(あれ?)  
千尋は自室の机でそれを見つけたのは、入浴も終わり、全ての準備を整え、さあ後は寝るだけだ、と意気込んだ時だった。  
見つけたそれは細く、おろしたての筆。穂先が綺麗に整られているのは、持ち主が大事に丁寧に使っている証拠だ。  
これは、遠夜の筆。千尋があげた物だった。  
最近遠夜は千尋の元で勉強(といっても、簡単な読み書きの練習なのだが)するのが日課だ。  
しかし、千尋は一応軍の頭、そして次期女王。多忙なため毎回遠夜のことをみてあげることも叶わなかった。それでは熱心な遠夜に申し訳ないと思い、せめて自習出来るようにと、自分の物から一本筆を分けてあげた。  
遠夜はそれを嬉しそうに受け取り、そして宝物のように大事に扱っていた。  
今日もその筆を使って勉強会をしていたのだが−‥‥  
(忘れちゃったのかな?)  
机の上から拾い上げて、なんとなく目で筆を上から下まで追ってみた。  
(届けてあげなくちゃ。だってあんなに大事にしてくれてるんだし−あ、でも今日はちょっと遅いよね‥‥。)  
気付けばもう日付も変わっている深夜。  
(明日にしようかな。遠夜だってきっともう寝てるよね‥‥)  
‥‥‥ん?  
ふと、千尋は自分自身の言葉に疑問を持った。  
遠夜が、寝る。  
遠夜が、寝る?  
いや、別に疑問を持つ所ではない。至極当然なことだ。睡眠を貪ることは、生物にとっての自然現象。例外は恐らくない‥‥と思う。思うのだが。  
遠夜が寝てる所が想像できない。  
というか−  
(遠夜が寝てる所、私、見たことない?)  
千尋は思い返してみる。  
例えば宿に泊まるとき。千尋は男所帯の紅一点、もちろん部屋は別になる。機会がない。  
それでは例えば野営のとき。男衆は見張りのためにと起きている。交代で仮眠をとりながら番をしているようだが、千尋は遠夜が横になっているのを見たことない。(いつも薬を調合していたり、独り言(※本人は妖と念話してるつもり)を言ってたりしている)  
朝起こしに行こうと思っても、千尋より朝遅い神経が図太いやつは、那岐、サザキ、アシュヴィンぐらいだ。  
 
(遠夜って、てゆーか土蜘蛛って、寝るの?)  
‥‥‥‥‥。  
一度浮かんだ疑問は、頭の中にシコリのように残る。  
−気になる、確かめたい。今すぐに。でもこんな時間に訪ねるのはさすがに気が引ける。でも−  
数十秒、千尋の脳内で会議が行われた。  
結果−  
(中ッ国では土蜘蛛の生態について不明な部分が多い。ということはそれを調べるのも女王の仕事、だよね。)  
何にでも首を突っ込みたがる女王様。好奇心が勝った。  
 
思い立ってから行動は早く、千尋は遠夜の部屋の前にいた。  
遠夜、と小声で呼び、遠慮がちに戸を叩いてみる。 しかし、中からは何も反応がない。  
やはり、寝ているのだろうか−  
もし遠夜が寝ているならば、起こしてしまっては悪い。  
(まあ別に筆は明日返せばいいし、その時に本人に聞けばいいか。)  
若干消化不良気味だが、仕方ない。  
手の中の筆を眺めながら、千尋は自分に言い聞かせた。溜め息を一つついて、自室に帰ろうと戸に背を向けたとき、静かに音がした。  
 
−キィ‥‥  
 
(‥‥え?)  
ゆっくりと、部屋の戸が開いた。腕が一本入るかどうかの隙間程度にだが、その様子はまるで、千尋を部屋に誘うかのようだった。  
「遠、夜?」  
部屋の主を小さく呼んでみたが、返事の気配はない。  
(入れ、‥‥ってことかなぁ‥‥。)  
そっと、隙間から部屋の中を覗く。薄暗く、中の様子はよく分からない。  
千尋は少し悩んだ。  
戸は開いた。だが肝心のは遠夜は出てこない。このまま入ってしまっては、不法侵入になるのではないか。  
だが、せっかくここまで来たのだから、スッキリさせて帰りたい。  
再び脳内会議が行われた。  
結論。  
 
まあ遠夜だし、彼なりの歓迎の仕方だろう、ということにして、中に入ることにした。  
 
「‥‥失礼しまーす。」  
なるべく音を立てないように、千尋は中に入る。月が出ているからだろうか、中はそこまで暗くはない。  
しかし、遠夜の姿は見当たらなかった。  
「あれ?遠夜?」  
千尋は自室よりも少し狭く、簡素な造りの部屋を見渡した。机と寝床以外には特に目立ったものは見当たらない。  
さらに部屋に踏み入れると、ふと、千尋の鼻に微かに薬用の香草の匂いが掠めた。  
 
