眠れないの?  
じゃあ、御伽噺を聞かせてあげるわね。  
そうね、今夜は…以前教えてもらった、このお話にしましょうか。  
    
 
遙かなる時空の御伽噺  
 
 
昔々、とある東国に源氏の棟梁に仕える梶原平三景時という青年がおりました。  
年老いた母と黒龍の神子である美しい妹を支えて、梶原の家を背負い  
武士としても陰陽師としても有能な軍奉行の彼でしたが、  
使えている頼朝様やその奥方の政子様に、毎日のように  
「お前は使えん奴だ」「景時は鎌倉の犬、と呼ばれているのでしょう?そのままですわね♪」  
などと蔑まれていた為、自分に自信を持つことができずに  
「どうせオレなんか…」「オレって中途半端で駄目なやつだからさ」  
と、とても自虐的に過ごしておりました。  
 
そんなある日、大蔵御所で景時が仕事をしていると頼朝様に呼びつけられました。  
また何か粗相をしてしまっただろうか、と項垂れながら御前に進み出ると  
政子様を側に置いたまま頼朝様はこう仰いました。  
「近々京にて、白龍の神子が八葉選定の儀を執り行うそうだ。  
既に七人集まっておるが、地の白虎が見つかっておらんらしい。  
八葉には宝玉が埋まっているが、それが見えるのは龍神の加護を受けた者のみ。  
それ故、身に覚えのある者は京に参られるべしと書状が来おった。」  
じろり、と景時を射すくめるような眼差しで頼朝様は続けます。  
「景時、お前の妹は黒龍の神子であったな。  
八葉に心当たりはないか。もしやお前自身がそうであるなどと…」  
「あら貴方、ありえませんわ。こんなにみっともない景時が  
清らかな白龍の神子を護る八葉だなんて…万が一そうだとしたら、神子がお気の毒。」  
ころころと笑う政子様。  
俯いたまま、景時は鎖骨の間に指を這わせてぎゅっと唇を噛み締めました。  
「政子の申すとおりだな。わしと政子はこの選定の儀とやらを見物に行く事にする。  
白龍の神子とやらがどれほどの者か…楽しみではあるな。  
…何時までぐずぐずしておる、下がれ景時。」  
叱咤され、すごすごと退出する景時を見やって政子様はくすりと笑われます。  
「あの様にうっとおしく前髪を伸ばして…いつまでも情けない男ですわね。」  
 
「白龍の神子と、八葉かぁ…。」  
数日後、仕事をやっと終わらせて自邸に戻った景時は縁側でぼんやりと月を眺めておりました。  
自然と指が、鎖骨の間に伸びます。頼朝様と政子様には見えない様でしたが、  
其処には確かに松葉色の宝玉が存在し、指先につるりとした感触を伝えてきます。  
昔から辛い時や苦しい時に其処に触れると、景時は少しだけ気持ちが軽くなりました。  
自分を助けてくれる宝玉、その宝玉によって繋がっている白龍の神子。  
きっと素晴らしく清らかで、あの月の様に美しい方なのでしょう。  
しかし、景時の脳裡からは昼に政子様が仰った事が離れません。  
「オレみたいにみっともない奴が八葉じゃ、神子様も気の毒だよね…。  
もっと武術に優れていたり、陰陽術が凄かったりする人のほうが相応しいよ。」  
何時もの様に後ろ向きな考え方全開で、景時は京に向かう準備もせずただ月を見るだけ、でしたが…。  
 
