1 警告  
六月、京は龍神により、救われた。そして全てが終ったはずだった…だが、八月、再び危機が訪れていた。  
「声が聞こえた…連理の榊が警告している。このままでは神子が第二の鬼と化してしまう…神子を止めなくては」  
清明は青ざめた顔で泰明を呼んだ。  
「どういうことだ?何故神子が鬼にならねばならぬ?鬼の気配は消えたのではなかったのか?」  
清明が首を振る。  
「神子の力はまだ残っているのだ…神気も神子の思いで光にも闇にも転ずるのだ…恐れていたことが起ころうとしておる」  
 
ー清明よ。神子を止めよ。神子の気が負に変わっていく。神子に残された龍神の気が、地を焼き、水を凍らせ、空気を澱ませる。木々の悲鳴が聞こえる。このままでは京は緑を失い、不毛の地と成り果てるー  
 
泰明が顔色を変えた。  
「神子を止めなくては…どうすればよいのだ。師匠」  
「神子の心を開けるのはあの男だけー天の白虎。何とか道を開き、あの二人を共に京から逃がすしかあるまい…京に居る限り、二人に未来はない」  
二人は黙り込んだ。  
「神子の心は元に戻るのか?お師匠」  
「あの男次第じゃ…なんともいえぬな」  
 
 
2 あかね  
もう涙も出なくなった。救いの手はなく、一日中この美しい鳥かごにとらわれるだけ。毎日同じ問いを繰り返す。  
「私はこんな結末を迎えるために京に留まったわけじゃない…どうして?どうして私の願いは叶わないの?」  
京は平和を求め、私は神子として全てをなげうった。その答えがこれなの?  
体中に残る赤い痕を見るたびに吐き気がわきあがる。私を取り囲むもの全てに、穢れた私自身に。どうして体は慣れてしまうのだろう。  
あの人を嫌いではなかった。でも愛する人じゃないのに、感じてしまう。抱かれるたびに、もっと快楽を求めて腰を振る自分。  
嫌になる。壊れてしまったほうがまし。  
私は二つに割れてしまった。私の奥に本当の私が丸く固まっているの。愛する人の思い出を抱えて目を閉じて丸くなっている。  
胎児のようにひざを抱え、消えてしまわないように殻を厚く張って隠れている。名前を呼ぶことも許されない人。  
「奥方、そろそろ文を書いてくださいまし。殿がお待ちですよ」  
 
私の中から何かが湧き上がってくる。怒り。絶望。悲しみ。全てのものに向かって広がっていく。皮肉だね。今ならアクラム、あなたの気持ちが分かる。  
長いこと傷つけられ、苦しめられた絶望や憎悪がたまって、力になって京を壊していったんだね。  
「奥方。書いてくださらなくては、また殿が怒られますよ」  
のろのろと動き始める。進んで文を練習していたこともあった。愛する人に嫁ぐことを夢見ていた頃。  
「戻りたい…あの頃に戻りたい…」  
枯れたはずの涙が又流れる。涙が落ちて紙にシミを作った。筆を持ったまま手は動かない。  
 
 
3 鷹通  
「なぜこんなことをした?鷹通」  
突き刺さるような視線。二色の違う瞳。かつての仲間だ。こんなに怒った顔は数えるほどしか見ない。  
「もう少し遅れたら命を失うところだった」  
見たこともない館の中に鷹通は寝かされていた。傷には処置が施され、清潔な布が巻かれている。痛みも熱さも感じない。  
全てを思い出し、顔を覆って悲鳴を上げる。苦痛から開放されて楽になるはずだったのに。  
「どうして放っておいてくださらないのです!泰明殿…私はあかねを護ることも救うこともできなかった…」  
一度に思いを吐き出していく。  
「私がこの京に留まると言わなければ…こんなことに…」  
親友と信じていた人間の裏切りと、己の無力感に苛まれ、憔悴しきった顔。  
「帝も左大臣も…父上も私に別の姫を宛がい、あかねのことは忘れろとっ…もう生きている意味はありません!」  
 
