嫁儀から三月。もう九月。はやいものです。そろそろ厚めの衣を出しておかなくては。ああ。奥方への挨拶をしなくては。  
奥方は今朝はどのような具合でしょうか。静々と女房たちが寝所に向かう。  
「おはよう。今日もいい天気ね」  
今朝は奥方一人でございますね。ああよかった。この前のようなことになったらどうしようかと思いましたもの。  
「はい、つつがない一日でございます」  
女房頭は五感を駆使して奥方の様子を探っている。声の調子、良し、高さ、良し、笑顔、良し、顔色、良し、香り、良し。  
これで今日も殿のご機嫌は約束されたわ。奥方の安全が今の殿の最大関心事。奥方は良くお休みで何も気づいてないようですね。  
ああよかった。あのことを知られたら大変ですもの。  
女房頭は他の女房たちと視線を合わせて笑みを浮かべた。  
「何かありましたら、およびくださいまし」  
全員が頭を下げ、朝の挨拶が終る。  
 
一同は急いで奥方のいる部屋から遠くに走る。殿の命で奥方に内緒にしてることが山ほどある。無論殿の命令に異存はない。  
だが秘密を抱えると話したくなるのが人の常。奥方のいないこの部屋で、女房たちは安心して内緒話に花を咲かせる。  
例えるなら、「王様の耳はロバの耳」。  
女房頭は部屋の外を念入りに確かめる。外出好きの奥方の不在を確かめ、言葉を切り出す。  
「では…昨夜の話を致しましょう」  
女房たちの顔が一斉に生気を帯びる。わいわいと昨夜の喜劇について話し出す。さながら井戸端会議。  
「昨日忍び込んだのは何処の御曹司?」  
「あれは確か左大臣の遠縁のご子息。あちこちの女房のところに通ってると。名のみ今業平ですが、中身は殿の足元にも及びません」  
「それであのようにふんぞり返って、文を携えてやってまいりましたの?」  
一同笑い転げる。  
 
「己を知らないとはこのことですわ…」  
「殿の容姿だけ見ているからあのようなまねが出来るのですね」  
「本当に。伊達で近衛を務めているわけでは在りませんのに」  
「帝の懐刀という名も知らぬ方が京にいるとは…よほど可愛がられて育ったのでしょう」  
「財産と地位があれば何をしても良い訳がありませんわ。殿は帝より祝いの言葉を賜ったのに」  
「私も見とうございましたわ。恋文を読み上げる様を」  
「内容は覚えておりまして?」  
女房の一人が大げさに真似て詠い出す。  
「おお、神子姫なんとおいたわしきことか、このような男に囚われてさぞ嘆き悲しんでおいででしょう…今救いに参りましたぞ。  
さあ、私とともにここから逃げましょう…後はなにかしら?」  
「………もう十分ですわ…滑稽なこと…くっくっ」  
また女房たちは笑う。御曹司の真似に笑いのつぼをつかれた。暫く話が止まった。  
 
「殿は途中で止めればよろしいのに」  
「途中でも終わりでも変わりはなくてよ。殿の制裁を受ける時間が遅くなるだけ…でしょう?」  
「殿に向かって、神子姫を解放しろと言われたときは気が遠くなりそうでしたわ」  
「殿が神子姫を遊び女として扱う不届きなお方と揶揄されたわ」  
「…なんて言い草。地位が高いから命令すればよいとお考えなの?」  
「……自業自得ね。殿のお怒りになる様が目に浮かぶわ」  
一同が静まり返る。主人を怒らせることは禁忌だ。言葉にするのも恐ろしい。  
 
「大路に狩衣を汚され、冠を取られた姿で放り出されたそうよ…」  
「まだ神子姫を殿が奪ったと信じる輩がいるのね」  
「どうしてそんな嘘を信じるのかしら?殿は以前と変わられたのに。もう女遊びも辞められておいでなのに」  
「右大臣あたりが流したのでしょう。右大臣が強くなられたのがきにくわないのですよ」  
女房たちは憮然とする。自分が使えている主人が下らない噂に振り回されるなんて。  
「右大臣の噂を流すことは出来なくて?このくらいはしてもいいはずよ」  
「殿は考えておいでよ。あの方は裏も表も知り尽くしておいでだから」  
無言で女たちは結束を誓う。奥方の安寧のため、主人のため、秘密を守り抜くと。  
「さあ、お開きにしましょう。そろそろ奥方に顔を見せなくては不自然に思われるわ」  
 
