景時が別動隊として一の谷ではなく生田の森へ向かうと聞いた望美は、景時についていくことにした。
そのときの景時の様子が気になったからというのもあるが、怨霊のいる戦場へ八葉が一人だけ向かうというのは危険だと思ったからだ。そこが激戦区となるならなおさらのことである。
奇襲はうまくいっていたかに思えたが、知盛率いる平家の軍はすぐに体勢を立て直し、敵味方入り乱れての混戦となった。
いつしか望美は仲間とはぐれてしまい、生き延びることを念頭に置きながら、森の中をひたすら逃げていた。
いつ敵に遭うか分からない状況下、神経を絶えず張り詰めさせて進むのは、想像以上に辛いものだった。
普段は重いと感じさせない刀が肩にくいこみ、望美の体力をじわじわと削っていく。いっそ刀を捨てたい衝動に駆られるけれど、刀を捨てたらそれこそ最期である。
人の声がし、見れば武者装束の男たちがやってくるのが見えた。敵か味方か分からないので、望美はとっさに木の影に隠れた。話の内容から彼らが平家だということが分かり、息を凝らす。
幸い男たちはそのまま気づかずに去り、彼らの姿が見えなくなったとき、望美はひとまず安堵の胸をなでおろした。
しかし。
「…なぜ戦場に女がいる?」
背後から聞き覚えのある声がした。はじかれるように望美は向きを変えると、刀を構えた。
望美が隠れていた場所は、目の前にいるこの男には丸見えだったようだ。もしわずかでも気配を感じていれば、こんなことにはならなかっただろうが、武将としての力量はやはりこの男の方が上ということか。
「あなたは…知盛!」
「俺を知っているのか。平家ではないようだが」
「あなたは初対面だろうけどね」
こことは別の時空で、この男と会ったことがある。
陣容や戦い方を見れば頭がいいことは伺えたし、物事を達観しているようにも見えるのに、戦うことを楽しいとうそぶくこの男は、どうにも不可解で不可思議で気になる存在だった。
この男から軽蔑されることは、望美にとって仲間からそうされるとは違う意味で耐えきれないことで、望美が花断ちのレベル向上に躍起になった理由のひとつである。
「初対面か。不思議と初めて会った気はしないが」
まさか覚えているの?と聞きたかったが、知盛が刀をかまえたので、望美も気を引き締める。
「刀を扱いなれている源氏の女といえば思いあたるのは一人だが…まずはその刀で語ってもらおうか」
そういうや否や、鋭い一閃が走った。望美は気力を奮い立たせると、それを一重でかわす。しかし、息をつく間もなく左右から次々と刃が襲いかかってくる。完全によけきれず刃が肌をかすり、首や腕に痛みが走る。
普段のコンディションならともかく、疲れきった今の状態でこの男と対峙するのははっきりいって無謀だった。だが、できなければ死んでしまう。
「なかなかやるじゃないか…予想以上に酔わせてくれるぜ」
いっぱいいっぱいの望美と異なり、知盛には余裕があった。
悔しい…と思ったとき、受け流すことができず、望美の刀はもろに知盛の振りかざした刀を受けてしまった。激しく重い衝撃に耐えきれず、はじけるように望美の手から刀が落ちた。
刀は少し離れた場所にくるくると回りながら落ちた。無手のまま攻撃をかわして刀を取りに行くことは不可能な距離だった。
「これで終わりか?」
血の気がひく音を聞きながらも、望美はとっさに知盛に飛びかかった。知盛は不意を突かれたようだった。
「刀がなければ組み合え」とはリズ先生の教えだ。むろん組み合って勝てる相手だとは思っていない。望美の狙いは知盛の腰刀である。
奪うと素早く飛び退き、鞘を抜く。それをほうると、望美は再び構えた。してやったり!と思ったのに、驚いたことに知盛は笑みを浮べた。
「お前は実にいい女だな」
それに答える余裕は望美にはなかった。狙うのは急所、知盛の首筋。一か八か、懐にとびこんで切るしかない。
すきをうかがっていると、知盛がどういうわけか刀を地面に刺した。怪しいと思ったが、刺したときに知盛が目をそらした、その瞬間に望美は反射的に地面を蹴る。
「誘いにのってくれると思ったぜ」
「え?」
