私はこの世界で、初めての恋をした。  
それは少女漫画や恋愛映画のように心踊る、素敵で、綺麗なものだとばかり思っていたのに。  
私はこの世界で―この、気が狂いそうなほどの思いを…知った。  
 
狂い花  
 
はっきりと、彼への思いを自覚したのは、あの―炎に包まれた京でだった。  
嘲笑うように、男の口から告げられる訃報に思考が止まり、悪い冗談だと引き攣った笑みさえ溢れたのを覚えている。  
後に望美は崩れ落ちた膝に泥水が撥ね、涙と雨の区別がつかなくなって初めて、自分が還ってきたことに、沢山のものを失ったことに…恋をしていたことに気付いたのだ。  
初めて時空を跳んだ、そこは茹だるように暑い夏の熊野。  
皆に会いたい、救いたい、でも―  
いつも微笑み、癒してくれた。優しいあの人に、今すぐに会いたい。  
『望美さん?…怖い夢でも見ましたか』  
変わらない笑顔に眩暈を覚えるほどに安堵し(実際に蹲っていたと思う)、望美は強く思ってしまったのだ。  
―弁慶さんのことを、もっと知りたい、と。  
そう、それから彼を追いかけて、今望美は三度目の運命を歩んでいる。  
「………っ…」  
熊野には何度も足を運んでいるが、この暑さには未だ慣れない。  
今日は一等蒸し暑く、寝苦しい夜だった。  
閨にまで聞こえる鈴虫の声さえ今の望美にはうっとうしく、掛布団をバサリと蹴りあげ、汗が滲んで首に絡み付く紫苑の髪を気だるげに払う。  
体が熱り、喉が渇く。  
だが、渇いているのは喉だけではなく、体の熱りも暑さのせいだけとは言えない。  
(…弁慶、さん)  
疼いている。  
欲している。  
痕など疾うに消えているのに彼に蹂躙された体が、彼を覚えている。  
(あんなこと、されたのに…)  
――あれは、二度目の運命でのこと。  
*  
揺れる舟の船内。  
「望美さん、僕です…具合はいかがですか」  
船酔いで怒鳴る力さえ無くした望美のもとに、弁慶は忙しいと言いつつ、何度も会いに来た。  
「………」  
振り返る気力もなければ喋る気力もない。  
…否、彼と話す言葉が見つからないだけだった。  
今顔を見れば、口を開けばきっと、罵倒してしまっただろうから。  
―それは嫌だ。  
屋島で拐かされ、その後この狭い船内に閉じ込められた。  
それなのに、裏切られたことが信じられず、変わらず彼が愛しいまま。  
ただ、いつもと変わらない涼しげな顔で会いにくるのが腹立たしかった。  
『お前はただの駒で、土産物だ』  
そう、暗に言われている気がして。  
「顔色は……幾分かよくなっていますね」  
背を向けてうつむく望美の思いを無視し、背後から伸びた腕が顎を捕えて無理矢理に視線が合わせられる。  
琥珀の瞳に望美を移し、蜜色の前髪が触れそうな距離に迫っていた。  
「離して…っ」  
 
男の腕を払う。  
弁慶は何の抵抗もなく望美から離れ、叩かれた手を摩って嘲笑った。  
「…ふふ…裏切り者となど目も合わせたくなければ、触れられたくもありませんか?」  
「っ…そ、そんなんじゃ」  
なぜか傷付けてしまった気がして、いたたまれなくなる。  
「……それでいいんです。君はもっと警戒して下さい。僕は裏切り者で、ここは敵の懐。誰が君に不埒な行いを仕出かしてもおかしくないんですから」  
にっこりと、今日の天気は晴れですよ望美さん。とでも言いそうな笑みで言い放つ。  
「……そんな、弁慶さ」  
「周りは腹を空かせた狼の群れと思いなさい。あぁ…僕の助けなど期待しないように。…では」  
静かな足音を響かせて、去って行く黒い背中。  
「そんなの嘘です!…弁慶さんは助けてくれます」  
自分でも驚くほどに迷いなく、叫んでいた。  
「………君は」  
静止。袈裟の裾だけがゆらゆらと揺れている。  
「なぜ、そう思うんです」  
部屋の温度が下がった。  
そう錯覚するほどの冷たい声が、望美を突き刺す。  
「…理由なんて……信じてるから…私が、そう信じたい…っ」  
すぐ後の壁板が叩かれ、鋭い音が望美の鼓膜を震わせる。  
信じたいんです、と。最後まで言えず、息を呑んで身を竦ませた。  
「まだ…君はそんなことを」  
漆黒が視界を支配している。耳元に熱を感じて、指先すらまともに動かすことができない。  
「……ねえ、望美さん。先程の不埒者の中には…この僕も含まれているんですよ?」  
くつくつと押し殺した嗤いが、紫苑の髪を擽る。  
「…べんけい…さ」  
「言いましたよね、僕は君の思っているような人間じゃない。…関わるなと」  
「でも!」  
壁についた男の手の、反対の手が動く。望美は反射的に肩を震わせ、身を強張らせる。  
だが長い指は長い髪を撫で梳いただけで、その仕草は言葉とは裏腹に優しいものだった。  
「体に教えて差し上げます。君は実際に痛い目を見ないと分からないようだから」  
髪を強く後に引かれ、体を引き倒された。床に腰と背中を強かに打つ。  
痛みに顔を顰め、何をされているのか理解できずに、望美はただ唖然と弁慶を見上げた。  
「抵抗しないんですか?…しても無駄ですけれど」  
武人には見えない細い腕が、単衣の衿元を掴んでいるのを見、やっとのことで状況を理解する。  
声を搾り出す。その声が震えていることに、望美自身が驚いた。  
「なん…で?」  
「それを聞くんですか…君は、残酷な人だ」  
前を開こうとする腕を掴んでも無意味で、泣いても叫んでも、彼の手が止まることはなかった。  
長い、長い時間。一方的に嬲って、開いて、望美は求めてもいない快楽を覚えさせられた。  
心と体に、癒える傷痕と癒えない傷痕をつけて。  
『憎んでください。そして…僕のことは、いつか忘れて下さい』  
忘れられない傷痕を残した張本人は、振り向きもせずにそう言って、去っていった。  
なじることも、罵倒することも許されず。  
―次に会ったとき、弁慶さんは寂しそうな笑顔だけ私に遺して、消えた。  
*  
 