泰明は冷静に鷹通を諭す。  
「お前がそのように己を見失っては神子を救えぬぞ」  
「私に何ができると?」  
「橘家の庭の木々が枯れ始めた。枯れるはずのない若木が次々と緑葉を落とし丸裸になる。  
神子の残った力が悪しき気と化して木々を枯らした。このままでは京中に広がる。  
原因はいうまでもない…お前と引き離された神子の怒りと悲しみだ」  
鷹通の表情が変わった。  
「そんな…そんなことがあってはなりません!それでは鬼の首魁と同じです!」  
「お師匠はいった。お前しか神子を助けられないと。神子を救ってくれ。頼む」  
頭を下げる泰明に鷹通が問い返す。  
「まだ私に出来ることがあるのですか?でも誰一人私ではなくあの男に味方したのに…」  
「我らがいる。神子を救い出し、神泉苑から道を開き、元の世界に戻す。師匠と私が信じられぬか?」  
 
鷹通が大きく目を開いた。手を伸ばし、泰明の手を握る。  
「お願いします!あかねを取り戻せるなら、どんなことでもします!この世界を捨てても、二人で生きたいのです!泰明殿!」  
「この世界を捨てるか。なら太政大臣邸にも戻るな。神子が来るまでここで静養するがいい。ここはお師匠の館だ。  
誰もお前を探し出せぬ」  
 
 
4 友雅  
一月ほど友雅は屋敷を空けることになった。館に戻れないほどの仕事の量。  
ここ一月、理屈をつけて休み続け、仕事を同僚に押し付けてあかねの側にいた付けが回った。  
仕方がないね、と彼は苦笑いを浮かべた。さすがに帝も看過できなくなったと見える。  
「断じてあかねをこの館から出してはならないよ。ここに戻ったときあかねがいなかったら何をするか私もわからないからね」  
家人の震え上がる顔を見下ろすと、彼は普段の顔に戻って出仕の用意を命じた。  
 
牛車の上で彼は昨日の閨を思い出していた。一月顔を見なくなるからと、あれほど抱いたのにまだ足りない。もっと、もっとと願う。  
こんなに一人の女に溺れるとは思わなかった。左大臣家に頭を下げてあかねを奪ったかいがあった。  
大臣の力には低位の貴族もひれ伏すしかない。  
一月かけて言葉と体であかねを支配していった。今では自分以外の男の名を口にしない。館を飛び出すこともなくなった。  
まだこちらの教養を身につけては居ないが、頑なだった体は友雅の愛撫で簡単に蕩けて最高の快楽を与えてくれる。  
直に私を許してくれるだろう。私ならあの硬い男よりうんと贅沢な生活をあたえてやれるから。  
 
「宝珠が消えてしまったね…あれほどうっとうしいと思っていたのに、いざなくなってみると残念だね。  
あかねが逃げ出したときに探し出すのにいい目印になったのに」  
宝珠の力をそんなことに使うとは思わなかったが。今まで出奔したとき、宝珠はあかねの居る方向を友雅に教えてくれた。  
友雅の指示する方向に家人たちは集中し、平民に身をやつしていたあかねを探し出した。  
「もう宝珠も必要ない。邪魔者も消えて、あかねは私のものだ」  
治部省はあの男がいなくなって大混乱だそうだ。愚かな男。代わりに大臣の姫を貰えば出世も叶ったのに。  
 
 
5 夢の逢瀬1  
「まあ。枯れていた松が新芽をつけて…」  
「しばらくすれば他の木々も緑を取り戻しましょう」  
「なんと礼をいってよいやら…殿の見立てに間違いはございませんでしたわ」  
女房たちの賛辞の声を陰陽師は素直に喜べない。  
「清明様のおかげとはいえないな。まあ依頼を果たせた。いい客がつきそうだ」  
無邪気に陰陽師は喜んでいた。しかし、事実は違った。数日前、清明の館に行った時、陰陽師は清明と泰明の術に縛られた。  
彼の五感は二人の知るところとなり、二人の操り人形として友雅の館に術をしかけることになった。  
鷹通とあかねの寝室に札が貼られ、結界が一部開かれて、夢路で二人が行き来する術が施された。  
 
