「・・・初めてハヤテ君と出会ったのも、月の綺麗な夜でしたね・・・」
しばらくお互いに黙ったまま座っていましたが、
ふとマリアさんが口を開きます。
「そういえば・・・」
月を見上げながら、一年前のことを思い出しているのでしょうか・・・
月明かりに照らされたマリアさんの横顔に見惚れながら、
僕も一年前のあの時に、思いを馳せてみました。
どんな天気の気まぐれか、ちらつく雪の合間から満月の光が降り注いでいた、
あの晩のこと・・・・・・
「あの時は驚きました・・・
まさかあんなところに人が倒れているなんて、思いもしませんでしたから」
「あ、あはは・・・まぁ、そう思うのが普通かと・・・ははは・・・」
クスクスと笑うマリアさんに、僕も同意せざるを得ません。
自分でも、まさか人生を諦めて雪の中に我が身を投げ出すことになるなんて、
その直前まで想像できませんでしたから・・・
「まぁ、衝撃の出会い、でしたねぇ」
「衝撃的過ぎて、私はちょっと心配でしたが・・・」
「あはは・・・」
でも、本当に衝撃的でした。
死のうと思って道のど真ん中で倒れていた分際で、
自転車に轢かれて文句を言おうとして・・・
そんなこと、一瞬でどうでもよくなってしまうくらい、綺麗な人に出会ったこと。
それだけでも、十分に衝撃だったんですが・・・
「覚えてますか? あの時、マリアさんは僕にマフラーをかけてくれて・・・」
「はい・・・だってハヤテ君、あんな雪の中で、凄く寒そうな格好だったから・・・」
寒空の下で綺麗な人と出会えた感動も、
彼女と話しているうちに荒んだ胸に湧いた嫉妬の念で消え失せて・・・
そんな気持ちを抱えたまま、逃げるように去って行くつもりだった僕の肩に、
不意にかけられたマフラー・・・
「あの時、マリアさんがかけてくれたマフラーは、本当に・・・温かくて・・・
卑劣な事を考えていた自分が情けなくて・・・
優しさが・・・嬉しくて・・・」
本当に、情けないくらい大泣きしてしまいました。
「もしあの時、あのままマリアさんと別れていたら、僕はどうなっていたか・・・
最低ギリギリのところで泥水をすすりながら生きていたか、
僕の両親のように、卑劣な人生を歩んでいたか・・・
それとも、呆気なく借金取りに捕まって・・・今頃は・・・もう・・・・・・」
「ハヤテ君」
あの、救いのない夜の気持ちを思い返しかけた僕の手に、マリアさんの手が重ねられて・・・
「ハヤテ君は今、ここにいます。
こうして・・・私の隣にいてくれます」
優しく微笑んでくれます。
そうでした。
そんな僕を待っていたのは、新しい日々、そして・・・たくさんの、素晴らしい出会い。
それも、これも、全て・・・・・・
「・・・あのとき、マリアさんが優しくしてくれたお陰です」
初めて出会って、このヒトの優しさに触れて・・・
きっとその時から・・・僕の心の中にはマリアさんがいたのだと思います。
このヒトのことがスキだって気付いたのはそれからずっと後のことでも、
あの瞬間・・・彼女へのこの想いは、きっと僕の胸に生まれていたんだと・・・
「それでは、今日は一年前とは逆ですね」
「逆、ですか?」
柔らかな笑顔で上目使いに顔を覗き込まれて、
顔が火照るのを感じながら、思わずちょっとのけぞってしまいます。
「今日はハヤテ君が、私にコートを羽織らせてくれて・・・
そして・・・何より・・・こうしてまた、私の前に来てくれたのですから・・・」
マリアさんは笑顔のまま、だけどその目には新しい涙を浮かべながら、
「嬉しかったです・・・ハヤテ君が帰って来てくれて・・・どんなに救われたって・・・思ったか・・・」
「マリアさん・・・」
「いけない、嬉しいのに・・・ごめんなさい、なんだか涙腺が・・・」
ぽろぽろと涙を流すマリアさんに何かしてあげたくて、
ハンカチで目尻を拭ってあげます。
「あは・・・ありがとうございます・・・」
なんだか気障ったらしい気がして少し恥ずかしくもありますが、
マリアさんに喜んで貰えるなら、それくらいなんでもありません。
大切なこのヒトの為なら、どんな恥も苦労も、喜んで買いましょう。
「・・・でも、わからないモノですね・・・」
「何がですか?」
マリアさんは池の方に目を向けながら、呟くように話します。
「はい・・・昨年のクリスマスイヴ・・・・ハヤテ君がナギを助けて怪我を負われて、
お屋敷に運び込まれた時は、こう思っていたんですよ?
