俺の名は薫京之介。白皇学院で教師をやっている。
まあ自慢じゃないが、学生時代はそれなりに成績優秀だったし、運動だって今でも生徒に負けない自信はある。
そしてさらに自慢できない事に、今まで女と付き合ったことがない。
別にロリコンだとか、ウホッな趣味ってわけじゃないんだが、三十路目前で未だ童貞だ。
そんな男は狼どころか柴犬程の獰猛さも無いから気を付ける必要は無いと思われても仕方ないのかも知れないが…。
〜給料日のの誘惑〜 第1話 二人きりの職員室
待ちに待った給料日。
今月は欲しいもの(主にガンプラとか)が多いもんだから、いつも以上にこの日を待ちわびていた。
そんな訳で仕事を終え、誰もいない職員室の鍵を閉めて気分良く帰ろうとしたんだが、
「お疲れさん。薫先生、今晩アンタん家行っていい?」
…この瞬間、俺のテンションはエベレストよりも高い所から急降下した。
誰かに言われんでもわかっとる。この学校でこんな馴れ馴れしく話しかけてくる奴は…、
「ざけんな。一人で帰らせろや、桂」
「いいじゃない。せっかくの給料日なんだから」
桂雪路。同僚にして飲んだくれのダメ人間だ。
「くぉら!誰がダメ人間だ誰が!!」
「人のモノローグ読んでんじゃねーよ。どうせ人んちの食糧食い漁る気だろ」
ついでに地獄耳。その他にもいろいろあるが、ありすぎるので省略する。
「食い漁るとは人聞きの悪い!ちょっと酒の肴に嗜むだけじゃないの」
「一緒だっつーの。いいからとっとと帰りやがれ」
「む〜。薫先生のドケチ!」
「何とでも言ってろ。俺は帰るからな」
こいつに付き合ってるとろくな事が無い。
この前だって校内行事のマラソン自由形に無理やり参加させられて、勝手に暴走して崖から落っこちて、巻き添えにされた挙句賞金の分け前は無しときたもんだ。
こういう奴は放っとくに限る。俺は底無しと分かっている沼に飛び込むほど愚かじゃないからな。
だから俺はアイツの言葉を無視し、職員室を後にしようとした。のだが…、
桂はいつの間にか俺の背後に近づき、そして、
「ふふっ、これでもアタシを無視できるかしら?」
と言って、背中に抱きついてきやがったのだ。
…って待て待て、何だこのシチュエーション!!
これ何てエロゲ?
って言うか、この背中越しに伝わる感触、ってまさか!?
「こ〜んな美人の誘いを断るなんて、やっぱり二次元しか興味無いんだ。この二次元ジゴロ」
み、耳元で話しかけてくんな!こそばゆくてムズムズすんだよ!
ってか何だよその声、どっから出してやがる!?
「だ、誰が二次元ジゴロだ!その呼び名はやめろっての!!」
ちくしょう、声が上ずってやがる…。桂ごときにっ…。
「ねえ〜、いいでしょ〜。飲み屋に行こうかと思ったんだけど、いつものとこ、今日は一身上の都合で休みます、だってさ。給料日くらいパァーッと景気良くいきたかったんだけどな〜。」
「うるせえ。そのパァーッとやりすぎてるせいで、どれだけ借金作ってると思ってんだ!んなことする金あんなら、ちったぁ借金返しやがれ!!」
心臓が暴れているのを抑えながら、なんとか口にしてみた。よし、少しづつだが落ち着いてきたぞ。
と思ったのだが、
「何なら、返してあげよっか?」
再び心臓が暴れだしたのを知られていないかなんて、気にする余裕なんて無かった。
あの踏み倒し上等の借金女王、桂雪路が”返す”だと?
いやしかも、この状況…。いつの間にか胸の前に回された腕、耳元で囁く声、そして背中に押し付けられたアイツの…。
これってつまり、身体で…。って何を考えてるんだ俺は!!
「いや…、お前…、それは…」
もう言葉にもなりやしない。そんな俺の状態を察してか、アイツの行動はさらにエスカレートしてきた。
「どうしたのかしら?離れろ、とか言うんじゃなかったの?」
そう言ってアイツは、俺の体の前に回した手を、俺の胸に、腹に、そして脚に、と動かし、撫で回してきた。
「ふーん。アンタって意外と筋肉質なのね。ゲームとかガンプラばっかやってるインドア派だから、もっと太ってるかガリガリ君かと思ってたわ」
「……」
やべぇ。流石にやべぇ。こいつの手が俺の体を縦に、横にと動き回る度、思わず震えちまう。
その上、その動きに合わせて背中の柔らかな感触も、その位置を、強さを変えてゆく。
Yシャツ越しに渦を描きながら、アイツの手はやがて俺の乳首を捉え、そして小刻みに指で弾く様に撫で回した。
「くっ…」
思わず声が出た。
何でただ触られているだけなのに、こんなに頭がくらくらするんだろう?
そしてまずい事に、俺の体内の血液が股のところに集まりだして、ズボンを持ち上げ始めていたのだ。
なんてこった。このことが桂に知られたりしたら…。
そんな俺の心境を読み取ったとしか思えないタイミングで、アイツは言い放った。
「アンタん家行っていい?」
もう限界だった。これ以上されるとズボンの膨らみを悟られるどころか、ズボンを汚してしまいかねない。
そう感じた俺は、息も絶え絶えにこう言うしかなかった。
「…勝手にしろ…」
俺の言葉を聞いた途端、体に絡みついていた腕はスッと離れ、背中の感触も遠ざかっていった。
そして、どうにか呼吸を整えようとする俺に向けて、アイツは言った。
「よっしゃーー!!これで今日の宴会は決まりじゃーーい!!」
さっきまで俺の耳元で囁いていた声とはまるで別物の、いつもの叫び声で。
ああ、桂だ。桂雪路以外の何者でもねえや…。
「ってことで、酒代ちょーだい!買って来てあげるから」
あー、はいはい酒代ね。…って、
「おい、それ位テメーの金で何とかしやがれ!!テメーも給料貰ってんだろうが!!」
「いいじゃん。アンタも飲むわけだし。それとも何?女に金払わそうっての?は〜あ。だからアンタは二次元止まりなのよ」
「余計なお世話だ!大体、さっき”返してあげよっか”って言ったのは何だったんだよ!!」
尤も、そのとき俺がどうやって返してくれると思っていたかは、決して言える訳も無いが。
「ああ、それはウソ」
なんですと?
「ああでもしないとアンタ、首を縦に振りそうに無かったからね。そんでもってただ言うだけじゃつまんないかと思って、ちょーっと大胆に攻めてみたって訳」
じゃあ俺は、まんまとコイツに騙されて…。一瞬良からぬ期待をした俺って一体…。
「ま、アンタじゃちょっとやりすぎちゃっても襲ってくるような度胸も無いだろうからね」
ちょ、ちょっと待て!それってつまり、俺がそんな根性なしだとでも!?
「じゃ、そういう訳で、午後9時にアンタん家ね。ちゃんと散らかってる同人誌とか片付けときなさいよ」
「散らかしてねええええええええ!!」
俺の叫び声も届かなくなるほどのスピードで、アイツは帰っていった。
勿論、その手に俺の渡した1万円札を握り締めて。
この悲しさは、夕日が沈んでいるからなのだろうか、と思いつつ、俺は職員室を後にした。
この時俺も、そしてアイツも気付いていなかっただろう。
夜に、男の家で、女が酒を飲みに来る事の意味を。