一章  別れの朝  
 
 
春の匂いがふわふわと漂いはじめ、静かな冬も緩やかな雪解けと共に終わりを告げていく季節。  
――いや、全然静かな冬じゃなかったけれども。  
清浄な平泉の冷たい空気をいっぱいに吸い込んで吐き出す。それだけでこの地とさらに少し  
馴染めたような気になるからだ。  
空は雲ひとつない朝の青。今日もまた一歩春へと歩みをすすめるのだろう。  
鎌倉へと侵攻する期日も迫ってきている。  
望美ははあと息をはくと、まだ白いもやを残す奥州のゆるやかな季節の変わり目を感じていた。  
ふいと背後をふりかえる。部屋の主がぐっすりと眠っている。疲れているのだろう。  
そういえば、明るい所で寝顔見るの初めてかも――と、望美はここぞとばかりにそそそと足音に気を  
つけて忍びよった。今まで交わした逢瀬では一度もないことだ。先も後も、いつもあちらの方の目が  
細く開いている記憶しかない。  
それだけ気を許してくれたのかなと少しだけうれしくなった。  
――というか逆にそれだけ大事にされていたということなんだろうか。  
・・・・・・・・・。  
まあ、もうすぐこの予想外に心地良い関係も終焉を迎えるわけだけれども。  
好きな男の寝息を始めて聞く。普段はゆるく結んである長い黒髪も今はほどけて白い布の上に流れ  
おちている。顔をのぞきこんだ。顔は、おんなじだ。  
泰衡さん。この黄金の都、奥州平泉の総領。望美のいろんな意味での大切な人。  
常時から仏頂面をきめこみ、笑ったと思えば皮肉と嫌味の嵐、お礼を言えば非常に遠まわしな感謝を  
してきて、なんか語りだしたかと思えば監禁に逆鱗略奪に大社、そうとも思えば異様にいざという時  
忠実な愛犬を従え、あの九郎さんに受信できてるかどうかさえわからない友情を発信し続けるという  
――――  
いやあ、ネタに事欠かない男だ。油性ペンがあるなら額に肉ってかいてやりたいよ。  
望美はくすくすと笑って座りこみ、身をかがめて顔を近づけた。  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。  
起こしてはいけないと思いつつ、手のひらでそっと頬のあたりに触れてみる。呼吸はとても穏やかだ。  
生きてる。  
ほっとする。  
目を開いている時はあれほど可愛いとは縁遠いこの男も、眠ってしまえばこんなものか。  
望美は、それがきっとこの男を想っている自分だから余計そう感じるのだろうと薄々気付きつつも  
かけている布をそっと首元までかけ直してやった。  
――もう少し。もう少し、こうしていたって、許されるだろう。  
せめてこの人が夢のほとりから帰ってくるまでは。  
 
 
――なんて、望美がせっかく乙女チックなキラキラ点描流れる自家発電のうふふあははな脳内麻薬  
ワールドに浸っていたというのに。  
当の想い人はというと、突然カッと目を見開いて跳ね起きた。  
その鬼神の形相に思わず望美も硬直する。  
数秒後。  
「・・・。なんだ・・・・・夢か。・・・・・・ああ、望美」  
あっけにとられる望美に一瞥をくれると、頭を掻きながらぶっきらぼうに  
「おはよう」  
とりあえずの挨拶をしてきた。  
・・・望美はがくーっとうなだれて、この人に常時のネオロマ的甘い言動なんて絶対期待しちゃダメ  
なんだな、と痛感する。寝顔をネタにちょっと妄想するだけでも許されないらしい。  
「おはよう・・・なんか夢見悪かったの?」  
「荼吉尼天に喰われた」  
おい。よりにもよって政子さんwith異国の女神ですか。恋仲になった女が隣で寝てたのに、化け物  
とはいえ、他の女の夢ですか。  
「頭からボリボリと」  
きいてないですむしろ勝手に喰われてください・・・と吐き捨てたかった。後が怖いからやめたが。  
ていうか父ちゃん手にかけてまで自分で消したんじゃないのかあんたって親不孝者は。  
「どうかしたか?望美」  
「ううん・・・まだところてん食べ放題の夢とかみててくれた方がマシかなって思っただけ・・・」  
もうツッコむ気力さえ残してくれない。  
と、いうか。そんな夢を見つつも全くうなされてなかったのは、夢の中でまでこの生の鉄仮面かぶって  
常時戦闘態勢ってことなんだろうか。・・・頼りになるんだか、ちょっとアレだと言わざろうえない  
のか・・・  
望美は一気に現実に引っ張り戻された。そうだよね、これから私達大きな戦に出るんだもんね・・・  
――うう。短く儚い青春だった。  
顔を上げれば怪訝な表情で望美を見つめる泰衡の姿がある。相変わらず眉間にしわを作って口は  
への字、真っ白い寝着は昨夜行為の後に風邪をひくといけないからと望美が何とか着せたものだが、  
射すくめるような冷たい視線プラス的確な表現を多様に用いる皮肉の嵐と格闘しながらだったので、  
もう何ていうか、非常に大変だった。  
正直自分を褒めたい気分にまでなった。泰衡の馬鹿。  
 