−遠夜の匂いだ  
 
なぜか、今になって急に照れくさくなった。頬が少し熱いのは気のせいだろうか。  
軽く頭を降って気を取り直し、改めて部屋を見渡すと、千尋はそれを見つけた。  
(ん?何あれ?)  
それは、寝床の上にあった。不自然な、山。大きな造りの寝床の上の隅に、丸い山が、塊がある。  
近づいてみると、それはこの部屋の主、遠夜だとわかった。  
毛布にくるまり、動物のように丸まって、規則正しい寝息を立てている。紫の目は、銀の睫毛に閉ざされていた。  
(う、うわー、遠夜だ!遠夜が寝てる!やっぱ土蜘蛛も寝るんだ!)  
まるで世紀の大発見のように、千尋の心は興奮した。  
−まさか、自分の好奇心が満たされるのが、こんなにも快感だとは!  
もっとよく見ようと、息を殺して近づいてみる。  
そっと顔を覗き込むと、紫の色と目があった。  
目が、あった?  
目が?  
「えっ?」  
数秒、千尋は理解できずに硬直した。そんな千尋の反応に、遠夜は無邪気な笑顔を向けて、  
「こんばんは、神子。」  
と最近覚えた夜の挨拶の言葉を紡いだ。  
 
「こ、こんばんは、遠夜‥‥。」  
我に返った千尋は、とりあえずしどろもどろに挨拶を返した。  
一方遠夜は、返事が返ってきて一層嬉しそうに破顔した。  
「あの、もしかして、起こしちゃった‥‥?」  
遠夜は、首を振る。  
−起きてたんだ‥‥。  
なんだか自分の興奮が空回りしたようで、千尋は脱力した。  
「起きてたなら、寝たフリしなくてもいいじゃない。」  
横になっている遠夜と目線を合わせるように、千尋は床に座り込む。  
「ごめん、神子。でも本当は俺も寝るところだった。でも−」  
「でも?」  
「神子が、来る音がしたから、起きてた。」  
嬉しそうに、遠夜は目を細める。  
「だから迎えに行こうと思った。でも、兎が止めた。」  
「え?兎が?」  
「ああ。寝てるフリをしていたほうが、きっと楽しいって。」  
千尋は理解した。戸を開けたのは遠夜じゃない。兎だ。なるほど、兎と遠夜−というか、主に兎に一杯かまされた。  
「あ、もしかして、神子、騙したから怒った‥‥?」  
「え、あ、ううん、違う!やられたーって思っただけ。」  
優しい笑顔で千尋は答えた。実際に千尋は不快な気分はなかった。それよりも−  
「なんだか、すっごく楽しい気分。まさか遠夜に悪戯されるなんてね。」  
「‥‥俺も。すごく、楽しい。」  
実際、千尋が近づいて自分を観察してる様を伺うのは、普段の千尋の知らない面を知ったようで遠夜は嬉しかった。そして、目があったときのあの顔も。兎に感謝した。  
お互い、気恥ずかしく笑いあうと、千尋は思い出したように「そういえば」と切り出した。  
「私ね、遠夜にこれを渡しにきたの。」  
千尋は握りしめていた筆を遠夜に差し出した。遠夜は少し目を見開いた。  
「あ‥‥、それ‥‥。」  
「私の部屋に忘れてたよ?大事なものだと思ったから、早く渡したほうがいいかなって。」  
「神子‥‥、ありがとう、すまない‥‥。大事なもの、忘れてた‥‥。」  
「うん、これがないと、勉強できないもんね。」  
違う、違うのだ。そうではない−。遠夜は言葉を飲み込んだ。  
「千尋」からもらったから大事なのだ。大切な、俺の神子。愛しいワギモ。  
この気持ちを上手く伝えられるほど、遠夜はまだ言葉が達者ではなかった。  
浮かんでは消え、消えては浮かぶ言の葉たち。感情。思い。  
溢れる気持ちを伝えたいが、伝える方法がわからずに途方にくれる。苦しい、切ない。−こんな気持ちを遠夜は知らなかった。  
 
「遠夜‥‥?」  
黙ったまま動かない遠夜を心配し、千尋は声をかけた。  
今までみたことのない、切ない表情。苦しい、泣きそうな−  
 
−いや遠い昔、見たことが−同じ顔をした人が、隣に−  
「っ!!」  
ズキンと、千尋の頭に痛みが走る。  
「神子!?」  
遠夜は起き上がり、後ろに倒れそうな千尋を急いで抱き留めた。  
カラカラ‥‥と千尋の手からこぼれた筆が、床を転がる。やけに、音が響いた。  
「神子、大丈夫か?‥‥苦しい?」  
「大丈夫、大丈夫だよ、遠夜‥‥。もう‥‥私は‥‥。」  
‥‥私、は?  
‥‥もう?  
自分の言葉なのに、自分の言葉じゃないように聞こえる。−朦朧とした頭の中で千尋は思った。それに、あの隣にいた人は誰だったか。  
 