(忘れられたく…なかったの?……そんなこと、ある訳ないか)  
結局一睡もできず、望美は濡れ縁で溜息をついた。  
今日が自由行動になってよかった。こんな状態で怨霊と対峙することはできない。  
眠いし、あの黒い袈裟に自然に目がいってしまう。望美は戦闘中に怪我する自信があった。  
「あー…もう、なんか暑いし眠いし…やだなぁ」  
ひとりごちる。  
望美のもやもやとした心裏などまったく意に介することなく、今日も熊野は雲一つない良い天気だ。  
朝食を終えたばかりの時間。まだ陽射しは柔らかく、昼間よりは過ごしやすい。  
皆、各々の用事で朝から出払っている。朔に買い物に誘われたがそんな気分になれず、休息したいと言って断ってしまった。  
(…気を紛らわそうとしてくれたんだよね、悪いことしちゃった)  
一応周りに誰もいないことを確認し、そのままゴロリと寝転がった。  
宿の庭には沢山の緑が茂り、心なしか通ってくる夏風も冷たく感じて、自然に目蓋が下りる。  
風が頬を撫で、睫毛と前髪を揺らすさらさらとした感触を楽しむ。  
勝手な話だが、夜眠れないのも、寝不足で朝飯が少ししか食べれなかったのも、熊野が暑いのも、皆弁慶のせいに思えてくる。  
そして、ずっと溜め込んでいた言葉がするりと零れた。  
「………弁慶さんのバカ」  
ぽつり、と。誰にも言えない文句。  
一体何をされたんだと皆に聞かれるのも嫌だし、ましてや本人になんて言えない。  
だってこの時空の弁慶は、あの時消えた弁慶ではないのだから。  
小さな罵倒は、すぐに風に消えるのだから、問題はないはずだ。  
「え?…ああ、すいません」  
だが、そんなことはなかった。  
自分以外の人の声に驚き、飛び起きようとして硬直する。  
「……えー!?………べ、べんけーさん?」  
不覚にも目を瞑っていたため、体を覆う人影に気付かなかった。  
今一番会いたくない人物が、しゃがんで望美の顔を興味津々と覗き込んでいる。  
「…おや、こっそり顔を覗き込んでいたから怒ったんじゃないんですか?」  
顎に指を当てて、首を傾げる。  
袈裟を被っていないので、蜜色の髪がさらりと揺れた。  
「あ…いや……そうですそうです、年頃の女の子の顔を覗いちゃ駄目です!」  
鈍感な部類に入るらしい望美だが、弁慶と出会ってもう数年が経つ。  
最近はこの策士を誤魔化せるようになってきた、と思っている。  
「そうかな…今の反応は、僕がいたことに気付いていなかったようでしたけど。何か…君に怒られるようなことをしたかな」  
困ったように微笑まれる。愛しい表情に、何も言えなくなる。  
同時にふつふつと、理不尽な怒りが湧く。  
朗らかな顔をなるべく視界に入れないように、起き上がって庭を見た。  
「…嫌な夢を見るから、寝不足なんです。すいません、朝から機嫌が悪かったですよね」  
―貴方のせいなのに。全部。  
「なるほど…その夢が原因で最近僕の顔を見てくれないんですね。気付かないうちに君に嫌われるようなことをしてしまったのかと、心配していたんですよ」  
とても寂しかったんです、と言いながら、断りもなく望美の隣に腰掛ける。  
―どうしてそんな、気があるように接してくるの。  
彼が望美に近付くのは、〈源氏の神子〉を手懐けようとしているから。  
それは疾うの昔に気付いたこと。だが計算づくの彼の行動は、今の望美には酷くこたえた。  
「…私の顔色が悪いから、気になってたんですよね。体調を崩したら面倒だから」  
本当に僅かな声で、いつもは言葉に出さない、皮肉めいたことを口走ってしまう。  
彼が聞き漏すはずはないと、後悔しても遅い。  
「……望美さん?」  
琥珀色の瞳が見開く。  
―まずい。  
弁慶の視線を受け止められずに、望美はこれ以上ボロが出る前に立ち去ることにする。  
「ごめんなさい、部屋で休みます」  
「ええ…朔殿に薬を渡しておきます、よく眠れるはずですから」  
望美は言葉を最後まで聞くことなく襖を閉め、弁慶から紫苑の髪は見えなくなった。  
だからその時彼が浮かべた表情も、望美からは見えなかった。  
*  
 