知盛はさっと横に避けると、片方の手で腰刀をもっている望美の手首をつかんで締め上げ、もう片方の手で望美の腰をつかんで引き寄せた。ちょうど後ろから抱きすくめられたような格好だ。血とほこりとこの男の体臭が混じり合った匂いに、望美の頭が真っ白になる。
「い、いきなり何を…」
「ここであっさり殺すには惜しい女だ」
耳のすぐ近くで声がし、望美は身を固くした。訳が分からない。どういう意味かと聞き返そうとしたとき、知盛の唇が望美の首筋に触れた。
「……つぅっ!」
さきほど怪我をしたところだ。痛みと同時に、よくわからない衝動が体の内部から生じる。体が熱くなる。
望美は身をよじり、なんとか逃れようとしたが腰にまわっている腕の力は強く、舌は首の他の部分までなめはじめ、さらには耳を甘噛みしはじめた。堪えても口から吐息がもれてしまう。
「ん…」
だんだんと理性と判断力が麻痺してくるのを望美は感じた。これでは到底体に力のはいるはずもなく、望美の手から腰刀が滑り落ちた。
「こんな場所で…何を…考えているの」
「戦場だろうとどこだろうと、俺は俺が楽しいと思うことをする性分なだよ。頼まれたことはこなした後だしな…」
それに、と知盛は言うと、望美の手首を締め上げていた手を放して、スカートにすべりこませると、ショーツを上からなぞった。固定されたままでも望美の体がしなる。
「お前ものっているじゃないか」
ショーツが湿っているのはすぐ分かった。そして、指がなぞるたびに体の内部から、音をたてて熱い液体がにじみ出ることも。羞恥心で顔がほてる。
「ち、違う!」
そう望美が叫んだ瞬間、ふわりと体が宙に舞い、何が起きたのかと思ったときには地面に押し倒されていた。目の前に知盛の顔、遠くに秋の空。
「背中ががら空きになってるよ…?」
震える声で望美は強がったが、知盛は望美の着物のえりを左右に広げながら、くっと笑った。
「ここはすでに平家が完全に制圧している」
望美が声を上げても、届くのは敵の耳にばかりということである。さらに刀は知盛の手の届く範囲に刺さっている。万が一敵が来ても、刀を振り下ろす前にこの男に両断されるに違いない。
知盛が上にのっていなければ望美もこの刀をとって窮地を脱することができるが、今の状態では刃にしか触れない。
「もともとの肌は白いんだな」
しげしげとあらわになった胸を見る知盛の視線に耐えきれず、望美は顔をそむけた。手で胸を隠したかったが、知盛の腕に阻まれている。
日焼け止めクリームもないのに外を歩いてばかりだから日に焼けるのは当然だよと、この状況下で答える気には到底なれなかった。
望美はこのまま顔を見ないようにしていたかったが、知盛が望美の片方の乳房の頂きをなめ、もう片方をもみはじめると、快感と恥ずかしさでとてもじっとしていられなくなった。自分とは思えない甘ったるい喘ぎ声が口からもれだす。
このまま溺れてしまえと思ったけれど、そのとき風にのって金属の打ちあう音と、切り殺された人間の断末魔の声が聞こえ、望美は我にかえった。
生と死が残酷に交差する、少し離れた場所で苦痛にうめく人がいる戦場で、この欲望のまま進むのはひどく冒涜な行為ではないか。
「もうやめて。みんなに顔向けができなくなる」
知盛は顔を上げた。
「そんな乱れたいい顔をして、何をいまさら」
「乱れてなんか…!」
「同類なんだよ、おれとお前は」
そう言うと、知盛は望美が再度反論しようとする前に、自分の口で望美の口をふさいだ。その荒々しさは麻薬のようで、望美はあっさり舌の侵入を許してしまった。
くちづけをするのは初めてだったけど、この人は慣れているというのは分かった。知盛の舌が口内をなでる感触に、戦場の音はまた遠くなった。
知盛の手がショーツをひきはがしたとき、死の恐怖とは別の恐れが望美の中で生じた。
このあとに何が来るかは知識として分かっていたから、とっさに足を閉じようとしたけれど、すでに知盛のひざがあいだに割って入っていたため、閉じることができない。
知盛の指が望美の秘所に直接触れた。知盛はもてあそぶように指を動かし、望美の体はびくんびくんとはねる。
「これだけ濡れていれば、そう痛くはないはずだ」
