「これでもうワタシの野望はなされたも同然デース。」  
 
アフロのシルエットが巨大な屋敷の門の前にちらつく。  
湿り気を帯びた空気が渦を巻いている。  
腰には小ぶりな日本刀。ジーンズの裏ポケットには黒塗りの直方体が納められている。  
「帝のジイサンの遺産を狙い続けて、早数月。  
一度目は綾先ハヤテを強襲。  
二度目は巨大ロボまで持ち出したというのに失敗シマシタ。」  
 一度目は帝の屋敷で、綾先ハヤテを強襲したが遭えなく撃沈されてしまった。  
二度目は巨大ロボまで持ち出し、三千院ナギを狂言誘拐して条件を満たそうとしたが、あの借金執事の手でそれも失敗に終わってしまった。  
 
「それはワタシが甘ちゃんだったからデース。」  
 
 帝のジイサンがもつ莫大な遺産を手に入れるのに、あんないきあたりばったりな作戦でいいはずがなかった。  
もっと綿密に、周到に、計画を練る必要があったのだ。  
三千院ナギが条件を満たさざるを終えない状況まで追い詰めるまで。  
 そして、あのとき相続の条件は、『三千院ナギを泣いて誤らせる』から『綾崎ハヤテを亡き者にする』に変わった。  
つまりは、綾崎ハヤテを殺して、それを声明すればよいだけなのだ。  
 
「あのガキ相手では、多少情が出て手を抜きがちに成ってしまいマシタが…」  
 
 アイツが相手ならば…殺れる!  
 シルエットはゆっくりと屋敷の中に潜入する。  
この日のために屋敷のことは隅々まで調べてあった。  
更には今日はあの綾先ハヤテも教会地下ダンジョンからズタボロになって帰ってきているとの情報も入手済み。  
計画も知り合いの天才マッドサイエンティストとサスペンス小説の原案だと偽って、一緒に練った完璧なものだ。  
 
「さァ、ミッションスタートデース。」  
 
 明確な殺意を表したシルエットは静かに屋敷の中に消えた。  
 
 
「すみません。なんか…また迷惑をかけたみたいで」  
 熱で潤みきった目でベッドの中のハヤテくんがこちらを見上げています。  
ベッドの脇ではナギが今にも泣いてしまいそうな顔をしてハヤテくんの顔を覗き込んでいました。  
ハヤテくんはナギと一緒に地下ダンジョンとやらに挑んで帰ってきたところだそうなのですが、どこで何を間違ったのか  
(…まぁいつも間違えっぱなしといえば間違えっぱなしですけど)  
全身ぼろぼろで高熱まで出して帰ってきました。  
玄関で倒れているハヤテくんのそばでナギが泣いているのを見て最悪のケースも考えたのですが、幸いにも思い過ごしで済んだようです。  
 
「まぁ別に迷惑とかではないですけど…どうやったら毎回こんなにぼろぼろになるんですか?」  
 
ハヤテくんの体をてもとにあった手ごろな棒でつつきながら言います。  
この子は確かに優秀です。  
優秀なのですが少し自分を省みないところがあるので心配です。  
いままでの家庭環境のこともあるのでしょうが、ナギに命を救われたという思いがハヤテくんのブレーキを押しつぶしてしまったのではないか。  
ハヤテくんはナギのことに関して、自分の体に歯止めがかけられないでいる。  
その上彼自身の優秀さがそれを後押ししてしまっている。  
 
「とにかく、今日はハヤテくんはお休みにしますから、ナギのことは私に任せてゆっくり休んでいてください。」  
 
それだけ言うとハヤテくんも安心したのか、そのまま糸が切れたように眠ってしまいました。  
 
「それじゃあナギ。」  
 
涙ぐんだままハヤテくんの寝顔を眺めるナギの肩に手を置いて、あやすようにやわらかに言う。  
この子もハヤテくんを危険な目にあわせた責任を感じているだろうから。  
少しでもハヤテくんのために何かしたいと思っているだろうから。  
 
