腕の中にマリアさんを抱いたまま・・・ずっとこうしていたいと思いました。
でも、こうして抱きしめているからこそ、彼女の震えが伝わってきます。
寒空の下、ずっと座っていたその身体は冷え切っていて・・・
「マリアさん、すみません・・・こんなに凍えて・・・」
「いえ・・・大丈夫です・・・・・・」
「でも、こんなに冷え切ってしまっては・・・
お屋敷に戻って、お風呂で温まらないと風邪をひいてしまいます」
「・・・・・・」
マリアさんは何も言いませんが・・・僕を見上げる彼女の目には、
この提案に対する不満の色が浮かんでいました。
もしかすると、この抱き合った身体をまだ離したくない、と思ってくれているのかもしれませんが・・・
「あの・・・マリアさん」
「ナギが・・・」
「お嬢様?」
「お屋敷に戻ったら、ナギがいるから・・・
さっきのハヤテ君のお話ですと、もう・・・しばらくは、こうして・・・二人きりには、なれないでしょう?」
「あ・・・・・・」
そうでした・・・そのことを、忘れていました。
「あの、マリアさん」
「・・・はい」
「実はお嬢様は、帰る途中で僕と別れまして、西沢さんとヒナギクさんとでカラオケに行かれまして・・・」
「カラオケ・・・ですか?」
「はい、それで明日の朝まで帰られない、とのことなんです」
「は、はぁ・・・」
「ええと・・・今夜だけは、僕と・・・マリアさんを、その・・・
二人きりに、して下さるって・・・・・・」
マリアさんは無言のまま・・・ですが、悩ましげに閉じ気味だった上目遣いの目はだんだん見開かれ・・・
その顔は、やはり徐々に赤くなって・・・
「二人きり・・・」
「はい・・・」
あの時は、お嬢様に感謝する気持ちでいっぱいで、それ以上深く考えようともしませんでしたが・・・
今、彼女に伝えるために改めて言葉にしてみると、それがどういう状況なのかを嫌というほど認識してしまい・・・
きっとマリアさんの目に映る僕の顔も、さぞかし赤くなっていることでしょう。
そう、本当に今更ではあるのですが・・・
僕は今夜、想いを寄せるこの人と・・・想いを寄せてくれるこのヒトと、
二人きり、なんだって。
ぱたん。
結局、あのまま僕たちはろくに口も利かず、二人してうつむいたままお屋敷へと辿り着き、
マリアさんのお部屋まで来てしまいました。
後ろ手に扉を閉めてから、
今更ながら何の断りも無く彼女の部屋までのこのこついて来てしまって良かったのかどうか、
ちょっとだけ考えてしまいますが・・・
「・・・ハヤテ君? お座りにならないのですか?」
「あ、は、はい!」
扉の前で突っ立っている僕に、椅子に座ろうとしたマリアさんが怪訝な顔をされます。
とりあえず、ここまで来たこと自体は間違っていなかったようで、
慌ててマリアさんと向かい合うように、椅子に腰掛けますが・・・
・・・間が、持ちません。
マリアさんとお屋敷で二人きり。
朝になって、お嬢様が帰ってくるまでの間の限られた時間・・・
お嬢様のくれた、僕にとって・・・そしてきっと、マリアさんにとっても、
大切な時間・・・のハズ、なのですが・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
いざ、こうして二人きりになると・・・いや、さっきまでも二人きりではあったのですが!
