譲くんは、私のことを買いかぶりすぎだよ」
そう言って彼女はうつむいてしまったから、長い髪に隠された表情までは窺い知ることはできない。
「そんなこと…先輩は、俺にとっての先輩は綺麗で、優しくて、しなやかで」
――――あなたへの気持ちは憧れとか、好きとか、
そういう言葉で括れるほど簡単なものじゃないんです。
そう続けたかった言葉を、有無を言わせぬ瞳でさえぎられる。
「私は譲君が思っているような清らかな女の子じゃないよ」
望美は笑っているはずなのに、その表情は泣いているようにしか見えなかった。
この異世界に来てから、望美はいつも気丈に振舞っている。
怨霊との戦いに怯まずに挑んでいくが、同時に彼らの浄化を願って涙を流せる優しい心の持ち主だ。
「源氏の総大将」の九郎にも面と向かって意見をするし、戦いで疲れた仲間への気遣いも忘れない。
そんな彼女がこんな不安げな表情を見せるなんて思いもしなかった。
彼女の笑顔を取り戻したい。譲はただ強くそう思った。
――――その表情の本当の理由も知らずに。
その姿を目に留めたのは、本当に偶然だった。
勝浦で情報収集のために市場で買い物をしていた時だった。
路地裏の筋に垣間見えた、いつもは暑苦しいくらいの上衣を纏っている彼の後姿。
日に透けるその髪はこの時代にはおよそ相応しくないほど色素が薄い。
リズヴァーンと同じ金髪碧眼の「鬼の一族」だと言われても納得してしまうであろう程
その姿は異彩を放っていた。
普段の譲であれば、人のプライベートには自ら踏み込もうとする事はない。
だが、今日は何故だか足が勝手に彼の後をつけ始めていた。
走って追いついて、声をかければいいではないか。
自分にやましい事など、何一つない。
何度もそう思ったが、出来なかった。
那智大社の方へ向かっていると思われたその足取りは
ふと途中の筋でそれて、何の迷いもなくどんどん山道へと入っていく。
最後に彼が辿り着いたのは大社とはほど遠い、誰にも忘れ去られた朽ちた御堂だった。
彼が閉めた障子の前に立ち、立ち竦んだところで我に返る。
―――何をやっているんだ、俺は。
これじゃ立ち聞きでもするつもりみたいじゃないか。
熊野出身の彼にとっては馴染みの場所なのかもしれないし、これ以上彼の領域に踏み込むもの悪い。
後をつけるなんて今日の自分はどうかしていた。
―――帰ろう。
そう思って踵を返した次の瞬間、譲は凍りついた。
「ごめんなさい、急に呼び出したりして」
いつも心にある、自分を励ます心地よい声音。
少し緊張しているのか、声が震えているのがわかる。
ついさっき立ち聞きをしようとした自分を諌めた事も忘れて
うっすらと障子を開けて見たが、声の主二人の姿は見えない。
「いいんですよ、二人きりの時間を持ちたかったのは僕も同じですから。」
「今日は上衣、着てないんですね。」
「ええ、あの上衣は熊野ではかえって目立ってしまうんですよ。何かおかしいですか?」
「いえ、あの、その…髪が、きれいだなって思って…」
「あなたにそう言ってもらえるなら、偶にはこの髪を晒すのもいいかもしれませんね」
彼女は照れているのか、やや沈黙があって。
「…弁慶さん」
彼女――望美が彼――弁慶の胸にすがるように抱きついたのが見て取れた。
「そんなに焦らずとも僕は逃げませんよ」
衣擦れの音がした。
「この間の復習から入りましょうか」
弁慶の唇と望美のそれが重なるのがはっきりと見て取れて、譲は冷水を浴びせられた気がした。
どうしてこんな事になっているのか、全く理解できない。
これが悪い夢であるならば、誰か今すぐ叩き起こして欲しい。
弁慶と望美は、更に口付けを深くしていく。
長い時間が経ったように思えた。
望美の顔が上気して、二人の唇から銀糸を引きながらようやく離れた。
「そうですね、この間教えた事はしっかり出来ています。
舌を差し込んでも逃げなくなったのは大きな進歩ですよ」
「もう、意地悪ばっかり。」
―――「この間教えた」?