遠くで蜩が鳴いている。  
それに起こされた望美は、床になにも敷かないまま寝てしまったらしく、体の痛みに顔を顰めた。  
暫く痛む箇所を擦っていると、頬に違和感を覚えた。そして一度濡れて、乾いたのだと思い至る。  
「望美、入るわよ。…寝ていたの?これ、弁慶殿から預かった薬。ねえ、どこか悪いの?」  
親友の姿を目の端に捉えて、心臓が跳ねた。涙の跡に気付かれたくない。  
「ありがとう。暑さに慣れなくて…なかなか寝付けないんだ」  
「そう…あなたの世界は夏でも過ごしやすいのね。食欲は?今日は譲殿が『暑さに負けないようにすたみな料理を作る』と言って宿の厨を借りているけど」  
横文字に首を傾げる朔に、体力が付く料理のことだよと言って笑いかける。  
どうやら気付かれなかったらしい。  
望美はホッとして、久しぶりの幼馴染の料理に喜ぶフリをすることができた。  
渡されたのは紙に包まれた粉末状の『よく眠れる』という薬。  
腕のいい薬師がそう言うのだから、そうなのだろう。  
濡れ縁での出来事を思い出し、また怒りが込み上げてくる。  
―あの人が悪い訳じゃない、分かっているのに。  
復讐心と悪戯心が芽生え、薬を握りしめた。  
「………夕飯…まだ、作ってる途中かな」  
「もうそろそろ出来上がりだと思うわ、今手伝ってきたの」  
景時が破いたのだという単衣を、せっせと繕い始める朔に毎度のことながら関心する。  
「寝てたらお腹空いてきちゃったみたい、見てくるね」  
そんなに食欲があるなら心配ないわね、と朔が笑っていた。  
食欲なんてこれっぽっちも湧かない、罪悪感が胸をチクリと刺した。  
*  
「あ、先輩、タイミングがいいですね。今白龍に膳を運んでもらっています」  
「じゃあ、私も手伝うよ」  
膳におかずを盛っている譲に微笑み、それを受け取ると、物陰に隠れて先程の薬を取り出す。  
(……えい!)  
ザーと音を立て、味噌汁に沈んでいく何か危ない色の薬。  
(お味噌汁、変な色にならないかな…)  
望美は、昔から悪いことを隠すのが苦手だ。  
食事中はすたみな料理を喜ぶことと、弁慶を見ないことに集中しながら、バクバクと鳴る心臓を宥めることに必死だった。  
だから彼の様子がおかしいことに、気付けなかった。  
*  
 
望美は薬を扱う弁慶のために用意された個室へ向かう途中、薬湯が入った椀を持った九郎と鉢合わせた。  
「え…弁慶さん、具合が悪いの?」  
―朝会ったときは、そんな風に見えなかったのに。  
「ああ、赤い顔をしていたから…夏風邪かもしれん。今日は早めに休むと言っていたぞ」  
あいつが寝込むなんて、明日は槍が降るかもな。と、さりげなく酷いことを言い、人好きのする笑顔を浮かべる。  
「あの、それ…私が持っていきましょうか?今日貰った薬のお礼を言いそびれたから、向かうとこだったんです」  
半ば無理矢理に椀を奪い、九郎は空になった手の平を所在無さげに下ろした。  
「そうか、養生している者の床に二人で押し掛けてもしょうがないな。ではよろしく頼む。…それと、あまり夜更かしするなと言っておいてくれ、お前が言えば少しは聞くかもしれん」  
やれやれとそう言って、踵を返す。九郎も、やはり友人として心配なのだろう。  
微笑ましい。望美は、彼を心配してくれている人が自分以外にもいると思うと、嬉しくなった。  
(…こんなに思われてるのに、弁慶さんのバカ)  
また一つ、悪態をつく。  
宿の廊下で九郎と別れ、弁慶が休む部屋の前で立ち止まる。  
「あのー…弁慶さん、薬湯を持ってきました」  
返事はない。  
眠っているのだろう、本当によく効く薬のようだ。  
(よしっ、今のうちに)  
懐に忍ばせた帯紐と、もう一つのものを確認し、望美はニヤリとほくそ笑む。  
―復讐計画。  
とまではいかないが、望美はある悪戯を考えついたのだった。  
概要はこうだ。  
弁慶に薬を盛る→紐で縛って拘束→泣いて謝るまで擽り地獄→時空跳躍(熊野参詣)。  
病人を紐で縛って拘束するのは良心が痛むが、思えば望美はそれ以上のことをされた訳で。  
でもそれは前の時空の話、この時空の弁慶には非常に申し訳ないが、ようは八つ当たりなのだ。  
望美にとっては、かなり思い切った計画である。  
神の力をこんなことに使おうとしている辺りが、特に。  
(ごめん白龍…もうこんなことに使わないから、絶対)  
*  
―悪いことをするのは、やはり心臓に悪いと思う。  
(目を開けたら、どうしよう)  
胸は規則正しく上下に動いている。  
だが、寝顔をジッと見つめることさえ、今は胸が張り裂けそうに痛い。  
「うわ……髪下ろしてる、初めて見た」  
今更だけど、綺麗な人だよなぁと、暫く寝顔に見惚れた。  
やはり、僅かな灯りの中でも、頬が仄かに染まっているのが分かる。  
寝息もどこか苦しげだ。  
(あ…は、早くしないと起きちゃう)  
急かされるように、帯紐を取り出す。  
眠りが浅いと言っていた彼の人が、望美が腕を縛っている間、目蓋を震わすこともなかった。  
「よし…と…………っ…う〜ん、なんか」  
頭上で縛られた両腕。  
解かれた、緩やかにうねる長い髪。  
寄せられた眉根、紅潮した頬、汗ばむ肌。  
熱いのだろう、前が大きくはだけた夜着。  
半開きの唇から漏れる、少し荒い吐息。  
(何て言うか…色っぽい?…艶っぽい?)  
この世界に来てから、彼をいつも見ていた記憶があるが、こんな顔は知らない。  
 