一晩、二人きりでいられるとわかると・・・どうも、意識してしまうのです。
お互いに好意を抱いている両想いの若い男女が、一つ屋根の下で二人きり・・・
そんな状況から、ちょっと、その・・・悩ましいことを想像せずにはいられない・・・
そういう年頃なんです・・・僕も、そして多分、マリアさんも・・・
でも、こうしていても何にもなりませんし、
それに・・・そう、こうしていられるのは明日の朝まで。
朝になったらお嬢様が帰られて、そして・・・昨日までと同じ、いつもの日常が始まるのです。
いえ・・・お嬢様もマリアさんも僕も、皆がそれぞれの気持ちを知った上での、日常で、
そしてお嬢様は決して諦めないと明言された訳ですから・・・
こんな時間はもう・・・滅多に作ることも出来ないハズ。
ならば、この貴重な時間を浪費する訳には行かなくて、何は無くともとりあえず―――
「「あの!」」
・・・・・・うぁ。
なんでしょうこのお約束は。
まぁ、多分きっと、マリアさんも僕と同じことを考えてくれていたんだと思うと、
それはそれで嬉しいのでそう言うことにして・・・
「あ、な、なんでしょうマリアさん!?」
「あ、いえ、その、は、ハヤテ君から、どうぞ・・・」
「は、はい・・・じゃあ、その・・・」
グダグダではありますが、まぁ・・・やっと会話をはじめることが出来ましたから、今はそれでいいです。
でも、何を切り出そうとしたんでしたっけ・・・っと、あぁ・・・
「マリアさん、その、かなり冷え切っていましたし、お風呂に入られてはいかがです?」
「へ、お風呂、ですか?」
「はい、このお部屋は温かいですが、まだ・・・心なしか寒そうですので・・・」
マリアさんのお顔は照れなのでしょう、ちょっと朱が差しているのですが、
なんとなく腕を抱えるような素振が、いまだ寒気を抱えているように思えるのです。
「で、でも、それでしたらハヤテ君も、私にコートを貸して下さって、かなり冷えてしまったのでは・・・」
「そうですね・・・でも僕はお屋敷まで走ってきましたし、
結構身体は温まっていましたので、マリアさん程ではありません。
ですので僕は後で大丈夫ですから・・・お先に温まってきて下さい。
僕はその間にお茶でも入れてきますので・・・」
そう言って席を立ち、扉に向かおうとした時・・・
「あの・・・ハヤテ君!」
「はい?」
振り返ると、なんだかマリアさんは真っ赤な顔でうつむき気味に目を伏せていて・・・
「どうしました?」
「はい・・・あの・・・」
なんだか、ものすごく言いにくそうに・・・
「一緒に・・・入りませんか?」
・・・・・・・・・
・・・・・・
「え・・・」
理解するのに一秒。
「え!? あ・・・うぁ!? えええ!?」
混乱すること、三秒。
「あ、あの・・・・・・マリア、さん・・・?」
ちょっとだけ落ち着いて、彼女の真意を問うように見つめること、
五秒・・・十秒・・・
どれだけ経っても、マリアさんが“冗談ですよ”と笑うことはなく・・・
「イヤ、ですか?」
「い、イヤ!」
真っ赤なまま、顔を上げて僕をじっと見つめるマリアさんに対して、
僕は・・・きっと同じくらい真っ赤な顔で、
「あ、イヤ! 別にイヤなんじゃなくて!
何と言うかむしろ望ましいと言いますか!」
しどろもどろになりながら、つい本音が出てしまい、
「あ・・・」
今度は僕が顔を臥せてしまいますが・・・
「では・・・お先に入っていますね・・・」
「あ・・・・・・は、はい・・・」
マリアさんは最後まで冗談だとは言わず・・・真っ赤なままの顔で僕のことをチラリと見て、
着替えを手に部屋を出て行かれました。
―――マリアさんは、どんなつもりなのか・・・
着替えを取りに部屋へと戻りながら、そのことばかり考えていました。
・・・というか、そのことしか考えられません。
マリアさんとお風呂に入りたいって思ったこともありますし、今だってそれはもう大歓迎ではあります。
それこそイヤだなんて、思うわけがありません。
ありませんけど・・・
「――――――っ」
考えても、それでどうなるものではありません。
いや・・・考えるまでもないのかもしれないし、でも、やっぱり・・・よくわからなくて―――
結局、そのまま僕もお風呂へと来てしまいました。
脱衣所には・・・マリアさんのメイド服。
それを見て、緊張と・・・そして、青少年特有の、ある種の好奇心に逸る心を抑えながら、
いそいそと服を脱いで・・・がらら・・・と浴室の扉を開けると・・・
立ち込める湯気の向こうに、確かに湯船に浸かっているマリアさんがいて、