見たこともない衣を着たあかねが座っている。鷹通は駆け寄って抱きしめた。一月、会えなかった思いが行動に出る。  
必死であかねの名を呼ぶ。しかし、あかねは身じろぎもしない。表情のない顔。  
「どなたですか?」  
「あかね、あかね、何を言っているのです?」  
「私…知らない…誰も男の人は…知らない」  
唖然とした表情で鷹通は呼びかける。額に、頬に、唇に口付けて、同じ言葉を繰り返す。あかねは人形のように座ったまま。  
「あかね…あかね…どうか私を見てください…あかね…」  
「私は橘あかね…橘あかね…橘あかね」  
「私がわからないのですか?あかねっ…二人で見た星を…蛍を忘れたのですか?」  
鷹通の目から涙が落ちる。その涙があかねの額に落ちた。暖かい涙の流れた痕をあかねの手がぬぐう。あかねが始めて顔を上げた。  
「こんな夢…何でなの?何で今頃?夢でしょう?ねえ?」  
驚きの表情が浮かぶ。ようやく鷹通を認め、首を横に振る。顔を覆う。  
「あかね…許してください。私があなたをここに留めたばかりにこんなに苦しい目にあわせた…許してください」  
「あかね…許してください。私があなたをここに留めたばかりにこんなに苦しい目にあわせた…許してください」  
「どうして?どうして今頃なの?もう遅いよ…どうしてここにいるの?」  
 
 
6 夢の逢瀬2  
一月の別離は二人の心をすれ違わせた。数日間は憤り、悲しみ、怒り、激しい言葉が次々と飛び出した。それでも最後には愛情が勝った。鷹通の辛抱強い態度はあかねの荒んだ心を沈め、徐々に元に戻していった。  
あかねはようやく鷹通が触れるのを厭わなくなった。衣装は神子の頃に戻った。  
友雅の呪縛から解き放たれ、少しずつ館の生活を口にし始めた。  
「…一番嫌だったのは、鷹通さんを忘れていくことだった」  
「私を忘れる?どういうことですか?」  
「館に連れてこられてから、初めは朝はご飯を食べさせてもらえなかったの。寝言で鷹通さんのことを口にしてたから」  
「なんと酷いことを…」  
鷹通が思わず口を抑える。自分以上にあかねは辛い日々を送っていたのか。  
「あの人、私の話を覚えてたの。私の世界で結婚したら相手の苗字に変わることを…だから、橘あかね。  
それが私の名前だって…何十回も言わされたの」  
「そんな…それではまるで拷問だ…」  
「あの人が居るときは自分だけを見ていなさいって…空や庭を見ることも許されなかった…夜も昼もなく抱かれた…」  
あかねの顔が歪んだ。涙が零れ落ちる。  
「だから…鷹通さんのこと…忘れちゃった…ごめんなさい…もう私穢れてる…鷹通さんのお嫁さんにはなれないの」  
「あなたは悪くありません…そんなこと誰にも言わせない…言わせませんっ」  
「鷹通さん…ありがとう…」  
 
はじめ、鷹通は淡々と夢の報告をしていた。だが十日目は顔を赤くして口が重くなった。清明が事態を察して笑みを浮かべる。  
「そうか、やっと契りを交わしたか…神子の気がほぼ元に戻ったのはそのせいじゃな」  
「清明殿…そのようなことはっ…」  
「気をつけよ。夢と違って現し身は無理が利かぬぞ」  
「そうでした…心します」  
 
