「ふぅ……いいお湯」  
 ちゃぷちゃぷと岩で囲われたお湯を意味もなく掻き混ぜると、ただの水とは違う少  
しとろりとした感触が浸かっている肩や鎖骨に当たり心地よかった。  
 熊野川の氾濫で足止めされている事は痛いが、宿の多い熊野では頻繁に温泉に  
浸かれるというのは、望美としては嬉しいかった。  
「それにしても、あの怨霊をなんとかしないと」  
 と、彼女が目を落としたのは先ほどお湯の中で遊ばせていた自らの手であった。  
 正確には、水中にひきずりこまれた時に出来た手首の痣である。  
 それは薄いとはいえ手首だけでなく、二の腕や足首、太腿にまであり、あまり見  
ていて気持ちのいい物ではなかった。  
 幸い骨などには異常はなかったが、半日以上たった今でも締め付けられた時の  
感触はすぐに甦ってきて、痕が残ってしまうのではないかと不安になってしまう。  
「きっと、大丈夫だよね」  
 うん、と誰に言うでもなく頷いて、湯船を出た少女の背にも一筋の痣が。  
 濡れた身体から滴る水滴がつぅっとその上を滑った瞬間、その紐のような模様が  
不気味に蠢いたのだった。  
「もう朔も、寝ちゃっただろうな」  
 実は今、時刻はかなり遅く、この宿で彼女以外に起きている人間など皆無だったのだ。  
 それもそのはずで、望美は水中にひきずりこまれたり何だりの疲れから、夕食後  
に眠ってしまい、今の今までぐっすり寝ていたのだ。  
 起きたとき、横ではちょうど朔が就寝準備をしていた。  
 ぺたぺたと音を立てながら、脱衣所へ続く簾をくぐろうとしたその瞬間。  
「ッ!!」  
 背後からすさまじい力で引き寄せられた。  
 え、と思う暇もなく、望美に見えたのは月、夜空。  
 そして、目の前でゆらめく何本もの気味の悪い物体だった。  
「これは!」  
 二度目の対面に驚きは少なくなっていたが、焦りは大きかった。  
 丸腰のうえ、仲間もいない。  
 しかも、引き倒された衝撃に気をとられていたが、腕や脚もあの時のように巻き  
つかれて自由を奪われているのだ。  
 唯一拘束を受けていない首を振り、身体をよじって脱出を図るも、固い弾力の前  
には抵抗とも呼べぬほど非力であった。  
「っく、一体どこから……」  
 表面が両生類のようにぬるぬると光る触手はじっと見つめるのは遠慮したいの  
だが、手首を絡めているそれがどこから来ているのかは確かめなければいけない。  
 だが、左右どちらもなぜか望美の腕に沿うようにして伸びていて、背中側に消え  
てしまっているのだ。  
 苦しいながらも必死で首を伸ばして見た足も似たようなもので、先端は見えるの  
に元がどこにあるのかわからない。  
「隠れてないで出てきなさいよ!」  
「気の強い神子ねぇ」  
 ぞわり、と背筋を撫でる感触と共に耳元で聞こえた声に、一瞬にして鳥肌がたった。  
 反射的に声のした方に眼をやった望美は、そこに腕や脚を戒めている触手よりも  
一回り太い触手を見つけ、顔を青くした。  
 昼間はなかった形の触手は、明らかに男性器を模した形をしていたのだ。  
 もちろん、微妙な違いならある。  
 人間なら皮の部分であるその周囲には小さなイボが並んでいて、醜悪でしかない。  
「あらあら、そんなに怯えなくていいのよ。すぐに気持ちよくなるから」  
 笑いを含んでいる言葉に、恐怖よりも焦りが強くなる。  
「な、何考えてるの。気持ち悪い!」  
 到底受け入れることなど出来ない、出来るわけがないことをされようとしているのに、冷静でなどいられるわけがなかった。  
「ふふ、そう言っていられるのも、今のうち。すぐに自分から欲しがるようになるわ」  
 

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