彼女は僕の姿を認めると―――お湯の温かさと恥ずかしさと両方の故でしょう、
火照った顔をやや背け気味にして・・・でも、それだけ。
僕を誘ったのは冗談や間違い等ではなく、彼女の意思だっていうことを今更ながら、確信します。
「あの・・・失礼します」
「はい・・・」
ですが、確信したからといって恥ずかしさが消える訳でもないですし、
開き直って、ど、どうこうする訳にも・・・いきませんし・・・
でも、やっぱり僕は男で、そこにいるのは大好きな美人さんで、
その上お風呂だから当然裸な訳で、しかも誘ったのは彼女な訳で・・・
「・・・・・・っ」
だんだん形がはっきりとしてきた僕の中の欲求を振り払うように、
・・・でも本音を言えば早く彼女の側に行きたくもあって、
僕は慌ただしく身体を洗い終えて、ざばっと泡を流し落とすと、意を決して湯船に向かいます。
マリアさんは僕から目を背け気味のままですが、大事なところは隠しつつ・・・
「それでは・・・お邪魔します・・・」
「は、はい・・・」
湯船に浸かり、その状態でマリアさんに近付いて・・・
何と言うか、近付き過ぎず、かといって不自然に距離も置かず、という感じのところまで近寄って・・・
「い・・・いいお湯ですね・・・」
「そ、そうですね・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
とにかく、何と言うか・・・またしても、間が持ちません・・・
でも、何もせずにいると、こう、どうしても、
お湯の中にぼんやりと浮かぶマリアさんの身体に目が泳いでしまって・・・
「・・・・・・」
「・・・あ!? いえ! あのっ!」
そんな僕に向けられるマリアさんの視線を感じてしまって・・・
い、いえ、そんな決して堂々と見入ったりした訳じゃなく、
あくまでちらちら、というか、こそこそ・・・なのですが!
・・・そうですよね、こんな二人きりの状況じゃ、バレバレにも程がありますよね。
でも、それで怒られたりする訳ではなく・・・
お湯の中の身体を恥ずかしげに手で覆う彼女の仕草に、
なんかこう更にむらむらと沸き立つものを感じてしまうのですが・・・
これはいつぞやの僕の夢じゃないんですから、
―――今のこれ、夢じゃないよな? うん、つねるとちゃんと痛い―――
行くところまで行くとかそういう訳には行きませんし!
そうなると、やはりどうしても気をそらさねばならず・・・
「そ・・・そういえばマリアさん!」
「は、はい・・・」
「ぼ、僕、実はですね、そう・・・ちょうど一年前、初めてお屋敷にやって来た、っていうか運ばれて来たとき!
誘拐犯の車に轢かれたあと、マリアさんに看病されている間、
お屋敷を一人で彷徨う夢を見たんですよ!」
「はぁ・・・」
「それで、夢の中でお風呂に入ってるんですが、
なぜかマリアさんも一緒に入ってて・・・そう、丁度こんな感じで・・・
あ、あはは、不思議ですよねー!
まだ知らないハズのお屋敷の様子とかお風呂の風景とか、
会ったばかりのマリアさんの姿がすごい鮮明だったんですよ、あははは・・・」
「そ、そうだったんですか・・・」
「はい、いやぁ、人間の想像力ってすごいですね〜!」
・・・・・・
・・・
いやぁ・・・何喋ってるんだろう、僕は・・・
確かに、この風景は・・・マリアさんも含めて、あのときの夢そのまんまではありますけど・・・
さすがに、呆れられますよね・・・これじゃあ、僕はまるで・・・
「あの・・・」
「は、はい!?」
マリアさんは赤い顔をあまりこちらに向けないようにしながら―――それが異性の裸を見る羞恥からであって、
早速今の話で軽蔑された、ということじゃないことを祈るのみ、ですが―――
「ハヤテ君は・・・その、そんな風に・・・私の・・・は、裸、とか・・・
想像されたり・・・してるんですか?」
「うぁ!?」
今更ながら、自分の考えなしの言葉を深く後悔しながら、でも同時に慌てて取り繕おうとして・・・
「い、いや! その! 想像したって言うより、その、
夢に見たマリアさんのことを思い返してただけって言うか!」
「・・・思い返してはいたのですね」
「あ・・・」
しまった・・・なんかもう・・・折角、ここまでいい感じだったのが・・・
「では、お先に上がらせて頂きますね」
「・・・・・・はい」
終ったかな・・・
がっくりとうなだれてしまいたくなる僕の視界の外で、
ぱしゃ、と水音―――マリアさんが立ち上がったのでしょう―――がして、
彼女はお風呂場の出口に・・・・・・あれ?
