午後の三千院宅の庭で、マリアと咲夜が一つのテーブルでお茶を飲んでいた。
奇妙な組み合わせで、じっと黙ってお互い空気を読み合っていたが、先に口を開いたのはマリアだった。
「で、お話とはなんでしょうか?」
マリアの手に持ったれていたティーカップが、受け皿の上に置かれ、コトと音を立てる。
「いや、な。あの借金執事のことなんやけど」
「あげませんよ?」
「いらんわっ! んなもん!」
関西人の血が騒ぐのか、顔を赤く染め、咲夜はマリアに突っ込みをいれた。
が、すぐに我に返ったのか、こほんと照れ隠しに咳をし、席にゆっくり座る。
目を逸らし、罰悪くしていたが、ゆっくり咲夜は、口を開いた。
「あんな……あの、ボケ執事に……ウチ、犯されたん」
いつもの勢いを無くしたまま、ティーカップの取っ手を掴んでいる手を見ながら咲夜は続ける。
「そ、その……ウチも悪かってん。なんや……その、ウチもちょっと、誘惑みたいのしたんやから……」
顔を真っ赤にし、うつむく。
居心地悪さに耐えきれなくなったのか、ティーカップの弄ぶのをやめ、手を膝の上に置いて開いたり閉じたりを繰り返す。
「ただ、少年誌の主人公が、戯れみたいな誘惑に乗って、勢いのまま人を犯すっちゅうのはないかと思ってな。
見た目貧相で堅物そうやし……ウチのこと女扱いしないもんやから、腹立って、
風呂場で浴槽に蹴り入れて、その後後ろから胸押しつけるように抱きついてやったら、なんかもう、うわーって、ぐわーって……。
でも、なんや、その、あのアホ執事、無理矢理やったけど、なんかめっちゃ優しくて、その……上手かったし」
視線はマリアの顔からは完全に外れたまま、咲夜の独白は続く。
「えっと、な……何が言いたかったか忘れてもうた……。
あ、そうや、お、犯されて、その後の様子とか見てて、あの馬鹿執事やっぱりどっか歪んどるなぁ、て思て、
マリアさんなら何か知ってるじゃないのか、とか思ったりなんかしたりして……」
咲夜は下げた目線をゆっくり上げて、向かい合った位置に座っているマリアの顔を見た。
マリアは怒ってもショックを受けた様子もなく、ただそこに変わらぬ表情で座っていた。
「彼……本人から聞いたことではなく、三千院の力を使って調べた調査書に書かれていたことですが……。
ハヤテ君は自分の両親から一億五千万でヤクザに売られたことは知っていますよね?」
「あ、ああ、まあな、それくらいは知っとるけど……」
「それ以前もかなり貧しい生活をしていたそうです。
両親が働かなかったせいで、年齢を偽り、様々なバイトを渡っていったそうですが、
一度、どうしようもなくひもじくなって、行き倒れしかけたときがあったらしいです。
けど、そこを親切な年上の女性に助けられて、死ぬことはなかったのですが……。
その女性というのが、下心があってハヤテ君を助けたんだそうです」
「した……ごころ?」
「その女性はショタコンだったんですよ」
しばらくその女性から生活の保護を受けるかわりに、その体を捧げていたんだそうです」
「それで、か。でもそれやったら、逆に女性恐怖症になるんちゃう? 別にそれらしい気はないんやけど」
「……幸か不幸か、ハヤテ君は天才だったんですよ。それも万能の。
料理にしろ掃除にしろ、ただバイトで習っただけとは思えないほどの実力を持っています。
その分、恋愛とかそういう方面が不器用ではありますが、教えられればまるでスポンジのように何でも吸収してしまう。
そのときに、女性を悦ばせるテクニックも得たのではないか、というのが調査結果でした」
「なるほど、それであんな、ウチが初めてなのに痛くしないで……って何言わせんねん!」
「でもその代償として、性に関する道徳観を変質させてしまった」
マリアはそう言った後、ティーカップを掴み、口に付けた。
咲夜も口をつぐみ、様々なことに心を向けて思案に暮れていた。
しばし静かな空気が辺りを包み込む。
聞こえるのは、風によって揺られ、木々の葉と葉がこすれ合う音と、小鳥の鳴き声、
そして遠くでタマの鳴く声だけ。
咲夜は、湯気の量がだいぶ少なくなった紅茶のカップをとり、その香りで鼻腔を刺激させた。
少量のアールグレイを口に含むと、ゆっくりとした動作でカップを戻す。
カチャ、という音が咲夜には場違いなほど軽快に聞こえた。
「あんな。一つ気になったことがあってん」
「何でしょうか?」
「なんでそこまで知ってて、何も手をうたへんの?
