「う〜なんだか恥ずかしいわね…」
時は3月4日早朝。
我らが生徒会長、桂ヒナギクは白皇学院のシンボル、時計台の中の生徒会室でブツブツと1人言を言いながら頭を悩ませていた。
「自然に直して呼ぶべきかしら…でも急に馴れ馴れしく呼んだらウザがられるかも…」
彼女が何に悩んでいるかというと…
「は、ハヤ…綾崎君がわるいのよ!私にイジワルなんかするから…」
ズバリ好きな人の呼び方である。
昨日の夜の一件でヒナギクは完全にハヤテのことが好きだということを認識していた。
生まれてこの方恋などしたことがない彼女にとって、これは人生の一大事である。
しかしツンデレの属性が注入されている彼女が好きな人の呼び方を急に変えることも出来ようはずもなく…
「1人言でも呼べないなんてぇ…」
1人で悶々としているのであった。
「なんの話?」
「ひゃあ!!」
そこにヒナギクいじり大好き人間の花菱美希が現れた。
「脅かさないでよ!」
「これまたどうしたの?昨日の今日でお疲れ?」
「き、昨日帰るのが遅れたから寝不足なだけよ」
「へ〜…」
美希が来たということはもう少しで学校が始まる。
(う〜…どんな顔して会おう…)
と考えるだけでも真っ赤になってしまう。
「ハヤ太君ならあと10分くらい後にくるわよ」
「ひぇ!?」
なんでバレてんのよ!?という顔をしていると
「あれだけ一人でブツブツ言ってれば誰だってわかるわよ」つまり全部聞かれていたらしい…
「そ、そろそろ呼び方を変えてあげても良いかな?って思ってそれで…」
とヒナギクの言葉は尻すぼみになっていく。
(やっぱりこうなったか…)
美希は嬉しさ半分、寂しさ半分という気持ちだった。
嬉しさの方は生まれてこの方、恋愛のれの字も出てこなかった友達に好きな人ができた嬉しさ。
泉、理沙が相手ならさんざんに弄り倒した後、祝福するだろう。
だが相手はヒナギクである。
幼い頃から常に強く、美しく、カッコイい存在。
寂しさの方はそんな彼女が1人の男に取られるという寂しさ…いや、その男に対する嫉妬だった。
自分にとってヒナは常にカッコよくなければならない。
だが、その彼女に好きな人が出来たというなら…
「早く行きなさい。余った仕事は放課後やる」
「自分がやるとは言ってくれないのね…」
(やっぱり美希には隠し事は出来ないか…)
「ありがとう」
そう言ってヒナギクは駆け出した。
「あ〜もう!まだかしら…」
ヒナギクは校門近くの茂みに隠れるようにしてハヤテを待っていた。
「は、ハヤテ君でいいのよね!大丈夫…大丈夫…」
不安で押しつぶされそうだった。
期待で胸が踊っていた。
躊躇で諦めようかと思った。
会いたくて諦められなかった。
これは全部ハヤテのため。
大好きで大好きな男の子のため。
だから…
「名前で呼んでも…いいよね?」
不意に風が吹いた。
水色の髪の待ち人が歩いていた。
好きと意識すると相手の顔を見るだけでも真っ赤になる…
ヒナギクは視界に水色と執事服が目に入った途端にオーバーヒートしてしまった。
(言わないと呼ばないと!頑張れヒナ!)
心でそう念じながらハヤテの所へ走る。
10m…5m…1m…
「は、ハ…綾崎君!」
とまあ、ウブな恋する乙女が好きな人を名前で呼ぶには抵抗があるわけで…
(何やってんのよ!ヒナ!)
