これは、いくつかの異なる時空においての物語。  
エンディング後、いろいろあってそれぞれの八葉の妻となった望美だが、  
精一杯背伸びした性生活を送ろうとするとあまり、旦那様の意思に関係なく、それぞれの時空でやりたい放題やっていた。  
 
<地の青龍 源九郎義経の場合>  
 
望美にお持ち帰りされた九郎は、現代鎌倉でこの世界における一般常識や基礎知識を学びつつ、平和に暮らしていた。  
ときおり望美から間違った知識を授かる彼であった。それは主にエロ知識だ。  
そんな事を望美がするのは、現代において何も知らない九郎で遊ぶのを、ドS神子がなによりの楽しみとしていたからだった。  
しかしたいていの場合、あまりの九郎の素直さに罪悪感を覚え、望美は最終的には『すみません。今の嘘です』と、自白していた。  
そして、あるときには望美の言いつけどおりエプロンドレスを着こなそうとしていた九郎からベッドで制裁を食らい、  
またあるときは、望美の言いつけどおり女湯ののれんをくぐろうとしていた九郎からベッドで制裁を食らった。  
そんなバカップルだった。  
今まで望美に散々ふりまわされた九郎だったが、いくらなんでもこれは『違うだろう』とその夜は勘付いた。  
二人きりの夜。風呂に入って飯も食って歯も磨いて食後30分以内の運動は体に悪いからという理由できっちり30分経ったところでベッドに入った九郎と望美だったが、  
「九郎さんの萌えといえばツンデレですよね。それにひきかえ、私の萌えって何だろう」  
突然望美がそんな事を言い出した。  
「どうした。突然なぜそんな事を言い出す」  
片肘を枕について、傍らの望美のあごをくすぐってやりながら九郎は答えた。最近、愛撫を猫で練習した彼だったので仕方のない事だった。  
「ちょっと考えてみたんです。九郎さんに釣り合うような女になるにはどうしたらいいか」  
「お前、昼間上の空だと思ったらそんな事を考えていたのか」  
望美は存外気持ちよさそうな様子で喉を九郎に差し出す。うっすらと開いた目が笑っているようにも見えるが、あだっぽい流し目のようでもある。  
「馬鹿か。俺はどんなお前でも……こんな事言わせるなよ」  
「それです。ツンデレ。九郎さんの一番かわいいところ。ああもう可愛いよ。大好きだよ」  
 