「……………キス、くらい……いいよね?」  
今、この状況で一体誰に許可を取るのか。  
自分より大きな体に覆い被さる。緊張して、体が震えた。  
腕を伸ばしたがこの震えが彼を起こしてしまわないかと、頬に触れるのが躊躇われ、ちゅ、と薄い唇に触れるだけのキスを落とす。  
そこは望美を誘うように開いていて、口付けをもっと深くしようとしたが、ふと考えが過ぎる。  
(そう言えば、弁慶さんとキスしたこと…ない)  
それ以上のことをしたのに、これがファーストキスなんだと思うととても哀しく。空しくなった。  
―こんなこと、もう止めよう。  
彼が無事で、ここに生きているなら、それでいいじゃないか。  
今まで何度何度も反芻した言葉が、脳裏を過ぎる。  
「……ッ」  
不意に涙が溢れ落ちそうになって、彼が濡れてしまうと思い、歯を食い縛って何とか堪える。  
歪む視界の中、手首を拘束している帯紐に手を伸ばした。その時。  
「…それだけ、ですか」  
心臓が一瞬止まる。望美は、反射的に後ろに飛び退った。  
―我ながら、凄い跳躍だったと思う。  
「じっと我慢してたのに、触れるだけなんて…ある種、拷問ですよ」  
そう恨みがましく言い、彼の人は手首の帯紐を歯で解けないかと試行錯誤している。  
「……いけない人ですね、望美さん。こんな悪戯をして、なにをするつもりですか?」  
固く結ばれた紐は解けないようで、上体を持ち上げて言う。  
―ああ、足も縛ればよかったかも。  
痛む心臓を柔い皮膚の上から撫で、今更後悔する。  
「…っ…え、と」  
熱い、暑い。体中の血液が沸騰しているようだ。  
舌が縺れて、言葉が出てこない。  
拘束されているのは彼なのに、動けない。  
「僕としたことが…無粋なことを聞きました。でも、僕は縛られるより縛る方が好きなんですよ…さぁ、これを解いて」  
微笑みながら腕を目前に突き出されると、素直に頷き手が出そうになった。  
「はい…い、いや、駄目!です」  
危うく目的を忘れかけて、弾かれたように首を振る。  
折角、危険を冒してまでここまでやったのに、全て水の泡というか、拘束を解いたら望美が損をしそうだ。  
「なぜ?…そもそも、僕に薬を盛った理由が分かりませんね。教えてくれませんか」  
こくりと不思議そうに首を傾げる人物との距離を計りつつ、精一杯睨み据えた。  
「…ふ…復讐、です」  
「………はぁ…復讐。…僕は、君に殺されるようなことをしましたか?」  
合点がいかないように、眉を顰める。  
望美が睨んでいるのに、どこか面白そうな表情に腹が立ったが、彼を殺したいと思ったことはない。  
―それどころか、助けようと思ってるんですけど…。  
「こ、殺すだなんて!…えっと…ちょっと、懲らしめたいなと…」  
本人を前に言うのはなんだかおかしいような気がして、腕を組んで悩んでしまう。  
「懲らしめたい、ですか。やはり、僕は君に恨まれているみたいだ。……だからずっと、僕を避けていたんですか」  
髪と同じ色の、長い睫毛が伏せられる。  
その表情の裏にどんな感情があるのか、望美には読みとれない。  
「……ええ…そうですね。憎い、のかも。滅茶苦茶にしたいくらい」  
彼が付けた消えない傷が憎く、愛おしいとも思う。  
こんなに思っているのに、いつも目の前から消えてしまうこの男のことが、憎いのかもしれない。  
感情を見せようとしない涼しげな仮面を、崩したいだけなのかもしれない。  
 
「っ…望美さんそんな風に思っていてくれていたなんて……僕は、てっきり…」  
瞳が見開かれ、珍しく全身に動揺が走っているのが分かる。  
表情を見せたくないのか、俯く。薄ら赤い頬の色が濃くなったように、望美には見えた。  
「……ふふ…しかし、滅茶苦茶にとは熱烈ですね。…その懐に入っているもので、僕を攻めるつもりなんですか」  
弁慶は素直に喜びの表情を浮かべており、面白そうに、値踏みするような視線を望美に向ける。  
「い…いや…あの、攻めると言うか…攻めるとも言うの……かな?」  
その何かを期待するような、色の混じった視線に狼狽える。  
望美は何か話が食い違っているような気がして、言いながら首を捻った。  
「ふふ…可愛い人ですね。そうだ…望美さん。君が僕の味噌汁に盛った薬ですが……実は睡眠薬じゃないんですよ」  
「……え」  
―睡眠薬じゃ、ない?  
それなら一体、何の薬だったのだろう。望美は呆けた顔で相手を見つめる。  
「睡眠薬も少しだけ入れたけれど…ね、気付きませんか?」  
気付けば望美の肩に熱い体がしな垂れかかっていた。  
息を吹きかけられて露になった耳を、甘い囁き声が擽る。  
「……な…何が、ですか」  
「ふふ…すぐに分かりますよ。……それで、このままでいいんですか?」  
慌てて体を離そうにも体を預けられていて、退いたら弁慶が倒れてしまう。  
どうすることもできずに、望美は彼の夜着の胸元を握り締めた。  
それを合図にしたかのように、耳元にあった唇が白い首筋に移動すると、その柔な皮膚にちゅっと音を立てて吸い付く。  
「…!?……え……っ」  
急に力が抜けてしまい、弁慶の体を支えきれず後ろへ倒れ込む。  
望美は腕を拘束された男に襲われるとは思っていなかったのか、開いた口が塞がらずにはくはくとさせ、呆然とする。  
「僕を懲らしめると先程言っていたから……でも、僕は腕が使えなくとも、君を悦ばすことくらいできますし」  
瞳を眩しそうに細め、押し倒している望美を上から見下ろす。  
いつも優しげに見えるその微笑みも、瞳に色情がたっぷりと含まれており、どこか妖しい。  
『抵抗しないんですか?…しても無駄ですけれど』  
―あの時と…同じ目を、してる。  
船上での記憶が甦り、望美はこのままではいけないと男の肩を強く押す。  
望美に跨り膝立ちをしていた弁慶は、バランスを保てずに褥の上に倒れ、背中に走った衝撃に息が詰まり、次の瞬間はあと吐き出す。  
「!?…っ…の…望美さ……?」  
本当に押し倒すことなどできないと思っていたのか、乱れた髪の間から驚いた顔が覗く。  
彼の驚いた顔を見た望美は、したり顔でニヤリと笑った。  
そして縛った両手を掴むと、弁慶の頭上―褥にそれを縫い付ける。  
「こんなつもりじゃなかったのに…でももう…今度ばっかりは、弁慶さんの好きにさせませんから」  
覚悟を決めて、望美は自分の下にある整った容貌を覗き込むと、顔にかかった艶のある蜂蜜色の髪を払う。  
睫毛と睫毛が触れ合う距離に、二人の胸は高鳴る。  
「ちょっと待って……ン…っ…ふ」  
彼の言いかけた言葉を飲み込んで、隙間へ舌を忍び込ませた。  
触れるだけの口付けしか経験のない望美は、震えを抑え切れない。  
弁慶にも彼女の震えと緊張が伝わり、咥内でたどたどしく動く舌に、自分のそれを絡める。  
 