「まぁ兄上ったら!まだ旅支度が終わっていないのですか?」  
黒龍の神子である妹の朔が、伴侶でもある黒龍を伴ってやってきました。  
神子の朔には、景時の宝玉が見えていたのでてっきり京に向かうものと思っていたのです。  
「朔、オレみたいな中途半端な奴に八葉なんて務まらないよ…。」  
へにゃ、と笑う景時の顔は朔には見慣れたもので、少々胸が痛みましたが  
今回ばかりはそれに免じるわけには参りません。  
「何言ってるんですか兄上!例え兄上がどれだけ情けなくてぐずぐずしていて  
鎌倉の犬呼ばわりされていても、そこに宝玉がある以上八葉であることは間違いありません!」  
「…朔、事実とはいえ兄上結構傷ついちゃったんだけど?  
今から早馬で飛ばしたって、京に着くまでに選定の儀は終わっちゃうよ。  
それにこんな格好じゃ、恥ずかしくて行けないでしょ。」  
ほら、と両手を広げてみせる景時。  
確かに彼が普段まとっている藍色の単は継ぎ接ぎだらけで(景時が洗濯し過ぎる故でもありますが)  
とても選定の儀に着ていけそうなものではありません。  
「仕方ありませんわね、黒龍。私の願いを叶えてくれるかしら?」  
そう朔が言って傍らの黒龍を見やると、龍神の化身は微笑んで言いました。  
「神子の望むとおりに。景時、式神を出して。」  
「え、良いけど…ほら。」  
景時が銃を使って式神であるサンショウウオを呼び出すと、黒龍は眼を細めて力を解放しました。  
 
「わっ、うわわぁ!!!…ってうおちゃん(式神名)?!」  
眩しい光が薄れると、そこには可愛い式神ではなく一頭の堂々とした黒馬が佇んでいます。  
「それだけじゃありませんわ、御自分の姿をご確認ください兄上。」  
朔に差し出された銅鏡を覗き込んで、景時は危うくひっくり返りそうになりました。  
人となるべく視線を合わせたくないので伸ばしていた前髪は後ろに流され、  
とんでもなく派手な浅葱色の陣羽織が身体を包んでいます。  
耳にも首にも装飾品が散りばめられ、極めつけは陣羽織の下衣。  
「…ねぇ黒龍、何でこの衣装お腹が出ちゃってるの?  
前のより、ある意味ずっと恥ずかしいんだけど…。」  
「私の対である白龍から伝わった。白龍の神子はこのような装束が好みだと。」  
平然とそう言われ、清らかな神子の想像図に軽く亀裂が入ります。  
「ほら兄上、早くうおちゃんに乗って行ってくださいな!  
黒龍の力はまだ不完全ですから、四日ほどしか持ちませんので気をつけてくださいね。」  
朔に促され、中身はともかく外見だけは【華やかで軽薄な源氏の軍奉行】になった景時は  
不承不承うおちゃんに跨り京へ旅立ちました。  
 
 
黒龍の力で変身したうおちゃんはとても素晴らしい馬で、景時はたった二日で京まで辿りつく事が出来ました。  
もちろん景時自身の馬術の御蔭もあるのですが、それに気づく景時ではありません。  
「よく頑張ったね、お疲れ様うおちゃん。」  
ぽんぽんと首筋を叩いてその苦労をねぎらうと、夜桜咲き乱れる  
選定の儀が執り行われている神泉苑へ景時はこっそり立ち入っていきます。  
神泉苑にはいかにも強そうな武士や、腕の立ちそうな陰陽師が何人もいました。  
皆、これ見よがしに宝玉と思わしきものを思い思いの所につけています。  
朔はああ言ってましたが、ここには鎌倉殿や政子様が来ているのです。  
本より八葉の名乗りをする気は景時にはありません。  
「隅っこの方で大人しくしていれば、他の人が選ばれて終わってくれるよね…。」  
目立たない様にしなくては、と決意を固めた景時でしたが彼には大きな誤算がありました。  
 
普段の景時なら「目立たない様に大人しくしている」事ができたかもしれません。  
しかし今の彼の外見は、煌びやかな陣羽織に臍出しという目立たない方が無理な格好です。  
さらに言えばもともと上背もあり、前髪を上げているその外見は衣装と見事にあっていて  
何処からどう見ても立派な美丈夫。さらにその衣装は神子の好みだったりするのです。  
当然、白龍の神子ともあろうものが見逃すはずがありません。  
「あ、いた!貴方が最後の八葉です!!」  
隅の方で俯きがちに立っていた景時は、突然告げられた声にビクッと肩を震わせ顔を上げました。  
 
