なんてことのない平凡な公立高校「潮見高等学校」  
 学費が安く、それなりの学力のあるごくごく平凡な高校である。  
 さして不良や飛び抜けて頭がいい生徒が多いわけでもなく、  
昼時になれば生徒達は気のいい友達と一緒に昼食を食べる光景が校舎の中をうろつけば五分と立たずに見ることができる。  
 
 そんな中、あまり人のいない屋上で、一人の少年がぼうっと外の景色を見つめていた。  
 昼時だというのに弁当も何も持たず、ただただ青い空を見上げているだけで……。  
 強いて言えば溜息をやたら頻繁にするくらいだった。  
 
 彼の名前は綾崎ハヤテ。  
 両親は二人とも無職、コミックス一巻のプロフィールには兄がいるそうだが、本編では影はおろか名前すら出ていない。  
 彼はそんなダメ家族の中での唯一の働き手で、いつもいつも年齢を偽ってアルバイトばかりしていた。  
 しっかり者といえばしっかり者なのだが、真のしっかり者ならば働かない両親を蹴っ飛ばしてでも働かせるはずで、  
しかも少し抜けたところがあるので、どちらかというとうっかり者と称されるであろう人物だった。  
 
 とにもかくにも、そんな家庭環境で、自分の学費さえ自分で賄っている人間に弁当なんてものが用意できるはずがない。  
 だから、今日もこうやって空を見上げることによって空腹をごまかしているのだ。  
 
 溜息を何度つけども、溜まるのは疲労ばかり。  
 いくら幼少時から慣れているといえど、餓えの苦しみというものは辛い。  
 
 かねてはあの両親。  
 いつまで経っても働かず、ギャンブルばかりをしている両親。  
 労基法なんかかまいもせず、過酷な環境で自分の子どもを働かせておいて、何も思わない両親。  
 見ろ! まるでゴミのようだ、両親。  
 
 それだけがハヤテの心を痛めていた。  
 
 
 そんな風にハヤテが屋上で溜息コーラスをしているとき、そっと屋上のドアの隙間から  
ハヤテの様子をうかがっている一つの影があった。  
 ついでに言えばその影を見守る影が更に階段の下にあった。  
 西沢あゆむ、通称西沢さん、  
将来的にはライバルからハムスター、どうぼうハムスター、不法侵入ハムスターと呼ばれる女。  
 手には二人分の手作りの弁当があり、それの意図するところは敢えて言うまでもない。  
 
 しかし、そういうものは得てして勇気が必要であり、  
ましてや彼女は普通の女の子だが普通よりも心が弱く、一歩踏み出すのに一押しどころか二押しや三押しも必要だった。  
 心で葛藤を繰り返し、屋上に上がるかあがるまいか悩む西沢さん。  
 そしてそれをやきもきしながら覗き見している影たちもとい西沢さんのクラスメイト達。  
 
「つ、作りすぎちゃっただけだからね。 べ、別に変なことは……  
あー、こんなこと言えないよ〜。  
でもでも、ハヤテ君は『ありがとうございます、お礼は僕の体で……』なんてなんて!」  
 ドアのそばで、前日に前もってビデオ屋を営んでいる友人から教え込まれた台詞を反復し、妄想を爆発させ、  
西沢さんはいやんいやんと身を捻る。  
 クラスメイト達に言わせれば、あきれかえるほど普通で、見ている方が恥ずかしくなりそうだった。  
 
 そんな彼女もついに一歩を踏み出した。  
 このドアで引き返した先日よりも、階段を登る前に逃げ出した先々日よりも、  
教室から出ることを諦めた先々々日よりも、そもそもお弁当を作るかどうかで頓挫した一週間前よりも。  
西沢さんは亀の如くのろかったが、亀の如く常に進歩していたのだ。  
 
 しかし、今日は逃すことのできない日だった。  
 今日は12月22日……すなわち天皇誕生日の前の日。  
 つまり、今日が二学期最後の日なのだ。  
 今回を逃せば、次に今のところハヤテとの唯一の接点である学校が休みに入ってしまうのだ。  
 
 そーっとドアを開け、そーっと西沢さんは足音を忍ばせ、青い空の下へと出る。  
 まだハヤテは気付かない。  
 
(だ、大丈夫なのかな!? ハヤテ君、気付いてないのかな?)  
 