「ハヤテくんのためにおいしい食事を作ってあげましょうか。」  
 
「う、うむ。そうだな。今度こそハヤテに心から美味いと言わせてやるさ!」  
 
 ナギは振り向いていつものように笑って見せました。  
 
 ナギはいままで一切家事に携わろうとしませんでした。  
働いたら負けかなと思っているなどといったふざけたニート精神はこんなところにまでいきわたっているようで、  
過去台所に入ったといえば、ナギの早とちりでハヤテくんをびしょぬれの服のまま冬の門の外に締め出されてハヤテくんが風邪を引いてしまった時くらいなものでした。  
 今日はとりあえずおかゆの作り方を正しく教えることにしました。  
基本的に頭がいい子なので興味があることについての実行力は私でさえ舌を巻いてしまうほどです。  
少しコツを教えてしまえば、あとは手出しがいらないほどに見事な出来映えのものが出来ました。  
味見をしてみましたたが全く問題ない、それどころか、初めてまともな料理を作るにしては非常にレベルの高いものに仕上がりました。  
 
「ど、どうだ!私だって本気を出せば粥ぐらいこんなものだ!」  
 
(なら以前ハヤテくんにお粥を作ったときにも本気を出してほしかったですねぇ…)  
 
 その言葉は心の中だけに留めておきました。少なくとも、今言うべき言葉じゃない。  
 
(お嬢様!コレおいしいですよ!!)  
 
(だ、だろう!?私が本気を出せば粥ぐらいこんなものだ!)  
 
(なら以前ハヤテくんにお粥を作ったときにも本気を出してほしかったですねぇ…)  
 
(おい、マリア!それは言うな!!)  
 
心の中で夢想した風景があまりにはまりすぎて忍び笑いが漏れてしまいます。  
それにナギが気付いていぶかしげな目でこちらを見てきました。  
 
「な、なんだ?マリア。どこか…おかしかったのか?」  
 
 …今のはよくなかった。私とした事が。  
 
「いえ。ナギのお粥を食べて嬉しそうにしているハヤテくんが目に浮かんだものですから…」  
 
「そ、そうか!?よし、早速持って言ってくるっ」  
 
そういってナギは作りたてのお粥の入った小さな土鍋をトレーに載せて小走りに駆けて行きました。  
ハヤテくんのことで重圧を感じているナギには、何がトドメになるかわからない。  
しばらくは言動に気をつけなくて……は…。  
 そこまで考えたところで急激に眠気に襲われ、マリアはその場で座り込んで泥のように眠りに付いた。  
 
 
私は粥ののった盆をもってマリアの部屋を目指していた。  
そこにはハヤテが眠っている。あの暗い地下ダンジョンで私を守るためにボロボロになってしまった私の執事だ。  
そのことを思うと心が少し温かくなるのと同時に、後悔で胸が押しつぶされそうになった。  
 ハヤテがあんな怪我を負ったのは私の責任だ。  
私があんなところで不用意に動き回ったりしなければ、ハヤテが毒に侵されることもなかった。  
そもそも私がクラウスとあんな約束を不用意に結んでしまわなければ、ハヤテはこのようにケガを負うどころかクビになることすらなく今も元気に私の傍で微笑んでいてくれたはずなのだ。…自己嫌悪で泣きたくなる。  
 思えば私はいつもそうだったような気がする。私の思いつきで、とっぴな行動で、いつも痛い目を見るのはハヤテだった。いや、ハヤテが庇ってくれていたのだ。  
それに安心して、頼りすぎたのかも知れない。危なくなったらハヤテが来て、私のことを助けてくれる。漫画でよくあるありがちなシチュエーションだ。  
そんなことが本当に何度も起こって、ハヤテはそのたび私を助けに来てくれて…。  
 考えたこともなかった。  
私がピンチになったら確かにハヤテは私を助けに来てくれる。けれど、それは同時にハヤテが危険なことに巻き込まれるということだったのだ。  
私が無事でいる代わりにハヤテがケガをするということだったのだ。  
 いつの間にか足が止まっていた。それほど考え込んでいたらしい。  
頭を振って意識を元に戻そうとすると、不意にかすかなガラスを叩く音を聞いた。  
 
パタ…パタパタ………ざぁぁぁああああぁぁあああ  
 
「……雨…か。」  
 
 予報では確か降水確率…4%程度だったか…。やはり天気予報など当てにならない。  
 いよいよもって勢いを増してきた雨が風に揺られて窓ガラスを叩く。その音を聞きながらハヤテの部屋へと足を進めた。  
 
