兄上の葬儀が行われてから、もう三日。  
望美がこの寺に与えられた部屋からは、ことりとも音がしない。  
「葬儀を穢した」という罪状で軟禁されている望美だけど、  
その胸のうちを思えば、こうやって食事を届ける事すら  
必要の無い事かもしれない。  
それでも私は、粥を乗せた盆を手にこの部屋の前まで来た。  
「望美…お願い、どうか食事だけでもとって頂戴。」  
貴方を…貴方まで、死なせたくないのよ。  
 
 
どうか、遠い何処かで。  
 
 
三日前の京、ちらちらと雪が降りしきる中で兄上の葬儀は始まった。  
命を賭して軍を救った英雄、と祭り上げられた其の葬儀には  
源氏の総大将名代の九郎様、軍師弁慶殿。  
さらには鎌倉殿や政子様まで参列され、盛大に執り行われた。  
ただただ源氏の威光を示す為の式をぼんやりと眺めながら、  
私はふと、寺で御仏様に手を合わせていた対に思いを馳せる。  
(望美は…参列したかったのかしら。)  
屋島より京に帰陣して以降、日に日に弱弱しくなって行く望美。  
彼女自身が辛かろうと、今日は滞在中の寺に白龍とともに置いてきた。  
「うん、ありがとう朔。ここでお祈りしてるね。」  
儚い、と言う表現が余りにもしっくりくる笑みは  
見ているこちらの胸を掻き毟り…私は涙を何とか堪えながら寺を出たのだ。  
(望美自身が区切りをつける為にも、本当は参列した方が良かったかもしれない。  
でも、あんなに儚くなっている望美を、此処へは連れてこれないわ。)  
豪奢に飾り立てられた会場と棺。中に入るはずの兄の身体は、屋島で永遠に失われた。  
(兄上、兄上は…本当に、これで安らかに眠れるのですか?)  
 
 
ふいに場がざわめいた。  
御家人に半ば引き立てられ、舞台の上に細身の少女が姿を現す。  
「なっ…望美っ?!」  
鎌倉殿と政子様の御前に作られた、奉納舞の舞台。  
白い弔い装束を纏い黒い扇を持たされた望美の顔色は、紙の様に白い。  
「望美!?どうしてここに?」  
「…鎌倉殿のご意向でしょう。酷い事をなさる…。」  
眼を見開く九郎様。  
その横で、弁慶殿は見ていられないとでもいう様に顔を背けた。  
「鎌倉殿は、望美さんを…白龍の神子を、殺してしまわれるつもりか。」  
「弁慶、どういう事だ?望美には何の罪状も無い、  
この場であいつを処刑するような事、いくら兄上でも名分がたたない…」  
「見ていればわかります。いいえ…僕達は見ている事しか出来ない。  
景時の御蔭で軍の損害は最小限ですが、屋島は負け戦。  
敗軍の将である僕達には、鎌倉殿を止める事はできません。」  
いつもは感情を露にしない弁慶殿が、辛そうに眼を瞑る。  
「いいですか、九郎。人を殺す方法は二種類あるんですよ。  
その身体を殺すか…その心を、殺すか。」  
 
「白龍の神子よ…我ら源氏軍の英傑、梶原平三景時の  
御霊を鎮める舞を、今此処で披露せよ。」  
頼朝様の下知に、私は思わず声を上げ立ち上がった。  
「なっ…どうして望美がそれをしなければならないのっ!!」  
鎮魂は、黒龍の神子である私の役目。  
封印を司る白龍の神子の責務では、絶対にないというのに!  
「あら、だって景時はあのお嬢さんを慕ってたのでしょう?  
お嬢さんだって…でしたら、舞わせてあげても良いのではなくて?」  
くすくすと笑いながら政子様が仰る。  
(政子様は…全てご存知で仰っているの?)  
「朔さん、どうか落ち着いてください。」  
私の肩に手をかけ、弁慶殿が座らせようとする。それでも許せない。  
それがどんなに辛い事か。政子様に…同じ女に、わからないはずがないというのに。  
 
「…朔、大丈夫だよ。私、舞えるから。」  
舞台に駆け上がろうとする私の足を止めたのは、弁慶さんの手でも  
頼朝様、政子様の視線でもなく…小さく、力強い声。  
「景時さんの為、でしょ?舞わせて頂きます。  
鎌倉殿、政子様。温情をありがとうございます。」  
扇を舞の形に構えて望美は笑った…力なく、それでも透き通るように美しく。  
「まぁ、本当に強くて可愛らしいお嬢さんね。  
…でもね、舞う前にしなくちゃいけないことがあるわ。」  
ほんの一瞬、労る様に眼を細めた政子様。でも底知れない笑みを湛えて  
棺の方を…空のはずの、棺を手に持つ扇子で指し示す。  
「舞う前に、景時に触れてその無念を払いなさいな。  
鎌倉の穢れを払った貴方になら、造作も無い事でしょう?」  
 
「っ!!政子さ…」  
「九郎、堪えてください!」  
耐えられないとばかりに立ち上がろうとした九郎様を、力任せに弁慶殿が押さえつけた。  
「兄上に触れる?だって棺は空なのでしょう…?」  
嫌な予感…全身に寒気が走り、思わず身体を抱きしめる。  
ふらふらと棺に近寄る望美。その姿を見やり  
拳を握り締め歯を食いしばりながら、九郎殿が唸るように言葉を零す。  
「あの中には、陰陽師が作った式が入ってるんだ…。  
源氏の威光を示す為、遺体の無い葬儀等ならぬ、と兄上が命じて造らせた。」  
 
