望美たちは生田神社での合戦の後、逃げていく平家を追いかけて  
大輪田泊へやってきた。港へ出てみると、平家の船が出てしまっていた後で、  
結局平家は結構な戦力を温存したことになり、戦の大勢の決め手となる合戦とはならなかった。  
 
港から離れ、皆で歩いている時に、弁慶は急ぎの用件があるといって皆から離れ、  
どこかへ行ってしまった。皆は何も気にした風でもなく、その姿を見送ったが、  
望美にはその様子が何かおかしく感じられ、後ろから聞こえる制止の声を無視し、  
弁慶の姿を探しに後を追った。  
闇雲に歩いていると、狭い路地から急に視界が開け、すぐそこに海岸があらわれた。  
弁慶の姿が見えないので、望美が辺りをきょろきょろしていると、  
すぐ背後から声がした。  
『――どうしてこんなところに来てしまったんです』  
声のするほうへ振り向くと、驚いたような、悲しそうな、困ったような、  
複雑な顔した弁慶がそこに立っていた。  
 
「勝つためには、今、平家を追撃して兵力を減らすのが一番なんです」と言い、  
平家の追撃を指揮しなければならない、と弁慶は望美に説明した。戦が始まれば、  
勝つ方法を考える、それが軍師だから、と。  
しかし、望美のすがるような視線に気づいたのか、弁慶は続けてこう言った。  
『――君に嫌われたくはありませんからね。少し考え直してみます』  
この言葉で、急に今まで張り詰めていた気持ちが、ふわりと浮いた気がした。  
『君を傷つけないように、作戦を見直すことにしますよ』  
そして、もう一度弁慶は言った。  
望美は、弁慶にまっすぐに見つめられて紡ぎ出されたこれらの言葉に安心し、  
早く弁慶が皆のところへ戻ってきてくれるように祈りながら、海岸を後にした。  
 
皆のところへ戻る途中の道を歩いていると、突然、強い海風が望美の髪を乱した。  
望美はこれ以上乱れないよう、懸命に髪を押さえ、立ち止まった。  
すると、いったんは取り戻した平穏な気持ちが、ふいに海風になでられ、  
急激に冷めていくのを感じた。そして、不安という大きな波が押し寄せ、  
望美をのみ込んだ。  
「弁慶さんは、作戦を見直すって言ったじゃない……。  
作戦の変更を指示しなければ、とも言ったのに」  
胸のうちを否定したくて、望美は声に出してつぶやいた。  
「どうして……弁慶さんを疑うようなことを考えてるんだろ、私……」  
吹き続ける海風に、不安が増長される。  
皆のところへ向かおうとしていた足は、自然と今来た道を歩いていた。  
しかし、不安が足を速める。  
「弁慶さんは、私と約束してくれたんだから……」  
望美は小走りしながら、弁慶を迎えに行って、この不安は余計な心配だったねと  
笑えばいいと、そのことにすがるような気持ちでいた。  
 
しかし、海上では見たこともないような光景が広がっていた。  
激しい炎に飲まれている人々、次々に海へ身を投げている人々、船上で逃げ惑う人々、  
それが遠目からでも分かった。だんだんと目の前が滲んでいき、それが涙となって  
望美の頬を伝った。  
「嘘……嘘、でしょう? どうしてこんな……」  
信じたくない現実に、体が押しつぶされそうになった望美は、  
砂浜に足を取られつつも、懸命に走り、弁慶を探した。  
 
「――弁慶さんっ!」  
梵字が描かれている見覚えのある黒い外套に向かって、望美は泣き叫けんだ。  
振り向いた外套の男は、望美の姿に一瞬たじろいだように見えた。  
しかし、それは瞬間の出来事であり、次にはいつもどおりの冷静な弁慶がそこにいた。  
「戻ってきてしまいましたか……。君はいけない人だ」  
望美はそのあとの弁慶との会話をよく覚えていない。微かに覚えているのは、  
追撃は必要なことだった、と言う言葉。それもあまり確かではない。  
これが弁慶の言う、勝つために必要なことだったのだろうか。  
戦を終わらせるためには、戦わければならないのだろうか。  
一刻も早く戦を終わらせたい、そう五条大橋で言っていた弁慶の言葉が  
ぐるぐると望美の頭を駆け巡った。  
(――戦は……どういう目的であれ、悲しみしか生み出さないよ……)  
望美は砂浜を凝視し、あふれる涙を止めることができなかった。  
 
「……もし、僕が悔いることがあるなら……」  
そういいながら、弁慶は望美に近づき、海の上で起こっている出来事を  
自らの体で隠すように、望美の目の前に立った。  
「君の目から、この作戦を完全に隠しとおせなかったことだけです」  
目線を下に向けたまま動かない望美に、少し悲しそうに微笑み、  
望美のまぶたを覆うように自分の左手をかぶせた。  
そしてその手にほんの少しだけ力を入れ、望美の顔を上げさせた。  
 