「そ、そうか…?」  
正直『可愛い』という言葉には引っかかったが、九郎のパジャマのすそをきゅっと握るという望美のやたらそそられる仕草に免じて言及しないでおく。  
そしてツンデレという単語については、例によって望美が与えたいらん知識のなかに含まれており、九郎の現代生活に比較的早期に浸透していた。  
「こうなったら私もツンデレにならなきゃ。やっぱり好きな人に合わせなきゃいけないと思うんですよ。目には目を。歯には歯を。ツンデレにはツンデレを」  
「まあそこまで言うのなら好きにしたらどうだ?」  
一見投げやりな九郎の言葉だが、望美のとことんまで追求しないと気がすまない性分を理解した上での発言だった。  
当然、望美もそのあたりは分かっているので九郎の言葉に甘えることにした。  
「じゃあ、ツンデレはじめまーす。ちゃんと見ててくださいね」  
望美はにんまりと笑って、その場で身を起こした。さらに腕組みをして斜に九郎を睨みつける。  
「べべべべ、べつにくくく九郎さんのことなんて、すすすすすすきじゃないんだからねっ。好きだけど」  
望美はツンデレというよりは、ただどもって噛んでいるだけの挙動不審な人物に他ならなかった。  
そういえば、と九郎はゆうべの再放送に思いをはせる。  
ちょうど、某ちぎり絵の偉大な放浪画伯の人生ドラマがゆうべのテレビでやっていた。彼を彷彿とさせる何かが今の望美にはあった。  
「どうでした?私、ツンデレでした?キュンときましたか?」  
想像の中で、望美に白いランニングを着せてさらにサッカーボール大の握り飯を食わせていた九郎は、はっと我に返った。  
目を輝かせて九郎の返事を待つ望美には悪いが、正直に言うことにした。  
「いや、全く」  
望美は目に見えて意気消沈したが、やがて懲りずにツンデレの練習をしはじめた。  
「すすすす好きじゃないんだからねっ、すすすす好きじゃないんだからねっ」  
「なあ望美、そろそろ…」  
いいかげん焦れた九郎は、望美を引き寄せて腕に閉じ込めてみたが、望美にはもはやその気はないようだった。  
「くくくく九郎さんのことなんてすすすす、すきじゃ…ひぐぅ」  
悲痛な声を最後に望美が突然沈黙した。見れば、彼女は口元をおさえていた。痛々しい望美のしぐさに九郎は納得して、ついでに嘆息した。  
「……舌を噛んだのか」  
無理もない。壊れたテープレコーダーと化していた望美だ。  
九郎は望美の唇を覆って舌を吸ってやった。痛みがまぎれるように濃厚に絡め取る。  
「せいぜいまた舌を噛むんだな。そうすれば今みたいにしてやらんこともないぞ」  
口を離して九郎は不遜げに望美を覗き込んだ。上気した頬で艶っぽく喘いでいるものと思ったが、望美は別段そうでもなかった。  
それどころか妙な様子だった。望美はハッと何かに気付いてまじまじと九郎を見ている。  
そして…、  
「『せいぜいまたしたをかむんだな』…『またしたを噛むんだな』…『股下を噛むんだな』…。 九郎さんそういうプレイが好きなの?やだー………よしっ!」  
「こ、こら望美!何をするやめ…!」  
九郎の命があやうくなった。  
 
 
<地の朱雀 武蔵坊弁慶の場合>  
 
弁慶は褥に横になって望美を待っていた。来たるべき初夜である。  
景時所有の京邸や六条堀川邸などとは違い、質素なたたずまいのこの弁慶の自宅ではあるが、昼間の様子を見る限りどうやら望美は気に入ってくれたようだ。  
『これなら、どこにいてもいつも弁慶さんが目に入りますね』と手狭さを居心地の良い空間だと称し、望美は楚々と頬を染めてくれたのだ。  
(本当に、僕だけこんなに幸せでいいのだろうか。望美さんは自分の世界を捨ててまで僕のもとに留まってくれたというのに)  
そう思いつつも、望美を迎えるためのしどけないポーズを褥の上で作る弁慶だった。  
板戸の向こうの奥の部屋で、寝化粧をしている望美が、いつなんどきこちらに来るか分からない。  
(望美さん、幸せにします)  
褥の上で弁慶の薄茶の髪が、情事の際に快楽に耐える指の動きのようにみだらにうねっている。  
あわせた内着がゆるんで、灯明ひとつの薄暗さにも逞しい胸板が見えんばかりだが、望美は恥ずかしがって目を逸らすだろう。そのときの様子が目に浮かぶようだ。  
やがて望美の、やや緊張した消え入るように小さな声が聞こえた。  
「あ、あの…弁慶さん、お待たせしました」  
奥の部屋の板戸がスッと開いた。寝床へ入室した妻を見て、弁慶は不覚にも媚薬を吹いた。  
「あっ。弁慶さんってば、仕方ないなぁ、もう。本当に漢方と策略と顔は一級品なのに、それ以外のことはからっきしの三級品ですねぇ」  
望美はどこからかぞうきんを取り出して、甲斐甲斐しく弁慶のしでかしたことの後始末をした。  
拭き終わって弁慶に向き直るも、望美の夫たるべき人はまだむせていた。なでなでとその意外に広い背中をさすってやる望美であった。  
「……ありがとうございます。ところで望美さん、その格好は何ですか?」  
発作がおさまると弁慶はようやく望美のしている格好について尋ねた。  
望美は、そんな事を聞かれるのがさっぱり分からない、というように目をしばたかせていたが、ややあって答えた。  
「スケバンです」  
なんとも昭和臭が鼻腔をくすぐる望美の格好だった。  
望美は夜の生活にふさわしい単姿ではなく、戦があった頃と同じように陣羽織と白いスカートを身にまとっていた。  
それだけならまだ許せる。が、よりによってスカートが異様に長かったのだ。床スレスレの丈である。  
「えっ、だって弁慶さんといえば元ヤンでしょう?  
そんな元ヤンの弁慶さんが喜んでくれるように私も不良っぽくしてみたんですがどうですか? そのへんでカツアゲとかしてきましょうか?」  
望美は弁慶がドン引きした理由を本気で理解できないようだった。あせった彼女は、こんな格好をするに至るまでの思考回路を言い訳がましく説明する。  
弁慶はかきあつめた理性で思った。元ヤン…どうも望美は荒法師時代のことを言っているらしい。  
げんなりした25歳であった。  
 