桜の花弁が舞い散る中、花精と見間違う程美しい少女が真っ白な少年を従えてこちらに駆け寄ってきます。  
目の前まで来た少女は駆けてきた為薔薇色に染まった頬で景時を見上げ、にっこりと微笑みました。  
想像していたよりずっと美しく、しかし何処か親しみやすいその笑みを間近で見てしまい  
景時の顔にも朱が上ります。  
一目見ただけで、景時は白龍の神子にすっかり心を奪われてしまいました。  
 
「はじめまして、私は春日望美です。ええと、一応白龍の神子です。」  
ぺこりと頭を下げられ、つられて景時も頭を下げました。  
「オレ…私は梶原平三景時と申します、源氏の軍奉行を仰せつかっております。  
あの、神子様…私が八葉というのは、何かの間違いではありませぬか?」  
こう言う間も、周囲から羨望と疑惑の眼差しが飛んできて景時をちくちく刺していきます。  
前者は普段の景時を知らない者の、後者は知っている者の目線でしょう。  
「何故鎌倉の犬が選ばれる?」「そんな馬鹿なことがあるか!」  
とひそひそ交わされる言葉も、景時の胸にぐさぐさと突き刺さっていきます。  
「間違っていないよ?景時は兌の卦、地の白虎だよ。」  
神子の横にいた少年が、小首を傾げて微笑みました。強烈な陽の気…おそらく白龍の化身なのでしょう。  
「いえ、ですが私の様な半端な能力しかない者が八葉などと…」  
「いいえ、間違いないです。ほら、証だって此処にありますよ?」  
尚も言い募ろうとした景時の言葉を遮るように、神子の手が鎖骨の間の宝玉に伸びました。  
白い指先でするりと宝玉を一撫でされ背筋をぞくり、と何かが這い上がります。  
声を上げないように咄嗟に唇を噛み締めた仕草を何と捉えたか、にっこり笑って神子は言の葉を紡ぎました。  
「そんな顔しないで、貴方は私の八葉です。神子様なんて固い呼び方もしないでくださいね。  
望美で構いませんよ。ええと…景時、さん?」  
触れたままの指先から、宝玉を通して暖かいモノが伝わってきます。  
その温もりに泣きそうになって、景時は眼を瞬かせました。  
(こんな駄目なオレでも、いいのかな。神子様の…望美ちゃんの、八葉でいても……っ!!)  
不意に注がれていた視線の中に、ひときわ鋭いものを感じて景時は震え上がります。  
「頼朝…さま…」  
 
「どうしたんですか?」  
明らかに顔色が悪くなった景時を覗き込もうとした望美は、しかし突如あがった悲鳴の方を  
はっとして振り向きました。  
「大変だ―――!!!怨霊がでたぞ――――!!!」  
神泉苑の桜に取り付いた怨霊が、人々を喰らおうと襲い掛かっています。  
怨霊は白龍の神子にしか封じる事の出来ない、恐ろしい存在です。  
殺気立った視線を景時に向けていた武士や陰陽師達が、雪崩を打つように逃げていきます。  
もちろん景時も逃げ出したかったのですが、まさか望美をおいていくわけにはいきません。  
「神子様…望美ちゃん、地の白虎以外の八葉はどちらにおられますか?」  
「そんなに畏まった口調でなくても良いですよ。  
皆、今日の選定の為に京の四方を護ってくれてるんです。」  
でも此処に出たからには仕方がないですね。そう呟くと、望美の手に美しい一振りの宝剣が現れます。  
「行きましょう。白龍、景時さん、援護お願いしますね。」  
当然のように怨霊に向かっていこうとする少女を慌てて景時は止めました。  
「ま、待って望美ちゃん!オレ陰陽師としても見習いだし、こんな強力な怨霊封じるなんてできない…」  
「大丈夫です、景時さんは八葉で私は白龍の神子なんですよ?」  
それで後方支援してください、と腰に下げた陰陽術式銃を指さされます。  
もう一度怨霊のほうに駆け出そうとする望美を、景時は必死に止めました。  
「駄目だって!オレが、前に出るから…望美ちゃんは、下がってて。」  
陰の気を発しながらうねうねと枝を伸ばしてくる怨霊はとても恐ろしく、対峙しているだけで腰が抜けそうになります。  
それでも景時は、望美の後ろから攻撃するよりは彼女を背に庇いたいと思ったのです。  
 