(……キスって…気持ちいいんだ)  
上位の立場にいるのは望美のはずなのに、巧みな口付けのせいで立場が逆のように感じてしまう。  
ぴちゃぴちゃという、唾液が混ざる音に耳を刺激され、這い上がる快感に酔った。  
「…ン……ぅん……」  
望美は飲みきれない唾液を唇の端から零し、苦しげに弁慶の肩をぎゅっと掴む。  
紫苑の髪が汗で紅潮した頬に張り付いている。上手く呼吸ができず、それでも必死に口付けを続ける望美。  
その煽情的な表情を盗み見て、弁慶は己の欲が更に深まるのを感じた。  
限界がきたのか、望美はゆっくりと唇を放す。  
(もう……限界なんですか?)  
離れていく唇を追ってしまい、弁慶は起き上がれないことに気付いて嗤った。  
「はぁ…はぁ…はぁ……べんけ……さ…」  
絡み合っていた舌の間を、離れるのを惜しむかのように銀糸が垂れる。  
「………望美さん、無理をしなくて…いいんですよ」  
呼吸を乱しながらも優しく気遣ってくる弁慶を、望美はギッと睨み付けた。  
「よ…余計なお世話です…弁慶さんは、大人しく寝転がってて下さい!」  
「うーん…決意は固いよう、ですね。望美さん…そろそろ薬が本気で効いてくる頃ですから、正直辛い。…僕を、あまり焦らさないで下さい…ね?」  
弁慶は言いながら徐々に息が上がり、ほんのり色づいていた頬がはっきりと赤くなっていく。  
(こ…これってもしかして……じゃあ、あの薬は…!?)  
なるべく意識しないようにしていたのだが、先程から望美の臀部に当たっている塊。  
彼の夜着を押し上げている存在に、今更気付いた。  
「…あの…私、ひょっとして……弁慶さんに…び…媚薬?を、盛っちゃったんでしょうか」  
「………ふふ、君を責めたり、しませんよ?元はと言えば僕が計ったこと…でッ…君がこんな行動にでるなんて、思いませんでした、から…っ」  
荒い呼吸。爪先が白い敷布を引っ掻き、弁慶は望美の下で苦しそうに悶え始める。  
「だっ…大丈夫ですか?……それって強い薬だったりするんですか?」  
「それはもう、正気を失うほどで…痛みさえも、快楽に………あぁっ…もう、駄目です、望美さん…ッ」  
精気のあった瞳が虚ろになり、望美を見つめて手首を盛んに動かす。  
「……………弁慶さん、それ……取って欲しい?」  
望美は笑った。口元だけ。  
「ええ、早く…もう……我慢が…ッ」  
「駄目」  
「!?…っ…のぞみ……さん?」  
明らかに様子の変わった望美を、焦点の定まらない瞳が追う。  
「痛みも、快楽になるんですよね…じゃあ、これは?」  
身悶えするうちに肌蹴た夜着。白い肌が露になり、胸の頂も外気に晒されている。  
「ぁあああああああッ!!!」  
彼女に胸の飾りを爪を立ててギリギリと摘み上げられ、弁慶は抑えられない悲鳴を上げた。  
電流が走ったかのような衝撃と快感に、髪を振り乱し、弓形に体を撓らせて悶える弁慶。  
「皆が起きてきちゃうよ、弁慶さん。…我慢できないほど気持ちいいんだ?」  
言いながら、脹れた赤い飾りを指で弾く。  
「くぅ…ッ!!はぁ、はぁ……望美さん、悪戯は…止めなさい」  
睨まれても、熱っぽい潤んだ瞳のせいで怖くはなかった。  
―なんだ、弁慶さんって普通の男なんだ。  
冷たい瞳、崩れない笑顔、怖いと思っていた。何を考えているのか分からなかったから。  
「駄目ですってば。もう、さっき言ったでしょう…これは復讐、なんですから」  
子供のように無邪気そうに笑って、言う。  
〈無邪気そうに〉こんな風に笑う娘だったかと、逡巡する。  
そして弁慶は、先程から望美が口にしてる〈復讐〉に身に覚えがなく、眉根を寄せた。  
「一体、復讐とは…何の…?……く、はあぁッ!!」  
「ねえ……弁慶さん…これ、すごく硬くなってるね」  
夜着の合わせから忍ばせた手が、下帯の上から昂った弁慶自身を撫でる。  
それだけの刺激で放ちそうになり、腹に力を入れて高まった射精感をどうにかやり過ごす。  
「望美さん!…そんな……ッ」  
止めどなく湧き上がってくる、気が狂いそうになるほどの快楽に身を委ねてしまいたくなるが、衣の上から触られただけで放つなど、弁慶の矜持が許さなかった。  
望美は弁慶の制止を無視し、夜着の帯を解いて下帯から張り詰めた塊を取り出す。  
 
