ごろん、と床に寝転がれば天井が見える。
宿屋だし、のんびりとこのまま夕寝としゃれ込もうか…とヒノエが目を閉じかけたとき、上から降ってきたのは天敵の声。
「寝てると踏みますよ?」
がばぁっと身を起こし、即座に距離をとったことは言うまでもない。
弁慶は『おや、嫌われてしまいました』なとど言いながら、わざとらしく肩を竦めている。
相変わらず自分で遊ぶこの態度が気に喰わない。だが、勝てない戦をするほど彼は馬鹿ではなかった。
「そういえばさ、あんなの敦盛にやって大丈夫だったのかよ……下手に襲い掛かって、あいつらの関係が壊れたらどうするんだ」
望美が敦盛にと手渡していた薬袋の存在を思い出し、そう訊ねる。
すると弁慶は、何を言っているのだと言わんばかりに溜息をついて、一言。
「壊れたりなんてしませんよ。あれは改良したものですからね」
はい?、とヒノエの思考が一瞬固まった。
その様子を見た弁慶はにこにこ笑顔を浮かべと、ご丁寧にも上機嫌で解説をしてくれる。
「君が知っているのは、前に作ったただの媚薬―――肉体的に衝動を起こさせるものです。今日あげたのも媚薬といえば媚薬ですが…」
そこまで言えば、にこりと。
まさに名づけるならば『微笑み爆弾』と言うべき極上笑顔(ただし邪気100%濃縮還元)を浮かべて言い放った。
「改良を加えて、精神的に効果を出すようにしてみました。とは言っても強力ですから、彼女を抱かずにはいられなくなるでしょうがね」
「……オレ、アンタの作った飯だけは一生絶っ対喰わねえ…」
心なしか青ざめた顔で呟いたヒノエ。
僕が、媚薬を媚薬だとわかるように作って盛るとでも思いますか?禍根が残るでしょう。
さらりとのたまった彼の叔父は、戦友であるどこぞの軍奉行のように、今にも鼻歌でも歌いそうな雰囲気を纏っている。
「愛が深い分だけ、欲望も深まりますからね。明日は望美さんのための、腰痛を和らげる薬を持っていかないと」
いそいそと、混沌とした薬袋の中身を漁る弁慶。
ヒノエはどこにやりましたかねー、などと言う薬を探す声を聞きながら、後で胃痛の薬を買って来ようと心に決めたのだった。
―――しゅる、と帯が解ける音。次いで、布がこすれあいながら脱ぎ落とされていく音。
気恥ずかしさから背を向けたままだから、余計に音が耳に響く気がする。ぎゅ、と身を包む薄い布を引き寄せて、望美は煩く騒ぐ心音を抑えようと深呼吸した。
敦盛が衣を脱ぐ間、どうしてもとわがままを言って借りた(むしろ奪った)彼の薄絹は、かすかに香の残り香がする。
身を隠す役目はほとんど果たさないけれど……やはり、一糸纏わぬ身で待つよりはましだ。
「やはり…怖いか?」
「……少し。やっぱりその、…経験がないから……」
空気が動き、敦盛がすぐ後ろに来たのがわかる。
勇気を振り絞り振り返ろうとした時、ふわりと腕が回されて抱きしめられた。
「一般の基準を知らないから、私もあると言えるかはわからないが…出来るだけ、善処する」
何を、とは言わない。だが何を示しているかくらいは察せる。
その気遣いに、望美も小さく笑って頷く。少しだけ緊張がほぐれた気がした。
最初はついばむ様な口付けから始まって、だんだん深くなる。
苦しくなったら息継ぎに一瞬離して、また重ねる。今まで触れ合わなかった分を埋め合わせるように、何度も何度も。
そして褥に横たえられて、神子、と呼ばれた。目を開けば驚くほど近くにある、やはり公達なのだという事を感じさせる彼の、整った顔立ち。
今更なのに、躊躇いがちに呼ばれるとくすぐったさがこみ上げて。望美は、返事の代わりに背中へと手を這わせた。
衣がなくなって、戒めの鎖が敦盛をどう縛っているのか一目でわかり、心が痛む。
だがそれ以上に、他人より華奢ではあってもやっぱりおとこのひとなんだ、と思った。自分と違うつくりの身体を、面白そうに彼女の指が撫でる。
「やっぱり女の子とは違うんですねー……ちょっと、硬いです」
「神子…あまり、私の理性を飛ばすようなことを言わないでくれ…」
敦盛は、くすくすと笑う彼女にそう懇願した。
ただでさえ、今まで抑圧してきていたものが破裂しそうなのだ。ぎりぎりで保っている理性が消し飛べば、何をしてしまうか。
「……言っただろう、私は獣(けだもの)だと。そのようなことを言われたら、優しく出来る自信がない」
「ん……っ」
唇を下へずらし、首筋に紅く痕を残す。
甘い痺れと、彼の長い前髪が肌へ滑る感覚に、望美が小さく声を上げた。
じゃらりと鎖の音を伴って、ひんやりとした冷たい手も肩から滑り降りてくる。
硬い鎖と、傷つけぬようそっと胸元に触れる敦盛の手。双丘は異なる二つの刺激により、じわじわと甘い熱を望美の深奥に生じさせる。
甘ったるく、痺れていく思考。漫画や小説で描かれていた感覚って、こういうことなんだろうか?
