千尋は桜の花が舞い散る園に居た。
満開を過ぎた薄紅の花弁がはらはらと雪のように舞い、足元に降り積もる。
ああ、埋もれてしまう。
『彼』のところに急がなくては…
『彼』が桜に埋もれてしまう。
儀礼用の長い裾が足に絡み、転びそうになる。
肩の長さに切り揃えられた金髪が揺れ、汗ばんだ額に張り付く。
次第に量が増えてくる花弁が視界を遮る。
白い闇に飲み込まれる。
助けなくては。
誰を…?
ぼやけてくる視界へと必死で手を伸ばしたが、虚しく空を切り、何も掴むことなく千尋の意識は薄らいでいった。
「…ひろ、千尋!」
ようやく自分が名前を呼ばれているのだと気付いた千尋は、はっと我に返った。
目を閉じて大きく深呼吸をしてから、再び瞼を開ける。
見慣れた自室の天井だと理解すると安堵の息をついた。
まだ朝が来るには少し時間がある。
闇に包まれた部屋の中、誰かの手が触れた。
「どうした、うなされていたぞ」
心配そうに覗き込んでくる忍人の顔を見た瞬間、先程の光景は夢であったのかと思い至り、ほっとする。
「……とても恐ろしい夢を見ていたんです、忍人さん」
千尋の瞳が潤み、自然と涙が溢れてくる。
「何を泣く?」
白い頬を濡らす涙をぬぐってやりながら、千尋の細い体を抱きしめると、髪を撫でてやる。
「わかりません…でも、忍人さんが居なくなってしまうような気がして」
「…千尋」
数刻前まで抱き合っていた時には、随分と大人びた表情をするようになったと思っていたが、忍人の腕の中で泣く千尋は幼く感じた。
「俺はここに居る」
だから安心しろ、と言いながら、千尋の唇に触れる。
最初は宥めるように優しくゆっくりと。
「……ん…」
千尋の喉が甘い声を漏らすようになると、それは次第に深くなっていく。
舌を絡ませ、唾液を含ませ、時に啄ばむ様に触れる。
「あ…ぁ………忍人さん…」
行為の余韻が残る体には十分な刺激となり、切ない響きを持って名を呼ぶ。
「忍人…」
細くしなやかな腕が、彼の武人として鍛えられた背に回され、そっとしがみつく。
浅く、深く、その悲鳴さえも飲み込むように口付けを交わしながら、まだ熱のこもっている所を探すように長い指が千尋の肌をなぞっていく。
ひくりと震える秘所に触れると、何度となく胎内へと放った精とそこから溢れる蜜が混ざりあったものがごぽりと溢れる。
指を軽く突き入れると、千尋の細い背が震えた。
「君の傍に居ると…誓った」
耳朶に吐息が触れ、静かな声で囁かれる。
そして再び熱を帯びた己自身を千尋の中で色付くそこへと押し当て、とろりと零れる混ざり合った蜜を潤滑剤に奥まで突き上げる。
「千尋…」
「あ………あぁっ……忍人さ…」
散々喘がされた喉は掠れ、細く声を上げるだけ。
快楽の波に襲われ、言の葉を紡ぐ事も忘れ、千尋の唇はただ忍人の名だけを呼び続けた。
愛おしい人に抱かれながら。
目の縁を僅かに赤く腫らした千尋の寝顔を見下ろし、忍人はその眦へと口付ける。
「………やはり俺は君を泣かせてしまうのか」
遠い昔にも同じような事があったような気もするが、つい最近の出来事のようにも感じる。
何を馬鹿な事を考えているのだろうか、と己を叱責しつつも、奇妙な既視感に驚く。
「桜を見に行こう、何度でも」
それはとても大切な約束のように思えた。