あ、いや、責めてるわけやないんや。その、ちょっと、気になってな。
マリアさんの有能さとか、ナギのハヤテの気に入りっぷりはウチもわかっとるから、
なんちゅうの? 心理カウンセラー? そんなんを受けさせるくらい、してるはずかな、と思ってな」
「心理カウンセラー? 治す? 何故、そのようなことをすると思ったんですか?」
「え?」
「確かに三千院家の力を使えば、ハヤテ君の精神的なゆがみは直すことができます」
「んなら……なんでせぇへんのや?」
「なんで? もったいないじゃないですか?」
マリアの顔に満面の笑みが浮かんだ。
咲夜はその表情から、ただならぬ気配を感じ、身を震わせた。
「な、何言ってるんや……そんな、あないな人間をほおっておいて、いいわけが……」
「ふふっ、もうとっくに気付いているかと思ったんですけど……咲夜さんって案外鈍いんですね。
ハヤテ君に犯されているのが自分だけだと思ってました?」
「なっ!? まさか……」
マリアはおもむろに立ち上がり、優雅な足取りで二歩下がった。
エプロンドレスの上から、手でふとももに触れ、昔のテレビのチャンネルを変えるように、
エプロンドレスの下にある『何か』の摘みを回した。
すると、今まで、小さくてマリアの耳にすら聞こえていなかった、虫の羽音のような音が
マリアの耳はおろか咲夜の耳に聞こえるほど大きくなった。
「ま、マリアさん?」
「私は咲夜さんとは違い、ハヤテ君と一緒の家に暮らしているんですよ?
クラウスさんとナギとタマだけしかいない、この屋敷で……。
しかも仕事上、ハヤテ君と一緒にいる時間がナギよりも長い、この私が、
性の道徳観が崩壊している年頃の男の子と一緒にいて、何もされなかった、と。
……本当に思っていたんですか?」
「う、ああ……」
マリアの口元から、くすくす笑いが漏れる。
エプロンドレスから漏れ出る黒いオーラに、咲夜は思わず身を引いた。
「何を考えているんや。お、犯されてるンなら尚更……」
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふ……何を言うかと思ったら……」
「な、何がおかしいんや! なんでそんなに……」
「気持ちいいからに決まってるじゃないですか、そんなこともわからないんですか?
咲夜さんだって……初めてで何回気をやりました? 3回? 4回」
「き、をやる、って……」
「ふふ、すいません。言い方を変えましょう。何回イったんです?」
「い、イったってなんのことや……」
「とぼけちゃって」
マリアはそっと小幅に歩き、咲夜の椅子の横に立った。
咲夜は言いしれぬ雰囲気にその場から立ち去ろうとしたが、
椅子の横に立つ恐怖によって足がすくみ、ただ体をよじらせ、少しでもそれから離れようとするだけしかできなかった。
咲夜の全身から汗が噴き出し、額から分泌された汗が頬を伝って落ち、服に黒い染みを作る。
「そうですね。お風呂場、でしたっけ。
濡れた服をゆっくり的確に脱がされる。
全く暴力でなく、体の動きも拘束されていないはずなのに、抵抗することが出来ずに、
上着もスカートも果ては下着までもが脱がされてしまった。
これじゃいけないと思い、いつも通りツッコミをいれようとしても、かわされる」
「な、何を言ってるんや」
「あっという間に生まれたままの姿にされ、体の見られたくない部分を手で隠そうする。
しかし、それすらも手と肌の間隙をつかれ、適わない。
自分の動きを全て阻害しない……けれど、こちらからハヤテ君の手を止めようと思っても、
まるで石のように動かせない。
そうこうしているうちにハヤテ君の左……いえ、右手が、アソコに触れる。
左手はそっと添えるように胸のふくらみに覆い被さり、撫でるように揉んでいく。
その手つきはマッサージをしているように優しく、性的な意味が無い心地よさを与えてくれる。