そう思い時折うわ言のような甘い声を上げながら、熱に浸っていた望美。
だが急に、電流のように走った刺激に悲鳴を上げた。
「―――ふぁ…っ!?」
「神子……?」
彼女の悲鳴に、気遣う様に敦盛が顔を上げる。
「もしかして…痛かっただろうか?」
首筋に、胸元に散らした己の痕。白い肌に映えるそれは敦盛の目には美しく映ったが、与える側と与えられる側では感覚は異なる。
幼い頃の、知識として熊野で聞き齧った大半を占める愛撫が、やはり間違っていたのだろうか…と不安を覚えた。
元服を終えて添え伏しもついていたから、無経験と言うわけではないが。
かと言ってこの手にほとんど関心を示していなかった敦盛の経験は、自分が求めてというより添え伏しに襲われたに近いものがあった。
だから自分から女性の身体を開いた実践はなかったし、相手は百戦錬磨だったから今は、ほとんどが手探り状態。
すまなそうに視線を逸らした敦盛に、望美は蚊の鳴くような声で答えた。
「や、……ちが、違うの…そうじゃないけど」
敦盛は僅かに首を傾けて、言葉を待つ。
言える訳がない、先ほど走った感覚への正直な感想など。
触れられた箇所が熱を持ち、甘く疼く。もっと触れて欲しいと求める身体。
はしたない女だと思われたらどうしよう、と。
望美は杞憂するが、それを聞いたところで敦盛は喜びこそすれ、疎まれる事態など起こる筈もないのだが。
言葉を続けられず沈黙する彼女に、ふと揶揄するように彼が問いかける。
「…なら…もしかして、悦んでくれたのだろうか?」
「…………敦盛さんって…イジワルです…」
ややあって、ぽそりと返された睨み混じりの返答。
けれど頬を染めてのその答えは、彼を煽り立てる材料にしかならない。
「私は獣(けだもの)だからな。長くお預けを食らっていれば、意地悪もしたくなる」
不安が消えたせいで自信をつけたのだろう、ふ…と笑って告げる様は、どこか彼の悪友を思わせた。
そしてもう一度、同じように―――笛を吹く時のように、胸の先端を飾るものに唇を寄せる。
「ぅ、ん…っ」
ぴく、と身を跳ねさせた反応に笑う。
自分の奉仕で、気持ち良くなってくれているのか。甘い声に気を良くした様に、飾りを啄ばみ空いた胸を攻める手を強めた。
繰り返すほどに高く、艶を増していく声はもう、嬌声そのもの。
そしてつうっと腹部から這わされていく繊細な指が、彼女の聖域へと触れた。
「あなたは…良い音を奏でるな。もっと奏でてみたくなる」
敦盛に与えられた熱で、そこは僅かに蜜を湛えていた。
羞恥と言葉に目を見開いた望美が、狼狽したように首を振る。
「え、ちょ…やだ、敦盛さんっ」
意図を察した彼女が、腿を閉じるその前に。つぷ、とその場所に指が浅く沈みこむ。
異物を受け入れた身体が背をしならせて、甘みが消えた悲鳴のような声が耳朶を打つ。
「あぅ……や、痛ぁ…!」
敦盛はその声を唇を重ねて、己の口腔の中で食い殺した。
褥をつかむ望美の指と、強張った身体。慣れぬ行為に拒絶を示す彼女の声をそうして掻き消し、探るようにゆるゆると指を動かす。
きつく締め付ける内側は、僅かではあるがほぐれていた。なるべく痛まないように気を使いながらも、中を擦り上げ望美が反応する場所を探していく。
締め付けの抵抗を受けながらも、二度三度と。繰り返して。
「―――ひゃ、ぁんッ!!」
望美がある一点に触れた時、高く啼いた。
唇を重ねたままでの、くぐもった声ではない。身をそらした時離れた一瞬の間に放たれた嬌声。
それが、敦盛に『ここ』なのだと教える。