それから熱くて固いものが押し付けられたと思うと、それはぬるっと望美の内部にはいってきた。タンポンの比ではない違和感と独特の痛みに、思わず知盛のむき出しの腕に爪を立てる。想像していたよりは痛みはなかったが、それでも悲鳴はでる。
「きついな…少しは力を抜けよ…」
「そんな…こと…言ったって…」
息も絶え絶えに、涙目のままぼんやりと知盛の顔を見れば、いつもどこか見下ろすような表情を浮べているこの男が、何かをこらえているように眉をしかめていて、それを見れたのは望美にとって大きな収穫だった。いつもしゃくに思っていたのだ。
もっとこの表情をさせてみたい。そう思った瞬間すっと体の力が抜け、子宮の奥に固いものがあたり、熱いものが放出されるのを望美は感じた。
遠くで何かの音が聞こえた。それが遠くから響いているホラ貝と、鬨の声だと気づくには、5秒ぐらいかかった。
「潮時だな」
「そうね」
終わりはあっさりとしたものだった。この男と自分のあいだにあるのは一般的な愛情でも恋情でもなく、獣のような欲情なのだから、それもある意味当然だと望美は思う。
さすがに鎧や着物を脱ぎ捨ててはいなかったが、知盛はともかく望美ときたら、髪は乱れ、胸元はまるっきりはだけ、スカートはめくれ、股のあいだから白と赤の混じった液体をつたわせている有り様であった。
気恥ずかしさに正視できず、望美が急いで懐紙で拭き取っていると、鞘のついた腰刀が投げ渡された。
さっきは全然見ていなかったが、黒い漆塗の鞘は平家の公達がもつには地味に思えたけれど、元の世界だったら重要文化財として博物館のガラスケースの中に収められている代物だということは分かった。
「お前の剣技は素早さが命だろう。こんなときは腰刀なら、刀を振り回すよりは身軽に動ける」
「どうして。私は敵だよ」
柄には平家の家紋である揚羽蝶が彫られていた。これをうまく使えば、戦わずに平家の制圧する地帯を抜けることさえできそうだ。その両方の意味をこめて、この男が望美に腰刀をよこしたのは明らかだった。
だが、望美が生き延びても平家には何のメリットもない。そう問うと、知盛はいつもの笑みを浮べた。
「俺はお前にまだ死んでほしくないんでね…楽しみが減るからな」
それから望美たちは何ごともなかったように別れた。腰刀のおかげで、体の調子はいまひとつでも、戦闘自体は前よりは楽になった。
もっとも、揚羽蝶の紋様を水戸黄門よろしくかかげる気には望美はなれなかった。そして、景時が平家の兵達に囲まれた望美を助けたとき、望美は腰刀をふところに隠した。
誰にも見せたくなかったのだ。
「神子、首に布をまいているけど、怪我をしたの?」
夜、陣幕内で休もうとすると、白龍が心配そうに望美を見た。
「刀がかすったの。大げさだよね。大して痛くもないんだけど」
望美はにこりと嘘をつく。本当の理由を知れば、白龍といえど自分を軽蔑するに違いなかった。刀がかすったのは嘘ではないが、布をまいたのは首や胸元に逢瀬のときにつけられたキスマークが残っているからだ。
必要なとき以外は、まともにみなの顔を見られなかった。体には昼間知盛によってうちこまれた熱いくさびの名残が、今だくすぶっている。
あの男は本当に危険だと望美は思う。あの男は自分を、清らかだという白龍の神子ではなく、劣情のままに動く獣にしてしまう。というより、それこそが自分の本性なのではないかという気がしてならない。「お前と俺は同類だ」というあの男の言葉が甦る。
再度生田の森で知盛と対峙した後、白龍は「神子は知盛とは違う」と言ってくれたけど、知盛と刀をうちあっているとき、森の中で抱き合ったときのあのめくるめく快感が、望美の中で駆け巡ったのは否定できないことだから。
そもそも望美が景時についていったのは、実のところ知盛に会うためだったことを、今さらながら望美は気づく。
けれど、刀で語る愛などあまりに不毛すぎた。行き着く先は死しかない。
望美は両手で肩を抱くと、見えるはずもないのに海の方に首を向けた。はるか沖には平家の船があるだろう。あの男は今ごろ一体何をしているのだろうかと、望美は思いをはせた。