抵抗しても無駄、罵っても無駄、そして手つきはいやらしさを感じない。
しばらくするともうなすがままにされていく自分。
マッサージするかのような心地よさに身を任せ、体重もハヤテ君に預けて……。
五分くらいしたころでしょうか。
正確には六分……いや、八分くらいだと思いますが、そのころになって変化が起きます。
ハヤテ君が、あなたの耳元で『濡れ……」
「だ、黙ぃや!」
咲夜はわき上がってきた憤怒によって立ち上がり、黒いオーラをものともせずマリアの言葉を遮った。
「そか、わかった……あんたが、あの執事を無理矢理けしかけてウチを襲わせようとしたんやな。
ウチを騙そうとしても、そうはいかへんで」
マリアを指さし、大声でわめいた。
が、それをマリアは、一瞬きょとんとした後、吹き出すことで応じた。
「ぷっ……くくくく……面白いですね。
で? それで私に何の利益があるっていうんです? 教えてくださいよ」
「り、利益……? そ、それは……」
「いや、素晴らしいですよ。これが『惚れた弱み』っていうものですか。
意識的にしろ無意識的にしろ、ハヤテ君がいい方にいい方にと考える」
「な、何言うてんねん! だ、誰が誰に惚れたっていうんや!」
「あなたが、ハヤテ君にですよ」
「ふ、ふざけるのもいい加減にしぃや!」
「あら? いいんですか? そんなこと言って。私がハヤテ君に伝えちゃうかもしれませんよ」
マリアは咲夜に背を向け、数歩離れると、くるりと半回転した。
エプロンドレスが一瞬ふわりと持ち上がり、止まると共に重力によって下に引っ張られる。
足取りは軽快で、まるでピクニックか何かに来ているかのよう。
「言っておきますが、ハヤテ君は、性道徳に関しては独特で、一般的ではないものを持っていますが、
それ以外の精神的なものに関してはとても優れたものを持っていますよ。
あなたが、ハヤテ君のことを嫌っている、ということをハヤテ君に伝えたらどうなるでしょう?
それでも構わない、のですか?」
「う……」
咲夜はマリアの言葉に喉を詰まらせた。
確かに咲夜は、ハヤテに悪い印象は持っていないことを認めている。
だが、それが異性に対する好意を持っているか、という問いになると、少々首をひねざるを得なかった。
ハヤテには他の人間に対する持っていない、何か特別な感情を抱いているが、
それが、恋などというものかは、咲夜にもわからなかった。
ただ、避けられるようになるのは、少々心が痛むところが、ないわけでもない。
咲夜は、今自分の言ったことを引っ込めようか引っ込めまいか、どちらにしようか迷っていた。
「どうですか?」
「……」
「ふぅ、だんまりですか」
「……なんでウチとハヤテがあの風呂でやってたこと知ってるん?」
「ただの推測ですよ」
「監視カメラで見てたんやろ! そうや、絶対そうや!」
「まさか、いくら屋敷内の治安を守るためとはいえ、風呂や脱衣所に監視カメラをつけるわけがありません。
第一、湯気で曇ったり湿気で機械が故障する可能性もありますし」
「だったら、何故……」
「簡単なことですよ。私たちメイドや執事は、職務上計画性を持つ働きが必要です。
無駄なくてきぱき家事やその他の雑多な物事をするために、頭の中で絶えずシミュレーションを行っているのです。
一流、と称されるものになると、一日にしなければならないマクロな時間配分から、
一つの行動における最も無駄ない動作などのミクロな時間配分まで同時に行えるようになります。
当日、咲夜さんとハヤテ君がくだんの建物に入る時刻はこちらでも把握しております。
そして、そこからハヤテ君がことを終わらせてから、ブレーカーを上げるまでの時間を引き、
その余った空白の時間でハヤテ君ならばどういう風に動いて、咲夜さんを悦ばせたのか、
頭の中で想像してみた結果がそれです」
「そ、そんなこと……できるわけが……」