昨夜に切り出した別れ話は、予想通りうまくまとまらなかった。  
 
まあ、彼からしてみれば。普段通り望美が部屋で待っていて、いつも通りのあたたかい微笑みで  
「お疲れ様」と迎えてくれて、毎夜と同じように大事に抱いて眠りにつこうとしたら、『話がある』  
と唐突に終焉を持ち出されたのだから、無理もないのだが。  
結局昨晩は『――ああ、もういい。この話は保留だ』と怒ってそっぽを向いて寝てしまった。  
うまく伝えられなかったとため息をついて望美も灯りを吹き消して横になり、昨晩の閨は闇に  
重苦しく閉ざされた。  
 
本当に、無理もない。元はといえばこんな関係になるまで強引に手を引っ張って到達まで持ちこんだ  
のは明らかに望美の方なのである。多少の好意は持ち合わせていてもそれ以上は決して踏み込んで  
こなかったこの仏頂面に、好きだ、と時速140キロの直球勝負を持ちかけたのは、他ならぬ望美だ。  
「それで・・・昨日の続きなんだけど」  
気になるのか髪をいつも通り緩やかにまとめている想い人の背に向けて、ためらいがちに言葉を  
送ってみる。はあ、と苛立ちまじりのため息が聞こえた。  
泰衡は面倒くさそうに向き直り、あぐらをかいた状態から立てた片膝に腕をのせて、望美の顔を  
のぞきこむ。  
「正直に言え。飽いたんだろう、俺に」  
予想外の一言に望美は面食らった。この男は本当に時折思いもよらない発想を返してくる。  
けれどこの場合は――挑発的な視線の奥底に、どうせ傷つくなら先手を打ってしまいたい、という  
気持ちが、ずっと一緒にいた望美には透けて見えてしまっていたので――  
簡潔にしたがるようで実は不器用だよなあ、くらいの呆れにしかならなかった。  
――そんな哀しい顔するくらいなら言わなきゃいいのに。望美は心の中で苦笑する。  
けれど、想いを疑われたのと、何より昨夜の話きいとらんかったんかい!な気分にさせられたのが  
少々ムカついたので。  
少し頭を後ろにふりかぶって間合いをとってから、思い切り額同士を打ちつけてやった。  
 
ゴ ッ 。  
 
某熊野水軍の男が白い歯をキラッとさせてビッと親指立てる姿が鮮やかにイメージ画像で浮かぶ。  
「・・・」  
「・・・」  
双方大ダメージ。  
「本当に、お前は・・・常識から逸脱することをやらせたら天下無双だな・・・」  
「泰衡さんがそうさせるからいけないんですよーだ・・・」  
頭に響きわたる痛みに手を当てつつも、泰衡が言の葉で猛反撃してきそうな雰囲気を察知し、望美は  
瞬間的に(あ、ヤバい)と状況を把握する。舌戦に持ち込まれたら勝ち目はない。  
それどころか、さらにこんがらがって真意を理解してもらえないだろう。  
 
