ふ、と。  
 微かなはずのその息が、妙にはっきり聞こえたのは、それまで質素な庵の中を  
照らしていた小さな炎も一緒に消えたからだろう。  
 暖かそうなオレンジ色の光を受け、淡い影を握っていた手の平も闇の中に沈み、  
緊張しすぎてずっと睨んでいた爪先さえ、見えなくなってしまった。  
 その事が、ただでさえ大きく打っていた鼓動を早くさせたが、火を消しに行った弁  
慶に、背を向ける形で褥に横たわった身体は、ほとんど自分のものではないように  
固まっていて、そこにあるはずの指さえ見えない今は、ものすごく遠く感じる。  
 この暗闇にあっては、元々何も見えないと言うのに、少女は強く目蓋を閉じた。  
「望美さん」  
 まるでそれを見計らっていたかのように、燭台の置いてある位置からほとんど動い  
ていない彼から声がかかる。  
 ああ、ついにこの時が、来てしまった。  
 呼ぶ声はとても柔らかくていつもと同じなのに、そこに秘められている意味が望美  
の鼓動をいっそう高く跳ねさせた。  
「は、はい!」   
 完全に裏返った声に、優しい気配がさらに滲むようにほぐれる。  
「そちらに行っても、いいですか?」  
 ずるい。  
 質問の形を取って入るが、そんな風に聞かれて断われる人がいるわけがない。  
 ましてや、その人と一生涯を共に過ごそうと決めた自分ならば、尚更だ。  
「……はい」  
 そうわかっていても、結局は頷いてしまうのだから。  
「ふふ、よかった。君に拒まれたら、どうしようかと思っていましたよ」  
 目を閉じていても、望美を包む闇を伝って、彼の動きが見えてくる。  
 いや、視界が封じられているからこそ、些細な流れもわかるのだ。  
 立ち上がったのも、一歩踏み出したのも。  
 ゆるやかな癖を持つ髪を、そっと背中に流したのも。  
 そして。  
 その長くて器用な指先が、望美が被っていた衣に触れる一瞬手前に、止まったのも。  
 息を詰め、触れられるのを待っていた望美は、その手が何か戸惑っているのに不安  
を感じた。  
「弁慶さん?」  
 背中を向けっぱなしだったのが、まずかったのだろうか。  
 自分でも分かるほど、緊張しているのだから、もしかして、躊躇させてしまったの  
かもしれない。  
 しかし、いくら心ではそう思っていても「どうぞ、どうぞ」などと、口に出せるわ  
けもないのだが、このまま待ち続けるのも居たたまれないのである。  
 恐る恐る振り返ってみたが、闇に慣れてきたとはいえ、瞳に映るのは暗さの濃淡だ  
けで、表情のような細かな部分ははかる事が出来なかった。  
「あの……」  
「望美さん、これは?」  
 
 ほんの少し伸びた指が、少女が纏う単衣の上にある物をそっとつかむ。  
「え、先生の外套です。これ着てたら緊張しないかと思って……」  
 師である彼には、本当にいろいろと教えてもらったし、弁慶と生きていくのを選ん  
だ今でも、頼りにしており、この世界に身内のいない望美にとっては、特別な存在  
である。  
 だからこそ、一大事であるこのときに、その強さを習いたかった。  
「……そうですか、では、これは?」  
 その外套の内側に即席で作ったポケットの中に、弁慶の指が忍び込んだ。  
 胸の膨らみに触れるか触れないかの際どい位置で、思わず華奢な背中は震えてみせ  
たが、質問はまだ続いているので逃げるのは無理である。  
「あ、譲くんの眼鏡です。お守り代わりにって」  
 そんな物が必要あるはずもないのだが、とにかく初めてである望美にとっては、藁  
でも何でも良いから縋りたいのも、本音なのであった。  
「では、これは……景時、ですか?」  
「はい。景時さんがこの香りは緊張に良いんだよって……」  
 眼鏡の横から出てきた匂い袋と、続いてぞろぞろと出てきた様々な品には、一点づ  
つ弁慶にも馴染みのありすぎる彼らの名前がついて出てきた。  
 その数、六つ。  
「おや、一つ足りませんね。望美さん、ヒノエからは何も貰わなかったんですか?」  
 誰よりも贈り物に慣れているはずの甥が、こんな時に、手ぶらで済ませているはず  
もない。  
 しかし、弁慶がどれほど探っても、今しも底に穴が空きそうな懐には、もう何も  
入っていなかった。  
「ヒノエくんからは、その……」  
 なにやら言い辛そうな口調に、まさか、との気持ちが湧き上がる。  
「望美さん、もしかして君は」  
 それまで外套を持ち上げていただけだった弁慶の腕が、さっとしなやかな脚へと  
伸び、単衣の裾を割った。  
「あ!」  
 急な刺激にビクリと強張った身体だが、男の手はその柔肌とは薄い生地によって遮  
断されていた。  
「これは、いくらなんでもいけませんよ」  
「だって、だって! 心もとなかったんです!」  
 弁慶の手の平に触れているのは、ぴったりと太腿を覆うヒノエが愛用している履物  
と同型の物であった。  
 裾に綺麗な刺繍が施されているあたり、彼の抜け目のなさがうかがえる。  
「君の肌に触れるのは、僕だけで十分なんですよ。それを、今宵じっくりと教えてあ  
げましょう」  
「え、え……」  
 見えなくてもわかる呑まれるほどの気迫に、少女が抗えたのはほんの一瞬。  
 まさに、男に吹き消された小さな炎のごとき、か弱さしかなかった。  
 
 備えあれば憂いなしとは言うものの、何事も過ぎたるは及ばざるが如し。  
 程々が一番なのである。  
 

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