「分かってる、神子、分かってる‥‥。」  
遠夜の腕の力が強くなる。  
遠夜は直感した。神子が言わんとしていることを、ワギモが自分に伝えたいことを。  
だが遠夜は言の葉が上手く紡げない。だから力強く抱きしめた。  
 
そんな遠夜に千尋はなぜか泣きたくなった。  
ポロポロと、静かに蒼の瞳から涙が零れる。  
自分の涙なのか、誰のものなのか、千尋にはわからなかった。  
 
大切なモノ、者、そばに、言の葉、歌、約束、時空を超えて−  
 
泣かないで。  
 
遠夜は千尋の頬に、自分の顔を近づけた。頬に、唇を落とす。そして涙をすくうように、舌で後を追った。頬から、上に。そして、瞳にまた唇を落とす。そのまま、瞼に、額に、髪に、また頬に。  
あやすような、優しい動き。ひとつひとつの動作が、千尋を安心させた。  
−ああ、私はこの人を知っているのだ。この優しい人を−  
 
千尋は遠夜の首に腕を回した。  
そして、そっと唇を重ねた。  
 
泣かないで。  
 
千尋からの触れるだけの接吻に、遠夜は言の葉を聞いたような気がした。  
泣く?誰が?オレが?  
泣いているのはワギモだ。蒼の泉から溢れる、涙、水、きれいな。  
でもまるで、自分のことのように切ない。神子が悲しければ、自分も悲しい。神子が苦しければ、自分も苦しい。  
遠夜も、千尋の唇にそっと口付けた。柔らかく、小さな、唇。伝わる、熱。  
もしかしたら神子も同じかもしれない−と顔を離しながら遠夜は思った。  
泣けない自分の代わりに泣いているのかもしれない−。と。  
 
目があった。  
どこまでも澄んだ、海のような、空のような蒼。そして、どこまでも深い、優しい紫。  
二人は同時に目を閉じ、再び唇を重ね、そしてそのまま遠夜は千尋を寝床に押し倒した。  
 
先程の触れるだけとは違い、もっと激しく遠夜は千尋の唇を求めた。唇の輪郭を舌で舐めるようになぞり、下唇を軽く噛む。そしてゆっくり吸い上げる。時々ちゅっと、音がした。  
「っ、はぁっ、」  
千尋は空気を求め、顔を横に向ける。はぁ、はぁ、と口で息をして呼吸を整える。すると再び遠夜の顔が近づき、口を塞がれた。  
遠夜の舌が、ゆっくりと千尋の歯列をなぞる。下から、上に。そして奥へ入っていく。千尋の舌を見つけると、絡め取るように動いた。  
角度を変え、何度も何度も奥まで口内を弄る。逃がさないというように、遠夜の両手は千尋の頬をしっかりと押さえた。  
千尋の口の端から、唾液が伝い、落ちる。  
初めての感覚に、千尋は戸惑っていた。すごく厭らしいことをされているような気がする。でもなぜか、止めないでほしい、とも思う。  
「っん、」  
苦しいのか、千尋が鼻のかかった声を出した。  
遠夜は気づいたように、顔を静かに離す。二人の間に銀の糸が引いた。遠夜はそれを千尋の唇ごと舐めとる。  
「‥‥ごめん、神子、苦しかったか‥‥?」  
耳元で遠夜が囁いた。優しい低音が心地よい、と千尋は息を整えながらぼんやり思った。  
「ええと、ちょっとだけ‥‥。大丈夫‥‥。」  
瞼を開けて、ちらりと横を見ると遠夜と目があった。  
 
じっ、と紫の瞳がこちらを覗いている。  
千尋は自分の紅潮した頬が、羞恥でさらに赤くなるのが分かった。  
それを隠すように慌てて視線を外すと、「可愛い」、と遠夜の小さなつぶやきが耳に入った。  
「え、と、遠夜‥‥?」  
「神子、可愛い。とても。」  
今度は千尋の耳元で、はっきり言葉にした。  
息が、かかる。声が響く。千尋の背骨にゾクッと何かが駆け抜けた。  
「いつも神子のことは、綺麗、とか、素敵だと、思う。」  
千尋の小さな耳朶を甘く噛む。また、何かが駆け抜けた。  
「けど、今の神子は、可愛い。」  
ギュッと遠夜は千尋を抱きしめ、金の髪を掻き分け、首筋に顔をうずめた。  
「‥‥‥‥。」  
恥ずかしくて泣きそうだ−と千尋は思った。  
遠夜はいつも自分の思ったことを素直に口にする。ただ純粋にそれだけなのだが、なぜ、今この状況でもそんなことが言えるのか。  
本人に悪気はないと思うのだが、言葉にされるというのは、こちらにしては相当恥ずかしいことなのだ。  
「‥‥。遠夜って‥‥。」  
「?」  
遠夜が頭を上げて、千尋の顔を覗き込む。  
千尋は眉根を寄せて、口を結んで、瞳に涙を溜め、なんでもない、と呟いた。  
 
