ハヤテにとってマリアとの一時はまた顔の締まりを無くすには十分過ぎた。ヒナギクに殺意を沸かせたゆるんだ笑顔になっているとは露知らず、  
彼は普段通り一日を終えるために一つ、また一つと仕事を済ませていた。最後にナギの部屋を訪れようと廊下を歩いていると、何かが気になり始めた。  
もう10メートルほどまで近付くと嫌な予感があり、彼はドアの前で立ち止まった。ノックするのがためらわれ、何故なんだろうと思いつつそっとドアを薄く開けた。  
「ハヤテのやつはどうしてああなのだ。いくらヒナギクのついでとはいえ、マリアと随分いい雰囲気だったではないか」  
 部屋の中ではナギがパジャマ姿でベッドに横になり、シラヌイを相手に独り言を言っていた。昼間はあまり見せない弱気な表情にハヤテの心は揺らいだ。  
主人の顔には問い詰める時の三白眼も、御礼を言う時の頬の赤みもなく、ただ不安そうに遠くを見る眼つきだけがあった。心臓が深く、ゆっくりと動いたようだった。  
少なくとも脈は速まった。  
「私への気持ちもまだ感謝でしかない、そういうことか。やはり恋人とは見ていないのか」  
(え……? そんな訳には参りません、お嬢様!)心の声はそう言っていた。しかし一方でつい数日前の釣りの一件が思い出された。  
ナギが言っていたことは体のことというよりは胸のことだったのかと、いまさらながら思い至った。たとえあの時は罪悪感を感じることもない微小なものだったとしても、  
ひょっとして本人はないなりに気にしていたのかもしれない。ドアにかけた手の体温が下がり、感覚が鈍り始めた。  
「いかんいかん、ついさっきああ言ったばかりではないか。ハヤテを信じないでどうする」ナギはシラヌイを離すと布団を被った。  
マリアが添い寝をしていることを思い出し、彼は一先ずここを離れようと下がった。  
「あら、こんな所で……いけない子ね」妙に甘ったるい声が耳元で囁かれた。  
 ハヤテの鼓動が一気に激しくなり、数秒、息が止まった。それでも声は出さずに直立不動の姿勢をとっていると、今日、正面から抱きつかれた時とは違う感触が押し付けられた。  
背中には柔らかな胸の感触が、耳元には静かな息遣いが感じられた。そして胸の辺りに回された両手が執事の服の下へと滑り込んでいた。  
「マリア、いるのか? そろそろ私は寝るぞ」  
「はいナギ、あと……そうですね、あとこの館の戸締りに十分ほどかかりますのでお待ち下さい」  
「分かった、早くしろ」  
 マリアに密着され、ハヤテはされるがままにナギの隣室へと引きずられていった。  
 
 ハヤテを部屋に連れ込むと、マリアは一旦彼を放してナギの寝室とを分ける壁にハヤテの背中を押し付けた。正面から彼を見据え、満面の笑みで彼を眺めた。  
膝は落ち着きなく震え、顔は蒸気し、耳も赤く、目は泳いでいた。  
(もう、どうしてこういじめたくなる子なんでしょう)  
 マリアは笑いを口元に残し、静かに彼を見据えた。幾分落ち着いた様子だったものの、ハヤテは相変わらず硬くなって壁に背中を張り付けていた。  
「ナギは大分気落ちしていましたけど、どうしてでしょうね?」  
「す、すみません……僕のせいで」ハヤテは頭を下げた。マリアは口元に手をやり、目を細めて微笑んだ。  
「すみません? あら、いつハヤテ君を責めましたっけ?」  
「ごっ、ごめんなさい、お嬢様の気持ちも知ら――」マリアはハヤテの唇に指をあて、顔を近づけた。額が当たりそうな距離、伏せたハヤテの表情はやはり素直だった。  
「静かにしましょうね、ナギに聞こえますよ」声をひそめ、マリアは耳元で囁いた。ピクッと首筋が震え、そんな彼の様子にマリアは嗜虐心をまたそそられた。  
「ナギは随分なことを言ってますけど、姫神くんはいい子でした。たとえ家族であっても無関心なことの方が多い子ですから」  
 少し間をとるとハヤテが小さくうなづき、マリアは先を続けた。  
「だからハヤテ君はナギにとってとっても大切な人なんですよ。あれくらい心を開ける相手は伊澄さんとか咲夜さんくらいで、本当に大切なんです。分かりますね?」  
「はい…………分かります」  
「そうですか、それならいいんです。分かってくれれば」マリアは顔を離し、ハヤテを見た。うな垂れ、目を逸らして、立っているのが精一杯のように見えた。  
まともに自分を見られない恥かしがりようがまた少し酷くなっているようだった。  
「でも分かってくれているんでしょうか、ハヤテ君おっちょこちょいだから。あ、ドジッ子属性なんて言い訳は無しですよ?」  
「どうしてそうなるんですかっ」ハヤテが顔を上げ、声を殺して叫んだ。  
「女の子を泣かせたら謝っても許しませんよ?」  
「え、マリアさん? やっぱりお風呂のこととかコートのこととか何度も部屋壊したこととか年齢聞いたこととか丸々一巻近く置いてきぼりにしたこととか、やっぱり怒ってるんですか?」  
(何を今更……まあ、6巻のおまけコーナーは本気の心の叫びですけど)  
「やっぱり分かってないですね、ハヤテ君。これは女心を知ってもらうためにも、今からクリスマスプレゼントの練習をしないといけないですね」  
「れ、練習って?」  
「またナギを泣かせるつもりですか? それも特別な日に」  
 
