その習慣は、この場所でも変わってはいない。
戒められ、傷付いた体。
周囲の白い軍旗。
この、源氏に捕われた身を、十六夜のあの方は何と思うのだろうか。
源氏軍に福原を攻められた平家は雪見御所を後にし、戦に赴いていた兵は還内府・平知盛の指示によって皆散り散りに逃げた。
逃走の際、馬を失い、乳母兄弟に見捨てられ武運を失った重衡はあまりの衝撃に自害することすら、忘れていた。
いや、忘れていたのではなく、始めから意識に無かったのかもしれない。
武門の出である以上、生き恥を晒すならば自らの命を捨てる事惜しくあってはならない、と育てられてきた。
敗兵となった暁には、最後を立派に遂げなくては、と誓った。
そう生きてきたはずなのに、何故。
答えはわかっている。
自分は死にたくない、否、死ねないのだ。
大罪を背負った自分でも、逢いたい人がいる。
また逢えると言ったあの人の言葉を信じたい自分がいる。
もう一度逢うまで死ねない、と思い、戦場を彷徨っていた。
そして思いは遂げられる。
長い髪に小ぶりの剣、すゞやかな声をしたあの人と、重衡は再会する。
見窄らしい自分を見せたくなかったという臆病な羞恥心。
最後に逢う事ができてよかった、これで死ぬ事ができるという安堵感。
いくつもの混ざりあった不可解な気持ちが彼を満たしていた。
死んで、あの罪から逃げる事と、もう十六夜の月の姫との逢瀬が許されなくなる事。
そのどちらを選べばよかったのだろうか。
戦場に戻ろうとする自分を、月の姫は止めなかった。
それは悪意なるものだったのかもしれない。
けれど重衡には、それはありえないことかもしれないが、彼女の瞳はまるで幾千もの戦場を駆け抜け生き抜いた武士の光が宿っていたように思えたのだ。
生きろ、と。
そう、語っているように思えた。
だからこそ今、こうして体は縄に縛られ、周囲には怨みつらみの避難の目を浴びているのだ。
彼らは生きて捕らえることができた、と勇んでいるが、重衡が生きて捕まった事、それは彼らの手柄ではない。
重衡は始めから自害する気はなかったのだから。
経緯はどうであれ、彼は囚われの身の上。
まして憎き平家の(元)頭領、清盛の子息である。
鎌倉方の捕虜武将を連行せよ、という指示の元、軍奉行による監視はあれど、一兵らの暴挙は歯止めを知らなかった。
家族、友人、国…それら失った人々への想いが、彼らを突き動かし、自分を責め立て、物を投げ付け、罵声を浴びせている事を、重衡はよくわかっていた。
そしてそれは自分への罰なのだ、と感じていた。
同時に、もう逢う事叶わないであろう彼女。
逢えない事が、体の痛みよりも胸の痛みが、彼にとって最大の罰であった。
「なんか、あっちの方、騒がしいね」
身の汚れを川で流した望美が不思議そうに朔に尋ねた。
「今日は強行軍の勝ち戦だったから、皆昂っているんじゃないかしら」
「それにしても…今までこんな騒ぎはなかったのに…」
「あら、あなたはこの戦が初陣でしょう?今までもなにもないじゃない」
思わず口からこぼれた言葉に深い意味を取れなかった朔が笑う。
望美は内心あたふたしながらも笑うことで場をごまかした。
「で、でも、あの騒ぎは凄いよね。何があったのかな!?」
時空を超えるという、誰にも言えない秘密を抱えてから、自分は作り笑いが上手くなったと思う。
秘密にしなければいけない理由はないけれど、信じて貰えないし、何より何度も説明しなければならないのがおっくうで口を噤んできた。
「そうね、ちょっと普通ではないようね」
…果たして億劫なだけ、だろうか。
つい、朔の言葉を聞き流してしまう。
時空を初めて越えた時、誰かとの再開を繰り返した時。
その度に望美の胸は痛んでいた。
自分の知っている相手が、自分をしらない事。
共有していた筈の思い出が、自分だけのものだと気付かされた事。
歴史を繰り返すということは、血を流し誰かに気付いて貰えない分、痛みは長く癒えを知らない。
だから、怖いのかもしれない。
時を超えるという神の領域に、自分がいる事を誰かに伝えるのは。
「望美?気分でも悪いの?」
いつまでたっても返事をしない望美を不安に思ったのか、俯いてしまっていた自分の顔を朔が覗き込んでいる。
「だ、大丈夫!!ちょっと考え事してて…」
「本当に?戦場なんて、慣れる場所ではないし、疲れてしまうのも最もよね。
少しゆっくりしなさい?朝まで動く事はないようだから」
「そう…だね。少しその辺ふらついて気分転換でもしてくるよ」
言うや否や、その場を駆け出す。
慌てる朔の声は最早後方だ。
「ちょっと望美!?危ないわよ、女の子が夜に戦場を歩くなんて!!のぞみーー!」
駆け出した望美の足が向くのは、あの、騒ぎの元凶。
胸の奥がざわざわする。
何故か行かなくてはいけない気がするのだ。
少し離れたある丘に、白い源氏の軍旗と高い塀に囲まれた異様な場所があることを、望美はこの陣に到着した当初全く気付かなかった。
小競り合いが各所で始まった頃、気付いたらできていたのだ。
けれど自分には何の関わりもないようだったし…何より八葉は皆この場所の意味を知っているのに隠そうとしているようだったので、気に止めないようにしていた。
後から思えば、隠そうとした理由は、とても簡単だった。
九郎がこの場所、というか、この存在を忌み嫌っていたようだったのも、納得がいく。
この場所は…捕虜を捕え、責め上げる拷問のような場所だったのだ…。
朔と別れどのくらい走っただろう。
望美の背を軽々とこえる高い塀に囲まれた、そう広くない陣。
野太い人々のざわめきが漏れ出している。
出入り口を求め、塀づたいに足を進め、見慣れた顔にあたった。
「ど、どうしてここにいるのー!?」
「景時さん!何してるんですか?」
景時にばかり気をとられてしまったが、彼の後ろにはやけに警戒態勢を強いられた兵が配置されている。
突然の来訪者に戸惑いを隠せないでいる景時に、この中に隠しておきたい何かがある、ということを感じる。
「九郎さんが探してましたよ。どうしたんですかって聞いたら、お前には関係ない、分からない事だって言われちゃったんで、戦とか軍の事なんじゃないですか?」
言葉巧みに、嘘を並べる。
「治療にあたってた弁慶さんも呼ばれてたみたいだし…何かあったんでしょうか?」
「ほんと?だったら連絡が来る筈なんだけどな〜…」
あと一押し。
「朔が、兄上は空気が読めない方だからって怒ってるかもですよ」
「ちょっと行って来るね!後を頼んだぞ」