少し困ったように眉根を寄せていた望美は、何かを思いついたようで  
景時に向かって手のひらを差し出してきました。  
「じゃあ、二人一緒に攻撃しましょう?怨霊は木属性だしきっと上手くいきます。  
景時さんとは今日はじめて会いましたけど…何となく、できそうな気がするんです。」  
何を、と聞く余裕も無くもう片方の手で引き寄せられ、景時は手袋を嵌めた手を望美のそれと合わせました。  
(うわぁ、ちっちゃい手だなぁ…)  
自分の物と比べて余りにも大きさが違うその手に驚いていると、合わせた手のひらから  
金気がどんどん溢れてきます。  
空いた手で銃を取り銃口を怨霊に向けて、景時は自分でも驚くほどスラスラと呪を口にしました。  
「まばゆき天空より来たれ星辰の王、尊星王招請!」  
溢れた金気を景時自身を媒介にして銃を通して放つと、無数の流星となって怨霊に降りかかります。  
陰陽道の修行中、一度も成功しなかった術が易々とできて驚いていると  
相克である金気の術を受けた怨霊は倒れ、望美によって封印されました。  
 
「神子、景時、凄いよ!二人で倒しちゃったね。」  
白龍が嬉しそうに二人を称えます。封印を終えた望美も、景時を振り返って嬉しそうに笑いました。  
「ね、上手くいったでしょう。これでわかって貰えましたか?  
景時さん、間違いなく八葉です。これからも一緒に怨霊を封印するのを手伝って下さいね。」  
うん勿論、と言いかけた景時の口は背後から感じる気配に縫いとめられました。  
「白龍の神子とは大したものだ…この役立たずから、あれほどの力を引き出せるとはな。」  
「あら、本当に景時が八葉でしたの?お嬢さん、お気の毒ねぇ。」  
頼朝様と政子様。絶対的な主人の方に反射的に跪き頭を垂れる景時とは違い、  
望美は突然景時を貶めだした二人に強い眼差しを向けます。  
「ええと、頼朝様と政子様…ですか?この度は書状を受け取って下さりありがとうございました。  
でも、どうしてお二人とも景時さんにそんな酷い事言うんですか。  
景時さん役立たずでもなければ、私は全然気の毒でも何でもありません。」  
そんな白龍の神子の様子にもまったく悪びれることなく、二人は言葉を続けます。  
「役立たずは役立たずだ、言葉を選んだ所で言う事は同じよ。  
今日は随分と洒脱な格好をしておるが、こ奴の使えなさはわしが一番良く存じておる。」  
「お嬢さん、騙されちゃ駄目よ。景時は普段、もっと冴えない情けない男ですわ。  
陰陽師としても武士としても中途半端。お嬢さんの力を借りないと一人前に呪も成功させられないのですもの。  
もっとちゃんと武芸や陰陽術を極めた人を、選びなおすことをお奨めしますわ。」  
 
「何てこと言うんですかっ!!景時さんに謝って下さい!」  
「望美ちゃん、止めて…本当の事、だからさ。」  
かっとなって詰め寄ろうとした望美の衣の端を、景時は慌てて捕まえました。  
景時には、何故望美がそれ程自分の為に怒っているのかわかりません。  
もどかしげに見下ろしてくる望美の視線にどうして良いかわからずにいると、  
頼朝様がくっくっと笑いながら景時に命じました。  
「まあ良い、今日は面白いものを見せてもらったぞ。  
…景時、お前は八葉である前に――何だ?」  
「頼朝様の、御家人でございます…。」  
「あら、ちゃんとわかっていますのね。  
いくらお嬢さんが魅力的でも、立場を弁えなければ駄目よ景時。  
それでは私達は、鎌倉に戻りますわね。白龍の神子のお嬢さん…ごきげんよう。」  
項垂れる景時に眼もくれず、二人は悠々と去っていきました。  
 
