京の都は今は夏―――。市場の雑踏に混じって遠くからセミの声が聞こえてくる。
穏やかに照る太陽と、涼しいそよ風が心地よい。
―――こんな日は洗濯するにはもってこいだ。
そう思いながら、仕事がひと段落つき、邸に戻っていた景時はうきうきと洗濯物の準備をしていた。
朔や母からは「男が洗濯なんてみっともない」と言われることもあったが、これが景時の心の支えだった。
趣味の洗濯をしているときは、どんな嫌な事も忘れられる。
風に瞬く白い洗濯物を見ていると、自分も真っ白になって気分になるのだ。
自分の手が血に染まっていることも、裏切り者の汚名も、朔と黒龍の事も―――
すべて忘れることができる。
「よしっ・・・これでいいかなっと・・・」
そうひとりごちて、景時は庭の石に腰を下ろす。
目の前に広がる青空と、真っ白の洗濯物。青と白の対比が美しい。
翻る洗濯物を見ると、いつもあのときのことを思い出す。
ふと目をやった庭先で、仲睦まじく微笑みあう朔と黒龍のことを。
洗濯物の陰に隠れる瞬間、二人の影が重なるのを見てしまった。
分かってはいたのだが、直接目にするとあれほど心が重くなるとは思わなかった。
そして景時は後悔する。あの時、なぜ朔をとめなかったのかと。
あの時朔をとめていれば、朔があんな思いをすることは無かったのに―――
あの頃に比べれば朔は明るくなった。ふさぎこむことも無くなったし、俗世は捨てたといっても
いまだこの邸にとどまり母の面倒を見てくれている。
ただ、今でもあの男の事は忘れられないのだろう。時折朔の表情がかげることを景時は知っていた。
―――黒龍が・・・消えてしまったの・・・ッ
ああいってくずおれた朔を、景時は救えなかった。
幼い頃から、どんなときも、何を言っても、兄である自分を信じてくれた朔。
いつも笑顔を見たいと思う。いつも一緒にいたいと思う。いつも守りたいと思う。
自分なら、朔を一生幸せにして見せるとも思う。朔を絶対に、泣かせないと誓う。
朔をこの手で抱きしめられるなら、どんなにいいだろう。何度思ったか知れない。
でも、それは自分がするべきじゃない。
自分と朔は兄妹で、「男」と「女」ではないわけだから。
「兄」と「妹」の境界を超えてしまったら、きっと朔を傷つける。
もう二度と、黒龍を失ったときのような朔を見たくはない。傷つけることはしたくない―――
自分の気持ちに整理をつけたはずだったが、油断するとふと想いがもたげる。
「まったく・・・困りもんだよねぇ・・・」
そう呟いたとき、ひょっこりと朔が現れた。
「あっ?!え?朔?!」
「なに慌ててるの」
突然現れた朔に、景時は驚きを隠せない。そんな景時を、朔は不振人物でも見るような目で見ている。
「ど、どうしたんだい?」
「兄上、忘れたんですか。今日は夏物をそろえに市に行くと前々から・・・」
ちょっと怒ったように朔がいうと、景時は「ごめんごめん、すぐ行くよ〜」といつものように取り繕う。
そんな兄に、朔はちょっぴり苦笑した。
他人から見れば頼りない、情けない、だらしないと三拍子そろった兄だが、朔は知っている。
自分の兄が、道化を買ってまで自分を励ましてくれたこと。
小心者の癖に、人には弱みを見せないところ。
どんなときでも、自分を大切に想っていてくれること―――
朔は、兄ほど優しい人はいないだろう、と思っている。
黒龍を失った今も、こうして生きていられるのは兄の優しさがあるからだ。
「もういいわ。兄上を待ってたら夜になっちゃう」
そういって、朔はすっと景時の手を引っ張る。
「あ、朔・・・」
「ほら、早く行かないと市が閉まってしまうわ」
自分の手を引っ張って微笑む朔を見ると、今まで考えていたことが無意味なんだと思ってしまう。
つないだ手から伝わるぬくもりが、景時の心を落ち着かせる。
今、朔のそばにいるのは自分なのだから。
この手に抱くことが無くてもいい。ただこの妹が幸せになるために、守ってやらなきゃならないんだと。
―――いつまでたっても、離れられなさそうだなぁ・・・
ずいぶんな妹への愛情の注ぎぶりに、自分でも苦笑する。
だけど、これでいい。
自分は兄で、朔は妹で、守ってやろうと思うことは悪くは無いから。
「ほら、兄上。今日はしっかり荷物を持ってもらいますからね」
「ええ〜っ!そりゃないよ朔〜」
「忘れてた罰です!」
「参ったな〜・・・」
「いってまいります」
澄んだ声が邸に響く。
京は夏。空は青々と澄んでいる。