 
「ハヤテ…大丈夫か?」  
 
 部屋に明かりがついていない。当然だ。部屋を出るときハヤテの眠りの妨げにならないように消していった。しかし…  
 
「お、思ったよりも…暗いな?」  
 
  部屋を出るときはよかったが今は廊下から差し込む光だけしか暗闇をかき消すものがない。さらに外で激しく吹き荒れている雨が強烈に不安感を煽っていた。  
 とりあえず扉の脇の椅子にお盆を置いてから部屋の灯のスイッチに手を伸ばす。  
パチッと、軽い音を立てて部屋の電燈に灯が点る。椅子に置いた盆を取ってハヤテのほうを向き直った。  
 
「こんばんわデスネ。お嬢サマ」  
 
 部屋の扉を背もたれにしてもじゃもじゃ頭の男が腕を組みながらこちらをみていた。  
私が男を確認したのを見ると男は不適にフフフと笑ってみせる。全く似合っていないと言うか、遥通り越して無様ですらある。  
 
「オマエは…誰だ?」  
 
 目の前の男が盛大にずっこけた。  
 
「ワタシを思えていないのデスか!?ラッキークローバー〇のギルバートデース!ほら!あの地下で一緒に狂言誘拐をたくらんだ!!」  
 
「ああ、そうだったか?」  
 
 本気で忘れていたわけではない。が、いかんせんいい印象が残っていないので、興味を持つことが出来なかっただけだ。私はギルバートを無視してハヤテの寝ているベッドに向かう。  
 
「大体オマエがこんな時間に何のようだというのだ。誰に断ってこの屋敷に…ガッ!!」  
 
 頭に強烈な痛みを感じたと思ったときにはもう既に体が地面に倒れこんでしまっていた。  
手に持っていたお盆が上に載っていた粥をぶちまけて絨毯の上を転がるのが視界の端に映る。  
 なんだ?なにが起こった!?  
 地面がぐるぐる回っている。頭がまともに働らかない。一体どうなっている!?  
 
「何のよう…デスカ?」  
 
 ギルバートが私を見下ろす。  
 
「モチロン、ジイサマの遺産をイタダキに来たのデスヨ、お嬢サマ」  
 
 ギルバートは手に持った無線機のようなもに付いたスイッチを「ポチッとな」の掛け声とともに押し込んだ。  
 
 同時に、庭の方から警報が雨音を裂いて劈くように奔り、窓を響かせた。   
 
「…クッ、一体何をしたのだ!」  
 
頭を抑えながらよろよろと立ち上がる。どうやら頭を殴られたようだ。ジクジクと痛む頭を抱えながら霞む目をかろうじて奴にあわせて言う。  
 
「知り合いのマッドサイエンティストに頼んで三千院のセキュリティプログラムをハッキングしてもらいマシタ。酒の場の勢いに任せて押し切ったので引き受けてもらうのは楽デシタネ!今は警備ロボがSPの方々と庭で遊んでくれているはずデース。」  
 
 そういってギルバートは似非外人のノリでハハハと笑ってみせる。  
 
「サテ、邪魔者はすべて排除しマシタ。  
事前に入念に確認を取りましたカラ。  
かの執事長は出張中、SP連中は半分は教会で事後処理。残りは庭で警備ロボと交戦中。  
あの白いトラにはビビりマシタが、マッドサイエンティストから譲り受けた可変電圧式スタンガンで今はオネンネしてマース。  
さらにあの可愛らしいメイド殿は睡眠薬でぐっすりデス。ソシテ…」  
 
 ギルバートはゆっくりとハヤテの寝ているベッドへと歩いていく。左手に握っている日本刀をその鞘から抜き放つ。  
 
「このトンデモ執事、綾先ハヤテは地下ダンジョンで重傷を負ってほとんど動けまセーン。」  
 
「オイ…まさかッ!」  
 
「あとはコイツをこの借金執事の胸元に突き立てればッ!帝のジイサンの遺産は私のモノデース!」  
 
「ヤメロッ!!」  
 
 私は必死になってギルバートに飛びついた。確かに怖かったが命狙われたのは別に初めてじゃない。危機的状況になら何度も立った。だけどッ!  
 