「ーーーーー!!!望美、だめっーーーー」  
私の制止の叫びは、間に合わなかった。  
「…景時、さん?」  
小さな後姿が、棺を覗き込んでガクガクと震える。  
「どうした龍神の神子、早くせぬか。」  
感情など一切篭らない頼朝様の声。望美はその手を伸ばして…棺の中に、入れて。  
「かげとき、さん…」  
ふらり、とその場に倒れこんだ。  
 
「望美っ!!!」  
今度こそ弁慶殿の制止を振り切り、望美の元へ走りよる。  
顔色は白を通り越して真っ青。抱き上げた身体からは血の気が引いて、  
驚くほど冷たくなっていた。  
「…朔…ごめん、ごめんね…」  
「貴方が謝る必要が、何処にあるというのっ?!」  
「うむ、黒龍の神子と二人で舞うのも良いだろう。景時もさぞ、喜ぶであろうよ。」  
望美の状態を見て、舞う所ではないとわからない筈が無い。  
それでも頼朝様は…愉快そうに、そう仰った。  
(こんな…こんな事ってっ!!!)  
言葉も無く、望美を抱く腕に力を込める…頼朝様と私達の間の視界を、  
ふいに清浄な白が遮った。  
「神子の気が、乱れているよ…このままでは消えてしまう。」  
悲しそうな白龍。そうね、今は一番貴方が彼女の事をわかっているわ。  
白龍の腕に望美を預け、私は望美が取り落とした扇子を持って頼朝様に向き直った。  
「龍神もこう仰せです、白龍の神子は寺で休ませた方が宜しいかと。  
弔いの舞は、黒龍の神子である私が舞わせて頂きます。」  
詰らない、とでも言いたげに顰められた顔は直にもとの無表情に戻る。  
「…仕方があるまい。白龍の神子は、そのまま寺へ幽閉せよ。」  
 
「望美…入るわよ。」  
あんなに酷い状態から三日も飲まず食わずでは、身体が持つはずがない。  
襖を開ける為、手をかけようとしたその時。からりと三日開かなかったそれが動いた。  
ふらり、と部屋から出てきた望美を思わず抱きとめようとして…手を引く。  
触れる事すら躊躇うほど真っ白な神気に包まれながら、望美はそのまま庭に下り…こちらを振りかえって、笑った。  
「朔…ごめんね。私、やっぱり諦められない。  
だから、行くね。」  
「ーーーーーっ望美、のぞみっ!!」  
袂から白い何かを取り出し、天に向かって差し出す。  
その唇がさよなら、と動いた瞬間、眩い光が視界を覆いつくして…それが消えた時、望美の姿も忽然と其処から消えていた。  
 
 
あの時の光は、どうやら京中を覆いつくしていたらしく。  
「戦奉行を失った白龍の神子は、嘆きと共に天に消えた。」  
という寺の報告は頼朝様に受け入れられ、源氏の士気を高める為にまた人々の間に広まった。  
兄上はさらに祭り上げられ、死後も頼朝様の意のままに使われている。  
兄上の妹である私は、尼僧である事を理由に寺でひっそりと暮らしている。  
消える直前の、対の顔を思い出す。  
あれは、嘆きなんかじゃなかった。望美は「諦められない」と言った。「だから行くね」と笑ってた。  
何を、とも何処へ、とも聞けなかったけど。  
兄上が無くなってから、一度も見る事が出来なかった笑みを残していった望美。  
きっと望美は彼女が失いたくないものを、彼女だけが出来る方法で救いに行ったのだ。  
「そうよね、望美?」  
ひらひらと舞い降りる、雪を見ながら独り呟く。  
何処か、此処でない場所でも。二度と会えないほど遠い所でも。  
貴方がそこで、幸せである事を私は祈るわ…。  
 
「…く、朔〜。」  
ふ、と舞い散る桜に囚われていた意識を戻すと  
見事なまでにでれでれした兄上が、紙を片手に私を呼んでいた。  
「朔ってば、何度呼んでも気づかないんだものな〜。  
ところで、この中でどれがいいかな?此処まで絞り込んだけどオレもう決められないよ。」  
「兄上ったら…しっかりしたと思っていたのに。  
ご自分で決めてください。早くしないと、名が決まる前に産まれてしまいますよ?」  
そんな殺生なと大げさに嘆く兄上を放っておいて、お腹の大きな義姉上の下へ行く。  
神宛泉の見事な桜の下、舞い散る花びらを何処か遠い眼で見ていた望美は  
私に気づいてにっこり笑った。  
「随分熱心に見てるけれど、どうしたの?」  
「うん…桜の花びらが散る様子って、なんだか雪が降っているみたいに見えない?」  
先程思っていた事を口に出され、驚いた私を望美は不思議そうに見返した。  
「どうかしたの?朔。」  
「ええ、ちょっとね。私もつい先程、同じ事を考えていたのよ。  
…あら望美ったらどうしたの?」  
急に抱きつかれて、慌てて望美を支える。小さな小さな声で望美は言った。  
「…朔。私今幸せだよ。」  
ふいに何故か涙が出そうになったけど、流すべきじゃないと誰かに言われた気がして  
代わりにぎゅっと望美を抱きしめる。  
「あ〜、朔。望美ちゃんを俺に返して欲しいな〜。」  
「邪魔です兄上、子の名が決まるまで望美はお預けにさせてもらいますね。」  
「あ、それいいかも。景時さん、何時まで経っても決めてくれないんだもん。」  
「二人とも酷いよ〜!」  
 
ころころと二つの笑い声が、神宛泉の青と桜色に染まった空に響いて溶けていった。  
 

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