――こうなったら。  
「とおっ!!」  
まさに嫌味と皮肉のハーモニーを奏でようとしている口の持ち主に飛びついて力任せに押し倒した。  
口付けてしまえ。この男は望美の方から唇を重ねるのを、とても幸福に思うみたいだから。  
とか思って顔を近づけたら、くわっと広げた大きな片手で思い切り顔面ブロックされた。  
「ごまかすな」ぐぐぐ。「・・・そこを何とか」ぐぐぐ。「 駄 目 だ 」  
・・・どうやら相当に不機嫌なご様子だ。ごまかされてくれるつもりはないらしい。  
「どうもここ数日あなたはおかしいな。妙にへらへら笑っていたり急に理解不能な言動をとったり。  
いつものことだと切り捨ててしまえばそれまでだが、至極不安げに顔を伏せて縮こまっていたり、  
仕舞いには突然別れを切り出してくるなどと続かれると――素通りは出来そうにない。  
・・・何か、あったのか。何か言いたいんだろう?  
あなたが真正面から腹を割って話すということをしないと、ずっとこのまま膠着状態が続くだけかと  
思うのだが。望美」  
大きな手をそっと外された跡には、大きな瞳をまんまるにした望美の顔が残っていた。  
「・・・なんだその顔は」  
「いや・・・私のこと、結構見ててくれてるんだなあと思って・・・」  
ちょっとだけ潤んでしまうのは、やはりこの男に心を持ってかれてしまっているからなのだろう、と  
思った。  
「うれしいな・・・うれしいけど、うん・・・やっぱり駄目だな・・・」  
「だから何がどう駄目なのか、順序だてて説明しろと言っている」  
「うんわかった。昨日話した気もするけど・・・まあ、とりあえずその前に」  
自分の眼下に捕らえてある、相変わらずのへの字の線を軽く中指の腹でなぞる。  
「ちょっといいかな?」と、にっこり。  
相手からの答えは、諦めの色を帯びた再度の息つき。耳元で好きにしろ、と呟かれる。  
 
 
――この人は多分まだ、本当に終わりになるとは思っていない。  
少しほつれを繕えばいいだけだと思ってる。  
違うのに。もう、終わるのに。もう少しで。――それがせつない。  
重ねた唇は何度か浅く交わっては微かに離れをくりかえしていたが、合図のように一度だけ深く  
交わってから名残惜しそうに遠のいた。この時ばかりは立場も間柄も、ましてや経緯など関係なく  
ただの男と女になる。男は未だその口から愛を囁いたことがない。  
ただ、すうと女ごと身体を起こすと、腕の中身を大事そうに抱きしめる。  
この男はどうも情交そのものより、こうしてこの女を抱いている時間の方が好きらしい。  
終わりを願う女の方も、どうしてもそれに満たされるものを感じてしまう。  
 
 
二章  さしのべた手のひら  
 
 
いつからか、と正確を求められると答えられない。ただ、あの強烈な白い光を放った時は明らかに  
こんな感情は破片もなかったと言い切れる。――ある訳もない。  
 
うまくやっていけるのかな・・・この人、藤原泰衡と。見据えられて、どうしても不安になる。  
強い意志を秘めて実際に行動し、成果をおさめるその姿には敬意を表するのだが、正直その他の所では  
あまり関わりを持ちたくない男だ、というのが本音だった。  
人としてはあまりにも冷たすぎる。熱を感じない。黒色をのせた氷細工のようだ。  
なにより、あの人を。  
――かぶりをふる。いい加減にしろ。決めたんだろうお前は。決意が容赦なく叱咤してくる。  
前を見ろ。進むためにはどうすればよいかに頭を使え。  
 