そんな後悔の念で一人悶えていると、ハヤテてからとんでもない返事が返ってきた。
「あっ、おはようございます。『桂さん』」「へ………」
ヒナギクが時計台を出たころ借金執事は学院への通学路を歩いていた。
我が儘お嬢さまは「P〇3が出たというのに学校になど行ってられるか!」
などと言い出したので家でガ〇ダムをやっている。
「にしても…昨日のヒナギクさんは恐かったな…」
ハヤテはヒナギクが正宗を使って襲いかかって来た時のことを思い出していた。
「やっぱり嫌われてるのかな…」
思えば自分は馴れ馴れし過ぎやしないだろうか。
あの時は確かに名前で呼んでも良いと言われたが、数度しか面識がないのに名前で呼ばれるのはやはり気に触るだろう。
マラソン大会の以後に名字で呼ばれたのだって、きっと自分も名字で呼べという意志表示だったんだろう。
「全く…僕はなんでこんなに気を使えないんだろう…学院についたら謝らないと」
と鈍感借金執事は考えながら学院についていた。
「は、ハ…綾崎君!」
校門に向かって歩くと後ろからヒナギクが声をかけてきた。
(うん、これからは名字で呼ぶようにしないと…)
「おはようございます。『桂さん』」
最初に心に入ってきたのは深い絶望感…
これまで名前で呼んでくれた大切な人に違う呼び方をさるることがこんなにも辛いなんて…
「な、なんで…」
ハヤテは少し落ち込んだような笑顔で答えた。
「すいません、これまで馴れ馴れしく話しかけて」
それが嬉しかったのに…
私をヒナギクと呼んでいい唯一の男の人だったのに…
「ではこれで…」
そう行ってハヤテは校舎へ行こうとする。
「ま、待って!」
ヒナギクはハヤテの制服の裾を掴みんだ。
呼び止めたところで何を言えばいいかわからない…
でも何か言わないと…
何か伝えないとこの人はどこかへ行ってしまう…
また大好きな人が居なくなってしまう…
「お願い…名前で呼ばなくても…いいから…」
もうどんな形だっていい。
大好きな人が居なくなるのは絶対に耐えられない…
「どこにも…行っちゃヤダぁ…」
目からはボロボロと涙が溢れ、自分の足では立っていられない…
でもこの人を掴んだこの手だけは離せない…
「ひ、ヒナギクさん!?」
それは彼が無意識に言った言葉なのかもしれない。
でもその言葉は…
自分を呼ぶその言葉は…
今の自分を一番癒やしてくれるものだった。
「えっと…ゴメンナサイ…」
ハヤテは何が何だかわからないまま謝った。
理由はよくわからないが自分が一人の女の子を泣かせてしまったのは痛いほどわかった。
それは何故か…
しばらく考えるとある結論に結びついた。
自分にはわかる…わかってしまう痛み…
この子は一人はもうイヤなんだ。
親が居なくなり、ずっと一人で悩んで、苦しんできた…
ヒナギクのことだ。誰にも、自分の姉にも迷惑はかけられないと相談もしなかっただろう。
そこに現れた自分。
同じ境遇で同じ痛みを持ってくれる人が現れたという安心感はヒナギクの中での綾崎ハヤテという存在を無くてはならない人にしていたんだ。
ハヤテにも覚えがある。
あの日、拾ってくれたお嬢さまとマリアさん…
あの人達が急に冷たく自分に当たってくれば自分も今のヒナギクのようになってしまうだろう…
それと同じ感情を彼女は自分に持ってくれている。
ハヤテはそう理解し言った…
「大丈夫ですよ…」
ヒナギクが俯いた顔を上げる。
「僕はヒナギクさんの側にいますから」
あの時…クリスマスの夜に自分が言っって欲しかった言葉を思い浮かべながら続ける。
「寂しい時も、困った時も、辛い時も、嬉しい時だって!いつだって…」
彼女の不安は恐怖は、その小さな体には耐えきれる物ではないから…
その不安、恐怖を取り除けるなら…
「言ってくれれば、助けに…会いに行きますよ」
「うぐっ…うわあぁぁぁあ!」
ヒナギクは恥も外分も無視して泣き出した。
嬉しかった。
自分を一番よく分かってくれ、自分が一番側にいたい人が側にいてくれると言ってくれた。
彼は単に自分を慰めるために言ったのだろう…
多分、自分の気持ちは伝わっていない…
それでも嬉しい。
ついさっきまで流していた涙とは全く違う、暖かい涙が頬をつたう…
となった所でハヤテはようやく気付いた。
今は登校時間である。
完全無欠の生徒会長様が道の真ん中で泣いているのだから当然、人が集まるに決まっている。
しかもこの図柄だと完全に自分が泣かせてしまっているように見えるだろう。(実際泣かしたのだが…)
「ひ、ヒナギクさん!ちょっと失礼します!」
「ふぇ…?」
ハヤテはヒナギクをお姫様抱っこでその場を離れた。