「ハヤテは死なせない!」  
 
「このガキッ!」  
 
 ゴヅ…と生々しい音が耳の中に残る。殴られたのだ。それに気付いたときにはもう既に地面に転がされていた。あまりの痛みでめまいがする。  
 
「…そういえば、前の相続条件は『三千院ナギを泣いて謝らせる』…でシタネ。帝のジジサンは小ざかしいので、借金執事を殺しただけではなんだかんだと上手く言い逃れるかもしれまセーン」  
 
 ギルバートが私のほうを向いてニタリといやらしい笑みを浮かべてみせる。  
 
「泣いて謝らせて差し上げマース。」  
 
ズンッ!  
 
 黒い革靴が私の腹にめり込んだ。そのまま軽く宙を浮きて地面を転がされる。胸の内から質量がこみ上げる。  
 
  げええぇぇええぁ  
 
 その場で腹を押さえて嘔吐する。黄身がかった吐瀉物が絨毯の上に広がった。辺りに異臭が立ち込め、口の中には鼻をつく酸味がこびりついている。  
 
「汚いガキデース。三千院の跡継ぎがこんな見っとも無いガキだとは…現代社会は病んでマス…ネェ!」  
 
ゴリッ!  
 
 声の調子にまかせたままに側頭部を踏みにじられた。激しい痛みで頭が軋む。頭蓋が悲鳴を上げている。涙が出てきた。痛みのせいでもあるる。  
けれど、そんなことよりも、何も出来ない自分の小さな体が、力のなさが、殺してやりたいほど憎かった。悔しさで意識がねじ切れそうだった。  
 怒りに任せてギルバートの顔を見上げる。ふと視界に入った人影があった。  
 
「……ハヤテ…?」  
 
 ベッド脇にハヤテがうつむきながら立ち上がっているのが見えた。  
 
 
 
 突然の轟音で意識が徐々に浮かび上がって来た。滲んだ天井を熱でおかしくなった瞳が捉える。  
ぼやけた豪奢なシャンデリアがゆらゆらと小刻みに揺れていた。  
 あたりを見渡してみる。  
ベッドの脇に誰かが立っているのがかすかに見える。誰だろう。  
視界がぼやけていて分からない。どこか遠いところから耳鳴りのようなねじれた声が聞こえる。  
 
「このトンデモ執事、綾先ハヤテは地下ダンジョンで重傷を負ってほとんど動けまセーン。」  
 
 この似非外人みたいな喋り方はどこかで聞いたことがある。どこだっただろうか?熱で意識が朦朧としていてさっぱり思い出せない。音が、遠い。  
 
「オイ…まさかッ!」  
 
「あとはコイツをこの借金執事の胸元に突き立てればッ!帝のジイサンの遺産は私のモノデース!」  
 
 遺産?と言うことは、僕を狙いに来たのだろうか?お嬢様を守る執事であるこの僕を。確かあの地下空洞で、僕は三千院の遺産の相続条件を『綾崎ハヤテを亡き者にする』に変更してもらったような気がする。あの後確かにマリアさんに頼み込んだ。  
 
「ヤメロッ!!」  
 
「ハヤテは死なせない!」  
 
 お嬢様の悲痛な叫び声が聞こえる。今まで見えなかったがどうやらお嬢様もここに居るようだ。  
しかし、声から察するにどうも状況がおかしいような気がする。事態が非常に切迫しているような、そんな余裕のない叫び。  
 
「このガキッ!」  
 
 ガヅ…と、鈍い音が聞こえた。何度も聞いたことがある生き物を殴った時にする音だ。生々しい衝撃の音と小さなうめき声を残して、切迫した叫び声が途絶える。  
 
…お嬢様?  
 
 意識が段々クリアになり始める。視界は徐々に開けて、声が段々近くなる。  
「…そういえば、前の相続条件は『三千院ナギを泣いて謝らせる』…でシタネ。  
帝のジジサンは小ざかしいので、借金執事を殺しただけではなんだかんだと上手く言い逃れるかもしれまセーン」  
 声の主が徐々に遠ざかるのがはっきりと分かる。  
 
「泣いて謝らせて差し上げマース。」  
 
 ズンッ!  
 