「・・・・・・ハヤテ君」
「は、はい!?」
あのやりとりの後で、流石に彼女の姿をチラリとでも見る度胸は無いのですが、
マリアさんは間違いなくそこに立ったままで・・・
「部屋で・・・待ってますね」
「へ?」
予想外の言葉に思わず顔を上げてしまった僕は、
背を向けているとはいえ・・・湯船に立つ彼女の裸身を思いきり目にしてしまい、
しかも顔だけ振り返ってこちらを見ていたマリアさんにはそれが一発でバレている・・・のですが・・・
「では、お先に・・・」
マリアさんはそれだけ言うと、そのままぱしゃぱしゃと歩いてお風呂場を出て行かれました。
僕は、呆然と・・・いえ、マリアさんの言葉の意味について思いを馳せつつ、
それ以上に・・・あのヒトの白い背中と・・・お尻に、目を奪われながら・・・彼女を見送っていました。
やがて、マリアさんが風呂場から出て行き、扉が閉められてから、
僕はやっと一息ついて・・・
改めて、マリアさんのあの一言について・・・いえ、
そもそもここへ僕を誘った事について、考えてみます。
いくら両想いで、き・・・キスまで、したとはいえ、
二人きりのお屋敷で、一緒にお風呂に入って、それで・・・部屋で、待っている・・・って・・・
「・・・・・・」
多分、僕くらいの健全な青少年が真っ先に妄想するであろうその先の展開を、
僕も例に洩れず思い浮かべて、
「――――――っ!」
慌てて湯船を飛び出して、叩き付けるような勢いの冷水のシャワーを浴びて―――
「・・・っ、はぁ・・・・・・」
頭と、身体・・・とくに一部を重点的に・・・冷やします。
だって・・・・・・僕は約束したばかりなのですから・・・・・・
一流の執事になる、と。
そして、その時こそマリアさんを・・・・・・って。
だから、今はまだ・・・・・・
それに、これじゃあ・・・余りにも・・・
ちらり、と浮かんだ誰かの姿が、冷たいシャワーと相まって、
僕の心を冷まして行きました。
「失礼します」
ノックの返事を確認して扉を開くと、腰をかけてこちらを見ているこの部屋の主と目が合います。
湯上がりなのとそれ以外の理由とで、彼女の顔が赤いのは予想通り。
でも・・・
「いらっしゃい、ハヤテ君」
「あ、はい」
「こちらに・・・おかけになりませんか?」
「あ・・・」
そのお誘いに思わず躊躇してしまうのは、
マリアさんが腰掛けているのが椅子ではなく・・・彼女のベッドだから。
そして、側に椅子の一つも無い以上、“こちら”というのは、やはり・・・
「・・・ハヤテ君?」
「は、はい・・・」
どうすべきか・・・悩ましく思いつつも、でも、
すぐに動こうとしない僕に向けられたマリアさんの目に、
なんとなく不安げな色が浮かんでいるのが見えて・・・
「じゃ、じゃあ・・・失礼します・・・」
「はい・・・」
彼女にそんな顔をさせるのが心苦しくて、結局僕はその隣に腰掛けてしまうのでした。
・・・ドキドキ、します。
お互いにお風呂上がりで、
彼女はパジャマ姿で髪を下ろしてて、
僕も今は執事服ではなく、スウェットにTシャツという軽装です。
そして、腰掛けているのはベッドで・・・
これじゃあ、本当に・・・その気になれば、このまま・・・
「ハヤテ君・・・?」
「あ!? は! はいっ!?」
そんなことを考えていたところに―――もしかすると不審な顔をしていたのかも知れません―――、
顔を覗き込むようにしながら、マリアさんに声をかけられます。
・・・その、上目使いの表情だけでも鼓動が高鳴らずにはいられないというのに、
より間近に迫ったマリアさんの髪から、ふわりとシヤンプーの薫りが漂ってきて、
何か、背筋を何かが蠢きながら這い昇る・・・そんな感覚に襲われて―――
「・・・っ!」
思わず、マリアさんから逃れるみたいに、身体をのけぞらせてしまいました。
「・・・・・・」
そんな僕にマリアさんは何も言いませんが、その目はなんとなく不満そうで、なんとなく残念そうで、
でも落胆したような訳でもなく・・・
「あ、あの! マリアさん!」
「はい、なんですか・・・ハヤテ君」
その目から、多分このままでは同じことを繰り返すことになるってわかってしまって、
だから・・・もう、話すしかありません。
「あの・・・えぇと、その・・・」
漂ってくるマリアさんの香りにドキドキしながら、なんとか落ち着こうと自分に言い聞かせつつ、
「今も、それにさっきのお風呂もなんですが!