 
7 幕間  
館を空けて半月あまり過ぎた。  
「これなら大丈夫だね」  
使いの者から届けられた文を開いて友雅は笑う。中にはあまり上手でない字で返歌がしたためられていた。  
この文字をまねできる人間はざらに居ない。  
句は万葉集や古今集の借り物だがそれでも構わない。徐々にこちらの教養が身につけばよい。  
今度帰宅するときはどんなみやげを持って還ろうか。衣がいいだろう。もうすぐ冬になるのだから、いくらあっても困らない。  
今でも寒いともらすのだから。  
 
女房が返事の文を持ち使いのもとへ運んでいく。ようやくあかねはひとりになれた。一月友雅は戻らない。体が徐々に回復しだした。  
「あと少し…あと少しなんだから」  
夢路で鷹通と逢うことで、消えかけた希望が蘇り、あかねの顔に表情が戻ってきた。  
女房たちはようやく北の方としての自覚が出たのだと思っている。  
「ここから出て行けるなら何でもするわ」  
あの人から、この館から出て行くそのときまでうそをつこう。少しでも私を助けてくれる人たちが疑われることがないように。  
 
鷹通さんにほんとはずっとあいたかったの。黄緑の衣を見て、穏やかな声を聞いて、侍従の香りに包まれて、その手に触れて欲しかった。体中が暖かい想いに満ちていく。殻を破って、縮こまっていた体を伸ばして、手を広げて、私はようやく一つに戻った。  
今の私が本当の私なんだっていえる。  
ああ、私は本当に鷹通さんが好きだったんだ。二月前、空気のようにそばにあることが当たり前だったけど。  
香りは侍従…色は萌黄色…花は石楠花と桜。大好き…何度言ってもいい足りないくらい大好き。はやく夢で逢いたいよ…鷹通さん。  
 
「すごい…」  
緑に戻った庭を陰陽師は見つめる。清明の言うとおりにして、良かった。これで謝礼が貰えるだろう。  
「やはり清明殿は違うのだな」  
自分が操られていることも知らず、陰陽師は嬉しそうに戻っていった。  
 
夢の中であかねは脱出の手順を聞いていた。もう鷹通を嫌がらない。腕の中に納まって、鷹通の長い髪を弄ぶ。  
くるくると指に巻きつけて解く。  
嬉しそうに鷹通はあかねを見つめる。ようやくもとのあかねに戻りつつある。もう人形ではない。  
「天狗さんたちが助けにくるの?」  
「ええ。完全に人のなりをしてあなたを奪いにきますが、彼らのいうとおりにしてください。清明殿の館に運ぶ手はずです」  
「新月の夜に来るんだね…わかった」  
「新月の夜に来るんだね…わかった」  
「私がいければよかったのですが、それだけはならぬと留められました」  
「いいよ。向き不向きがあるんだもの。もう八葉でもないし。それに鷹通さんに今度何かあったら立ち直れない」  
「あかね…」  
「私、二人でここから出て行くって決めてるから…」  
「不甲斐ない私を選んでくださるのですか?」  
あかねは返事のかわりに鷹通を抱きしめた。自分から唇を重ねる。二人はゆっくりと至福のひと時をすごした。  
 
 
8 奪回  
新月の晩。闇よりも黒い衣に包まれた一団が強襲した。次々と男たちは倒され、女たちが逃げ惑う。  
「龍神の神子姫を頂きに参った。早く出せば命だけは助けてやる」  
「どこまで迎えに行ってるんだよ。遅いな…早くしないとこいつを放り出すぜ?館ごと黒焦げになりたいか?まだ生きていたいだろう?」  
一人が薄笑いを浮かべ、火のついた灯明を捕えた女房にかざす。ぱちぱちと火の粉が飛んで髪にかかり、こげる匂いに女が身をよじった。  
「つまらねえ・・今夜は女一人でおしまいか」  
「惜しいことだ。あの方の命がなければこの女どもも連れて行くのに」  
「さすが今業平だぜ。いいのが揃ってる。よう、おれといいことしねえかい?」  
髪をつかまれ、逃げられない女たちの悲鳴が飛び交う。鋭く光る刃は抵抗する力を殺いだ。家人たちは震えながら男たちの命に従った。  
 
