〜モノローグ・朔〜  
 
 
あの娘が刀を手に戦場に駆け出す、その後姿を見てるだけで、気が狂いそうになる。  
 
 
先程まで穏やかだった表情は一転し、瞳の奥に炎に似た強い光が宿る。  
刀を振りおろす度、宙に舞い躍る長い髪。  
ぴんと張り詰めた背筋。  
しなやかな腕から繰り出される剣技。  
どれもこれも、ゾクリとするほど美しい。  
 
だけどあなたが傷つくのは嫌。  
流れた一筋のあかい血は、戦場に立つあなたを一層きれいに飾りたてるけれど。わたしの胸は樹氷の矢で射抜かれたように凍りつき、目の前が暗黒で覆われる。  
 
きっと、出逢ったその時から。  
この目には、あなたしか映っていない。  
 
わたしの愛しい戦神子。  
 
あなたを無くしたら、わたしは死ぬ。  
万物が陰陽で成り立っているならば、あなたが光でわたしは闇。  
片方だけでは成立し得ない、対極の存在。  
故に焦がれる。  
自分ではどうしようもないほどに。  
 
 
黒龍を失った時、わたしはもう二度と誰にも恋心を抱かないと誓った。  
心の臓が芯まで冷えていくような、あの感覚。  
あんな思いは二度と御免だと。  
そして固い決意のもとに出家し、尼僧となった。  
 
なのに…。  
 
あなたに惹かれていく心を、とめる事は出来なかった。  
性別なんて問題じゃない。理に背いて、天から罰を受けたとしても、怖くなんかない。  
 
ただひたすらあなたを求めている。  
 
好き。  
好きなの。  
 
愛してるの、望美……  
 
 
 
「あの…あのね、朔。相談があるんだけど……」  
 
頬を紅く染めた望美が、そう切りだしたのは、夕餉の後片付けをしている時だった。  
女手であるわたし達二人が炊事場に残り、肩を並べて皿を洗う、いつもの光景。  
ただ、望美の様子がいつもと違う事には気がついていた。  
食事の間も箸を運ぶ手を止めたままぼうっと上の空だったり、さっきは注意力に欠けて皿を三枚も割ったりした。  
 
「なあに?どうしたの?」  
優しく微笑んで、望美を見る。  
戦の時とはまるで別人。もじもじと恥ずかしそうに肩を揺らす姿は、十七の普通の少女だ。  
 
「将臣くんの事なんだけど…」  
 
その名に、ひやりと嫌な予感が走る。  
 
「前に、将臣くんがわたしにとって特別な人なんじゃないかって聞いたでしょ。あの時は自分でも、まだわからなかったんだけど……」  
 
やめて。  
その先は聞きたくない。  
皿を持つ手が小さく震える。  
 
「わたし…将臣くんが好きみたい。  
…幼なじみじゃなくて、ひとりの男の人として」  
 
その時、わたしはどんな顔をしていたのだろう。  
「………」  
「?朔、どうしたの…?」近くにいるはずの望美の声が、ずっと遠くの方で聞こえる。  
 
 
『将臣くんが好き』  
 
そんなこと。  
知っていたわ。  
望美が自分の気持ちに気づく、もっと前から。  
だってわたしは、あなただけを見ていたんだもの。  
その視線の先を。熱を。  
むけられている相手が、とても憎かった。  
 
けれど一方で、安堵もしていた。  
天に背いた罪で地獄に墜ちるのは、自分だけでいい。望美を巻き添えにしないで済むと。  
そう思った。  
 
 
「まぁ、そうなのね。勿論前面的に協力するわ。わたしは望美の味方よ」  
 
「朔…?」  
「そうと分かれば、すぐに行動に移さなきゃね。ここはわたしに任せて、望美は将臣殿のところへ行って頂戴」  
「えっ…えええ―?!」  
「さっ、早く早く」  
 