その・・・あんな風に、一緒にお風呂に入ったり、こんな風に迫られたり、
ちょっと無防備過ぎるって言うか・・・」
もう、間違いなく僕の顔は真っ赤だと思いますが、ここはちゃんと言わないと、
こんなのが続いたら僕はもう、間違いなくこのヒトを・・・・・・
だ、だから!
「僕も一応、その・・・男、なので・・・
そ、そうは見えにくいかもしれませんが、やっぱり、男としての衝動とか欲求とか、ありまして・・・
マリアさんみたいに、魅力的なヒトに、こんな風にされると・・・いくら僕でも、
なんていうか・・・限界というか・・・その・・・」
恥ずかしいことこの上無いですが・・・こういうことは、ちゃんと伝えないと、
本当に、僕にだって限界が―――
「ハヤテ君」
「うぁ!?」
そんな僕の意図なんて全くお構い無し、という勢いで、
のけぞって開いた距離をマリアさんは一気に詰めてきて・・・
「知ってますよ・・・どんなに可愛いくても、ハヤテ君は立派な男の子なんだって」
もう、さっき以上に顔が近くて・・・うぁ・・・
「でもね、ハヤテ君」
心なしか、マリアさんの目は潤んでいるようにすら見えて、
そんな目で、彼女は―――
「私も、女の子・・・いえ、女・・・なんですよ?」
なんか、もう・・・理性が飛びそう、というか・・・どうでもよくなりそうです・・・
だって、スキなヒトにベッドの上で迫られて、男と女だって、意識させられて、
そもそも僕はそういうことに走りたい衝動をずっと抑えていて―――
―――なんで。
どうして僕は、こんなに躊躇っているのか。
・・・うしろめたい、から。
だって、僕は―――
「ナギと、西沢さん・・・ですか?」
「――――――っ!?」
唐突に挙げられた二人の名前に、僕は愕然としてしまいました。
だって、まさに・・・・・・その通りだったから・・・・・・
「どうして・・・」
唖然としながら、かろうじてそれだけ口にした僕に、
マリアさんはくす、と笑って・・・でも、僕から顔を隠すようにうつむいて・・・
そのまま、会話は途切れました。
あんなことがあったにも関わらず、
あんな誤解があったにも関わらず、
僕がここにいられるのはお嬢様やヒナギクさん、西沢さんのお陰です。
そして僕は、お嬢様や西沢さんの気持ちを知っていて、それでも・・・
彼女達ではなく、マリアさんを選んで・・・ここへ帰ってきました。
この想いは、たった一人のヒトにしか捧げることは出来ません。
だから、割りきらなくてはならないって・・・わかっています。
でも・・・感謝してもし足りない人達に背を向けて、
愛しい人と想いを確かめあって・・・
そのうえ、その人と・・・身体まで重ねてしまうのは、
いくらなんでも、僕だけがいい思いをしすぎなんじゃないか、って・・・
・・・そんな気持ちが、顔や態度に出てしまっていたのでしょうか。
マリアさんが、あんなに顔を赤くして、きっと恥ずかしいのを必死に我慢して、
自分から、その・・・許してくれようとしたっていうのに、
僕が他の女の人のことを考えていたなんて知ったら・・・怒り、ますよね・・・