二人の姿が見えなくなって漸く、景時は大きく息をつきます。  
額にびっしりと浮いた汗を拭って立ち上がろうとすると、大きな眼が怒りと悲しみを浮かべて  
景時の顔を覗き込んできました。  
「景時さん、立場を弁えるって…どういう事ですか?」  
膝をついた状態のままで、景時は望美を見上げます。  
「ごめんね望美ちゃん…いや、申し訳ございません神子様。  
私の主君は、私が八葉となるのをお許しくださいませんでした。  
どうぞ主君の仰るとおり、神子様に相応しい有能な方を八葉にお選びください。」  
「何で、何でそんな事言うの?景時さん凄いじゃない、八葉で何の問題も無いよ!」  
「景時、景時はあの二人と居る時、とても怯えてるよ?  
神子の側にいればそんなことない、神子は貴方を傷つけないよ。」  
白龍の言葉はとても魅力的で、頭がくらくらします。確かに望美の側にいられたら  
どんなにか良いでしょう。―――でも。  
 
「鎌倉には!」  
尚も言い募ろうとする望美と白龍を遮る為、景時はわざと大声をあげて二人の声を遮りました。  
「鎌倉には、年老いた母と妹が居ります。私は…役立たずではありますが、  
大切な人たちを裏切るわけには参りません。」  
口には出しませんが、もう一つ理由がありました。  
頼朝様は、自分以外のあらゆる権力を疎ましく思われています。  
そして裏切り者は例え無能な者でも決して許しません。  
何人もの力を持つ者や裏切った者が、荼吉尼天に喰われたのを景時は知っています。  
ここで景時が八葉として望美の側にいることを選んだら、  
間違いなく害は神子である望美にまで及ぶでしょう。  
(それだけは…そんなことだけは、絶対に阻止しなきゃ…。)  
今日会ったばかりなのに、景時を貶める発言に心底怒ってくれた望美。  
それが八葉と引き合う神子の性なだけだとしても…ならばなおさら、自分と関わる事で  
彼女を危険に晒す真似だけはしたくありません。  
「ですから、私は鎌倉の御家人であり貴方の八葉にはなれません。  
どうか、ご容赦ください――っあ?!」  
ズキンッ、と胸元が痛み思わず押さえた手の間から、松葉色の宝玉が零れ落ちて  
望美の足元までコロコロと地面を転がります。  
「あ…宝玉が…」  
望美の手に拾い上げられたそれをしばし呆然と眺めていた景時は、ふと我に帰ると  
「良かった…どうぞその宝玉を、貴方の八葉にお与えください。御前を、失礼いたします。」  
無我夢中でそう告げると、返事も聞かずに神泉苑の外へ駆け出しました。  
「待って、待って景時さん!!」  
背後から聞こえる望美の声を吹っ切るように式神の化けた黒馬に跨り、景時は一気に  
鎌倉へ向かって馬首を向けたのです。  
 
漸く我に帰ったのは、京を離れて大分たって後通り雨に降られてからでした。  
指が、何時もの癖で鎖骨の間に伸びます。  
しかしそこに、もう景時を助けてくれる冷やりとした感触はありません。  
「これで、良かったんだ…。」  
しばし手綱を緩め、景時は天を仰いで冷たい雨を頬に受けます。  
でもいくら雨で洗い流そうとしても、大事な何かを無くした故の涙はなかなか止まってくれませんでした。  
 
 
帰り着いた鎌倉で、以前と変わらぬ生活がまたはじまりました。  
宝玉を無くした事を最初朔は景時に問い詰めましたが、その憔悴振りと  
黒龍の「あまり追い詰めてはいけない」という言葉に何もできませんでした。  
時々何かを乞うように月を見上げていたのも止めてしまい、  
下ろした髪の向こう側に見える眼が日に日に淀んでいく景時。  
「このままでは、兄上は壊れてしまうわ。」  
もどかしさについ黒龍に涙目で訴えると、黒龍は柔らかい笑みを浮かべて朔を覗き込みます。  
「大丈夫。私の対と、貴方の対が、景時を探しているから。直に此処まで辿り付くよ。」  
 