「ばか者!誰があかねを差し出せと言った?なぜ刺し違えてもあかねをまもらなかった?」  
家人たちが縮こまって震えた。内裏から駆けつけた友雅の怒りは収まらない。一言一言が鋭く突き刺さる。逃げ出したい衝動に駆られた。  
「あのままでは我らも命がありませんでした…しかも館に火を放つと…」  
「お前たちの命などどうでもいいといったろう?」  
「そんな…」  
「さっさとここから立ち去れ!二度は言わせるな!」  
「お許しを…お許しを…」  
「許しを請うならあかねを奪い返してからにするのだな」  
 
追尾に当たった男たちは、門閥貴族たちの館が並ぶ道で集団が姿を消したという。友雅は大きなため息をつく。  
この誘拐には自分より上の貴族たちがからんでる。左大臣の力も万能ではなく、彼らを追い詰めてあかねを取り戻すのは難しい。  
陰陽師は気配が消されているのでこれ以上は無理だと頭を下げた。  
「私は諦めないよ。必ずあかねを取り戻す」  
友雅は門閥貴族たちに対して戦う準備を始めた。  
 
「今、天狗たちが戻ったが愚痴をこぼしていた。人のなりをするだけで退屈な仕事だったと」  
泰明の言葉に師匠は笑いを隠せない。  
「あれらは遊び好きだからな。だが此度は人の仕業と思わせたかったのじゃ」  
「どういうことだ」  
「門閥貴族たちは口には出さぬが姫神子を欲しがっておった。私に奪ってくれと金を出して頼んだ者もいる。もちろん断ったが」  
「そうか。貴族たちが神子を奪ったと思い込めば、友雅はここには来ぬ」  
「敵の敵は味方…痛くもない腹を探られてあれらが黙っているとは思えぬな」  
 
 
9 比翼の鳥  
阿部清明の館の側に離れがある。深夜、そこでようやく二人は再会を果たした。  
「やっと逢えた…あかねっ…あかね…ああ、長かった…」  
「鷹通さんっ…嬉しいよ…本物なんだね…もう夢じゃないんだね」  
二人は抱き合って動かなかった。唇を重ね、涙を流す。温もりを確かめるように、腕に力が篭る。  
「髪切ったんだね…」  
あかねが名残惜しそうに髪に触れる。鷹通の髪の毛は肩で短く切られていた。今は髪飾りが首筋に止められている。照れたように笑う。  
「治療のために切られてしまって…始めは慣れませんでしたが、肩が随分楽になりましたよ」  
「治療って?何か怪我をしたの?」  
「あなたを失った日から、私は私でなくなっていました。無力な私自身を消そうと自害を…泰明殿に随分迷惑をかけました」  
「そんな…大丈夫なの?もう動いていいの?」  
「清明殿の投薬と治療で回復しました。本当に愚かなことをしました」  
 
あかねの目から涙が落ちた。何故あの人を責めないのだろう。いつもそうだ。この人は真っ直ぐで優しい。  
自分を律している。誠実であろうとする。  
私はどんなことをしたらこの人に報いることができるのだろう。  
「鷹通さん…私の髪の毛を切って。お願い」  
「どうしてですか?あかね。この程度なら邪魔にならないでしょう」  
「ううん。鷹通さんに切って欲しいの。神子だった頃に戻ってやり直したい」  
「ああ…ありがとうございます。あかね…では少し待ってください。小さな刀を持ってまいります」  
「鷹通さんの護刀でお願い。私は鷹通さんのものになるから…お願い」  
鷹通が意味を悟って赤くなる。あかねはにっこり笑って囁いた。  
「二度も初夜が迎えられるなんて…恥ずかしいけど、嬉しい。優しくしてくれますか?」  
「それは…出来るだけ努力します…あかね…」  
 