高館へ戻ることを許された望美が泰衡に一番に期待されていたのは、何といっても九郎の懐柔だった。  
この件に関してはもとより望美もそのつもりだった。元の世界での史実の藤原泰衡が本来最も  
頼るべき相手だったのでは、と思うところもあった。  
「だな」「ですね」再会した幼馴染の二人も頷いてくれた。  
不安を抱えつつも決めた道を仲間達に打ち明けた。恐れていた、龍の宝玉が手元に戻ってくるという  
現象は――二度と起こることはなかった。  
立場上一番心配していたヒノエが近寄ってきて、望美の手をとり笑う。  
「どうかしたかい?俺の神子姫様。まさかここまできてこの俺が抜けるなんて、そんな情けない  
男が熊野にいると思ってないだろうね?」  
不安を読まれていたようだ。  
「ヒノエくん・・・ありがとう!」  
――嗚呼、  
遁  甲  万  歳  !!!  
心の底からそう思った。  
感激のあまり、つい遁甲様の手を両手で包んで己の頬に押し当ててしまった。ヒュウ、と口笛を  
吹かれる。情熱的な男のその手はあたたかく、望美の心まで温度が届いた。  
皆、望美の決意を否定しなかった。胸が熱くなる。絶対にこの人達を裏切らない、と心に誓った。  
 
一人。拒否こそしないが、むずかしい顔をしている男がいるのには気がついていたが。  
 
月のない夜に朔がそっと近づいてきて、あなたと一緒に行くと言ってくれた時には思わず彼女に  
抱きついてしまった。年頃の娘二人が鈴の音で笑い合うのを、闇と白雪の淡色をした散歩から  
戻ってきた敦盛が優しい微笑を灯して見守ってくれていた。  
敦盛といえば、遁甲様の次に『これからもよろしく』とその片手を包んだ時、『えっ?あっ、えっ、  
よ、よろしく・・・』と、例のテレ顔2種を交互に繰り返していたのがあまりに可愛らしくて何だか  
記憶に残ってしまっている。  
直前まではきりりと決意の表情をしていたのに。  
 
その後も兄上Zokkon命の九郎だけは、説き伏せるのにずいぶん時間を要しそうな雰囲気だった。  
ある日望美が不在の時、有川兄弟が説得にあたってくれたらしいのだが。  
途中兄の将臣と九郎が衝突してしまい、いきり立って高館を飛び出してきた九郎と、泰衡の態度に  
振り回されへとへとになって帰宅してきた望美がはちあわせになるという事態が生じた。  
「――望美・・・」  
目に明らかな燃え盛る炎を点す兄弟子に、両肩をぐっと掴まれた。  
「俺はこれから泰衡殿の所へ行って直に話をつけてくる。きつく言わんといかんからな、あの馬鹿に。  
・・・話し合う時間さえ無駄などと切り捨てるなんて。模索すればいくらだって道は開けるはずなんだ!  
・・・・・・。  
とにもかくにも、望美までたぶらかして手駒として乱用しているなんて状況、許しておけるか!!」  
と。馬に乗るのも忘れてうおおおと雄叫びをあげ、だばだばと走り去ってしまった。  
「うそっ!?待って!苦労さーん!!」  
思わず文字変換も忘れて誤字のまま名を叫ぶ。  
その慌てふためく望美の真横を、将臣の操る馬の蹄が乱暴に通り過ぎていった。  
「望美、俺たちに任せろ!!」馬上から勇ましく、鋭い声を幼馴染になげつけていく。  
兄の背後にいる譲がぶんぶんと手を振る姿が次第に遠のいていった。  
「冷蔵庫に・・・はなかった、蜂蜜プリン作っておいてありますからー!!」  
展開が唐突すぎてついていけず、もうわけがわからなくなって混乱するばかりだ。  
「ありがとう譲くん!譲くんの料理はホント最高だよー!はちみつプリソ!はちみつプリソ!」  
望美は笑顔で片腕を垂直に伸ばし、真上から真横へ振り続ける喜びの動作を繰り返すのみだった。  
・・・。  
はあ。  
先は長い。  
「神子、中に入りなさい。将臣達が九郎を連れて戻ってくるのを信じて待とう」  
いつの間にか師が隣にきていた。大柄の鬼の八葉はかなり見上げないと視線が合わない。  
「先生・・・」  
「大丈夫。少々の時間はかかるだろうが、九郎は決断する。信じてやりなさい」  
「はい、先生」  
無意識にふっと微笑むと、リズヴァーンの瞳も優しく細められた。  
けれど、望美がこの道を決めてから常にその蒼の目に悲しみが雑じるようになったのは確かで。  
とても気になるのだけれど、切り出すことはできなかった。  
それでも。この頼れる存在は、何があろうと一番最後まで望美と共にいてくれるのだろうけど。  
 