 逆に気付いていない状況で声をかけた場合、もっとやりずらくなるのに気付かずにそろりそろりと動いていた。  
 が、屋上のドアは西沢さんが思っているよりも重く、片手で閉めようとするのにはいささか無理があった。  
 
「あっ、ああっ〜!」  
 大きな音をたてドアが閉まり、西沢さんは勢いにあおられその場で尻餅をついてしまった。  
 当然、ハヤテが振り返り、西沢さんはみつかってしまった。  
「あっ、あの……これは、その……」  
 その場で必死に何かを言おうと口をもごもご動かせど、パニック状態に陥ってしまい何も意味をなす言葉は言えず、  
立ち上がろうにも腰が抜けてしまって立ち上がれなくなってしまった。  
 じたばたと手足を動かす西沢さんを見て、ハヤテはゆっくり近寄って西沢さんに手をさしだした。  
「大丈夫ですか?」  
「え? え? そ、それはこの、そうじゃなくて、違うんです! ええと、たかがハムスターといえどムがなくなれば  
旧支配者になるわけで……え? え? あ、あはは何言ってるんだろ!」  
「……本当に大丈夫ですか?」  
 西沢さんは差し出された手とハヤテの顔を交互に見て、しばらく考えたあと、  
顔を伏せたままハヤテの手を取って立ち上がらせてもらった。  
 西沢さんにとって思ってもないハプニングで、うれしさ半分恥ずかしさ半分の気持ちだった。  
「気をつけてくださいね」  
 ハヤテはにこりと笑い、そう言うと、そのまま再び歩き出しまた空を見上げ始めた。  
 ぐきゅるる、と腹が鳴るのを、西沢さんに聞こえないようになるべく離れて。  
 
 
 西沢さんは引くか進むかをただ一人で考えていた。  
 このまま何もせずに逃げるのは簡単だが、それでは今学期ハヤテとの関係は一歩も進んでいないわけであり。  
 いや、確かに進んでいたが、それは西沢さん本人の進歩であり、ハヤテとの距離は狭まっていないことになる。  
 乙女のプライドをかけ、空を仰ぎ見るハヤテへと向かい、一歩また一歩と近づいていく。  
 
 大丈夫、きっと食べてくれる、と西沢さんは自分に言い聞かせた。  
 今日作った弁当はやまだかつてないほどの一品。  
 ソーセージの焼き具合も、トマトの形の良さも、かりかりに焼いたベーコンも、  
お弁当には欠かせない甘い卵焼きも……全部全部西沢さんのお母さんのお墨付きだった。  
 
 ハヤテが不意に顔をおろし、溜息をはいた。  
 手は自然にハヤテの腹にいき、ぐぅと鳴った。  
 それはすぐそばにまで寄っていた西沢さんにも聞こえ、西沢さんに最後の一歩を踏み出す勇気を与えた。  
 
(お、お腹が減っているならきっと食べてくれるはずッ!)  
 
「あ、あの……ハヤテ……くん?」  
 
 最後の最後で最後の邪魔が入った。  
 タイムアップの合図。  
 
 ……予鈴が鳴った。  
 お昼休みは終わり。  
 つまり、西沢さんの今学期の恋の最終決算は、零だった、という結果が出たのだった。  
 
 ずーん、と影がさし、うなだれる西沢さん。  
 ハヤテは振り返ると、あ、早くしないと遅れますよ、と西沢さんに声をかけて、さっさと立ち去ってしまった。  
 
「で、でも……、ら、来年にはきっと……きっとハヤテ君にお弁当を食べさせてあげるんだからッ!」  
 しかし、西沢さんはまだ諦めたわけではなかった。  
 そう、来年……来年にまだチャンスがあるはずだ……、と。  
 天に向かってガッツポーズをし、やる気を奮い立たせている西沢さんの目は、少し潤みがかかっていた。  
 
 ぐしぐしと袖で目をぬぐい、また一つ成長した西沢さん。  
 そのときには、まさかハヤテが両親に売られ、潮見高等学校を辞めさせられるなんてことになるのを西沢さんは考えもしなかったのだった。  
 
 

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