「弁慶さんどうしたんですか」  
どうしたんですか、はないだろうと弁慶は内心思ったが、今はそれどころではない。寄った眉間の皺をほぐして、なんとか望美にいつもの微笑を作ることが先決だ。  
「そっか…髪が金髪じゃないからガッカリしてるんですね。いますぐブリーチします。その上でリーゼントにすればご満足いただけますか?」  
「いただけません」  
そこはさすがに否定した。望美は弁慶がようやく答えてくれた事にたやすく上機嫌になって、さらに行動はエスカレートした。  
「あっ、私いろいろ持ってきてみたんですけど」  
望美はおもむろにポケットからわけのわからないアイテムを次々取り出した。どうやら手土産を持参したらしい。  
ヌンチャクや竹刀、果ては放射状の桜の紋がはいったヨーヨーまで。そしてそれらをいそいそと弁慶の部屋にディスプレイした。  
それにより、ただでさえあやしい物でいっぱいの弁慶の部屋が、余計にカオスと化した。  
望美は苦悩にうずくまる弁慶にようやく気付いて心配そうに声をかける。  
「弁慶さん…あのぅ…やきそばパン買ってきましょうか?」  
自ら舎弟の役割を買って出る望美にも献身的なものを何ら感じなかったが、しかし弁慶はどうにか持ち直した。  
「君の好意はとても嬉しいんですが、少々勿体無いな。格好はどうあれ結局全部脱がせてしまうんですから」  
「あっ…」  
とりあえずキスしてみると望美は急におとなしくなった。長いスカートの下でもじもじと膝頭をこすりあわせている。  
「そんなふうに可愛らしい仕草をして…。大丈夫です。優しくしますからね」  
太腿を撫で上げながらスカートをたくしあげると、望美は小刻みに息を弾ませてビクビクと初々しい反応をする。  
弁慶はようやく夜の営みに移行できた事に満足しつつ、望美の下肢に相対した。  
望美はもといた彼女の世界の下着を身にまとっていたが、それを目の当たりにするなり弁慶は再び頭を抱えた。  
フリルやらレースやらがついた薄手の下着に覆われた望美のちいさな下肢は可愛いかったが、いかんせん決定的に萎える要素があった。  
『愛撫勇』  
とパンツには書かれていたのだ。  
「それを言うなら『愛羅武勇』でしょう」  
「なんで知ってるの、弁慶さんすごいっ」  
望美は感極まった様子で尊敬のまなざしで弁慶を見た。  
「ありがとう望美さん。僕はこっちもすごいですよ」  
弁慶が自賛する『こっち』を披露しようとした矢先、望美が思い出したように懐からまたわけのわからない物を取り出した。  
「忘れてた……はいっ、弁慶さん。このメリケンサックあげます。  
エンゲージリングの代わりです。弁慶さんの誕生石のダイヤモンドが埋め込まれているんですよ。はめてくださいね」  
弁慶は今度こそ心を折られた。  
 