“クリスマスだからってサンタさん、こんなプレゼントされても”・・・って」
くす、と笑みをこぼし、
「でも、今はサンタさんに感謝しています。
あの夜、ハヤテ君と巡り会わせてくれて・・・・・・
それに・・・・・・もう会えないって思っていたハヤテ君を、もう一度私の前に導いてくれて・・・・・・
こんな素敵なプレゼントはないなぁ・・・って」
静かに語るマリアさんの横顔は、とても穏やかでした。
「クリスマスイヴは、いつも憂鬱でした。
嫌でも私の過去について考えさせられてしまうから・・・
でも、もうきっと・・・憂鬱になんてなりません。
だって今日は・・・
この日は、ハヤテ君と出会えた日で、
ハヤテ君と・・・想いが通じ合えた日なのですから・・・・・・」
穏やかな微笑を湛えたまま、マリアさんは僕の方を向いて、
じっと目を見て・・・
「大好きですよ、ハヤテ君」
そう、言ってくれました。
恥ずかしげに顔を赤らめながら、だけど目を逸らそうとはしないマリアさんの瞳から、
僕も目を離すことができなくて・・・・・・
その瞳に吸い寄せられるように、少しずつ顔を寄せて―――
「僕も―――」
彼女の吐息を感じられるくらいに近づいて―――
「マリアさんのことが―――」
目を閉じたマリアさんの肩を抱き寄せて、目を閉じて―――
「―――大好き、です」
想いを紡いだ唇を、大好きな人の唇に・・・・・・重ねました。
唇を通して、僕の想いがマリアさんに流れ込んで行くような・・・
マリアさんの想いが、僕の中に流れ込んで来るような・・・
唇を触れ合わせるだけの行為に、そんな幻想を感じながら・・・この柔らかく、温かな感触に、
僕は・・・そしてきっとマリアさんも・・・浸っていました。
やがて、どちらともなく唇を離して・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何も言葉にできず、ただただ、見つめ合っていました。
やがて・・・
「あの・・・」
「は、はい・・・」
マリアさんが口を開き、
「これは・・・ハヤテ君からの、誕生日プレゼントだって・・・そう思って、いいですか?」
恥ずかしそうに、でも、本当に嬉しそうに、問い掛けてきます。
そんなつもりではなかったですが・・・
「・・・そう思って貰えるなら・・・嬉しいです・・・」
僕の答えを聞いて、マリアさんは・・・満ち足りたように微笑んで、
涙を湛えた目を閉じて・・・僕の胸に顔を埋めて、
「素敵・・・・・・」
そう、呟きました。
「一生、忘れません・・・この日のこと・・・・・・初めて・・・キスしてくれたこと・・・
ずっと、ずっと・・・・・・忘れません」
僕だって、忘れません。
絶対に・・・忘れられません。
彼女が口にした言葉。
唇の感触。
この、腕の中の温もり。
例えこれから、同じことがあったとしても・・・何度繰り返すことになろうとも・・・
この夜の、池のほとりでの出来事を・・・僕は生涯、忘れることはないでしょう。