先輩と弁慶さんは前からこんな関係を持っていたのか?
心臓の音だけがいやに大きく聞こえる。
望美は譲が物心ついたときから隣にいた存在で、その一挙一動、
ほんの少しの表情も取りこぼすまいとして目で追ってきた大切な存在だ。
だが、今弁慶の前で頬を染めて目を潤ませている望美の表情を譲は知らない。
初めて見る、望美の「女の顔」だった。
「口付けは及第点をあげましょう。…では、もう一つ。
今度こそ復習ですよ。服は早く脱いでしまって、やってみてください。」
そう促されて望美がおずおずと立ち上がり、その身に纏っていた衣を脱ぎ捨てる。
まだ譲が小学校に上がる前は一緒にお風呂に入ったりした事もあったが
それは遠い過去のことで、十年以上ぶりにみるその裸体は想像の中よりも白く、そしてしなやかだった。
その身体と同じ白い指で弁慶の腰紐に手をかける。
まさか、と思った。
だが信じたくない光景は無情にも鮮明に譲の目に飛び込んでくる。
弁慶のモノを取り出し、望美は躊躇いながらもそれを口に含んだ。
「舌は筋に沿って下から上に這わせてください。
ああ、歯は立てないように、そっとね」
弁慶の声が聞こえているのかいないのか、
望美は一心不乱に弁慶自身に細い指を添えて舌を這わしている。
「んっ…ふ… こ…こうれす…か…?」
長い髪がさらりと揺れた。
その髪に手櫛を通して弁慶は唇で触れる。
譲がいつか触れる事を願っていた、その髪に。
「そう、上手いですよ。
貴方が頑張らないと、貴方の望む事はしてあげられませんからね。
貴方がもういいと思うまで、存分にどうぞ」
「そん…な、こと言わ…ないでく…さい」
望美は必死なのだろう。声が涙ぐんでいる。
「早く、弁慶さんを私の中に欲しいんです」
「仕方のない人ですね。ここは全く触れていないのにもうこんなに濡らしている。
あなたは、本当に乱れた身体をお持ちですね。」
弁慶の手が望美の秘所に伸ばされて、くちゅりと卑猥な音を響かせた。
「わた…し、は、弁慶さんが、好きなんです。大好きなんです。
それだけなのに、なんでそんな意地悪ばっかり…言うんですか…」
「ええ、知っていますよ。でも言葉でならなんとでも言える。
貴方が神子の役目を終えた後自分の世界に帰ってしまわない保証はどこにもない。
僕はそんなに簡単に人を信じない。
信じて欲しいのだったら、その気持ちを表現してください、と言っただけです。」
弁慶の口調は厳しいが、望美の髪を撫でつづけるその手だけは限りなく優しい。
「べん…ぃさん、私、もう…っ」
「もう、我慢できませんか?いけない人ですね。
では、お好きにどうぞ。僕は何もしませんから」
そう言われて、望美はそっと弁慶の上体を倒して、その上に跨った。
醜悪なサイレントムービーを見せられている気分だった。
なのに目を逸らせない。やめてくれ、と大声を出して喚きたい。
だが、渇いた喉は張り付いてくぐもった息を漏らすのがやっとだった。
望美の唾液で濡れて光る弁慶のものが、ゆっくりと望美の中に入っていく。
「ん…ぁあ…っべんけい…さん、おっき…ぃ…」
深呼吸をして呼吸を整えるようにゆっくりと望美が言葉を紡ぐ。
「入っただけでは何も出来ませんよ。次はどうするんです?」
なおも冷静な弁慶の声だけが脳に響いてくる。
「う、動きます。」
そういって望美は腰を上下し始めた。
最初はゆっくりだったその動きはだんだんと速度を速める。
これがもしも弁慶が一方的に望美を攻め立てているのなら
今すぐ障子を開け放ち、彼女を連れ去っていただろう。
今は源氏も平家も譲にとっては関係ない。
とにかく弁慶と望美を引き離し、弁慶の手の届かない現代に二人で帰りたかった。
だが、望美は自分の意志で弁慶の上に跨り、自分から腰を振っているのだ。
二人の荒れた息と濡れた水音、そして肉がぶつかる音だけがその場を支配していた。
「望美さん、そろそろっ…」
それまで余裕を醸していた弁慶の息が上がっている。