 
<地の白虎 梶原景時の場合>  
 
またところかわって、遠く別の時空にも望美と初夜を迎えようとしている八葉がいた。  
源氏の軍奉行、梶原景時である。  
いろいろあって茶吉尼天亡き後のきれいな頼朝さまに京への赴任を命じられた景時であった。  
戦中とは違い、こたびの京での勤めは一時的なものではないために、鎌倉から譜代の家人衆も呼び寄せるなど、  
そのための段取りやらもあって、望美と正式な意味で祝言をあげるのが遅れていた。  
上を下への日々の業務にかまけている間、景時は、母や朔が花嫁修業の手ほどきを望美に授けるのを見るのがなによりの楽しみだった。  
仲良く和気藹々とした雰囲気で彼女らから手習いを受ける望美が、ときおり景時に気付いてこちらへ手を振るのなどを見ては、有り余る幸せを噛み締めた。  
そして、今夜が初夜。初夜のみに留まらず、蜜月をあれこれ望美と楽しく過ごそうと、新品同然の閨房へ向かう景時だった。  
ふと、よからぬ気配を覚えた。そこはすでに寝室の前。  
この襖一枚を開ければ、湯気もたちのぼらんばかりの出来立てほやほやの新妻が恥ずかしげに景時を迎え入れてくれるであろう。  
そんな場所で、景時は背筋にうっすらと汗をかいて立ちすくんでいた。  
それは覚えのある感覚だった。  
かつて三国一の妖怪夫婦を前にしたときのような鳥肌が立つ。これは戦慄だ。なぜだ。なぜ望美の居る方から漂ってくる。  
景時は音一つたてずに襖をほんの髪の毛三本分ほど開けて、中を覗き見た。  
そして一瞬にして音ひとつたてずに閉めた。  
やはり足音ひとつたてずにそのへんを右往左往するという特に意味のない事をして、もう一度中のモノをのぞいてみる。  
そこには先程とかわらぬ、黒革の衣装に身を包んで仁王立ちで景時を待つ望美がいた。  
こちらに背を向けて、ぴしぴしと手持ち無沙汰に何かを手の中でもてあそんでいる。  
その新妻が手にしているものの正体を知るやいなや、景時は腰を抜かした。  
(な、なんで鞭持ってるの?望美ちゃん)  
鎌倉武士の景時は知るよしもないが望美の姿は分かりやすいS女の格好だった。  
しばらく景時が呆然としていると、やたらとかかとの高いブーツを無理して履いていた望美は何もしなくても勝手に転んだ。  
「の、望美ちゃん大丈夫?」  
体全体を床に張り付かせるようにして身を投げ出した望美に、思わず隠密行動も忘れて駆け寄る景時であった。  
「景時さん、待ってました」  
望美は助け起こしてくれた夫に嬉しそうに微笑んだが、あわてて起き上がってその格好のまま正座して三つ指ついた。  
「ふつつかものですが、これからよろしくお願いします」  
「う、うん。よろしくね」  
「とりあえず、夜の営みですが…」  
望美はここで神妙な顔をした。  
「景時さんがMっぽいと思ったので、私がSっぽい姿になってみたんですがどうでしょうか、この格好」  
「その……、よく似合ってると思うよ」  
とりあえず、無難と思われる返事をしたことなかれ主義の景時であった。  
「本当ですか?嬉しいなぁ」  
二の腕まであるラテックスの赤いグローブをはめた両腕を上げて、手放しで喜びを表現する望美。  
一方の景時は、  
(この望美ちゃんの黒い服、なんで両胸にそれぞれジッパーがついているんだろう、えっと、これ、オレ開けてもいいのかな)  
と現実を直視したくないあまりとりとめのない事を考えていた。ジッパーについては望美のスカートを洗濯した過去にその知識を望美本人から習得していた。  
 