「イっちゃいそう?上から撫でただけですよ…ふふ……濡れちゃってますね」  
子供の手首程の太さはあるだろうそれは、天井に向って雄々しくそそり立っている。  
首をもたげた先端の穴から透明な汁が幾筋も陰茎を伝って溢れ、赤黒い全身をてらてらと濡らしていた。  
「……弁慶さん、どうします?手がいい?それとも口がいいですか?」  
望美はわざと卑猥な言葉を口にして、弁慶の動揺を誘う。  
「お止めなさい…年頃の娘が、どこでそんな……っ」  
―『どこでそんな』貴方がそんなことをいうのか。  
「っ!……貴方が!!」  
「……僕が?…なんです?一体君は、僕に何を隠して…いるんですか」  
思わず声を荒げた望美だったが、怒りを彼にぶつけることに空しさを感じ、そして本当のことなど言えないため、口を噤む。  
「何も。…私が知ってちゃ、おかしいですか?私の世界で、同じ世代の子はこのくら知ってて当然なんです」  
真っ直ぐ見つめてくる弁慶の視線から逃げながら、一気に言葉を放つ。  
別に嘘を付いている訳でもない。  
弁慶にだって話せないことがあるのだから、お相子だ。  
「そうなのかも知れませんが……望美さん、無理をしているでしょう?震えています…」  
「震えてない!無理なんてしてません!」  
弾かれたように叫ぶ。  
「くぅ…ッ!?」  
弁慶の帯で昂った性器の根元をきつく縛り、射精できなくする。  
クラスの友達が見ていた漫画をチラ見して得た知識だったが、望美も実際に使うとは思わなかった。  
「…簡単に……イかせませんから」  
泣きそうな目で睨む望美を見て、弁慶は苦しげに顔を歪めた。  
*  
部屋から持ち出した毛筆。その白い柔らかな筆先が、幾度も弁慶自身の裏筋を撫で上げる。  
「これ…覚えてます?…弁慶さんがくれた筆なんですよ」  
張り詰めて膨れ上がった情炎の塊に、もどかしい刺激が絶え間なく与えられ続けていた。  
ヒクヒクと物欲しげに動く先端の穴からは、大量の透明な汁が零れ出て、根元に巻き付いた帯の色を変えている。  
「え、ええ…ッく…はぁ、はぁ…ン…のぞ、みさん、望美さん…!」  
切羽詰った掠れた声が哀願を込めて何度も望美を呼び、艶情に染まった潤んだ瞳が望美だけを見ている。  
次々と生まれてくる小さな熱を持て余し、悩ましげに体をくねらせて、突っ張った足が褥を盛んに撫でて皺を作っていた。  
「もう限界なんですか?存外堪え性がないんですね、弁慶さん」  
ぺちん!望美は指先で卑しい塊を強く弾く。雫が跳ねた。  
「あぁッ!!」  
痛みに悶える。蜜色の長髪を振り乱して、長い指が必死に白い敷布を掴む。  
「はぁ…はぁ…意地悪な、ことを。君に触れられただけで、僕はおかしくなってしまいそうだと、言うのに……」  
息を乱し、自身の躯を弄ぶ少女を熱の篭った眼差しで、恨みがましく見つめた。  
「また、そんなこと言って。弁慶さんは…別に私じゃなくてもいいでしょ」  
「………なぜ、そんな」  
ちっとも感情の篭らない彼女の言葉に、耳を疑う。  
そして胸を千々に引き裂かれるような痛みが襲い、弁慶は顔を歪ませる。  
「情報を得るためなら、相手が男でも女でも関係ないって…聞きました」  
「…大方、ヒノエあたりがが吹き込んだんでしょうが…君は、そんな噂を信じるんですか」  
弁慶は眉根を寄せて、望美を試すような視線で見た。  
「でも、夜中に一人で出かけているの、知ってます。誰のものになる気もないくせに、私に興味なんてないくせに、そういう言い方されると…腹が立つんです」  
「君に…興味が、ないなんて……!?…の、望美さん!どこを、触って…ッ」  
「弁慶さん……ここが、好きなんですか?」  
尻朶を押し開いて、そこに隠されていた孔を指の腹で撫でる。  
そして、躊躇いがちに唇を近づけた。  
 