「君の目を塞ぎ、ここで見たことを忘れさせることができるならよかったのに……」  
「ほ……他に後悔することがないって……本当、なんですね」  
望美は弁慶の手のひらのぬくもりと、指先の冷たさを感じていた。  
弁慶は望美の涙の熱さと、顔のほてりを感じていた。  
「ここで見たことが君を苦しめるというなら……忘れてください」  
気配が強く感じたその時、少し冷たくて、でも柔らかなものが、望美の唇を掠めた。  
「君には……君にだけは知られたくなかったっ……!」  
「弁慶さ…………んっ……!」  
絞りだされるような、苦しそうな弁慶の声に、望美が何か言おうとしたその瞬間、  
それは弁慶によって塞がれてしまった。いつものやさしい弁慶から  
想像すらできないような、押し付けるだけの乱暴な口付けだった。  
望美は弁慶を押しのけようと、両手を弁慶の肩に伸ばしてみたが、  
それは何の抵抗ともならなかった。顔を逸らせようと頭を動かそうとすると、  
弁慶の空いていた手で頭を押さえられてしまった。  
もがいてももがいても、それはすべて弁慶によって押さえられてしまった。  
 
望美の抵抗が止むと、弁慶はそのまま望美の体を片腕で引き寄せた。  
「ん……!」  
普段はおっとりした様子の弁慶で、その腕力を感じたこともなかったが、  
その力はとても強く、二人の間にあった空間があっという間になくなり、  
望美の体は弁慶の体に密着した。  
恥ずかしさのあまり、望美の目は堅く閉じられている。  
そして体のあちこちが熱を持ち始めた。  
 
やがて弁慶は唇だけを離し、こうつぶやいた。  
「傷つけたくなくてついた嘘は、君が戻ってきて裏目に出てしまいました……。  
僕は君を傷つけたくないんです。だから……今日のことは忘れてください」  
そう言うと、再び弁慶は望美に口付けた。それは、先ほどの乱暴さが嘘のような、  
どこまでも優しいものだった。それが望美の目から涙を溢れさせる。  
やがて弁慶は望美から唇をそっと離すと、舌先を硬くし、望美の唇をなぞるように  
つるりと舐めた。  
「あ……んっ…………」  
望美は思わず声を漏らし、体を震わせた。そして、弁慶はわずかにできた隙間から、  
狙ったように望美の口内に舌を侵入させた。やさしい口付けは激しいものへと変わり、  
弁慶は望美のまぶたから手を離し、自由になった両腕で強く望美を掻き抱いた。  
「望美さん……望美さん…………望美さん……!」  
顔の角度を変えるたびにできる隙間から、吐息混じりの声で、弁慶は望美の名前を  
何度も呼んだ。今まで聞いたこともないような、熱を帯びた艶のある声に、  
望美は頭の一番奥がはじけるような感覚に襲われ、足に力が入らなくなっていった。  
「んふ…………はあ……ん」  
望美が声を漏らすたびに、弁慶は狂おしそうに、望美を抱く腕に力をこめた。  
この瞬間だけは、罪をすべて消したい、忘れたいと、弁慶が叫んでいるかのようだった。  
 
抱きしめられる腕の力と、口付けの激しさに、追撃命令を下したことを  
知られたくなかったのだということが、嘘ではなかったのだろうと、  
望美は遠くなっていく意識の中で感じていた。  
弁慶は軍師だ。戦では勝つためにいろんな判断を下す必要があり、  
それは、時には残虐ですらあることを、望美は知っていた。  
だからといって、弁慶が悲しまなかったのかというと、それは違うと言い切れる。  
『冷静でなくては、いけないんです』  
平家の追撃を責めたとき、弁慶はそう言っていた。  
この人はきっと今までも辛く悲しい目にあってきたに違いない、  
そう感じさせる言葉だった。自分を悲しませたくなくてついた嘘……  
それは、弁慶がとても優しい人であることを物語っているのではないか、と。  
望美は、どうしても弁慶だけを責めることはできなかった。  
弁慶は望美を、優しい人だと言った。  
(でも……あなたが……一番優しい……)  
――望美はもうこれ以上、何も考えることができなくなっていた。  
胸の奥から弁慶への愛おしさが募り、望美は自分の体が溶けてしまうのではないかと思った。  
やがて、弁慶から与えられる刺激に深く溺れていった。  
 
行き場をなくしていた望美の両手は、弁慶の行為に応えるように、  
また自らが求めるように弁慶の背中に回された。背中に強く感じる望美の手のひらに、  
弁慶はさらに激しく望美に口付けた。お互いがその時を忘れたいと願い、  
そして、お互いを求め合うように。  
その時、望美の耳に届いていたのは、燃える炎の音ではなく、人の叫び声でもなく、  
ただ波の音だけだった。  
 

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