どんどん髪の毛が落ちていく。茜色の髪。段々になって上手いとはいえない。あかねは鏡を覗き込んで嬉しそうだ。  
「こっちで終わりだね。鷹通さん上手いよ」  
「そうでしょうか?あかねが喜ぶのなら私は構いません…随分髪が散ってしまいましたね」  
肩に、衣に落ちた髪の毛を払う。  
「もういいよ。鷹通さん。はやくしないと夜明けになっちゃう」  
正直、あかねから請われるとは思わなかったが、望まれるなら嬉しい。立ち上がり、奥を指す。  
「では参りましょう。ここは風が入ります。もう少し奥に…」  
二人の影が離れの奥に向かい、明りが消えた。  
 
翌日二人は昼が近くなって姿を見せた。清明を見たとたん二人揃って笑みを浮かべる。  
「始めまして、清明さん。ありがとうございます。なんと礼を言ったらいいのか」  
「ありがとうございます。やっとあかねを取り戻せました」  
「いや、詫びるのはわしらの方じゃ…神子よ、天の白虎よ、すまなかった…許してくれ…」  
老人は苦渋に満ちた表情で語る。  
「宝玉が抜け只人となるまで、手が出せなかった…そなたたちの偉業に礼を持って報いるべきところを…  
あのような形で苦しめてすまなかった…」  
「そんな…清明さん」  
「そなた達はわしらが護る。後七日待ってくれぬか。神泉苑の道を開く。友人たちの世界に戻るがいい」  
 
 
10 墜落の始まり  
「泰明がいるから、ここにだけは来たくなかったが…しかたあるまい…京一の陰陽師なのだから、きっとあかねを探してくれるだろう」  
大きなため息をついて男は館の主人の名を呼ぶ。家人に扮した式が男を館の中へ招く。  
 
「殿。橘少将がお見えでございます」  
「そうか…式よ、離れの二人には知らせたか」  
「はい。決して離れから出ぬように申しておきました」  
「それでよい。橘少将を案内してまいれ」  
「はい」  
 
離れでは二人が肩を寄せ合い、館のほうを見つめていた。  
「大丈夫ですか?あかね?」  
「こわい…」  
表情が硬く、小さな体がかすかに震える。一月の悪夢は時折あかねを襲う。それでも鷹通と共にすごす事で回復に向かっていた。  
「ここは清明様の術で本館から見えぬようになっています。それに私が側におります。どうしても気になるなら…」  
髪が短くなったあかねの顔を振り向かせると唇を重ねる。  
「ーーー!!」  
「こうすれば気になりませんよ?」  
 
清明は淡々と話を続けていた。冷めた目で此度の災厄の元凶を眺める。  
「ほう?奥方をさらわれて、古だぬきたちにそ知らぬふりを決め込まれたと申しますか」  
「さよう。京一の陰陽師と名高きお方なら我が妻を助けられましょう。どうか手助けをして頂きたく」  
友雅は箱を取り出した。螺鈿作りの唐渡りの箱。  
「我が館の家宝としてきたもの…どうかお納めください」  
「断る」  
箱をつき返す清明に友雅が顔をこわばらせた。上ずった声を上げる。  
「なぜです?どんな願いも受けると承りました…この箱では足らぬと?」  
「わしは身のほどを知っておる。この身一つで古だぬきどもに叶うとは思っておらぬよ。  
そのような些細なことより、今は京の結界を張りなおさねばならぬ」  
「清明殿!」  
「あれらを敵に回すとどうなるか、内裏におられるおぬしが一番よく知っていることであろうに」  
 