  げええぇぇええぁ  
 
 誰かが嘔吐する音。首を向けるとそこにはと社物にまみれながら絨毯の上に倒れこむお嬢様とそれを妙に嬉しそうに見下ろす一人の男がいた。  
 
「汚いガキデース。三千院の跡継ぎがこんな見っとも無いガキだとは…現代社会は病んでマス…ネェ!」  
 
 男がお嬢様の頭を踏みつけ、そのまま顔をにじりつけた。  
 
 この男は何をしている?いまだ意識の定まらない眼で、男を見つめ、そしてお嬢様を見下ろした。  
   
…お嬢様は泣いていた。  
 
 苦痛に、屈辱に耐え、涙を流し…それでも歯を食いしばってそれらに耐えながら、男を気丈に睨みつけていた。  
 
 ゆっくりとベッドから降りて立ち上がる。意識はもう覚醒しきっている。  
熱で頭が溶けそうだ。毒のせいじゃない。怒りで神経がはちきれそうだった。目の前が真っ白になって、それから徐々に昏くなっていくのが分かる。  
初めての感覚だった。初めて本気で…人を殺したいと願った。  
 
「……ハヤテ…?」  
   
ゆるさない…  
 
 握り締められすぎて掌から血が滲み出ていた。かまうものか。  
お嬢様を泣かせ、あまつでさえ傷つけた目の前の男を殺せるのなら、こんな拳などいくら傷ついてもかまわない。  
 
「ヤア、綾先ボーイ。今までは散々ボーイにボロボロにされてきましたが今回は私の勝ちデース。ユーは熱と外傷でボロボロ。このガキは…」  
 
 男は足を上げて足元のお嬢様を再度踏みつけた。お嬢様の顔が痛みのためかひどく歪んだ。  
 
「この通りデース。」  
 
 ああ…もう喋るな。これ以上喋られたら…もう…  
 
「サテ…残念デスが、これからユーを…」  
 
 もう、オマエを、生かしておくことができそうにない!!  
 
 ガボッ!!  
 
 喋り続ける男のわき腹にボディブローを差し込んだ。疾風のように踏み込み叩きつけるようにえぐり込む。  
男の表情が苦悶で歪んだ。ギロリ、と男の目が僕の方を睨みつける。男の右手が振りあがり、そのまま刀が振り下ろされた。  
バックステップで距離をとりつつ、腕を上げて足でリズムを取る。昔バイトで培った技術を総動員して、目の前のゴミを消しにかかる。  
 
「熱で弱っていてもコレデス…か?化け物…デスネ。」  
 
 殺す…殺す…  
 
 刀を構えながら息も絶え絶えにこちらを睨みつけている。それを視線だけで人が殺せそうなほどに睨み、威圧する。  
 
「しか…し、ワタシももう引き下がれマセーン。ここまでして…おいて、何もなせずに…帰ったナラば、ワタシは…三千院に、消されてしまいマース。」  
 唯一つの信念が僕の頭を塗りつぶす。殺す、と。その意思だけが僕の脳を支配する。  
昏がりの視界は狭まり、今では目の前の男以外の物を捕らえられない。もう奴が何を喋っているのかすら、定かではなかった。  
腹や顔では一撃では戦意を崩せない。狙うのは目だ。一撃で相手の戦意を奪える。  
眼球を抉り出し、眼底を貫き、脳を汚す。お嬢様を傷つけた罪、痛みにのた打ち回りながら慙愧させてやる!そして…殺す!  
 
 殺す!殺す殺す!殺す殺す殺す殺す!!お嬢様をこんな目に合わせたお前を、この僕がッ…殺す!!  
 
 地面を蹴って踏み込む。同時に男が刀を突きを放った。眼球に届こうかというソレをスレスレでかわす。  
肩上を通り抜け、紅いラインが首筋に引かれた。それでも前に進み、指を伸ばし、ありったけの力を込めて突き込んだ!  
 
 パシィ…ン!  
 
 何かがはじける音。視界がぼやける。そのまま男にもたれかかり、ずれ込んで地面に顔を打ちつけた。  
何で…。僕は確かにこの男を殺せたはずなのに。眼球を抉り出し、お嬢様に謝らせた後、苦しませて逝かせるつもりだったのに…。どうして…。  
 体が動かない。指一本だに動かせない。どうして…どうしてッ!地面に叩きつけられた痛みよりも、困惑の方が強かった。男がふぅ…と息をつく。  
 