「で、さっそく営みましょうか景時さん」  
「あ、はい」  
完全に主導権を望美に明け渡した様子の景時だったが、内心ではきちんと考えていた。どうしてやったら望美を正しい道に戻せるのかを。  
今のところ、下手に望美を刺激しない方がいいと考え、ハラハラしつつも彼女に合わせることにした。  
「こんな格好してみたけど、具体的にどうすればいいか分からないや。とりあえず鞭かな。これどうやって使うんだろう」  
望美は一振りの鞭を取り出すと、聖杯を求めるトレジャーハンターよろしく振ってみた。  
「あふんっ」  
望美は生まれてこの方鞭を使ったことなどなかっただろう。無情にも鞭は望美自身の体にまきついていかにも痛そうな音をたてた。  
セルフシューティングを行ってしまった望美はあられもない悲鳴をあげてその場にうずくまる。  
景時は、あふんって悲鳴はそれはないなと内心思ったがその悲鳴に少しだけムラッときてしまった自分を猛省しつつ望美に駆け寄った。  
「だ、大丈夫かい?望美ちゃん」  
いかにコントじみた望美の行為とはいえ涙目の彼女を放っておけるはずがない。  
「これすごい痛いです。景時さんに使っちゃだめだ…。使わなくて良かった…」  
望美の赤いミミズ腫れを、景時があつものを冷ますようにふーふーと息をふきかけてやると、彼女は少しは落ち着いたようだった。  
それでもヒリヒリと痛そうだったので舐めてやると望美はくすぐったそうに身をよじった。  
「あの…景時さん、もういいですから」  
「ダメだよ。痛そうだよ、ちゃんとオレに見せて」  
「う…、は、恥ずかしいんです」  
初夜の寝室でこんな格好で夫を待つという行為に恥じ入るところを知らない望美が、景時の愛撫には恥ずかしげに頬を染めている。  
それによって景時がその気になり、ようやく合体のきざしが見えてきた。  
だが、その前に、景時にはどうしても望美に聞いておかねばならない事があった。  
「望美ちゃん。あの、あれは何かな?」  
望美の背後に彼女の背丈ほどの高さの異様な道具があるのが、景時は気になっていた。  
これの用途を聞かないと、落ち着いてちちくりあうことも出来ない。それは勾配のきつい屋根に似ていた。  
「三角木馬です」  
「へえー、望美ちゃんが作ったの?」  
「はい」  
望美があっさりとこともなげに答えるので、怪しいモノではないと分かった。  
その用途はまるで分からなかったが、発明家の景時としてはモノの完成度の低さが気になった。  
「望美ちゃんは一生懸命作ってくれたけど、ここはもうちょっとこうした方がいいんじゃないかな。ちょっと待っててね」  
かくして、自ら三角木馬に手心と工夫をを加える景時だった。  
それをときおりあくびをかみ殺しながら見る望美はうつらうつらとしている。  
ようやく納得のいく段階まで作業を進めた景時が振り返ると、望美は半分寝こけていた。  
どうしても景時を待っていたかったようで、望美は完全には眠らないように自らの太腿をつねっていた。  
「あー、なんていうか」  
罪悪感にかられて景時は望美を抱き上げる。  
「もう寝よっか」  
「はい」  
望美をつれて寝床にはいると、彼女はすぐに寝息をたてた。  
よくわからない景時の初夜だった。  
 