「殿が内裏から戻られる晩に忍んでくるなど。本当に命知らずですこと」  
女房頭は昨夜の喜劇を思い出していた。己が伝説の英雄と勘違いしている様は滑稽で笑いを堪えるのが大変でしたわ。  
本当の英雄は自ら進んで部下より前に出て、命を厭わず、敵に切りかかるもの。そして行動で部下に道を示すもの。  
館の奥に安穏と座って、部下を使い慣れたお方には一生分かりますまい。  
 
御曹司は廊下から庭に飛ばされ、庭から地面に倒れ伏しました。言葉は恭しく、殿は御曹司に態度で示されました。  
二度と奥方に懸想なさるなと。  
御曹司を大路に捨てるよう命じられた後、殿は心配そうに聞いてまいりました。  
 
「あかねは起きなかっただろうね?」  
「ご安心ください。寝息が規則正しく聞こえて降りましたゆえ」  
「それを聞いてほっとしたよ。姫は心優しいから、あの輩にも声をかけてしまうだろう。龍神に見込まれてしまうほどにね」  
一瞬殿は言葉を切りました。  
「姫君の目に映るのは私一人で十分なのだよ。今夜のことは断じて口にしてはいけない。いいね」  
 
三月前の殿には絶対出てこない言葉でございました。ただ一人の姫を思い焦がれる日が来るとは思いませんでした。  
今業平とたたえられながら、どこか空ろだった殿は、龍神の姫を得て、本当の心を得たのでしょう。  
 
幸い今朝は奥方一人でございました。殿は奥方をとても可愛がっておいでで、閨の場面に出くわすことも多々。  
声を出しておられれば、部屋の前で立ち去ることもできるのですが…殿は時々意地悪をなさるので困ります。  
この前は奥方の口に布をくわえさせて楽しんでおられて…私たちが応対に困る様を見て楽しむとは度がすぎます。はああ。  
 
「おはようございます。奥方…さま…」  
「………殿……あの……」  
殿は一糸纏わぬ姿で奥方の上にかぶさっておられて…しかも閨の最中で…しかも奥方の口には布が……(硬直)  
奥方は幸い意識が飛んでおいでで気づいてませんでしたが…殿は…長い髪を揺らして私たちを見下ろされておりました。  
「ああ、すまないね。今日は声を出さないように可愛がってあげてたのを忘れたよ…いつまでそこにいるつもりかな?」  
お言葉は優しいのですが、お怒りが含まれた口調にはたと我に返りました。  
「ではお昼を用意しておきますゆえっ…失礼いたしますっ」  
なんと言うことでしょう。顔が引きつってそれだけ申し上げると、女房たちを必死で制して、引き下がりました。  
ですが、殿があのようなことをなさらなければっ…私たちも邪魔は致しません!あれでは見せ付けているようなものです!  
ああ、いけません…つい感情が高ぶってしまいました。殿にはお考え頂かなくては困ります!  
 
「ああ。すまなかったねえ。あかねは可愛いからつい色々試してみたくなってしまってね…」  
「…殿…何を試すと?」  
殿の言葉が分かりません。何故奥方の口に布を…いえっ…何が試してみるなのですか??  
「声を出さないとよく感じるそうだときいたので、ついね…これからは朝方はしないようにするよ。すまない」  
「はあ…そのように…お願いいたします…では失礼致します」  
そのような問題なのですかっ?奥方が嫌がっておられるのではっ?頭がまとまりませんっ…殿は本気で可愛がってるのですか??  
でも一つだけ分かったことがございます。一度あることは二度ある。殿は人が困惑する姿を見るのも楽しむたちでした。  
「今朝は大丈夫でしたわ」「ええ、本当に」  
奥方とあの場面で顔をあわせないことを切に祈っております。  
 

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