 マリアに詰め寄られ問い詰められ、ハヤテは生きた心地がしなかった。  
いつぞやのビリヤードとは異質の責めにおっかなびっくり受け答えしながらも、確実なことといえば追い詰められていることだけだった。それも何か妙な方向に。  
「またナギを泣かせるつもりですか? 特別な日に」  
 特別な日の意味はさすがのハヤテでも、もう分かっていた。  
「泣かせなんてしません」  
「ロリコンと言われようとも、ですか?」  
「はぅっ……そ、それは……」ヒナギクに言われた時から半ば忘れていたことが急に彼の頭を打った。そう、意識しようとしまいと周囲の目はそうとしか見ない。  
自信はまだなく、答えはまだ見つからなかった。そんなことを十秒かそこらで必死に考えていると、目の前ではマリアがくすくすと笑っていた。  
「冗談ですよ、もう少しだけ時間が必要でしょうね。でもその時がいつ来るか、不安じゃないですか?」  
「なんで、そんなこと……」  
「初めて同士、ナギを傷付けないで済ませられますか?」  
 息苦しかった。答えにくい問いを幾つも浴びせられ、逃げ出したい心境だった。しかし背中には壁がぴったりとくっつき、正面にはマリアがいて逃げ道はどこにもなかった。  
しかも壁の向こう側にはナギがいてマリアの帰りを待っている――ハヤテはどうしようもないと開き直るしかないと決めた。  
「どうすれば、いいでしょうか」  
「あまり時間もないから実践しましょうね」そう言うなり、マリアの柔らかな唇がハヤテの唇を塞いだ。両肩をしっかりと押さえつけられ、軽く頭が壁に当たった。  
「んっ、んー」逃げようとしても小さなうめき声が漏れるだけで、一向に離してはくれなかった。それどころかマリアの唇が動き、擦りつけるようにハヤテの唇を貪り始めた。  
暖かな感触に彼は頭に血が上り始め、熱くなった。  
「あ……うっ」舌が口の中に進入し、口内を舐め回した。唾液が混じりあい、ハヤテはすっかりのぼせ上がった。  
弾力のある舌が彼の舌と絡み合い、さすがにハヤテは堪えられなくなった。  
「……んっ、は……ぁ」顔を横へとずらし、無理矢理マリアから逃れた。  
「あら、もうキスは終わりですか? それじゃあ、次行きますよ」  
 