遠夜は千尋の頬を手で包み、さらに顔を近づけた。  
「‥‥あっ。」  
「‥‥神子。」  
千尋としては照れくさくて逃げたかったが、目の前の相手の真剣な眼差しに、思わず息が詰まった。何か思い詰めているような、気がした。  
じっと、遠夜は見つめる。その表情はまるで怯えた子供のようだ。  
「神子、怖い?」  
え、と千尋は見開いた。  
微かに震えた唇で、遠夜は続けた。  
「オレは、神子が怖がることはしたくない。傷つけたくない。でも、どこかで、それ以上に神子に近づきたい、とか、感じたい、と思うオレもいる。  
欲が、心を惑わせる。オレが、オレじゃなくなる。」  
千尋の、匂いが、色香が、熱が、全てが愛しく、狂わせる。  
「たぶん、もっと神子に触れたら、戻れない。‥‥でも、今なら、神子が嫌なら‥‥。」  
遠夜の正直で不器用な優しさに、千尋は、ああ、とため息と微笑をもらした。  
 
(優しいなあ。)  
何より私を大切に扱ってくれる人。昔から変わらない−千尋の記憶の奥底で、誰かが呟いた。  
千尋は遠夜の手に自分の手を重ねて、「あのね」、と話し始めた。  
「正直に言うとね、少し怖いんだ。」  
子供を落ち着かせる母のような、優しい声色だった。  
「でもね、遠夜なら大丈夫、大丈夫だ、って思えるの。不思議だね。」  
遠夜の手に、愛しそうに千尋は頬を寄せた。  
そして目を閉じて、少し恥じらいながら続ける。  
「それにね、私も遠夜と同じ気持ちだよ。‥‥もっと近くに、感じたい。」  
最後のほうは囁き声になり、消え入りそうだが、遠夜の耳にははっきりと届いた。  
遠夜の心に、温かい光が静かに積もる。しんしんと、それはまるで雪のように。  
ああ、この気持ちを、何に例えようか。  
紫の瞳の奥が熱くなるのを感じた。  
「−神子、‥‥ありがとう‥‥。−‥‥き‥だよ。」  
最後の言葉は熱で溶けて、消えた。  
 
もう一度千尋に口付けた後、遠夜は金の髪を掻き分け、白いうなじに吸い付いた。軽く歯を当て、赤い跡を残す。千尋の体がピクンと跳ねた。  
「っ‥‥。」  
首から、鎖骨へ、遠夜の舌はゆっくりと降りる。生温いざらついた感触が、この行為の現実味を実感させ、緊急と羞恥で千尋は少し強張った。  
遠夜は千尋の背中に手を回し、安心させるように、そしてその存在を確かめるように、小さな背中を往復した。  
「‥‥神子‥‥。」  
鎖骨に口付けながら、遠夜の右手が千尋の胸元へ移動する。  
衣服ごしに乳房を包み込むと、やんわりとほぐすように手を動かした。  
「っや、遠夜っ‥‥。」  
千尋は思わずその手を退けようとしたが、遠夜が耳元に息を吹きかけ、その裏を舐めた。力が抜け、思わず空中で手が止まる。  
(あ、なんか、変な感じ‥‥。)  
ぼんやりと、挙げたままの手を見つめながら千尋は思う。  
息が、上がる。考えるのが億劫になる。頭から足の先まで体温が上昇する。特に、遠夜が触れる部分は熱い。  
ああ、もうこの不思議な感覚に流れてしまおうと、千尋は腕を遠夜の首に回した。  
 
遠夜の左手が、千尋の下半身へ移動する。  
現代でいうワンピースの形の寝間着の裾を託しあげ、細い脚を露わにした。踵からふくらはぎ、膝のほうへ褐色の手が登っていく。太ももに差し掛かったとき、なぞる感触がくすぐったいのか、千尋は軽く「んっ」と声を漏らし、身をよじった。  
お互い息もだんだん荒くなっていく。  
「神、子、」  
遠夜の右手が、千尋の突起を指ではさみ、さらに揉みし抱く。その刺激に布ごしでても分かるほどに、千尋のそこは主張し始めてきた。  
「あ、や、なんか‥‥。」  
千尋は両脚の内股をすり合わせる。じわじわとくる、感覚。女の部分が少しずつ熱と湿り気を帯びていく。  
下に伸ばした遠夜の手は、太ももを軽く往復し、くびれまで登った。  
「‥‥神子、オレ、神子の体見たい‥‥。」  
すす、と千尋の体をなぞりながら、寝間着の裾を上げていく。  
「直接、見て、触って、感じたい。」  
胸部まで託しあげ、千尋の小振りの双方を露わにした。  
 