友雅が立ち上がった。軽蔑した表情を浮かべて、清明に宣言する。  
「清明殿がそこまで臆病なお方とは思いませんでした。私の力で取り戻してまいります。たとえどんな代償を払っても」  
「待ちなさい。そなたにはあまりよくない相が出ておる」  
「失礼いたします。清明殿。此度のことは内密に」  
険しい顔で友雅は出て行った。  
「式、入り口まで案内せよ」  
清明は小声で命じ、目を細めた。  
「これで決まったな…あれはもう京には住めぬ」  
 
 
11 帰郷  
七日目。神泉苑に清明と泰明が二人で道を開いた。鬼の首魁が見せたのと同じ時空の道が二人の前にある。  
歩き出した二人は感極まった表情で後ろを振り返る。  
「さよなら…泰明さん、清明さん」  
「式を飛ばし、今宵のことは伝えたぞ。神子。みな同じことを伝えてきた。  
此度のこと、少しも力になれず、すまなかった、幸せになれと」  
「もう八葉じゃないんだから責任を感じることはないのに…会えてよかったと思ってるのに」  
あかねが俯いた。  
「私の責任です。もっと警戒するべきでした。こんなにつらい目にあわせて…あかねっ」  
鷹通があかねを強く抱きしめる。  
 
「早く行け。神子。鷹通。あまり時間が無い。今度こそ幸せになれ」  
「二人とも行きなさい。過去ではなく明日を見つめて、生きるのだよ」  
二人は頭を深くたれた。桜吹雪の中に後姿が消えていく。やがて時空の道が閉じていつもと同じ風景に戻った。  
 
「ようやくすべてがあるべき形に戻ったな・・」  
「連理の榊には礼をいわなくてはならぬ。警告がなければもっと災厄は広がったろう」  
ゆっくりと二人は館に向かって歩き出す。強大な術を使い、疲れた。二日ほど休まねばならないだろう。虫の声がする。  
いつもと変わらぬ京の夜が戻ってきた。  
「お師匠。友雅はあのままでよいのか。あれほど鷹通と神子を苦しめて何の咎も受けぬとは」  
「それは我らの役目ではない。見ているがいい。泰明。あの男自身が引き寄せるモノを。  
奪う者は奪われる。与える者は与えられるのだ」  
 
 
12 墜落の日  
朝夕に秋の気配が漂い始めた頃。京人が嫌悪の視線を向ける中、紐に繋がれた人々が門に向かって歩いていく。  
罪人が流刑地に送られるのだ。事実上の死刑。生きて戻ることは叶わない。その中にかつて今業平と呼ばれた男の姿もあった。  
周りの囚人たちと見分けがつかないほど、やつれ、生気が失せた。  
 
少しでも列を乱し、膝を突けば、兵から小突かれ、罵声を浴びる。視線を移せば、道に並んだ人々から容赦ない声が浴びせられる。  
彼は目を伏せた。ただ前を歩く罪人の背中を見つめる。ぼろぼろの衣と、やせ細った背中。鞭打たれた痕。  
地位も名誉も館も失い、無実の罪を着せられ、友雅は絶望にまみれて流刑地に向かう。  
 
「あかね…私のあかね…どこにいるんだ…」  
報復を覚悟の上で門閥貴族に挑んだ。それでも彼女の髪の毛1本さえ見つからなかった。  
ただ黙って彼らがあかねを奪うのをみていられなかった。  
自分の罪を忘れ、彼はひたすら妻の名を呼ぶ。もう逢うことのない妻の名を。  
 
「みるがいい。あれだ。思ったとおり、門閥貴族たちの報復を受けたな。流刑地があれの終焉の地となろう」  
民衆の中に清明と泰明がいた。鋭い目で変わり果てた姿を見出す。  
「愚かな…己の罪をいまだに悔いておらぬとは」  
泰明が吐き捨てる。  
「敵の敵は味方よ…以前より橘少将を煙たがっていた者は多かった。此度は帝も庇えなかったと見える」  
「何故神子を苦しめると分かっていて奪った?八葉に選ばれるほどであったのに」  
「それが恋情よ。厄介な、人にとって必要な感情だ…泰明」  
 

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