「神子、ここなのだな。私の手で……もっと、音を上げて欲しい」
「や、ぁ、…だ、駄目…っ…んぁっ!」
笛を奏でる指先が、望美の弱いところを攻め立てる。痛みをかき消すほどの鮮烈な悦びが、背筋を伝い望美の脳髄を熔かしていく。
耳元で熱を持つ声に囁かれ、身体はまるで、彼に奏でられるように攻め立てられ。
望まれるままに嬌声を上げながら、擦り切れそうな意識を必死で繋ぎとめて。その彼女の耳朶をやわく甘噛み、敦盛は告げる。
「一度、達しておいた方がいい。その方が痛まないらしいから……」
追い立てるように、動きが早まる。あつく熔かされ、蜜を湛えた泉が動きにあわせて水音を立てた。
湿る蜜の音、こすれあう鎖の音。そして己が上げる嬌声。望美の意識はそれらに飲み込まれ、溺れていく。
そして止めとばかりに、深く弱いところが抉られ。
「ひぁ……ん、あ、あぁ…ぁああっ―――!!」
身を震わせて、彼女はゆっくりと白い闇へと意識を沈めた。
ちゅんちゅん、ぴちちち。
あれ、これって何の声だっけ?と望美は思う。―――ああ、小鳥の声?
「ん……」
重たい瞼を持ち上げる。元々朝には弱いから、これは彼女にとって随分な重労働だった。
目の前には白い肌。視線を上へ向けると、自分を抱えてまだ夢路を辿る敦盛の顔が見える。
(あ、そっか…私たち……)
ぼふん、と湯気でも立ちそうな勢いで紅潮する顔。
結局あの後、彼の望み通り契りを交わしたのだった、自分たちは。
昨夜の事はあまり覚えていない。白い靄の中をひたすら走ってしまったようで、精一杯だった。
敦盛が優しかったのと、……初めてと言うのに何度も求められてしまったことは覚えていたが。
戦いで痛みに慣れていたせいなのか、しっかり慣らしてくれたからかはともかく、予想より痛みも少なくて。
だが、これでまた一つ、絆の関を突破できたんだー…などと、幸せの余韻に浸りつつ身を起こし掛けたとき。
「―――っ、いったぁ……っ!?」
ずきり、と腰に走った痛みに、彼女は身を起こせず褥に倒れこむ。
その声と衝撃に、微かに唸って敦盛が薄目を開けた。
「神、子……? …どうかしたのか……?」
「あ、あはは…おはよーございます、敦盛さん。ちょっと腰を打っちゃって」
よもや腰痛で起き上がれなかったんです、などとは言えない。
原因は間違いなく、彼なのだろうが…言えばきっと、自分を責めて落ち込んでしまうだろう。
「そうなのか…今日も弁慶殿が来てくれると言うし、診てもらってはどうだろうか」
そうします…、と答えながらも、望美は心中で何度も彼に謝っていた。
ごめんなさい敦盛さん嘘をついて。でも、今度からはもう少し加減してください。
あいたたた、と腰を擦る彼女に、敦盛はただただ心配するだけだった。
色の白い肌は、赤く染まった時とても判りやすいものだ。
旧友に無理やり昨夜の出来事を白状させ、ヒノエはにたりと笑った。
成る程、少しすっきりしたような顔に見えたわけだ。馬鹿正直に弁慶の薬を飲んで、その効果に当てられたのだろう。
しかも敦盛は、三草山での治療で判明したとおり、薬が効きやすい身体。どうなったかなど、容易に想像がついた。
「ま、良かったじゃないか。これからは少しは言い出しやすくなるだろ?」
「……君には関係ない」
敦盛は憮然とした顔を背ける。そして続くヒノエの爆笑。
屋根の上へと場所を移しても、昨日と同じような状況を繰り返し、二人は対照的な表情を浮かべていた。
「…でもさ敦盛、一つだけ言っとく」
笑いを収めたヒノエの真剣な顔。
真面目な話だ、と前置きされる。彼も思わず居住まいを正し、耳を澄ませた。