 
<地の玄武 リズヴァーンの場合>  
 
このところ望美と会える時間が少ない。  
だが、いい傾向だとリズヴァーンは思う。  
単語カードを取り出し、ブツブツと何事かを呟いて暗記しようとしている望美をときおり目にする。  
受験を控えているのだから当然の光景だろうが、つい最近までは望美はべったりとリズヴァーンから離れず勉学をおろそかにしていたのだ。  
学校が終わるなり、リズヴァーンの自宅に入り浸り、いくら言い聞かせても終電間際まで帰らない。机に向かう暇などあろうはずもなかった。  
このままでは立ち行かぬ、と自重するように望美に言い聞かせる心積もりであったが、その矢先の望美の改心だった。  
しきりにリズヴァーンに進んだ関係をねだっていた望美の猛攻も今ではなりをひそめていた。  
風呂に入っているときなどに背中を流したがる接触過剰な望美にリズヴァーンが内心狼狽していたせいもあるが、望美の進路が定まるのを見てから絆を深めたかったのだ。  
そんな望美のいない日々が続いた。  
ある夜、所用で遠出していたリズヴァーンはとあるホテルに外泊して眠りについていた。  
いつもなら『私も行きます絶対行きます先生と温泉!』などと叫んで荷造りをはじめる望美を、行き先は温泉ではないとか神子がそんな俗物を詰め込んではいけない、とか、  
無口なリズヴァーンが言葉を尽くして止めるのだが、今回はそんな事態には発展しなかった。  
リズヴァーンは、深夜ふと、室内に自分以外の人物の気配を察した。  
鋭敏な神経が己を覚醒させた。  
そして、  
「はっ!」  
とリズヴァーンの間近で何者かのするどい呼気が放たれた。  
寝込みを襲う不逞な輩が自分に凶刃を振り下ろした際の呼気かと思ったが、違った。  
ただ、何かすさまじい力が働いて隣のベッドがリズヴァーンが寝ているベッドに横付けされただけだった。  
ツインの部屋をシングルユースしていたリズヴァーンだったが、当然、ベッドが動く部屋とは聞かされていない。  
暗闇のなかでも夜目のきくリズヴァーンには目を凝らさずともよく見えた。  
「神子、何をしている?」  
いつの間にか部屋に侵入していた望美が、隣のベッドに両手をついて、ひと労働の後のように額にうっすらと汗をかいていた。  
どうやら、二つのベッドをスライドさせてくっつけたのは望美の仕業らしい。  
望美はにっこりと笑い、ベッドの端から顔の上半分を出して言った。  
「こんばんは先生。これでキングサイズベッドのいっちょうあがりですね」  
この異常事態においても顔色ひとつ変えないリズヴァーンの返事を待つでもなく、望美はひょいと隣のベッドに乗った。  
望美がやり遂げたこの行為は、どうやらシングルベッド二つをくっつけて広く使うことが目的のようだった。  
キングサイズがどうたらと言っていた先程の望美の発言から、その真意が察せられる。  
すなわち、リズヴァーンとあれこれすることを想定した広さを彼女は欲していたようだ。  
そして、ここまでやっておきながらリズヴァーンにぴったりと寄り添うでもなく、望美は端っこのほうでもじもじとしきりに照れていた。  
リズヴァーンは弟子の侵入に気付かなかった事実に、自分が不覚をとったことを認めた。  
この現代の、生まれてこの方味わったことのない平和な日々に本能がなまっているのかもしれない。  
が、望美の侵入に気付かなかっただけに飽き足らないことが判明した。  
「神子」  
ベッドサイドのライトをつけてリズヴァーンは身を起こした。  
「はい」  
「部屋の趣向を変えたのか」  
 