「−っ‥‥。は、恥ずかしいよ、遠夜‥‥。」  
体が見えないように、千尋は腕に力をいれて、ぎゅっと遠夜に密着させた。  
「−‥どうして?」  
千尋の抵抗も虚しく、首に回された手を優しい動作で外し、軽く持ち上げて、衣服を脱がしていく。  
「綺麗、なのに‥‥」  
不安そうな千尋の額に口付けし、下の下着もずらしていく。  
すると、千尋からの制止の声が掛かった。  
「え、ちょっ、そこは、まだ。」  
「‥‥?」  
遠夜は聞こえているのかいないのか、さも当然のように手を休めずに、続ける。  
「汚れる‥‥、から‥‥脱いだほうが、いい。」  
遠夜の妙に現実味のある台詞に、一気に羞恥の波が押し寄せてきた。  
「今も、少し、濡れ」  
「い、いい!遠夜、それ以上言わないで‥‥。」赤くなった顔を隠すように、遠夜の胸板に抱きついて顔を付ける。汗と、僅かな香草の匂いが千尋を少し安心させた。  
一方遠夜は、千尋の汗や髪の匂いにクラクラした。自分とは違う、女の匂い。それは少しずつ強くなり、まるで媚薬のように男の本能を刺激する。  
 
もっと、もっとその匂いに酔いしれたい。  
 
遠夜は顔と片手を千尋の乳房に移動させた。  
右手は直に、赤く勃ち始めたそこを指ではさみ、こするように動いて、やわやわと乳房を揺すり上げて動かす。  
遠夜の手に収まる大きさだが、程良く弾力もあり滑らかな肌だった。汗ばんだ手に吸い付く柔らかい肌が、心地良い。  
もう片方は、小動物のように舌で何回か周りを舐めた後、膨らんだ中心を口に含み、軽く歯を当て甘く噛む。  
さらに、舌で包むようにすくい舐め上げると、千尋が艶っぽい溜め息を漏らした。  
 
双方の突起は遠夜からの刺激で赤く色付き、そしてピン、と張り詰める。  
千尋はだんだんと自分が快楽の波に飲まれていくのを感じた。  
遠夜の尖った舌が、先をつつき、そして吸い付く。そして指で摘み動かし、擦り上げる。  
その一つ一つの動作が、脳を体を痺れさせる。口を開けたら思わず声を出しそうで、必死に耐えた。  
「神子‥‥、声、聞きたい‥‥。」  
「ダメ、だよ‥‥。聞こえちゃ、ったら‥‥。んっ‥‥。」  
自分の口元を手で覆い隠し、譫言のように千尋は発する。  
白い頬は紅潮し、我慢するのが苦しいのか、閉じた瞼にはうっすら涙が溜まっていた。  
「あ、んんっ‥‥。」  
恥辱に耐える千尋の姿に、遠夜は自分の欲が膨らむのを感じた。  
千尋が苦しむのは見たくない。だが、この相反する黒い気持ちはなんだろう−もっと、この表情を見てみたい、鳴かせたい。欲望が渦巻く、支配する。  
 
遠夜は自分の指を軽く口に含んで、千尋の下半身に手を伸ばす。  
薄く生えた金の茂みを分け、ぷっくり膨らんだ割れ目にそって、指でなぞった。  
「やっ、あっ‥んんっ‥!」  
千尋は思わず目を開け、喘ぎ、すぐに口を塞いだ。  
 
−なんだろう、この全身を駆け抜ける感覚は。まるで、背骨が抜けるような錯覚に陥る。意識が落ちる。快楽に堕ちる。  
「神子、声‥‥も、かわいい‥‥。」  
遠夜の筋張った指が、女の芽を往復すると、密がそこから溢れ出した。くちゅ、と音を立て、褐色の指に糸を引きながら絡みつく。粘り気の強い密からは、芳しい牝の匂いがした。遠夜の雄が、静かに、激しく起ち始める。  
妖しく咲き始める花に導かれるように、遠夜の頭は下がる。  
白い肌に吸い付き、赤い軌跡を刻みながら秘所へ向かう。  
「っ、とぉや、そこ、は‥‥汚い、からっ。」  
千尋は自分の指を噛み、かぶりを振りながら、なんとか遠夜を止めようとした。  
その様子に遠夜は苦笑し、柔らかい内腿に音を立てて口付ける。すると千尋の躰はピクッと反応した。  
「神子は‥‥とても綺麗‥‥。全部。」  
遠夜は起き上がり、白い細い脚の膝裏を持ち上げて、自分の肩にかけた。  
 