望美自身も限界のようだ。
「奥に、来てください!!…あぁ…っあ!」
それまで激しく動いていた望美の動きがぴたりと止まって大きな溜め息をついた。
崩折れるように弁慶の胸元に顔を埋めて息を整えたあと、ようやく二人は離れた。
秘所に刺さっていたものが抜かれると望美の太腿に幾筋も白いものが流れる。
それは彼女自身の純潔がとうに失われている象徴のようでもあった。
「よくできました。君は本当に頑張りやさんですね」
望美に口付けながら弁慶が笑う。
「特に今日は、特別なお客さんもいらしていたみたいですし」
そう言われて、弁慶が譲の稚拙な尾行に気付かないわけがない事にようやく思い当たる。
すべて譲に見せつけるために最初から仕組まれていた事だったのだ。
だが望美自身はやはり気付いていなかったようで、え、と障子の方に目をむけた。
「誰か、いるの…?」
答えられる事など出来るはずもなかった。その代わりに大きく肩が震えた。
「…ゆずる、くん…?」
名を呼ばれた瞬間、駆け出していた。それが肯定になる事など考えもせずに。
走って、走って、どこをどう辿ったのかもわからないくらいに走って、
勝浦の宿にようやく戻った頃には高いところにあった夏の太陽もとっくに沈んでしまった時刻だった。
――――とにかく水を浴びて頭を冷やさなくては。
そう思って服を脱いだ時に初めて、譲はあの時己の精も解き放っていた事を知った。
「〜〜〜っくそっ!!」
あの時から初めて発した言葉は嗚咽と自嘲に埋もれて消えた。
「譲君、少しいいですか?」
次の日、朝食を食べる気もせず、部屋に一人でこもっていると弁慶が涼しげな顔で近づいてくる。
激しい憎悪と嫉妬が湧いた。
「僕が、憎いですか?」
自分の心のうちを見透かされて、一瞬言葉に詰まる。
「僕を、殺したいと思うでしょう?」
本当にそう思っていたとしても、はいそうですと肯定できてしまう人間がこの世にどれほどいるだろうか。
言葉に窮していると、次の瞬間、強い力で壁際に押し付けられた。
「僕は、君が嫉ましい。君が憎い。君を時々殺してしまいたくなる。」
そういう弁慶の瞳はいつもそこに在るべき冷静さが失われている。
「僕は彼女を愛してます。彼女も僕を好きだと言ってくれた。
だけど彼女は神子の役目を終えてしまえば、彼女自身の世界に帰ってしまうでしょう。
それは正しい事だ。でもその時隣にいるのは僕じゃない。君だ。
僕は、この世界で生きて、罪を贖わなければいけない人間です。
決して彼女の世界に行く事は適わない。
-----譲君、僕は彼女と同じ世界の人間の君が、羨ましくて仕方がない」
その言葉を聞きながら、昨日夕餉の前に訪れた望美の言葉を思い出した。
―――譲君、私、本当にきれいな女の子じゃなかったでしょ。
私は好きな人に振り向いてもらえるなら
いくらでも自分で足を開くし、腰もふっちゃういやらしい女の子なんだよ。
そう言う彼女の声は震えていた。
―――譲君の気持ち、私なんとなく気付いてた。
でもごめんね、私弁慶さんのこと、好きなんだよ…
どんなにすきって言っても、身体をつなげても信じてもらえないけど、
弁慶さんのことが、好きなの…
あの時の彼女の言葉に少しの嘘もないだろう。
なのに、この男はそれをまだ信じられないとでも言うのだろうか。
冷静で、時に冷血な軍師が恋に溺れ、失う事を恐れて真実も見つけられなくなっている。
「僕は、絶対に彼女を彼女の世界に返すつもりはありません。
あの行為も、全てその為のものです」
冷静さを失った軍師の目にはすでに狂気すら宿っている気がした。
だが望美に涙を流させて尚、その言葉を信じようともしない。
握り締めた拳に爪が食い込み、血が滲む。
人を、愛する人の言葉ですら信じられないこの男を、哀れだと思った。
同時に、この哀れな男に譲は生まれて初めて、本当の憎悪というものを感じた。
それは生涯を懸けるような激しい恋情に少し似ていた。