半ば強引に望美を押しやり、ぴしゃりとひき戸を閉めたその刹那、涙が関をきったように溢れはじめた。  
 
よかった。  
こんな顔、望美には見せられない。  
 
こぼれ落ちた涙の粒が、一瞬足元に黒い染みをつくり、音もなく消えていった。  
 
 
それから数日後。  
想いが成就したのだと、望美が嬉しそうに報告に来た。  
わたしは貼付けた笑顔で、終始それを別世界のお伽話のように聞いていた。  
精神が事実として受け容れるのを拒否しているのか、まるで現実感がない。  
今のわたしには、それだけが唯一の救いだった。  
 
 
二人の仲は周囲には秘密という事になっていたみたいだけれど、遅咲きの桜が京の都で満る頃には、皆に知れ渡っていた。  
望美に恋慕の情を寄せる譲が、唇を噛み締めてじっと何かに耐えている姿は、我が身を見ているようで、とても痛々しかった。  
でも、彼もわかっていた筈だ。  
この想いは叶わない。  
愛した女が自分以外の男に惹かれていく様を、何も出来ずにただ見ているほかなかったのだから。  
 
…彼女の、一番近くで。  
 
 
夕暮れ。  
えんがわに座って、譲が望美の為に整えた春の庭を見ていた。  
西の空は茜。東の空は濃紫。  
間もなく山のむこうに完全に陽が落ちる。  
 
「ここは冷えますよ」  
不意に背後から声をかけられて振り向くと、庭の手入れ主が立っていた。  
 
「桜、もうじき散ってしまうわね」  
「でも次の季節の花が咲きます」  
「そうね。  
…わたし達の願いは花咲く事なく、枯れてしまったけれど」  
わたしは意地悪を言った。  
譲は少し顔を歪ませ、  
俺は枯れたつもりはありませんと呟いて、そっぽを向いた。  
その横顔があまりにも幼かったので、思わず声をたてて笑ってしまった。  
 
「なっ…なんで笑うんですか!」  
「譲は真っ直ぐなのね。  
じゃあ…どうするの?あなたの兄上から望美を奪う?」  
「―――っ」  
譲が言葉に詰まる。  
 
「…朔が、こんなに意地の悪い人だとは思わなかったな」  
拗ねたようにそう言って、手に持っていた布をこちらに寄越した。  
広げてみると、それは萌黄に染められた羽織りだった。  
 
「それ、着てください。このままじゃ風邪ひきます」  
羽織りは、真新しくはないけれど上等な布で出来ていて、紅糸で施された桜の刺繍が美しかった。  
手先が器用な譲の事だ、どこからか古絹を見つけてきて自分で仕立て直したのだろう。  
きっと、あの娘に喜んで貰う為に。  
 
そんな彼の気持ちを思うと、袖を通すのはなんだか気が引けた。  
 
「いいから着て下さい。明日も早くから鞍馬へ出掛けるんでしょう。  
道中倒れられでもしたら、皆の迷惑だ」  
察したのか、らしくもない憎まれ口を残して、譲は屋敷の中へと戻って行った。  
その不器用な優しさが、なんとも彼らしい。  
 
「―――ありがとう」  
 
わざと譲に届かぬようにささやいた言の葉は、桜の花びらと共に薄闇の空へ吸い込まれた。  
抱きしめた羽織りから、花の香のよい匂いがした。  
 
 
「悪りぃ。所用を思いだしちまった。俺、一旦抜けるわ」  
 
鞍馬からの帰り道。  
この近くに名湯があるので息抜きに立ち寄って行こうと皆で話をしていると、将臣がそんな事を言いだした。  
 
「ええ〜っ…そんなぁ…」  
望美ががっくりとうなだれる。  
「ゴメンな。こっちも色々と面倒事が多くてな。  
夕飯までには邸に戻るから、心配するなよ」  
幼子をあやすように望美の髪を二、三度撫でると、ひらりと身をかえし、将臣は一人何処かへ行ってしまった。  
望美はそのうしろ姿をしばらく見送っていたけれど、  
「まぁ、しょーがないかぁ…。将臣くんの気まぐれは、今に始まった事じゃないし。  
わたし達は温泉を楽しもうね、朔」  
無邪気な笑顔でそう言って、わたしの手をとり、源泉へと駆け出した。  
 
 
 

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