「できますよ。ハヤテ君も……まあ多少おっちょこちょいなところがありますが、
執事としての能力は一流と言っても構わないでしょう。
自分でいうのも何ですが、私はハヤテ君の先輩であり、メイド歴は私の方が長く、メイドとしても一流を自負しています。
なれば多少の不確定要素はあれど行動を予測することは、可能です。
もちろん、ハヤテ君やあなたの性格や体質を私も完全に把握しているわけではありませんから、
誤差などは存在するでしょうが、あやふやなところを語らずにスジだけならば大体あっているだろう、と思いまして」
マリアは、自らの経験を参考にして言ったことに関しては意図的に伏せた。
奇しくも、マリアが初めてハヤテに犯されたのは、咲夜と同じ風呂場。
しからば、自分がヤられたときと同じように咲夜も――もちろん若干の差異はあるだろうが、
ヤられたのだろう、とそう推測していた。
もちろん、それだけではなく、彼女が今言っている推測も先の語りの構成の大部分を占めているのではあるが。
「『濡れてますよ』と耳元で、ハヤテ君が呟きます。
驚いて、身じろぎしようとしても、ハヤテ君はそれをブロックするかのように、
秘部に指を差し入れて……『動いたら処女膜破けちゃいますよ?』
そのときになって咲夜さんは抵抗する意思を刈り取られてしまいました。
ただし完全に受けに回ったわけではなく、ハヤテ君が次に行動を起こしたときに全力をもって逃げるつもりでした。
今はなすがままでもきっと逃げてみせる……まあ、正直なところ、
逃げたところでハヤテ君の足の速さを考えるとそうそう逃げられるものではありませんが、
とにかくそう思って、じっと我慢しているつもりでした。そうしていることが最も逃げにくい状況に自らを追い込むことを知らずに……。
どうです? 全てあっているわけではないでしょうが、大方あっているでしょう?」
「もうええっちゅーねん。
ウチは本気でヤられそうってことがわかったときから、じっとせずにあのアホにずっと肘打ち喰らわせとったわ。
終わったあと脇腹が痛いっちゅーてたな」
「……へぇ、中々ガッツありますね」
「当たり前やろ、ウチがそう簡単に操を諦めるわけあらへん」
「諦めなくとも奪われてしまいましたがね」
「黙っとけ」
咲夜は、どうやらマリアの言っていることが本当であり、
更にマリアのことがさほど驚異ではないと思えてきて、多少の落ち着きを取り戻してきた。
椅子に改めて座り直し、少し冷めて人肌ほどにぬるくなった紅茶を口に含む。
「もう座りぃーや。これからのこと、色々話さあかんやろ」
「ふふ。わかりました。やはり咲夜さん、しっかりしていらっしゃりますね」
「まぁな。将来ホンマモンの芸人になる身じゃあ、こんくらいのことでずっと動揺しとるわけにはいかへん」
「しっかりしていたらしいヒナギクさんですら、数日間は立ち直れなかったそうですから、それを考えればすごくタフですね」
「……あん? 何やて?」
「いえ、別に何も」
咲夜のすぐ横に立っていたマリアも、再び自分の椅子に座り、咲夜と同じように紅茶を口に含んだ。
間をおかず、咲夜が口を開く。
「で、あの執事の処遇をどうするかが問題やな」
「当方としては、現状維持、とさせていただきます」
咲夜は大きく溜息をついた。テーブルに肘を付き、頬杖をついて言葉を続ける。
「そーゆーわけにはいかへんやろ。人を犯したんやで。
マリアさんと、ウチを。歴とした強姦罪やないか……まあ、ウチにも過失がなかったっちゅうわけでもないけどな」
「いえ、私の場合に限って言えば強姦罪ではありません。強姦罪は親告罪です。
私はハヤテ君に対し告訴、告発、請求のいかなる行為をしません」
「さっきも言うとったけど、精神的にヤバイ奴野放しにしといたらまずいやん。社会に適合させな」
「ハヤテ君も無差別に女性を襲っているわけではありませんよ。
