「そろそろ潮時か…」  
 ボソリと呟くと、傍らの少女が顔を覗き込む。  
 望美の肩口の矢傷は完治してはいないが、強く触れたりしなければ痛みも  
感じない程度には回復している、とあの日以来手当を頼んでいる女中に言わ  
れていた。  
 あの山小屋での一晩以降、騒ぐことも無く、必要以上に怯えることも、警  
戒することもなく、更に無理に逃げようともせずに、拍子抜けするほどにお  
となしく自分の側にいる。しかし、良く知っている快活な顔はあまり見せず、  
押し黙っていることの方が多かった。  
 一度、周囲に人がいないときに、何故こんなことになったのだろう、と誰  
にともかく呟いた言葉に、自分の3年前とそれからの状況を手短に説明した。  
望美も源氏の中で同じような存在であるがために、そのことに関しては以降  
は何も言わなかったが、1人で考え込む込むことが更に多くなっていた。  
 将臣がこれまでと同じ態度で接することで、逆に望美が戸惑い、対応に困  
ってる面も確かにあった。平家のまっただ中と言うことで、公に出来ない思  
いや将臣への思いなど、自分を持て余しているのだろう。  
――せめて敵としての態度を取ってくれれば……  
 そう対応されたとしてどうなるのだろうか? 気持ちを、感情を持て余し  
ている今の自分の状態に整理が付くのか? しかもあんなことがあった後で?  
無理だろう。結局は何も変わらない。  
 そして、考えるまでもなく、お互いに相手を討つチャンスは毎日のように  
あるのに、そんなことも出来るはずもなく、ただ日は過ぎていた。  
 
 俯いていつもの答えの出ない物思いに耽っていると、ぐいっと力強く体を  
抱かれた。誰も聞いてはいないだろうに、耳元に小さな声で囁く。  
「明日、ここを出る」  
「え?」  
「お前をあいつらの所に帰す」  
「……良いの?」  
「何が?」  
「それで良いの? もし知れたら将臣くんもただではすまないんでしょ?  
私にだってそれくらいわかるよ」  
「望美…」  
「今はまだ私の正体を知らない人が多いけど、いつバレるかわからないんだ  
よ? 助けて、捕虜にするならともかく、すっと側に置いて、しかも源氏に  
戻して、それで将臣くんが味方から狙われないなんて保証はどこにも無いよ」  
 言っている内に抑えていた分の感情も混ざってきたのか、望美は涙目にな  
っている。  
「心配すんなよ。俺がそんなドジやらかすわけねーだろ」  
――どの道、戻っては来ないからな…  
 先日の吉野の里を思い出す。どれほど力を持とうが、何も出来なかったあ  
の小さな里…。  
 
「騙していた俺を信用出来ないのはわかるがな、それでも今回は信用しろ。  
お前は無事に帰すし、俺もむざむざやられねぇよ」  
 それでもまだ心配気な望美の頭を軽く小突くと、口元に苦笑を浮かべる。  
 知っている態度、知っている笑いに、どうしてか望美は切なくなってしま  
う。  
「頼む、今回ばかりは何も言わず任せてくれ」  
 軽く懇願の入った声音で念を押すような言葉。いつもの自身に満ち溢れた  
声音とは違って、少し掠れ気味のその言葉に何も言えなくなってしまう。  
――将臣くんはずるい  
 この幼なじみは、結局いつも肝心なことは何一つ話さない。相手がどう思  
っているのか知っていて、それでも自分で何でも解決してしまう。下手に何  
でもこなす力を持っているばかりに、力の無い他人を巻き込むまいとして1  
人で行動し成しえてしまうのだ。  
――でも、それは凄く寂しいよ…  
 今の2人の状況を考えると、勿論色々と話せるわけでは無い。しかし、仕  
方がないとはわかっていても、蚊帳の外に置かれているような気持ちはどう  
しようも無かった。  
 
 明くる日、と言うのは語弊があるだろう。夜も明け切らぬ時分に2人は平  
家の陣を抜け出た。  
 早朝であり馬上と言うことで肌寒い上に冷たい風が体に付き刺さる、悪い  
とは思いつつ、人肌の暖かさを求め馬を駆る将臣に強く密着する。将臣はち  
らりと後ろを確認すると体に回りきっていない望美の腕を片手で前の方に引  
っ張った。  
 ズキリ、と肩の傷が痛んだが、逆らうことなく両腕に力を込め広い背に体  
を預ける。  
――広い…背中……  
 1人で先に大人になってしまった青年。良く知っていたころは、こんなに  
大きな背中だったろうか? 3年の生活と戦いが元々大柄だった少年を更に  
大きくしたようだった。  
 
 平家軍から源氏のいる京までは数日掛かる。その距離を歩こうなどとは、  
確かに無謀な話だ。  
 行程は驚く程順調で、何日かは野宿をしたものの京はもう目と鼻の先にま  
で近くなっており、望美自身、少し前から体調も気力も漲る思いだった。  
 ところが、ここに来て乗っていた馬が動けなくなってしまった。丈夫で足  
が早い愛馬だと言うので、将臣も油断して無理をさせすぎたと言う。  
「少し大変だが馬を捨てて歩くか? こいつの回復を待つよりその方が早い」  
「この子はどうするの?」  
「良い馬だったが、この際仕方ない。捨てておく。運が良ければ、いい飼い  
主に拾われるだろう」  
 悔しそうにすると、馬に軽く手をあてる。  
「ダメだよ」  
「望美?」  
「将臣くん、その子が大切なんでしょ? その子だって将臣くんのこと好き  
なんだから、このまま置いていくなんて可哀想だよ」  
「戻るのが遅くなるぞ?」  
「1月とかかかるわけじゃないし、今更だもん」  
「………わかった…」  
 苦笑すると、馬を立たせゆっくり移動する。  
 速度を落として暫く歩くと小さな村が見えてきた。  
「宿、借りれるかな?」  
「こんな小ささじゃ無理だろ」  
「せめて、この子が休める場所と水があれば良いね」  
 そう言うと、望美は傍らの馬の首を撫でた。ここ数日の旅で、馬の方もか  
なり慣れたらしく、望美の方に頭を動かしている。  
 

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