「そっ、そんな……ちょ…口を離して、望美さん!」  
男の孔をチロチロと舌先で弄る望美に、縛られた手を伸ばした。  
だが癖のない真っ直ぐな髪を鷲掴みにして引っ張る訳にもいかず、指をそれに絡めて、口を離すように促す。  
「や…です」  
上目遣いに弁慶を見、首を横にふるふると動かす望美。  
「可愛い言い方しても、駄目です…いけません」  
制止は無視され、菊孔に小さな舌が這う。  
つぷり、とゆっくり、遠慮がちに内部に飲み込まれていく。  
「ぁあぁあ!!」  
熱く、柔らかい望美の舌が体内に侵入してくる。  
その甘い感覚に体は撓り、弁慶は思いきり張り上げてしまった声を抑えるため、手首の帯紐をギリギリと噛む。  
思いを寄せる少女に菊孔を弄られるという羞恥に、心と体が戦慄いた。  
「ン……ふ…弁慶さん…気持ちいいですか?」  
青年は首を振る。褥の上で蜜色の髪がさらさらと左右に泳ぐ。  
腕で紅潮した顔を隠し、弁慶は震える唇を開いた。  
「…望美さん…ッ……なぜ、ここまで」  
「嫌いになりました?白龍の神子(私)がこんなことする娘だなんて、思わなかったでしょう」  
笑う。綺麗な顔が自虐に歪んで、弁慶は息が詰まりそうになる。  
「そんなことを、言っているんじゃ…なにか、理由があるのでしょう?」  
体を弄び、一方的な行為に及んでいるのに、望美を見る彼の声は優しい。  
その優しさが、望美にとって酷であるのに。  
「復讐だって言ったじゃないですか。弁慶さんが、優しいふりをするから…私に気があるようなふりをするから……懲らしめてやろうと思ったんですよ」  
彼を責めるのは間違いだと分かっていても、一度ついた言葉、始めてしまったことは止まらない。  
この優しいふりをした残酷な人を、傷つけるのを止められない。  
「望美さん、僕は……!!」  
言いかけて、噤む。  
「口でされるの嫌みたいですから…これでいいですよね、私じゃ弁慶さんを満足させてあげられないし」  
望美は床に散乱している荷物の中に、無造作に転がっていた大粒の数珠を引ったくり、ジャラリと手の中で遊ばせる。  
「望美さん、聞いてください……望美さん…のぞ…」  
以前は、弁慶の声、その言葉を一つでも聞き漏らさないように、熱心に聞いてくれていたのに。  
彼は好意を隠そうともしない少女のそんな姿が可愛らしくて、たまらなく好きだった。  
今の望美は、彼を見ながら、別のものを見ているかのようだ。ある日を境に、そうなってしまった。  
「なんですか、ちょっと待って下さい…あ、一つ入りましたよ…もう一つ……どこまで入るのかな」  
数珠が唾液で潤った入り口を押し拡げ、ぬぷっぬぷっと一粒ずつ飲み込んでいく。  
「ああぁ…ッ!…くぅ…ああ…あぁッ…やぁ…んんんっ…!」  
幾つもの数珠が、ぐぷぐぷ音を立てて青年の腸内に侵入する。  
滑らかな沢山の球体は入り口の菊孔を刺激し、内壁をごろごろと擦った。  
「もう、半分入りましたよ。…やっぱり好きなんじゃないですか、弁慶さんの嘘吐き」  
息を乱して口元からだらしなく涎を垂らし、腰を振って悶える弁慶の中心は、同じくダラダラと涎を溢していた。  
透明だった汁は濁り、半透明の液体が混じる。  
「のぞみさ…ぁあっ…ふ、ああ…そんな、動かさないで…はあぁん」  
望美が内部の数珠を緩く前後に動かすと、入り口を刺激されて気持ちがいいのか細い腰をふりふりと振り乱す。  
虚ろな目で喘ぐ彼の声は、徐々に女のように甲高くなっていく。  
「弁慶さん、イきたいの?」  
「はぁ、はぁ…ああ、いいッ……もう、駄目…望美さん、のぞみ!」  
―本当は、泣いて謝るまで続けようと思っていたけど。  
激しく望美を求める声に、弁慶を塞き止めていた紐が、急に解かれる。  
「………出して、いいですよ」  
望美の手が破裂しそうな程に昂った杭を、ギュッと握りしめた。  
「ぁあああああッ!!!」  
そして上下にヌチュッ、ヌチュッ、と、熱く濡れた全身を無遠慮に扱き上げる。  
突然与えられた強い直接的な刺激に、鈴口はたまらず戦慄いて、ひくつく。  
 
「望美…ッ、望美さんっ…僕は、君と……」  
―繋がりたい、とでも言いたいのか。  
望美は冷めた目で、自分を求めている男を見た。  
「…私は、嫌です。ほら、弁慶さん。我慢しないで出して下さい」  
―ズルルルルッ  
飲み込んでいた数珠を、一気に引く。  
腸から這い出て行く球体がボコボコと菊孔を刺激する、その感覚にのたうち、善がり声を張り上げる。  
「ぁはぁあああっ!…ぁ…あぁあっ…出る…出ます!」  
―ドプッ!ドプッ!ビュルルルルッ  
長らく放つのを許されず、留まっていた白濁が、噴水のように迸り高く飛び散る。  
望美の柔らかな手の平が最後の一滴まで絞り上げ、とぷっ、と雫が長い茎を伝い落ちる、それが長い射精の終わりだった。  
「はぁ、はぁ…はぁ……はぁ……っ……!」  
弁慶は四肢を褥に投げ出して放心した。  
激しく胸が上下し、いつまでも消えない糸引く快感のせいで、指先一つも動かせない。  
長時間焦らされ、囚われていた射精感から解放されて、心地よい疲労感が目蓋を重くする。  
腕の拘束が解かれ、少女の気配が消えたことに、暫くの間気付けなかった。  
「……望美、さん…?」  
*  
 