身近で、ある程度ハヤテ君が好意を持っている相手に、相手の了承……まあそれを了承ととる間口は確かに広いですが、
そのような行為を取られない限りハヤテ君は手を出しません。
基本的ハヤテ君は『奉仕』の精神で動いていますので、相手を痛めつけたりなどの行為もしません。
もちろん、性道徳が崩れているとはいえ、年上か同年代、年下でもハヤテ君と年齢の近い相手にしか手は出しません。
具体的に言うと、ナギや伊澄さんにはそういう面については見向きもしていませんから。
確かに留め金のネジが緩い側面がありますが、それを蹴ってはじき飛ばしたのは、
浴槽にハヤテ君を突き飛ばし、また自分も着衣のまま浴槽に入ってハヤテ君に背後から体を密着させて抱きついた
咲夜さんなんですよ」
「で、でも、ウチそんなこと知らんかったんやもん!」
「確かに、そうですね。まあ、罪の有無は、私だって専門家ではないので詳しくはわかりません。
それで、結局のところ、咲夜さんはいかがしたいのでしょうか?」
「いかがしたいって」
「ハヤテ君を訴えますか?」
「いや、別に、ウチはそんな……」
マリアは会話の間をとるために、カップに口を付けた。
もうだいぶ冷めていて、味も感じない。
それでもマリアは非常にゆっくりした動作で、紅茶を飲んだ。
カップを受け皿に置くと、再び口を開いた。
「すみません、今のは、少し意地の悪い問いでした。
咲夜さんが訴えるようなことはしないとわかっていたのに反応が見たくて聞いたんです」
咲夜は不服だったが、それでいて心のどこかで安心していた。
訴える気はさらさら無かったのだが、何故無いのか自問しても答えが出なかったのだ。
思考の螺旋に陥った状態で、それでもこの場で答えを出さなければならないことに、
焦りを感じており、マリアの、この無条件での咲夜の返答の受け入れはありがたかった。
試されていた、ということに不満を抱いてはいたのだが。
「そやな……ウチも正直あんまりコトを大きくしたくはないねん」
「ハヤテ君と顔を合わすことができなくなりますしね」
「一々突っかかる風に言うなあ」
「咲夜さんは、もう少し素直になった方がよろしいですよ。欲しいモノは欲しい、と言ってもいいんですから」
「……何が言いたいんや?」
「咲夜さんはハヤテ君のことが好きなんでしょう?」
「ま、まあ、嫌いではないな」
「とぼけなくてもいいですよ、ハヤテ君のことが、好きなんでしょう?」
咲夜は、マリアの言葉に渋々頷いて答えた。
ばつ悪く視線を逸らし、マリアの出方をうかがっている。
マリアがハヤテにそれなりの好意を抱いている、ということは先の会話から汲み取っており、
その間に割り込むようなことに対して咲夜は気をとめていたのである。
マリアはそんな咲夜の考えを理解せず、ただニッコリと笑った。
「やはりそうですよね。あれだけ女の子みたいな顔をしているのにあれだけ巧みに責められては
女性ならば誰でも落ちてしまいますよ。
あの凶悪的なモノを、お腹の中に入れられて、何度も何度も中を引っかかれ、
小突かれ、最後に最奥に精を放たれたら……魂に刻まれる快楽、とでも言いますか。
咲夜さんがそれに夢中になってしまうのも、別に不思議では……」
咲夜は、手を思いっきりテーブルに叩きつけ、椅子から立ち上がった。
その衝撃で、カップに残った少なくなった紅茶が数滴飛び散った。
「ば、馬鹿にするなやっ! 別に体がアレやったからあのアホのこと好きになったんやない!」
「別に気にしなくてもいいですってば、誰も咲夜さんのことを軽い女だとは思いませんから」
「ちゃうわ! ウチは前からあのヘタレのことを好きやったんや!」
一瞬の空白の時間があった。
咲夜は手をテーブルについたまま、口を開いたまんまの形にし、しばし硬直。
マリアはとっさの出来事に驚いたのか、目を丸くしたまんま、しばし硬直。
