたその時に、ハヤテ君がナギの方を向いていてくれるのか、  
それとも他の誰かを見ているのか・・・  
前者であってくれれば一番丸く納まるのですが、  
そこは結局ハヤテ君次第ですし、やはりハヤテ君自身の想いを尊重すべきでしょうから・・・  
 
「はい、でも・・・」  
 
ハヤテ君は私の顔をちらちらと窺いながら、なんだか喋りづらそうに口篭もります。  
ですがまだ先が続きそうなので、私はなにも言わずに言葉を待ちます。  
私が口を挟む気がないとすぐにわかったのか、ハヤテ君は口を開いて―――  
 
「実は、その・・・」  
 
言葉が途切れ途切れなのはもったいぶる、というよりも、本当に恥ずかしいからのようで、  
うつむき気味の赤い顔で、うわ目使いにこちらを見ながら・・・  
 
「す・・・好きなヒトが・・・・・・いるんです・・・」  
 
 
どきん、と。  
心臓がひとつ、大きく鼓動を刻みます。  
好きなヒトが、誰かを好きになったと言う・・・・・・  
成就させるつもりのない恋なのに、そのハズなのに・・・  
それなのに、たったそれだけのことで私は・・・こんなにも動揺していました。  
 
むしろハヤテ君が誰かを好きになれば私のこの想いもきっと淡く薄れて、  
ただの初恋の思い出として胸の奥にしまってしまえる、とすら思っていたのに・・・・・・  
 
「そ、そうだったんですか・・・」  
「はい・・・」  
 
どう反応すればいいかもわからず、どうでもよさげな答え方をしてしまいました。  
ハヤテ君もまた、それ以上何を言うべきか、言わないべきか、迷いがあるのか恥ずかしいのか・・・  
 
本来なら、そこで会話を打ち切るべきだったのかも知れません。  
私がハヤテ君の恋愛に興味を持っているということだって、  
そもそも気取られたくはなかったハズなんです。  
ですが、気になって・・・  
ハヤテ君が・・・私が想いを寄せるこのヒトは、一体誰のことが好きなのか・・・  
気になって仕方ないのです。  
それで私は、あくまでも冗談っぽく―――  
 
「えー・・・ち、ちなみにハヤテ君の好きな方というのは、どなたなんですか?」  
「そ、それは! えぇと、その・・・・・・」  
 
んー・・・  
いけませんね・・・深入りすべきではないと胸の奥から警告の声が聞こえるのですが、  
どうも赤くなってうろたえるハヤテ君を見ていると、意地悪の虫が騒ぎ出して・・・  
 
「じゃあそうですね・・・一番可能性がありそうなのは・・・  
 やっぱり美人で頼りになる、桂さんじゃないですか〜?」  
「ち、違います!」  
「あら」  
「確かに、その、ヒナギクさんは憧れるところはあるって言うか、  
 そういうのはありますけど・・・」  
 
んー、結構本命のつもりだったのですが、違いましたか。  
となると、そうですね・・・ある意味大穴ですが・・・  
 
「ひょっとして、ナギ?」  
「違いますっ!」  
 
これもハズレ。  
 
「前にも言ったじゃないですか!  
 僕にロリコンの気はありませんっ!」  
「そうですか・・・一年も一緒でしたから、ひょっとすると克服されたかなと思ったんですが・・・」  
「そういうのは克服とは言わないと思いますが・・・  
 と、とにかく年下よりも年上なんです、僕の好みは!」  
 
ハヤテ君もだんだんテンションが上がってきてますね、なんだか妙に力が入ってきています・・・  
まぁ・・・ヒトのことは言えませんが。  
 
「年上と言いますと・・・桂先せ―――」  
「違います!」  
「じゃあ・・・」  
 
そうやって絞りこんでゆけば、いずれは正解に辿り着く・・・その方法自体には間違いはありません。  
 
「ん―――では牧村さん?」  
「いいえ」  
 
こうして、消去法で候補を消していって・・・  
 
「サキさん・・・とか?」  
「違います」  
 
そうすれば、最後に残るのは・・・  
 
「もしかして・・・桂さんのお母さ―――」  
「いくら若々しくても同級生の母親に手出しはしませんっ!」  
 
あと他に・・・ハヤテ君と縁のある、年上の女性・・・  
んー、あとは・・・  
・・・・・・  
 
・・・  
 
ふと。  
おかしなことが頭をよぎりました。  
そういえばもう一人・・・  
ハヤテ君の身近に、一つ年上の女の子が・・・いましたっけ・・・  
 
それは、軽い冗談のような感じで思いついた、  
ですが少しも笑えない・・・決して考えてはいけないこと。  
あるハズがない、そう思いながらも、  
私はハヤテ君にこんな話題を振ってしまったことを後悔しました。  
 