 
それから数日後。いつもと同じ様に、景時は大蔵御所で仕事をこなしていました。  
有難い事に頼朝様は白龍の神子に興味を失った様で、彼女の話も出てきません。  
ただ、諦めたはずなのに景時は何度も何度も望美の姿を瞼の裏に描き出してしまいます。  
京より遅く咲き出す桜を見れば思い出し、月を見ればまた思い出します。  
もうこの眼が何も写さなければいいのに、と寝床に潜れば夢に見る始末。  
すっかり睡眠不足になってしまった景時は、ふらふらしながら文机に向かっていました。  
「大蔵御所に侵入者だ!皆、武器を持て!!」  
そんな景時を叩き起こすように、警備の者の叫び声が響きます。  
(随分大胆な侵入者だなぁ…いっそ、オレの事斬ってくれれば楽になれるかも。)  
疲れ果てた心にそんな思いを抱え、景時は銃を片手にふらりと侵入者の下まで出向きました。  
 
(これって、夢の続き?それともオレ、どっかおかしくなって幻でも見てる?)  
庭で侵入者と対面した景時は、自分の眼が信じられずにいました。  
警備の者を華麗になぎ払い、景時を見て満面の笑みを浮かべたのは…間違いなく白龍の神子。  
「あ、いた!景時さん、やっぱり此処だったんですね!  
源氏の軍奉行って言ってたから、京かここだろうと思ってたんですよ。」  
景時はあの時と違い髪を下ろして地味な単に身を包んでいます。何より宝玉がもう付いていません。  
「なん、で…君は、オレなんか追いかけてくるの?オレはもう君の八葉じゃないのに…。」  
「一目惚れ…って言ったら笑います?今の髪下ろしてる景時さんも、可愛くて惚れ直しましたけど。  
私にとっては景時さん『なんか』じゃなくて、景時さん『だから』  
例え八葉じゃなくなっても追い掛け回してるんです。」  
でもね、と望美は懐から見覚えのある松葉色の玉を取り出し、景時の鎖骨の間にそっと押し付けます。  
失ったはずの感触にひくり、と震える景時を下から覗き込みさらなる追い討ちをかけました。  
「やっぱりこれがないと、なんだか落ち着かないですよね。  
『貴方の八葉に宝玉をお与えください』って景時さん言ってましたから。  
だから渡しに来ました。ちゃんと受け取って下さいね。」  
「あ、あのね望美ちゃ…じゃない神子様。オレは朔と母上を裏切るわけには」  
「あ、それなら問題ないです。白龍に頼んで、景時さんの妹さんとお母様は京に移動してもらいました。」  
しれっと言ってのける望美に、景時のほうが驚きます。  
「の、の、望美ちゃんっ?!!」  
「黒龍もいたから、結構簡単にできましたよ?妹さんもお母様も、諸手をあげて賛成して下さりました。  
今の景時さんは見てられないって、景時さんが幸せになるなら喜んで京でも何処でも行きますって。」  
 
「まぁ…意外と侮れませんわね。でも私が、黙ってお嬢さんと裏切り者を見逃すと思って?」  
 
庭に面した廊下から、政子様が心底驚いたといった顔で出てきました。  
「誰かと思えばお嬢さんだったのね。景時なんかの何処が良くてそんなに情熱的なのかしら?」  
「政子さんに理解していただく必要はないです、頼朝さんから鞍替えされたら困るもの。」  
間髪居れず切り返され、政子様は大いに笑いました。笑いながらも、  
その身体から力溢れる異形の神が姿を現そうとしています。  
「駄目だよ望美ちゃんっ!!君だけでも早く逃げてっ!」  
「大丈夫ですよ景時さん、白龍も黒龍も力を貸してくれます。後は貴方だけ…貴方の心次第なんです。  
だから、この手に応えて。私と一緒に戦って下さい。」  
片手で宝玉を押し付けたまま、望美はもう片方の手をすっ、と伸ばしてきました。  
神泉苑で怨霊を倒した、あの時のように。  
 