「−え?‥‥や、何、なに?やだ、こんな格好‥‥!ま、丸見え、じゃん!」  
脚をばたつかせ下ろそうと力を入れてみたが、しっかりと遠夜に掴まれ、動くことが出来ない。  
当の本人はいつものように、ふんわりと笑った。  
「オレは、神子のこと‥‥全部、見たい。知りたい。」  
千尋の腰を浮かせながら、グッと長身の体を屈める。  
「神子、−‥‥苦しかったら、言って?」  
銀の頭が下がり、生温かい舌が秘部を舐め上げると、千尋が嬌声を上げた。  
「ン、や、な、なんでそんなトコ‥‥!あ、あぁっ」  
籠もり切れずに漏れる、甘い声。  
割れ目にそって丹念に舐めた後、指で襞を広げ、尖らした舌を侵入させる。  
生まれて初めて自分の中に、何かが入ってくる感覚。  
たまらず逃げようと千尋は身をよじってみたが、捕らえられた躰では、わずかに顔を横に向けることしか出来なかった。  
「ふっ、あぁっ‥‥。」  
指で赤く誘う入り口を弄ぶ。肉芽を親指で押し潰して、上下に揺すってみたり、または筋張った人差し指と中指で挟んで擦ってみる。  
舌で突起をつついてやれば、次々と蜜が溢れ出した。その蜜を吸うと、じゅ、ちゅく、音が鳴り、それは、静かな夜に千尋の耳に淫らに響いた。  
 
「な、そんなの、ダメ‥‥汚い‥‥。やめ、て‥‥。」  
遠夜は返事の代わりに一層強く吸い付いた。  
「やっ、あぁっ‥‥!」  
軽くのけぞり、かぶりを振る。  
この恥ずかしい姿勢が余計に自分の性感帯を煽り、さらに快感を得ようと本能が疼く。  
「と、遠夜‥‥とぉやぁ‥‥!」  
苦しかったら、言えって、そんな余裕がある訳ない−もうどうしていいか分からない−千尋は男の名を呼ぶ。  
それは何かをねだってるような、または誘っているような甘い甘い声。  
 
(‥‥いつもの、神子と、違う‥‥)  
ぼうっとした頭で遠夜は思う。  
太陽な存在だと、思っていた。また、月のようだとも。神々しく、美しい、凛とした光−。  
だが、今の千尋は、それとはまた違った美しさを纏っていた。神のように神秘的なものではなく、人間的で生々しい−  
(‥‥かわい‥‥い、な‥‥。)  
遠夜は顔を上げ、力が抜けた白い脚を柔らかな動作で下ろす。  
「‥‥神子‥‥。」  
「‥‥?」  
息を整えながら、眉を寄せて、蒼の瞳が遠夜を見る。  
「遠夜‥‥?」  
名前を呼ばれるだけで、全身に熱が走る、甘美な響き。  
 
「神子‥‥、名前‥‥、もっと‥‥。」  
その瞳に吸い寄せられるように、遠夜は千尋に口付けた。  
「−‥名前、呼んで‥‥オレの、名前‥‥。」  
十八ではなく、貴女が創ってくれたこの存在の名を。  
「‥‥と、お、や‥‥。」  
ゆっくりと小さな桃色の唇が呟く。  
褐色の指は、白い脚の間へ移動する。  
「遠夜、遠夜‥‥。」  
言霊ははっきりと、遠夜の耳へ、脳へ、心へ。  
(言霊は、こんなに、綺麗に、溶ける‥‥。)  
その美に感嘆しながら、指は赤く膨れた蕾へ、蜜を絡めながら侵入する。  
ぷちゅ、と厭らしい水音を立てながら、浅く抜き差しを繰り返す。  
「やぁ、あ、や、中に‥‥。」  
慣らすように、少しずつ柔肉をほぐしていく。  
「‥‥神子、痛い?」  
なるべくゆっくり指を押し進め、千尋の様子を伺ってみる。  
ギュウギュウと、内肉は長い指を締め付け、別の生き物のように絡みついた。  
「あ、ん‥‥大、丈夫‥‥。」  
だがその表情と体は堅く、痛みに耐えているようだった。  
 
少しでも気が紛らわせられるように、紅く色付いた乳房の突起を口に含み、愛撫する。  
舌で転がし、つつけば下からまた蜜がとろりと流れ、力が抜けた入り口は、動きやすくなった。  
親指の腹で肉芽を押しつつ、中の指第一関節を曲げてみると、千尋が「あっ」と高い声を漏らした。  
「−‥‥ここ?気持ち、いい‥‥?」  
低音で問いかけると、少し鼻のかかった声で「わかんない‥‥」と返ってきた。  
「でも、なんか、とても変な感じ‥‥。疼いて、熱くて‥‥や、そのまま‥‥。」  
止めないで、と口が動いた。熱が理性を支配し、欲に従い言葉を発す。  
千尋の乱れた姿に、遠夜はそろそろ限界だった。  
指を2本に増やし、奥へ、そして中を掻き回す。  
浅く、深く、挿入を繰り返し、指を曲げ、中をほぐす。  
千尋もほとんど痛みを感じてないようで、快楽の刺激に素直に従っていた。  
「あっ!あ、と、遠夜ぁ!あたし、もうっ」  
「‥‥神子っ‥‥。」  
千尋の変化に気がつき、遠夜が指を引き抜く。入り口を抜ける感覚に、千尋の脳内に痺れが走る。  
「あ、と、とお、や‥‥。」  
とろんとした目で遠夜を見る。  
男は指に絡みついた千尋の愛液を、舌を使って舐めとった。まるで千尋に見せつけるかのように、ゆっくりとした動作で。  
その優雅な動きは、とても官能的だと千尋は感じ、ぞくぞくと、甘美な震えが体を駆け抜けた。  
 