リズヴァーンはまず壁ぎわに目をやった。そこにかけられているのは、ホテルのおしゃれなタペストリーではない。  
でかいアメリカ国旗と、それと同じ多きさの国連の旗がかけられていた。  
理解に苦しむことだが、ハンガーにはアメリカンフットボールのユニフォームとプロテクターがかけられている。  
なぜかドアの下から英字新聞がのぞいていたり、おそるべきことに白い初老の紳士の人形が室内にあったりした。  
この飾りつけとも呼べない飾りつけはすべて望美が運び入れたものなのだろうか。  
この推察が合っているのだとしたらまずい。  
紳士の人形をどこぞの店舗から望美がかっさらって来たことがまずいのではなく、部屋で堂々と飾りつけを行っていた望美にリズヴァーンが気付かなかったことがまずい。  
望美がこの部屋に妙な飾りつけをほどこしている間も自分は眠っていたのか。  
急速な自分の錆びつきように戦慄さえ覚えたが、リズヴァーンが真に戦慄すべきは望美の奇行であった。  
眉間に皺を寄せるリズヴァーンの苦悩をよそに、望美は相変わらず頬を染めながら、それでも不安げに言った。  
「あっ、あの…。このお部屋、アメリカの一般家庭の雰囲気出てますか?」  
「私には分からないが、神子のしたいと思うことをすればいい」  
リズヴァーンが鎮痛な面持ちをしていたのは己の不甲斐なさを省みていたからであり、決して望美のした事を否定したからではない。  
望美の不安を解消するのが今の彼にとっては最優先事項だった。  
「よかった。先生に合うようにいろいろアメリカナイズしてみたんです」  
「うむ。他ならぬお前の気遣いだ。だが、私のいる部屋に夜中忍び込むのはやめなさい」  
最近おとなしいと思ったら、ここ一番で大胆きわまりない事をする望美であった。  
そんな驚天動地をやらかす望美も、好きな男を前にしてはただの女だ。苦しげに思いのたけを吐露した。  
「もう待てません。先生は律儀な人だから私が卒業するまでってきっと思ってるんでしょうけど、私、不安なんです」  
望美はリズヴァーンの目の前でスルスルと服を脱いでいった。  
「お願いです。私が先生にしてほしいと思ってる事、今ここでして下さい。してくれるまで出て行きません」  
うつむく望美からポロリと涙が零れ出た。と思ったらそれは見間違いで、こぼれ出たのは涙ではなく望美がいつも持ち歩いては血走った目で見ていた単語カードだった。  
床に落ちて開いたカードにはあまたの英単語が記載されていたが、その大半がスラングじみたエロ英語だった。  
望美は普段、これを必死で覚えていたらしい。好きな男に会う時間を削ってまで、その男のために。  
「神子…」  
リズヴァーンは単語カードには頓着しなかった。愛しい女が目の前で肌を露わにするさまから視線をそらせるはずもない。  
止めなければと思うのだが、感慨深いものが込み上げてきて、結局は何も出来ずにいた。  
青いガーターベルトに同色のティーバックショーツ姿になると望美は耳まで赤くなって俯いた。  
弱々しく手を交差させてさりげなく前を隠している。望美が逃げをうっているのを見逃すリズヴァーンではない。  
こんな格好をしておきながら耳まで赤くなって泣きそうになっている望美のギャップにはたまらないものがあった。  
「不安にさせてすまなかった。お前の望むとおりにしよう。お前に言われたからではない。私が自ら望んでそうするのだ」  
ちいさな裸の肩に触れると、望美がびくりと身を震わせた。  
「怖がらなくていい」  
胸に抱き寄せて望美が落ち着くまで髪を撫でる。震えがおさまったところでゆっくりとその体を横たえた。  
倒れつつある姿勢に驚いたらしい望美から軽い抵抗を覚えたが、その都度なだめるように口付けをほどこした。  
「せ、先生…。大丈夫です。本当に大丈夫ですから」  
聞いてもいないのにわざわざリズヴァーンに伝えるところが平静ではなく、望美が決して『大丈夫』な状態ではないことが分かる。  
「そうか、危うくなったら言いなさい」  
「ぜったいに大丈夫です」  
痛々しいほど握り締めている望美の両のこぶしを時間をかけて解き、己が指を絡ませる。  
そこからは望美が自分の状態をリズヴァーンに伝える余裕はなかった。  
 
単語習得に頑張った望美が最中に言えた言葉、カモーン、イェスイェス、オーイェー。  
それでもせっかくなので最後までいったリズヴァーンは、ほかの八葉と比べてあらゆる意味で大人だった。  
 

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