譲の残していった蜂蜜プリンは超特大風呂桶サイズだった。最近色々ありすぎて滅入ってしまって  
いる望美を少しでも元気付けるためだろう。幼馴染の気遣いにむせび泣きながら望美は容赦なく  
かきこんで、ものの一分で完食した。砂糖の甘い幸せの魔法と、作った人間の優しさとが身体の  
中で溶けていって、少し浮上した。  
 
 
将臣と譲が九郎を伴って戻ってきたのを出迎えると、三人とも非常にぐったりしていた。  
結局九郎は有川兄弟を振り切って柳ノ御所で執政中の泰衡のもとへと乗り込み、口角泡を飛ばすの  
勢いで己の主張をまくしたてたらしい。しかし奥州藤原氏の総領は例の嫌味たらしい悪人面の笑みを  
浮かべ九郎の必死を鼻で笑い、正論の刀で切り捨てただけだった。  
そこに加えて。九郎を諌めようとする兄弟を小馬鹿にする発言をしたものだから。  
九郎の怒りはあっという間に頂点に達し、一時あたりは騒然となった――とのことだった。  
 
「でさあ。なんかと似てると思ったわけよ。あれあれ、レゴラス。指輪物語の。あれも仲間の  
ギムリを馬鹿にされてものすごい勢いで弓つがえるじゃん。あれ思い出した、あの時の九郎で」  
夕げの後。弟と幼馴染と共に腹が落ち着くまでのひと時を楽しむ将臣はからからと笑い声をあげる。  
弟はそんな兄を見て、やれやれといった風。  
「兄さんあの騒動の中でよくそんなこと考えつくよな・・・」  
「そーいうなって譲。お前が弓使ってるから連鎖反応で思いついたんじゃんか」  
「おっ、俺のせいかよ!?めちゃくちゃだぞ兄さん!  
・・・第一レゴラスは威嚇しただけだ。間違っても相手に飛びかかろうとしたり、ましてや止めようと  
した仲間を振り払おうとして拳で殴りつけたりするもんか・・・まったく」  
明らかにズキズキと痛んでいるであろう顎をさすりながら譲がぼやく。  
出来事を自分達の世界の架空物語に結び付けてやりとりする二人の姿に、つい笑みがこぼれてしまう。  
新鮮なのに、懐かしい。時間の流れが愛おしく感じた。  
「それにしても本当につかめない人物ですね、こちらの世界の藤原泰衡は。もう少し九郎さんの  
説得に本腰を入れてもよさそうなものですが。・・・先輩に丸投げなんでしょうか?」  
「あー・・・うーん、そうなのかなあ・・・」望美も苦笑いしかできない。  
「俺達の世界の史実だと、『平泉を滅ぼした男』として武将としてもあまり評価されていません  
でしたね。まあそんなこと言い出してもあっちとこっちじゃ違うんだから仕方ないとしても。  
――先輩を騙して監禁なんて真似をしたことだけは未だに許せません」  
自分だって長い間この高館に閉じ込められていたのに、望美を思いやる方が優先というのは、  
何とも彼らしい。  
「そうかあ?」  
そんな弟にマイペースそのものの語調で軽々疑問を投げかけるのは、あぐらをかく元還内府。  
「・・・そうかって、兄さん。兄さんだって頭にきてないわけじゃないだろう」  
「そりゃそうだ。後で一発ぐらいは殴らせてもらいてえよな、うん」  
「だったら」  
「けどよ譲。望美はその藤原泰衡と組んで鎌倉へ攻め上るっていう道を選んだんだ。  
――俺らがどうこう言ってほじくり返すとかえって望美が負担に思うだけじゃねえか?」  
「あ・・・」  
「ま、そういうこと」  
「・・・」  
要領の良い兄の言動に、弟がつい気まずい沈黙を訪れさせてしまうのはよくあることで。  
望美はあわてて兄弟を交互に見やり、重苦しい空気を入れ換えようと試みる。  
「どっちの気持ちも嬉しいよ、私。本当にありがとう。でもあまり気を使わないで、お願い――  
決めたのは私なんだから」  
このトライアングルは、望美が動けば大抵はうまくいく。兄弟は苦笑し合ってから彼女の方をむいた。  
「すいません先輩」  
「かえって気ィ使わせちまったな。ワリ」  
そんな二人に望美も微笑んで。それでずっとうまくやってきた。――きっと、これからも。  
帰りたい?なんて、もう訊くこともない。訊くだけ無駄なのだから。  
二人の幼馴染はその場に存在してくれているだけで、望美の心に強さと安らぎをくれる。  
『かれは独りではない』。あの場面の邦訳の台詞が、強く優しく望美を包む。  
 