遠夜は上着を脱ぎ捨て、上半身を露わにする。月の光が乱れた銀の髪を照らし、整った顔と体の輪郭が浮かび上がった。  
自分と違う、長身の体。  
ああ、彼はやはり男なのだ−と千尋はぼんやりとした意識の中で、今更ながら再確認した。  
さらに遠夜が下の衣服に手を掛け、脱ぎ始める。  
千尋は初めて見る男のそれに、身を縮めた。それは上に向かってそり上がり、予想以上に大きく、生々しく、そしてグロテクスだと、感じた。  
(う、わ‥‥。なにアレ‥‥。男の人のアレって、こ、興奮するとああなるの‥‥?  
なんか生き物、みたい‥‥。)  
本能が、恐怖を告げる。しかし、目線が外せない。  
千尋だって元女子高生。雑誌やクラスの話で聞いた程度だが、一応知識はある。  
(い、入れるんだよね、アレを‥‥。)  
あの、異物を。自分の中に。あの大きく、反り返っている、アレを?  
「‥‥神子?」  
遠夜は首を傾げる。なぜ、自分を見たまま固まっているのか、彼には分からない。  
千尋は少し涙目になった。覆い被さる遠夜に上目遣いに問いかける。  
 
「ね、ねぇ?」  
「?」  
「ほ、本当に、これ、いれるの‥‥?私の中に、は、入るの‥‥?」  
「‥‥これ?」  
千尋がさっきから気にしてる、視線の先にある、遠夜の男根。ああ、と遠夜は理解した。  
「‥‥神子、やっぱり、怖い?」  
千尋は少し戸惑った後、正直に小さく首を縦に動かした。  
「だ、だって予想以上に、大きくて‥‥。その‥‥私‥‥。」  
穢れを知らない少女は、未知の世界に困惑していた。  
「‥‥‥‥。」  
遠夜は静かに聞いていたが、そっと、千尋の小さな手をとった。そしてそのまま、遠夜自身に導く。  
「っ!?」  
思いがけない行動に、千尋は固まった。  
生温かく、ドクドクと脈打ち、そして固い、それ。  
「っや!」  
初めて触れるそれに、思わず顔を反らした。  
遠夜は耳元で、「ちひ、ろ」と囁いた。  
「え、遠夜‥‥。」  
「ちひろ‥‥千尋‥‥拒まないで‥‥。」  
ちゅっ、ともう片方の白い指に口付けする。  
「オレが、千尋の中に入るのは、ダメか?」  
深い紫の瞳が、許しを請うように覗きこんでくる。  
「もっと、千尋を感じたい‥‥から‥‥。」  
「‥‥遠夜‥‥。」  
 
千尋の体から、一気に力が抜けた。  
(‥‥なんか、遠夜、ズルいなぁ‥‥。)  
千尋はぎゅっと遠夜を抱き寄せ、遠夜に接吻した。  
緊張が解けた体に、妙な安心感が後押し、少し大胆に自ら舌を絡ませる。  
遠夜はしばらく千尋の好きにさせていたが、やがて自分も千尋の口内を貪り始めた。  
遠夜は起き上がり、千尋の目を見る。熱を持ったその瞳は、何か期待しているような気がした。これは、無言の了承だと、遠夜は受け止めた。  
千尋の腰を浮かすと、割れ目を肉棒でなぞってから、ゆっくりと押し進める。  
前戲で一応ほぐしておいたが、やはり、男を受け入れたことのない千尋の中は狭い。きゅう、と締め付け、肉棒を押し返そうと襞が動いた。  
「っいったぁっ、い‥‥!」  
あまりの痛さに、千尋が遠夜の背中に爪を立てる。少し、褐色の肌に紅く色が付いた。  
「っ‥‥!!神子‥‥力、抜いて‥‥。」  
あまりの締め付けに、遠夜自身、余裕が失われ始める。  
「やぁ、無理っ‥、だってぇ‥‥!!」  
自分の指を噛んで、叫びそうになるのを押さえる。情事中に、何度も繰り返した動作。しなやかな白い指には、いくつもの赤い歯形がついていた。  
 