(オレの…心次第?)  
景時に向かって差し出される手は、やはり小さな物でした。  
こんな小さな手で、望美は景時を捕まえようとあれこれ手をうってきたのです。  
「オレは…独りじゃ逃げ出す事もできなくて。望美ちゃんに全部お膳立てしてもらってやっと  
戦えるかもしれないって思う事ができた情けない奴だけど。」  
手を伸ばし、望美の手をぎゅっと握ります。  
「それでも、君の側にいていい?君を―――護りたいと思っても、いいのかな。」  
ぱぁっと笑みを浮かべて望美が頷きます。  
すると押し当てられていた宝玉が、黒龍が力を解放した時と同じ光を放ちました。  
「わわっ?!あれ、この格好…。」  
光が静まると、景時の姿形は神泉苑に居た時のものに変わっていました。  
勿論、鎖骨の間にしっかりと松葉色の宝玉が納まっています。  
「ふふ、さっきまでの景時さんも可愛かったけどやっぱりこの格好が素敵ですね。  
――さあ、力を合わせてください!」  
握り締めた手から、前よりずっとずっと強い金気が流れ込んできます。  
「うん、お手柔らかに頼むよ、望美ちゃん。」  
完全に姿を現した荼吉尼天。ただ怯え恐れ、逆らう事なんて全く考えもしなかったそれに  
景時は躊躇い無く銃口を向けました。  
 
 
こうして、再び八葉となった景時と白龍の神子望美は  
京で景時の家族と一緒に、何時までも幸せに暮らしましたとさ。  
目出度し、目出度し――――――。  
 
「…ん、むぅ…。」  
不思議な夢から目覚めてみれば。  
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、松葉色の宝玉と緩やかに上下する胸板。  
聞こえる寝息は穏やかで、景時さんはまだぐっすり眠ってるみたいだ。  
(それにしても、変な夢だったなぁ。)  
時空跳躍を繰り返すうちに積もった記憶は、時々混ざり合って酷くリアルな夢になる。  
でも今回のが妙に物語仕立てだったのはきっと、  
眠れない、と朔が黒龍にせがまれて話して聞かせた、以前私自身が朔に教えた私の世界の御伽噺の影響だろう。  
王子様にあたる立場が私になってたのは、我ながら少し笑ってしまうけど。  
(それに、やたらと宝玉が強調されてたのって。)  
かぁっ、と頬が赤くなる。思い当たる節はあるのだ。  
それもこれも、寝る前何時も通りに肌を合わせようとした時に景時さんに  
「…たまには望美ちゃんからしてみる?」  
と低い声で強請られて、半ば自棄になって鎖骨の間の宝玉を舐めてみたら。  
(あんな、艶っぽい声出すなんてずるい!もうもうもうっ)  
夢は願望が形になったもの、なんて知識が浮かんできて余計にじたじたしてしまう。  
「あーもうっ、景時さんのばかばかばか――――っ」  
 
「…オレ、望美ちゃんに何かしちゃった?」  
ついぽこぽこと握り拳で胸板を叩けば、いくら熟睡してたって起きて当然。  
寝ぼけ眼で見つめてくる、綺麗な松葉色。宝玉と同じ色の…。  
「何でもないですっ!まだ朝じゃないし、おやすみなさい!」  
どうしたらいいかわからなくなって、くるりと背を向けると  
景時さんの腕が、後ろから抱きしめてくる。さらに寝起きの擦れた声で、耳元で囁かれた。  
「叩き起こして何もない、はないでしょ?そうだね、まだ夜明けじゃないみたいだし。  
…もう一度、する?望美ちゃんが良くしてくれたから、今度はオレが…ね。」  
断れるわけないのに、景時さんってばホントずるい。  
(夢の中だとあんなにへたれだった癖に――!)  
言葉に出せない絶叫の代わりに、唇に触れてきた大きな手に軽く噛み付いた。  
 
 
龍神の神子と八葉の地の白虎は、いつまでも仲良く暮らしましたとさ。  
こうして貴方と一緒にいられるのも、きっと。  
逆鱗が紡いだ運命の中の一つ――――幸せな、御伽噺なのでしょう。  
 
 

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