「…………ひと晩にそれだけヤッたって、ちょっとやりすぎだぞ?」
「……すまない」
―――敦盛は居たたまれないように俯いた。
ぺた、と濡れた草が腰に当てられる。その上から、湯で絞った濡れ手ぬぐいを巻いて固定。
「はい、これでいいですよ」
「有難うございますー…」
腰に弁慶の薬草湿布を貼ってもらい、望美はやれやれと息をつく。
腰痛に良く効くらしいという湿布は、あくまで応急処置だ。腰痛止めに効く薬があったらください、とお願いした彼女に、ごそごそと薬袋を漁る弁慶。
「ああ、ありましたありました。お待たせしてしまいましたね」
ぽん、と手の上に載せられたのは一斤染の小袋。
昨日、敦盛にと手渡された袋の色違いのものだった。
「まぁ慣れれば腰の痛みも和らぎますよ、うん」
「慣れ……ですか?」
「えぇ。身体を動かさなかったら筋肉痛になるのと同じ、と考えてもらえばいいかと」
望美はその弁に、訝しげに首をかしげた。
だが特にそれ以上疑問に思わず、わかりましたと頷く。それが、弁慶のおせっかい(と書いて策略と読む)その二だとは知らずに。
「では、僕たちはこれで。そろそろ熊野に戻らないといけませんからね」
一礼を残して去って行った弁慶と入れ違いに、敦盛が戻ってきた。すれ違う時に挨拶を交わし、望美の傍まで来て腰を下ろす。
―――途中、外からヒノエの悲鳴が聞こえた気がしたが、二人はそれを黙殺した。
決して彼を見捨てたのではない、あくまで共に旅をする間に身につけた『自衛手段』だ。
「あ、あの……腰の具合は大丈夫だろうか?」
おずおずと言った感じで敦盛が切り出す。
「はい、大丈夫です。弁慶さんから薬も貰いましたし」
「そうか……なら良かった」
望美の答えに心底安堵したように、彼は笑った。
そして卓の上から白湯の杯を取り、そっと差し出す。ヒノエのときとは異なり、昨日とは逆の立場だ。
有難うございます、と微笑んで、望美は薬を白湯と一緒に飲み下し。
(……あ…れ?)
……やはり、暑さに襲われた。
「…神子?やはり具合が悪いのだろうか?」
心配そうな声音で、敦盛が尋ねる。
首筋に纏わりつく髪が鬱陶しい……と、望美は熱に侵され始めた思考で思った。
「……ねぇ敦盛さん、暑くないですか……?」
「……いや、私は特に…」
同じくらい長い髪の彼は、それを綺麗に結い上げていて。もしかしたらそのせいだろうか、と敦盛の髪留めに手を伸ばす。
ぱさり、と髪留めが外された彼の髪が、絹糸で出来た滝のようにその背に流れ落ちた。
少女と見紛うばかりの顔立ちと相反して、紡ぎ出される若干低めの声。自分を映す、濃紫の瞳。
何を考えてるの私、昨日の今日契ったばかりでしかも自分から誘う気なの!?…理性はそう押しとどめるのに。
昨夜の断片的な記憶が、今更ながらに蘇る。自分を翻弄した時の敦盛のあの顔といったら―――……。
ぼうっとした顔で己を見つめ続ける少女に、微かな不安を掻き立てられ取った彼の行動。
それが、最後の一押しになるとも知らずに。
「………のぞ、み…?」
いつもは呼ばぬ、名での呼ばわり。
その響きが、甘い狂熱となって望美の意識をかき乱し……その目の前に立つ敦盛を、抗えぬ色香を纏った存在だと認識させた。
ずり、と膝を畳の上で滑らせて、にじり寄る。昨夜の立場を入れ替えたように、熱っぽく細めた目で彼を見つめて。
敦盛が、望美の様子がおかしいことに気づいた時にはもう、遅い。
「―――敦盛さん、……昨日の続きしませんか…?」
「……………え?」
---END…?---