「やめ、て……くだ、さい」  
「大丈夫ですよ、今夜はこれで終わりですから。それより、声を出さないで下さいね。聞こえちゃいますよ?」  
 途端にズボンに感触があった。マリアが前を開き、指を入れてきた。パンツ越しに指が触れ、ハヤテは腰を引いた。  
「あっ」  
 マリアのキスで再び口を封じられる。その間にも繊細な指が探るように入り込み、彼のモノを捉えた。擦られ、摘まれ、しごかれるとはちきれそうに屹立した。  
マリアがパンツをずらすと熱いモノが露出し、ハヤテの体の中でひときわ熱が集中していった。全身は脱力にも近い具合で、ずり落ちないようにするのが精一杯だった。  
「はっ……んんぅ…………あっ」  
 マリアは口付けを止め、ハヤテは深い息を吐いた。直後、耳たぶを優しく噛まれ、小さく震えた。2箇所からの快感に思考力も低下し、抵抗する気も失せていった。  
「まだですよ、ハヤテ君」突然、ハヤテのモノが掴まれ、しごかれた。  
「ああっ、はぁ……」辛うじて声を押さえたものの、自慰にはない快楽に腰が蕩けそうだった。指は徐々に先端に向かい、外気に直接触れている敏感な個所へと伸びた。  
何本もの指先にくすぐるように愛撫され、ハヤテは変になりそうだった。ぬめっとした液が漏れ、痛みが和らいだ。  
同時に、マリアの指を汚してしまったことに罪悪感と、それよりも強い興奮を覚えた。  
(マリアさんが僕のを……)  
 かすかに触れ合うマリアの衣服とこすれ合い、その度に彼は小さく震え、悶えた。ふと、彼女の口と手が離れた。ハヤテは息を吐く。  
火照った頭にはマリアの昼間には見たことのなかった顔が見えていた。意地悪な時もあったものの、頬は本当に17歳と間違えそうなほど艶やかで、唇と瞳は意味ありげに潤んでいた。  
「気持ちよさそうですねハヤテ君、こんなに熱い……やっぱり男の子ですね」熱い吐息が彼の首筋をくすぐった。  
「どうして欲しいですか?」  
「マリアさん、僕、もっと……」  
 躊躇っていると、マリアの手が再び愛撫を始めた。ただし今度は両手がパンツの下へと潜り込んだ。それだけでハヤテは体をのけぞらせ、身をよじらせた。  
「ちゃんと言わないと分かりませんよ? こんなにエッチな体をどうして欲しいんですか?」  
「は、はい…………もっと、もっと気持ちよくしてくだ、さい」片手で付け根を揉み解され、少し柔らかくなっていたモノがそそり立ち、その先端をもう片一方の手で擦り上げられた。  
「私に弄られて喘ぎながら達して、エッチなミルク、吐き出したいんですね?」  
「はぃ……イキたい、ですっ」  
 ハヤテの下半身に彼の全てが集中し、快感が込み上げてくる。温もりが刺激を与え、そして恍惚感へとハヤテを上りつめていった。  
「ああっ、ダメです…………ぼくっ、ぼくっ!」  
「かわいい、ハヤテ君」  
 マリアの指の腹がより繊細にさすり、血が集まって痛いほどに腫れ上がっている個所を愛撫する。ハヤテは今度こそ腰が抜けそうになり、気持ちよさに耐えられなくなった。  
「あぁっ、出るっ出ちゃう!」  
 初めての快楽に身を任せ、彼は熱いほとばしりを放った。一度、二度、そして三度と膨張した欲望が跳ね上がり、マリアのエプロンドレスに精を打ち出す。  
「ふぅ……ああ…………はぁ」深く、ゆっくりと息を吐き、彼はその場にへたり込んだ。  
ぼんやりと見上げたマリアの顔はいやらしさよりはどこか暗い微笑を浮かべ、濃い影が落ちていた。  
 
 ハヤテの体が跳ね、同時に熱を帯びた精が服を濡らした。素早く片手を回し、エプロンドレスで零れないように受け止める。  
生地越しに粘っこい液体を肌に感じ、マリアはこの上もなく嬉しい気持ちになった。男の性欲を満たし、そして満たされる様をまだ始めとはいえ実感できた、  
その事実に未知の感情すら抱いていた。抑えようのない悦びが頬を緩ませ、ある種の征服感が湧き上がってきた。  
 呆けた目を泳がせてハヤテが腰を抜かすと、マリアはふと我に返った。何か悪いことをしてしまった、いやそんなはずはないと短いながらも葛藤があった。  
ハヤテの目は何かを訴えているようにも見え、自然と笑顔が歪んだ。  
 
 ハヤテは気がつくとコトに及ぶ前のままで部屋に転がっており、ぼんやりした記憶だけが残っていた。立ち上がり、あまり家具の置いていない室内を見渡した。  
(僕はここでマリアさんと…………)  
 その先は続かなかった。今夜マリアと暖かな時間を過ごしたことで錯覚した、そう思い込もうとした。  
(そうだ、マリアさんがそんなことするはずが――そういうことにしよう、そうに違いない)  
 ハヤテは気を取り直し、部屋を出ようとしてドアの取っ手に触れると、何かが落ちた。  
それは淡い水色の封筒で、拾い上げると「ハヤテ君へ」と、紛れもないマリアの文字で書かれていた。ハヤテは高まる鼓動を押さえつつ、震える指で封を開けた。  
中には便箋が一枚入っており、ぎこちない手つきで開くと綺麗な文字が目に入った。  
『これを読んでいる頃、もう秘め事は終っているでしょう。今夜、私が言ったことはみんな本当ですよ。  
でもここの壁は防音設計ですから、ハヤテ君の恥かしい声も聞こえませんよ、安心してください。  
12月24日のプレゼントを楽しみにしていますね。最後に、このことは秘密ですよ。  
 
ハヤテ君へ』  
 ハヤテは封筒と便箋を取り落とし、その場に立ち尽くした。  
 
「随分遅かったな」いつもと変らないナギがパジャマ姿でベッドに横たわっていた。マリアはとうにパジャマ姿に着替え、主の隣へと潜り込んだ。  
「はい、カーテンのほころびが見つかったので応急処置していたんです」  
「そうか。では私は寝るぞ」そう言うなり、ナギは目を閉じた。  
「おやすみ、ナギ」  
「おやすみ」  
 マリアはあらかじめ書いておいた手紙のことを思い出し、少し後悔した。悪戯が過ぎた、とも思った。それでもコトが起こってから書ける自信もなかった。  
(それでも)マリアはナギを見つめ、しばらくして目を閉じた。  
(ハヤテ君にはあれくらいで丁度いいんです)  
 

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