「今夜は月が綺麗よ」
朔の言葉通り、見事な満月だった。このまま眠りにつくのが惜しく、望美は、庭で夜空を見上げていた。
一人で居ると、色々な事を考えた。神子としての自分、その責務、戦の事、元の世界の事、そして、あの人の事。
微かな物音に振り向く。すると、リズヴァーンがそこにいた。
眠れないのか、と聞かれ頷く。長い間外に居たため、体が冷えきっていた。
思わず身震いすると、背後から外套で包み込まれる。
「…あったかい…」
そう呟くと、望美は目を閉じ、軽く体を捻った。胸に頬を寄せる。心臓の鼓動が、耳に心地良かった。
この人の側は、心が安らぐ。
そんな事を思いながら、望美は眠ってしまった
リズヴァーンは、微笑んだ。自分は、もう無力な子供ではない。その事が嬉しかった。彼女の体も、今では両の腕にすっぽり収まってしまう。
今度こそ助けてみせる。同じ轍を踏むつもりは無い。
(せん…せ…泣かな…で…ごめ…な…さ…)
瞬間、彼女が事切れる間際の言葉が、体の温もりが失われて行く様が、生々しく甦ってきた。
思わず体が強ばった。その僅かな身じろぎに、望美が目を覚ます。
「ああ…済まない、起こしてしまったな」
「先生、顔色が」
悪いです、と手を伸ばしかけ、止める。
リズヴァーンは、望美を抱き上げ歩き始めた。
「もう遅い。ゆっくり休みなさい」
部屋の前で、彼女を下ろし、そのまま背を向ける。
望美は、堪らず呼び掛けた。
「先生!私、何か気に障る事したんですか?」
リズヴァーンの歩みが止まった。涙が込み上げて来る。周りの景色がぼやけて見えた。
走り寄り、彼の着物の背中を掴んだ。そのまま、ぽつりと呟く。先生が好きだ、女として見て欲しい。
十数秒が過ぎた。
「…私のこと、嫌いですか…?」
望美は、ゆっくりと手を下ろした。必死で笑顔を作る。寝言だから、忘れて欲しい。
そう言った瞬間、抱きすくめられた。力の強さに、息が詰まりそうになる。
顔を上げると、唇が塞がれた。
布越しの口付け。思わず、直接が良いと抗議する。リズヴァーンは苦笑し、覆面を外した。
リズヴァーンの手を引き、部屋に戻った。白い夜具が視界に入る。望美は、今更ながら頬が熱るのを感じた。
うつ向き、現れたうなじが、鮮やかな紅色に染まっていく。
リズヴァーンは、思わず其所に唇を落とした。望美の体が、震えた。夜着の襟を引いて、肩口に口付ける。
彼女は、ゆっくりと振り向いた。目を閉じる。
唇が、誘う様に軽く開いていた。
触れるだけだった口付けが、深く、長く、熱くなっていった。望美は、体の奥に火がともった様に思った。
背中に、痛みを感じた。破瓜の衝撃に、望美が爪を立てたのだ。眉を寄せ、涙を浮かべて耐える。
その表情を見て、愛しさが込み上げて来た。両の瞼に口を寄せる。
精を放たれた後、望美は眠ってしまった。リズヴァーンは、幼子に対してする様に、抱き寄せた。
穏やかな寝息が、己の胸にかかった。多少こそばゆく感じたが、今は、それすら幸せに感じられた。目を閉じ、眠りに落ちた。
夢を、見た。波の音が聞こえた。目の前に、彼女が立っている。何事かを言うと、駆け寄り、離れた。その手に、逆鱗が握られていた。
いけない。頭では解っているのに、体が動かなかった。このままでは彼女は。焦りだけが、体を満たして行く。沖の船から、矢が射られた。
そして、彼女は死んだ。亡骸を抱え問い続けた。何故上手く行かない、何故、何故。答えは、唐突に訪れた。
リズヴァーンは飛び起きた。冷たい汗が、背中を伝う。己の両手を愕然と見つめた。無心に眠る彼女へ視線を移す。
腕を伸ばし、頬に触れようとして、やめた。そのまま静かに、部屋を後にした。
「一人で来るとは、不敵な鬼だ。」
清盛は、言うなり逆鱗を掲げ、雷撃を繰り出した。リズヴァーンはかわしつつ、喉元へと迫っていく。
清盛の首をなぎ払った瞬間、雷が心臓を貫いた。
海へ、落ちた。
これで良い。リズヴァーンは思った。自分が傍らにいる、それ自体が、彼女の死を招いていた。ならば、運命は変わった筈だ。
思わず微笑みが溢れた。
あの娘は、泣くだろうか。ぼんやりと、そんな事を考えた。
目を、閉じた。
今はただ、ゆっくりと眠りたかった。