それが例え、戦場であっても。宴の晩であっても、客人がようとも。
濡れ縁に出、欠けた月を見上げる事は、欠かす事のない、大切な習慣。
欠けた心を、欠けた月で満たす事はできず。
今日も、明みを帯びた空を見上げて彼は大きなため息をついていた。
彼の人を待ち詫びて。
「重衡」
自分とよく似た声とよく似た容姿を持つ兄。
幼少の頃、数多くいる兄弟のなかでも特に父に可愛がられていたこの男に複雑な思いを抱いていた事は否定できない。
が、すっかり大人になった今、再びこの目の前の人物に、重衡は一言では語り尽くせない思いを持っている。
「お久しぶりでございます…兄上。お変わりないようで」
「そうそう変わるものでもなかろうに…母上には挨拶してきたのか?」
「いえ、これからです。出陣の際にご心配をおかけしてしまった手前、早く向かわねばとは思っているのですが…」
そう言う重衡の足は、母のいる房と反対へ向いている。
あぁそういえば…知盛はあまり細かい事を覚えている主義ではないのだが、末弟が欠かさなかった習慣を思い出す。
そう、弟の足は中庭に望む渡殿へと向いているのだ。
「たまには…月見酒というのも、悪くないかもしれない、な」
女房へ酒を持ってこさせるついでに、心配性な母へ息子が無事帰還した事を伝えてやろうか。
何故本人が来ないのか、と重衡を呼ぶだろうな、あの人ならば。
母に追求されて戸惑いつつもその理由をどう説明すべきか困る弟の顔が目に浮かび、知盛は湧き上がってくる笑いを堪えていた。
本人は隠しているつもりなのだろう、月の姫やらとのただ一度の逢瀬を。
しかし、宮中の空気を好む、あの噂好きのご嫡孫殿がこんなにも面白いネタを黙っている訳がなかろうに。
あの重衡の出陣の夜、奴を連れ戻しに行った筈の惟盛が、一人でうきうきと宴の席に戻ってきた事を知盛は覚えている。
うわさ話に勤しむ殿上人を好ましく思った事なぞないが、弟の恋煩いについて、彼はしっかりと聞き耳をたててしまっていたのだ。