「すみません・・・折角、マリアさんが・・・こんな・・・」
許してもらえるなんて思えないけど、
うつむいたままのマリアさんにかけられる言葉はこれくらいしか浮かんでこなくて・・・
「ハヤテ君は・・・優しいから」
「え・・・」
その、予想していなかった言葉に僕は何も言えず、
マリアさんもまた、僕のそれ以上の言葉を期待していなかったのか・・・
「私は、ハヤテ君のことを・・・信じています」
そう言葉を続け、顔を上げたマリアさんの目には偽るような色はありませんでした。
「40年だって、50年だって・・・待ちますって・・・本気で、そう思っています」
でも、そこにはさっきまでの、誘うような、色気に満ちた気配もなく・・・
「それくらい・・・本当に・・・ハヤテ君のことが・・・・・・」
代わりに、そこにあるのは・・・そう、あの時、池のほとりで見た・・・
「だけど・・・ハヤテ君は優しすぎるから・・・」
心細げな、縋るような・・・目。
「だから・・・ごめんなさい、信じてるって言いながら・・・信じきれていないのかもしれません。
でも、きっとハヤテ君は・・・・・・迷ってしまう」
「・・・・・・迷う」
「はい・・・いつか、ハヤテ君が借金を返して、全ての準備が整ったとき・・・
でも、それでもナギが諦めなかったら、
その時、ハヤテ君は選ばなくてはならなくなります・・・」
それは・・・いつか、きっと来るであろう、決断の時。
「でも・・・ナギが、西沢さんが・・・その時までずっと、諦めずにいたら・・・
ハヤテ君のことを、好きなままでいたら・・・」
今日のような、“きっといずれ”も“いつか必ず”も無い、
一人のヒトを選び・・・生涯をそのヒトと共に過ごすことを誓う―――その決断を下す時。
「ハヤテ君は・・・例え誰かのことを心に決めていても、誰か一人だけのことを、愛していたとしても・・・
でも、ハヤテ君は・・・・・・選べないかもしれない・・・って」
その、誰か・・・それは・・・今、僕の目の前にいる・・・あなただって、思っています。
でも・・・・・・
「いつか、ナギや西沢さんが諦めてくれるまで・・・
ハヤテ君は、選べないんじゃないかって・・・・・・そう思ってしまうんです・・・」
それは・・・・・・反論、出来ません。
だって、お嬢様も、西沢さんも、僕にとっては・・・マリアさんとは別の意味で、本当に、大切なヒトで・・・でも・・・
「私は・・・優しいハヤテ君が、好きです・・・
誰にでも優しくて、自分の身すら厭わずに頑張るハヤテ君が・・・本当に、大好きです」
マリアさんの縋るような目は、僕の目を見つめたまま・・・涙を滲ませながら・・・
「でも、いえ・・・だから・・・・・・スキだって、言ってくれても・・・
キスをもらっても・・・それでも、まだ・・・・・・不安なんです・・・!」
いつしかその声もまた、涙声となって・・・
「証が、欲しいんです・・・
この先、何があっても・・・・・・どんなことがあっても!
いつか、必ずハヤテ君が私を選んでくれるって・・・!