さっきからハヤテ君が見せている、恥ずかしげな様子。  
これがもし、スキなヒトを言い当てられそうだから、なのではなく、  
その“誰か”のことを、今この場で口にしようとしているから、なのだとしたら・・・・・・  
 
「あ! すみませんハヤテ君!  
 私、お洗濯をせねばなりませんので、こ、これで失礼しますね!」  
「あ・・・」  
 
何か言いたげなハヤテ君に背を向けて、私は慌てて部屋を出ようとして―――  
 
「待ってください!」  
 
その声に引かれるように駆け出すのが遅れた私の手は、ハヤテ君に捕まえられて・・・  
 
「ハ・・・ヤテ、君・・・?」  
 
どきどきと、鼓動が早鐘のように高鳴っています。  
 
「あの・・・マリアさん・・・・・・」  
 
名前を呼ばれ、恐る恐る振り返る私のことを・・・私の顔を、  
ハヤテ君は真っ赤な、だけど真剣な顔で見つめていて・・・・・・  
 
「は、はい・・・」  
 
私もハヤテ君の顔から、目が離せませんでした。  
密かに想いを寄せているヒトからこんな風に見つめられて、その視線を避けるなんて、  
私には・・・・・・出来ませんでした。  
 
「聞いてください、あの・・・・・・」  
「は、はい・・・・・・」  
 
聞いてはいけない・・・もし、ハヤテ君が・・・あくまで“もし”ですが、  
私の考えている通りのことを言ってしまったら・・・・・・  
高鳴る鼓動は私の理性が鳴らす警鐘であり、そして・・・抑えきれない、私の・・・期待。  
応えられない、応えてはいけないとわかっていても、それでも抱かずにいられない、  
淡い、期待。  
 
聞いてはいけない・・・・・・でも、聞きたい。  
そんな二律背反に捕われながら、結局私はハヤテ君の手を振りほどくこともせず・・・  
どうすることも出来ず、立ち尽くしていました。  
ハヤテ君に手を握られたまま・・・  
ハヤテ君と、見つめあったまま・・・  
 
「僕の・・・好きなヒト、ですが・・・・・・」  
「・・・・・・」  
 
胸が、痛いくらいに高鳴ります。  
不安と、期待と、あの子への罪悪感で。  
 
「僕の好きなヒトは・・・・・・・・・・・・」  
 
息が詰まりそうな沈黙を挟んで、ハヤテ君の唇が・・・開いて――――――  
 
「おーいマリア、紅茶――――――って、ハヤテもいたのか。  
 ・・・どうしたのだ二人して?」  
 
唐突に厨房へ現れたナギが目にしたのは・・・・・・  
半端な距離をおいて、顔を真っ赤にしながら自分を驚いた顔で見つめる二人の使用人・・・だったと思います。  
 
がちゃ、と扉が開いた音で私とハヤテ君は一気に我に返り、  
ナギがドアから顔を覗かせる寸前に互いに飛び退くようにして離れていました。  
ですが・・・・・・何せ咄差のことです、  
何事もなかったように落ち着き払って、とまでは参りません。  
ハヤテ君はまだ顔が赤いままですし、まず間違いなく私もそうでしょう。  
そんな私達の様子に・・・・・・やはりナギも女の子です、何かしら不審なものを感じとったのか、  
なんとなく目つきが険しくなって・・・  
 
「あ、ナギ、紅茶ですね?  
 すぐに準備しますから、ちょっと待っててくださいね!」  
「じゃ、じゃあ僕は庭の掃除をしてきます!  
 ではお嬢様、失礼します!」  
 
上策、とは言えませんが・・・ナギに何か言われる前に、私もハヤテ君も、仕事に逃げ出したのでした。  
 
・・・・・・不審げな目つきのままのナギを残して。  
 
 
 
 

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