宿の庭に下りると、生暖かい、乾いた夜風が頬を撫でる。  
子供の手の平程の大きさがある、白い鱗の首飾りが胸元で揺れていた。  
(恥ずかしい……あんなこと、するつもりじゃなかったのに)  
望美は遅れてやってきた罪悪感と羞恥心に、その場でたまらず蹲った。  
―ちょっと、胸のもやもやがすっきりすればいい。  
やり場のない思いを、同じ顔の男に八つ当たりしてやろうと、思っただけなのに。  
―時空を飛んでしまえば、全てなかったことになる。  
元からそのつもりで、それなのに逆鱗を使うことが出来ずに、望美は美しい三日月の下で迷っていた。  
酷いことをした。酷いことを沢山言ってしまった。傷ついた顔をしていた。  
…あの人を一人にして、大丈夫だろうか。  
『望美さん、僕は……!!』  
―何を、言おうとしていたんだろう。  
望美は、頭を振った。  
考えても仕方ない。彼の考えなんて、望美には分からない。  
(弁慶さんの言葉は、もう信じないよ)  
時空を跳んで、一月ほど前に戻る。  
それから彼への思いを封じて、〈白龍の神子〉らしく振舞おう。  
そして彼を生かすことだけを考えよう。欺いて、傷付けることになってもいい。  
決心して立ち上がり、月明かりに照らされて淡く光る逆鱗を、その手の平に包み込んだ。  
光が集まる。五行が体に満ちるのを感じて、望美は目蓋を閉じる。  
「…望美さん?」  
―!?  
少し掠れた艶声に、望美は反応して肩が大きく跳ねる。  
パサッ、神子の手から離れた白龍の逆鱗は徐々に輝きを無くし、地面に落ちた。  
黒い袈裟が少女の足元で揺れ、屈む。  
「…………おや…これは、白龍の逆鱗…ですか」  
着替えたのか、袈裟の下は見慣れない若草色の着物を着ている。  
白い手の平の中で白い鱗を転がし、首飾りを弄ぶ。  
「え…?な、なんで?」  
「黒龍の逆鱗に似ています。確信はなかったんですが、そうみたいですね」  
くすくすと、悪戯が成功した子供のように弁慶は笑う。  
 
「…返して下さい」  
引っ掛かるのは何度目か。  
望美はカマを掛けられたのだと気付き、これだからこの人は嫌だと手を突き出した。  
「うーん。…嫌だと言ったら?」  
小首を傾げ、にこりとする。  
「なんで!?…怒ってるん、ですね」  
いつもより笑みが深いことに気付き、背中を冷たい汗が伝う。  
「ええ、それはもちろん」  
近すぎる距離に望美は一歩ずつ退り、距離を計ろうとするのだが、弁慶がそれを許さない。  
「……謝ります、ちゃんと償いはします、だから…それは返して下さい」  
軒下の、宿の壁が背中に当たる。  
望美は後を向いてそれを確認し、視線を元に戻すと、三日月にも負けない美貌が眼前にあった。  
「これで……元の世界にでも還るつもりですか」  
口唇は綺麗に弧を描いて笑み、瞳が冷たく月の光を帯びている。  
指に金の鎖を絡ませ、望美の前に鱗をチラつかせた。  
「!?」  
―元の世界にでも還るつもりですか。  
その口から零れた言葉に驚き、望美は意地悪く微笑む男を見つめた。  
「調べていたと言いませんでしたか。白龍の力の源、それがなぜここにあるのか分かりませんが…戻れるのでしょう?」  
「………戻れるなら、とっくに戻っていると思いませんか?」  
緊張し、口の中が乾いており、声が掠れる。  
ざあ、と突然の夜風が紫苑の髪を弄ぶ。  
「ええ、つまり、君には戻れない訳があるんですね……男ですか?君が生娘じゃないことに関係があるのかな」  
男の長い指が、風に煽られ望美の唇に付いた長い髪を摘まむ。  
「…………」  
「沈黙は、肯定と受け取りますよ。来なさい」  
弁慶は弾かれたように動き、望美を羽交い絞めにしてその口元を大きな手の平で覆った。  
「嫌ッ!…離し……ッ!!」  
「やられっぱなしは性に合いません。元はと言えば、君が火を点けたんです…それが、まだ消えないんですよ」  
ああ、そう言えば、味噌汁の匂いで薬を盛られたのは気付いていましたよ、と優雅に微笑む。  
「じ……じゃあ、な…ん……ふっ…ん…んん」  
口を塞がれてもまだ反抗する望美の唇を、弁慶は自分のそれでぴったりと塞ぐ。  
蠢く舌が歯列をなぞり、舌先が咥内を擽って翻弄する。縦横無尽に動くそれは、縮こまる舌を絡めとって何度も舐った。  
食べ尽くすような口付けに、息継ぎの出来ない望美は、苦しげに眉根を寄せて厚い胸板を叩く。  
「ん…君が謀を練って僕に薬を盛るなんて…面白いと思ったんですよ。……ふふ、口付けさえ慣れないというのに、君は僕にあんなことをして…本当にいけない人ですね」  
弁慶が色付いた唇を解放すると、少女は必死に酸素を貪る。  
「はぁ…はぁ…ん…ぁ……弁慶さ…」  
巧みな口付けで腰が立たなくなったのか、漆黒の袈裟に縋りついた。  
「〈復讐〉とは、何の復讐でしょう。…そして、僕以外の誰に現を抜かしていたのか、君が話す気になるまで…付き合ってくれますね?」  
底冷えする琥珀の瞳が、自分に縋りつく少女を見下ろす。  
闇そのもののような袈裟が望美を隠して、三日月の光が届かない場所へと誘う。  
 
 
 
 
 
end  
 

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