それまでずっと、私のことを・・・愛していてくれるって!」
そして、両手で顔を覆って・・・
「・・・ごめんなさい・・・私、これじゃあ・・・ハヤテ君のこと、信じてるなんて、いえない・・・
ごめんなさい・・・ごめんなさい! でも、でも・・・私・・・う・・・っ、ぁ・・・・・・!」
どうしてでしょう・・・どうして、僕は・・・大好きな人に、こんな思いばかりさせてしまうのでしょう。
このヒトを支えるって・・・誓ったばかりなのに。
「マリアさん・・・」
小さく震える愛しいヒトの肩に手を置いて・・・僕はもう一度、心の中で誓います。
「いつだったか忘れてしまいましたが、でも以前にも何かの拍子に言われたことがありましたね。
“ちゃんと選ばないとダメですよ”って・・・」
―――マリアさんの為なら、僕自身が傷つくことは恐れません。
「マリアさんも・・・それに、二人きりにさせてくれたお嬢様も・・・強い決意があったっていうのに・・・
僕は、まだ選びきれていなかったのかも知れません」
―――そして・・・マリアさんの為に・・・この想いを貫くことで、
―――誰かを傷つけなくてはならないとしても・・・
「でも、僕の気持ちは、想いは・・・嘘じゃありません!
お嬢様も西沢さんも、僕にとって大切な人です。
でも・・・・・・一人の男として、スキなのは・・・・・・愛しているのは・・・」
―――例えそれが、大切な人であっても―――
「マリアさんだけです」
―――僕は、あなたを選びます。
「ハヤテ君・・・」
顔を上げてくれた彼女の肩を、そのまま胸元に抱き寄せます。
「そのことを、証明してくれますか?」
マリアさんは僕の背中に腕を回して、その身体を僕に預けて・・・
「私の望むもの・・・望むこと・・・・・・ハヤテ君は、して・・・下さいますか?」
どきん、と、再び鼓動が高鳴り始めます。
こうして抱き合っている以上、それはとっくにマリアさんにも伝わっているでしょう。
だって、マリアさんの鼓動がドキドキと高鳴っているのが、僕に伝わってくるのですから・・・
「はい、ただ・・・ええと、その、正直・・・」
「はい・・・?」
「これが、証明になるのか・・・何というか、
その・・・・・・やっぱり僕は、一応、健全な青少年のつもりなんで・・・」
ここへきて難ですが、結局というか、やっぱりというか・・・
いや、僕の決意は本気です! 本物です!
・・・が。
「いや、その!
これから“する”ことについては、責任を取ります! 絶対に取ります!
けど、その・・・・・・始めちゃったら、ちょっと・・・どうなるかわからないといいますか・・・」
顔が茹だったみたいに熱くなってきました。
色々と、その・・・台無しだって、思います・・・でも、その・・・!
いや、だって・・・僕も、その・・・初めてなので・・・
「や、優しくします! けど、その、そもそも、上手くできるかどうかも、ちょっと・・・」
結局、そのことになるとしどろもどろになって、
自分でも何を言っているんだかよくわからなくなってきてしまった、僕のことを見て、
マリアさんはぽかん、として・・・そして・・・
「・・・もぉ」
思わず、というようにクス、と笑ってくれて・・・
「大丈夫ですよ。 だって私は年上のお姉さんなんですからね?」
「はぅ!?」
急に顔を近寄せられて、思わず息を呑んでしまった僕に、またしても笑みをこぼしながら・・・
「受け入れてあげます・・・・・・いえ、受け入れさせて下さい。
ハヤテ君の、ありのままも、想いも、全部・・・何もかも・・・
私に、下さい・・・・・・ね?」
「あ・・・・・・」
そう言って微笑むマリアさんは、
ついさっき涙したとは思えない・・・そして今だって、緊張して震えているとは思えない、
そう・・・見事なまでに僕の大好きな“年上のお姉さん”でいてくれて・・・
そんなことで・・・・・・やっと、わかりました。
僕はマリアさんを支えてあげたい。
支えて行こうと、思っています。
だけど、同時に・・・僕はマリアさんに、支えられているんだって。
でも、それで―――決意は確信に変わりました。
このヒトと支え合って行けるなら――――――怖いものなんて、何も無い。
「じゃあ・・・マリアさん・・・」
「はい・・・」
優しげな笑みを浮かべているマリアさんですが、やっぱり顔は赤いです。
そして僕はきっと、もっと真っ赤だと思います。
そんな赤い顔同士、ゆっくりと近づいて・・・目を閉じて、
でも、唇は開いたままで・・・・・・
僕はマリアさんと二回目のキスを交わしながら、
抱き締めた彼女と共に、ベッドへと倒れ込みました。