「フフフ、ボーイ。余り不用意に相手の懐に飛び込むのは感心しマセン。例えば相手は…」  
 
 男は手元の黒い小さな直方体を掲げて言った。  
 
「スタンガンなんかを隠し持っているかもしれマセン。こんな風にネ。」  
 
 そういって得意げに笑った男は急にペタンと座り込んだ。  
 
「オヤ、…クッ、立ち上がれマセンネ…最初の一撃デショウか?」  
 
 男は座り込んだまま、それでも余裕を持ってハヤテを見下ろす。  
 クソッ…クソッ…僕はまだ何も出来ていない。お嬢様の屈辱を晴らすことも、お嬢様の頭を足蹴にしたこの男への復讐も、  
お嬢様を安全圏に逃がすことすらッ!何も!何も…できてないじゃないか…。  
 悔しくて涙が出てくる。悔し泣きをしたのは初めてだった。次から次へ涙がこぼれだすのを、とめることが出来ない。  
 
「悔しいデスか?ボーイ。安心してくだサーイ。その悔しさも…もうじき消えてなくなりマース。ユーの命と一緒にネ!」  
 
 男が刀を振り上げるのが分かる。駄目だ。指一本動かせない。やられてしまう。  
 …スイマセンでした、お嬢様。僕は…お嬢様を守れませんでした。  
 心のうちでそう呟いた後、ゆっくりと目を閉じた。  
 
 …ゴッ  
 
 …急に鈍く発せられた音を最後にして、室内の音が消えた。雨音が戻ってくる。  
 まだ僕は生きている。どうして…そう思って目を開けると、土鍋を持ったお嬢様と倒れこんでいる男が視界に映し出された。  
 
 お嬢…さま?  
 
 角度が悪くてお嬢さまの表情が読めない。唯何かをぶつぶつと呟いている。  
 
「よくも…よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも……」  
 
 お嬢様はもう泣いてはいなかった。代わりにさながら呪詛に満ちた言葉を吐くかのように、よくも、と繰り返している。  
ポタリ、と赤が滴り落ちる音が鮮明に聞こえた。  
 
「よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも  
よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも  
よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも  
よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも  
よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも  
よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも……よくもッ!ハヤテを!!」  
 
 お嬢様は土鍋を振り上げて男の後頭部に振り下ろす。ゴシャ…と頭蓋の砕ける音がした。お嬢様は何度も土鍋を振り上げる。  
何度も。何度も。何度も何度も。何度も。振り上げては振り下ろし、男の頭蓋を砕く。男の耳から脳漿が垂れ流されている。  
男の頭はもうすでに血まみれで土鍋に付いた血液が当たり一帯に振りまかれ、紅い絨毯を鈍紅色に染め上げていく。  
単調でたった一つのマイナスが込められた言葉を呪詛に吐きながら、なんのためらいもなしに男の頭蓋を粉砕する。  
 しばらくして、これ以上振り上げられなくなったのかお嬢様は力なく土鍋を地面に落とした。ゴトン。土鍋が鈍い音を立てて絨毯の上を転がる。  
お嬢様が泣きそうな目でこちらを見ている。  
 
「ハヤテ、私…」  
 
 僕は呆然としてしまっていた。もう筋肉の弛緩は解けてしまっていたのに、それでも動くことが出来なかった。  
唯、赤に彩られた彼女を、見つめていることしか出来なかった。  
 
「ハヤテくん!ナギ!!…ッ……!!!これは……。」  
 
 マリアさんが部屋に飛び込んでくる。それから部屋の惨状を見て息を呑み、それでも冷静にポケットの携帯を取り出してプッシュする。  
 
「医療班ですか?今すぐナギの部屋に。それと外のSPに連絡して、ナギの部屋に来るように言って置いてください。」  
 
 それだけを簡潔に述べて電話を切ると、マリアさんはこちらに駆け寄ってくる。  
 
「ハヤテくん…立てますか?」  
 
 僕はゆっくりと手を突いて立ち上がる。熱がぶり返して、また視界が霞み始めていた。  
 
「とりあえずナギの部屋まで着いてきてください。話も治療もそこで…」  
 
 そういうとマリアさんはお嬢様を抱えて足早に部屋を出て行った。慌ててそれを追う。  
 お嬢様の部屋へいく途中、僕の名を呟きながら男の頭を砕くお嬢様の姿が思い出された。そして、「ハヤテ、私…」泣きそうな目で僕を見ながらそう呟いたお嬢様の姿も。  
 僕はあのとき、どう答えるべきだったのだろうか。  
 
 
おわり  
 

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