「神子、ダメ、こっち‥‥。」  
遠夜は自分の指を桃色の唇に押し当てる。千尋はそれに気付くと、愛おしそうに赤い小さな舌で舐め、ちゅう、と音を立てて口に含んだ。  
その、誘うような動作に、ぐらっと遠夜の理性が揺らぐ。  
「‥‥神子、ちょっと我慢して‥‥。」  
髪に口付けてから、ぐっと身を沈め、肉棒を一気に中に押し進めた。  
「んんーっ!!」  
「っ!!」  
千尋が、苦痛に声にならない叫びを上げる。口に含んだ遠夜の手に、容赦なく歯を立てる。  
その痛みと、下半身を貪る快楽に、遠夜は眉根を寄せた。  
(‥‥神子、の、血の匂い‥‥。)  
結合した部分から、微かに香る血の匂い。滴る赤い液体。神聖なる者が地に堕ちた証。  
神に寵愛された娘、穢れることを赦されぬ存在−それが、今、この腕の中に、いる。  
−ああ、あの日、抱けなかった、彼女が、吾妹が、ここに!  
その存在を逃がさぬように、抱き締め閉じ込める。  
苦しそうな千尋に、少しでも気が紛れるよう、髪、額、頬、鼻、と唇を落とした。  
一方千尋は目を閉じて、苦痛に耐えた。−まさか、受け入れる立場、というのはここまで大変だったとは。  
気遣ってくれている遠夜の愛撫が心地よい。  
少しずつだが、痛みにも慣れてきた。  
 
「っとぉ、や‥‥。もう大丈夫‥‥。動いて‥‥?」  
「‥‥神子?でも‥‥。」  
「‥‥千尋‥‥。」  
うっすらと涙が滲んだ蒼の瞳が、遠夜を捉える。  
「私は、千尋だよ‥‥。さっきみたいに、名前を呼んでよ、遠夜‥‥。」  
一瞬、世界が、全てが止まる。  
なんと、愛おしく、美しい女なのだろうか。  
堕ちてしまったのは、自分だ。−随分と、昔から。  
(‥‥月が堕ちて、土になる‥‥。神の遣いの蜘蛛になる‥‥。)  
その代償に手に入れた、彼女の心。記憶。これだけは、神に奪われなかった。  
「千尋‥‥。」  
何度目か分からない、接吻の後、ゆっくりと遠夜は腰を動かし始めた。  
「う、んんっ!」  
やはり少し痛みがあるのか、苦痛の声を上げる。  
少しでも痛みを和らぐように、遠夜は乳房を愛撫し、うなじを甘噛みした。  
痛みと、快楽と。千尋の脳は痺れ、色に支配される。それは寄生虫のように、じわじわと浸食して犯していく。  
「あ、やんっ、ああっ‥‥。」  
遠夜が挿入を繰り返すと、千尋の声はだんだんと甘いものに変わってきた。  
浅く、深く。ゆっくり棒を抜くと、激しく突き上げる。  
「あ、遠夜‥‥遠夜‥‥!!」  
じゅぷ、と二人の結合部分から、淫らな水音がする。  
「ちひろ、千尋‥‥。」  
「遠夜、‥‥とおや、とぉやぁ‥‥。」  
千尋は何度も目の前の男の名を呼んだ。熱を十分に含んだ言霊は、それだけで遠夜を高ぶらせた。  
手を絡めればギュッと握り返し、深く口付けすれば応えてくれる。触れれば敏感に反応し、足はお互いを逃がすまいと縺れあう。  
交じりあう、唾液、汗、体温、感情。  
繋がった部分の熱はどちらのモノだろうか?  
「ああ、ダメ、遠夜ぁ!とお、やぁ!」  
千尋が躯を仰け反らせ、高い声を上げる。ぎゅっと蜜の中がしまり、遠夜を逃がさないよう締め付けた。  
「っ‥‥!ち、ひろ‥‥!!」  
千尋の中に、白い精を放つ。2人はほぼ同時に果てた。  
 
「‥‥ねぇ、遠夜って、寝るの?」  
「‥‥?」  
寝床の上で、遠夜に抱きしめられながら、千尋はぼんやりと聞いた。  
気怠くてすぐにでも夢に入ってしまいたかったが、なんとなく、これは聞いておかないといけないような気がした。  
「‥‥遠夜の、寝てるとこ、見たことないから‥‥。」  
ポツリ、ポツリと話し始める。  
遠夜は何回か瞬きした後、「夜の静寂は、誰にでも、平等に訪れる。」と静かに答えた。  
「‥‥そっか。」  
その答えで満足したのか、ふわり、と微笑む。  
「‥‥オヤスミ、遠夜。」  
瞼を閉じて、千尋の意識は落ちた。  
 
 
遠い、遠い夜を何度もを越えた。  
月を見る度思い出す、あの美しかった金の髪。  
せめて夢で会えたらと、瞳を閉じてもただあるのは虚しい心。  
いつの日か眠ることを止め、静寂の夜には貴女を思い歌い続けた千の夜。  
月に昇ることが赦されない土蜘蛛は、それでも地を這い彼方を目指した。  
 
そして、今、ここにある、奇跡。  
 
「お休み、千尋‥‥。オレの、ワギモ‥‥。」  
 
彼が安心して眠る夜が、やっと訪れる。  
 
 
終  
 
 
 

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