強まった呪詛のせいでほとんど一日中横になっていた望美だったが、日も暮れ  
かける頃になると、なんとかひとりで立ち上がれるまで回復した。  
「よかった。明日は何とかなりそう」  
 今日一日は無為に過ごしてしまったが、とりあえず見えた復調に望美は安堵していた。  
 だが、広い平泉の町を呪詛を探して歩き回るには、体力が必要になる。  
 そうわかっているから何か食べなくてはと思うのに、朝から何も口に入れていないにも  
かかわらず、一向に食欲らしい食欲は湧いてこない。  
 台所に行き、朔に頼めば粥などの食べやすい物を作ってもらえるだろうが、手間を  
かけさせてもほとんど食べられないのでは、申し訳なさすぎる。  
 けれど、このままでいれば明日の捜索は、思うよりはかどらないのは手に取るよう  
に明らかだ。  
「あ、そういえば」  
 と、望美の脳裏にひらめいたのは昼間、見舞いに来てくれた銀が置いていってく  
れた小さな瓶。  
 枕もとに膝をつき、置かれていたそれを手に取ると、陶器のざらりとした手触りと  
一緒に、意外にずっしりとした重みが伝わってきた。  
 それだけ、中身がつまっている証拠だろう。  
 栓をされていた蓋を軽くひねってあけると、狭い口からでも香りは存分に楽しむ事が  
出来る。  
「本当に、蜂蜜だ」  
 久しくめぐり合う事のなかった、嗅ぐだけで幸福になる甘さに、望美の口元は綻ん  
でいた。  
 心なしか、先ほどまでなかった食欲もほんのわずかに湧いてきたように思える。  
 瓶の横に用意されていた木さじにそっと傾けると、なめらかな琥珀色が細い糸に  
なって落ちていく。  
 彫りの浅いさじに満たされた、ほんの一すくいを口に含んだだけで、濃厚な味は  
口内一杯に広がった。  
「ん、甘い」  
 体温に溶けてますます増した甘みは舌に絡むように残り、しばし眼を閉じて味わ  
うことも出来るほどだ。  
 そうして、大事に大事に三度、口に運んだ望美が、四度目をどうしようかと半分  
ほどになった残りと相談していた時、どこからもぐりこんだのか、金が足元に走り  
よってきた。  
 今まで雪の中を駆けていたのか、頭の上と鼻筋は薄っすらと白い。  
「金、どうしたの?」  
「くぅーん」  
 大きな図体をしているくせに頼りない鳴声をあげては、すりすりと湿った鼻を望美  
の膝にすり寄せた。  
 どうやら、心配してくれていたらしい。  
「ありがとう」  
 雪国の厳しい環境に鍛えられぶ厚く身体を覆っている毛皮に指を埋め、撫でて  
あげると、嬉しそうにふかふかの尻尾が根元から揺れた。  
 くるりと巻いたままの形で振るものだから、お尻も一緒に振ってしまっている。  
「ふふ、可愛い」  
 
 最初はその大きさに望美も戸惑っていたが、金は仕草も表情もまるで仔犬だ。  
 そのあたりを飼い主である泰衡は、好んでいないようだが。  
 しかし、それが今回ばかりは災いした。  
 どれほど金が無邪気で可愛らしくとも、その体長は望美とほぼ同格。  
 むしろ、横幅などは毛のせいもあるだろうが金の方が勝っていたのだ。  
「と、金。あんまり押さないで。こ、こけちゃ……あっ」  
 喜びすぎてぐいぐいと身体を押し付けてきた金に、力の戻っていない望美はあっと  
いう間にころりと床にひっくり返されてしまった。  
 幸い、ひかれたままの褥の上であったから痛みはなかったけれど、それよりも問題  
が発生していた。  
「あ〜ぁ。こぼれちゃった」  
 手に持っていた瓶を落としてしまったのだ。  
 それも、自分の身体の上に。  
 腰の辺りに広がったとろりとした感触は、薄い生地越しに水で濡れるよりもはるか  
に重たく感じられた。  
「もう、金ったら」  
 急に目標を失った金はおろおろと耳を伏せ、申し訳なさそうに望美の周りをうろつ  
いていたが、甘い香りの源に興味が移ったらしく、しきりに鼻をこぼれた蜂蜜に向け  
ている。  
 しかし、望美はそれには全く注意を向けていなかった。  
「せっかく朔にもわけよ……っ!」  
 着替えようと身体を起こしかけた時、急に敏感な部分に感じた感触に驚きのあま  
り息を呑み、そうなって初めて危機感を覚えた。  
「ちょ、金。ダメ」  
 じわじわと布に染みこんでいく蜂蜜を、平たく薄い舌が舐めて取っているのだ。  
 それも、その味がよほど気に入ったらしく、念入りに。  
「あ、ダメってば」  
 無作為に思いついたままに動く金に悪気など欠片もなく、ただ、美味しい蜂蜜を  
味わっているだけだろうに、それは望美のとってはあってはならない状態でしかない。  
 布越しとは言え、よりにもよってあんなところを犬に舐められているのだから。  
 しかし、逃げようと腰をずらせば、それはますます蜂蜜を零す結果となり、乱れた  
裾から内肌にまで伝い落ちた。  
「あ!」  
 感じたことのない感触に、瞬間身体を強張らせたのがいけなかった。  
「だ、だめ!」  
 蜂蜜のあとを、金は素直に追ってきていたのだ。  
 信じられなかった。  
「っ、ん」  
 こうして金に舐められていることも、それに紛れもなく感じてしまっていることも。  
 そして何より、もう止める気持ちがそれほどないことも。  
 異常な事態が興奮を誘い、いけないことと思えば思うほど背徳感が、快楽を押し  
上げる。  
「……んん!」  
 ビクリと身体を震えさせた痺れと、思わず漏れた声はあたりを満たす甘い香りよりも  
ずっと甘かった。  
 望美の急な動きに怒られたと思ったらしく、金は機嫌をとるように、脱力している  
望美の横にお座りをして尻尾を振っていた。  
「もっと早く、そうしてよ」  
 恥ずかしさと自己嫌悪に起き上がれないでいる望美が、そう文句を告げた時。  
「!」  
 不意に目の前に人影が現れたのだった。  
 

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