二人が動き出したのはほぼ同時だった。
言おうと思っていなかったことをつい言ってしまった咲夜は、口に手を当て、そのまますとんと椅子に座った。
予想していなかった答えをされて面食らってしまったマリアは、一旦目を逸らし、すぐにいつもの様子に戻ってから、
咲夜を見た。
咲夜はさっきよりも更に顔を赤くし、前髪で見えなくなるくらい、その顔を伏せた。
マリアは、そっと、目を細め、咲夜を見た。
「なるほど……なるほどなるほど。流石は咲夜さん。
ナギや伊澄さんとは違い年上隠すのがうま……いえ、あの二人があからさまなだけなんでしょうか。
とにかく、まあ、私としては咲夜さんがハヤテ君の側にいたいということが確認できればいいのですが」
マリアはポケットからペンを取り出し、テーブルの上の茶菓子の横に添えられたナプキンに数字の羅列を書く。
それを顔を伏せたままの咲夜に差し出した。
「な、なんやのん、これ? 電話番号?」
「ええ、ハヤテ君の携帯の番号です。そう、ナギですらその存在を知らない携帯の。
受け取ってください」
「は、はぁ……」
咲夜はナプキンを受け取ると、しばらくいじくり回していたが、
慎重な手つきで折りたたみ、大切なものを扱う手つきでポケットにいれた。
「いいですか、咲夜さん。あなたのライバルはあなたが思っている以上に数多いです
私を始め、ひいふうみい……まあざっと八、九人くらいいますか」
「え?」
「あなたとはまた違い、ハヤテ君の体目当ての人も結構います。
ハヤテ君、とても上手くて、テクニックに虜になっている人がいますから」
「へぇ?」
「その人達がハヤテ君を取り合うということは避けたいことです。
もし万が一ナギに全てがばれてしまったとき、全てがおじゃんになりますから」
「ま、まあ、確かにナギがあの執事の素行知ったら、ただじゃおかんだろうなぁ」
「だ、か、ら、そういうことを防ぐために、ハヤテ君を呼び出すための携帯番号を配っているわけです」
「……ものごっつ競争率高い、っちゅーこっちゃね」
「ええ、そうです。その携帯番号をかけ、ハヤテ君の呼び出しを行ってください」
「はぁ……なんかややこしいことやっとるなあ」
「しょうがないことでもあるんですよ」
マリアと咲夜は二人して最後まで紅茶を飲んだ。
咲夜はだらっと体重を椅子に任せ、ぼんやり空を仰ぎ見た。
「一応、ルールといいますか、紳士協定があります。咲夜さんに説明する必要はないでしょうが……
無駄に連続して呼び出しをしたりしないでくださいね」
「そういうルールが明文化されてるっちゅうことは無駄に連続して呼び出す輩がおったんか」
「ええ。咲夜さんはどちらかと言えば希なケースでして、ハヤテ君の肉体に溺れている人が
一日五回も呼び出したりしたことがあったんです。流石にハヤテ君の体力的にもまずかろう、ということで」
「ま、あれは反則的やったからなぁ」
「あと言っておくべきことは、その番号にコールすることは、『了承』のサインでもありますので」
「……なんやねん、それ」
「咲夜さんを抱けると知ったらハヤテ君も喜びますよ、きっと」
咲夜はポケットの中からナプキンを取りだし、そこに書かれた番号とマリアの顔とをしばし見比べていた。
やがて、それも飽きたのか大きな溜息をつき、おもむろに立ち上がる。
「ほな、な。色々と世話になったわ、ありがとさん」
「ええ、では……」
咲夜はその場から立ち去った。
マリアは、あまり楽しいとは言い難いお茶会の後かたづけを行う。
ティーカップや受け皿をまとめ終え、庭を通って屋敷の中に入ろうとしていたとき、
木の陰から、早速咲夜の喘ぎ声が響いてきたのだが、マリアはまさに予想通りと言った様子で、
まるで何も聞こえぬかのように足を動かした。
それでも一瞬顔だけ振り向いて、木々の間からのぞく咲夜の惚けた顔を見、
微かな微笑みを顔に残したまま、屋敷の中へ入っていった。