「まあそれはそれとして、兄さん。俺達は九郎さんを説得するんだよな?  
今日みたいにいさかいに発展するのはもう勘弁してくれよ」  
譲は思い出してしまったのか、は――、と重々しい息をついた。  
「わーるかったって・・・けどあそこまで甘ったれた考え方されてるとつい、な」  
平重盛になり代わっていた頃の鋭気がちらりと顔をのぞかせる。  
「・・・やっぱり、将臣くんからみても甘いんだね。九郎さんは」  
「んー。お前らならよくわかってっと思うけどさ。一番てっぺんにいる大将がしっかり地面に  
足つけてふんばってねえと、困んのはただただ下の連中だ。しかも下に行けば行くほど  
タチの悪い揺れはでかくなる。だめだろそんなん」  
「・・・うん」  
消沈する望美に代わり、譲が毒づく。  
「言っていることは正しいけど、そんなにきっぱりすぐに割り切れるかよ。俺だって兄さんがあの  
還内府だってわかった時は――・・・さすがにぐらっときたし」  
これを言われると弱いのか、将臣はその件で心労させたことはそろそろ許してくれよというばかりになる。  
弟はそれを仕方なさそうにしながらもふっと笑って。  
「九郎さんの考え方がどうにも甘すぎるのはわかってるよ。  
けれどもう少し九郎さんにも悩む時間があっていいと思うんだ」と彼らしい気遣いでまとめた。  
 
二人と別れてしばらくした後。望美は二人がまだ話しこんでいるのを見かけた。  
「そういえば譲、さっき俺らの世界の史実の泰衡が評価されていないっつったよな」  
「ん?だってそうだろ。源頼朝の策略に情けなく振り回されて平泉を終焉まで持ち込んだんだから」  
「むしかえして悪いけどよ。俺、そこら辺は誤伝もかなりあると思うんだよなー」  
「誤伝?」  
譲と同じく疑問を抱いて、つい立ち止まる。  
「結局はあの義経の首とったヤツってことで、みんな否定的に――悪者的にみたがるんだよ。  
悪者がいてくれればヒーローはさらに映えて引き立つからな。  
実際は泰衡が頼朝に差し出した義経の首はニセモン説が根強いし、最終的に奥州の人的な被害が  
かなり押さえられた結末になったのは確かだ。義経追討の院宣後も二年くらい返答もせずかばって  
いたっつーし。立場的に厳しい中、それなりにやることやったとは思うぜ。  
もう少し目が向けられればいいんだがなー。とにかく御館就任期が短いし、前の三代、あと義経の  
歴史的存在感がデカすぎて無理だろうけど」  
・・・・ふうん。  
時空は違っても、彼という運命はそういう方向を向いているのかもしれないな。  
そう思うと、少し胸が痛んだ。  
 
 
去り際。  
「だからあの蓮は平和を願ってあんなにきれいに咲くんだね・・・」  
という、譲の呟きだけが耳に残った。  
 
朝の爽やかな陽射しを浴びて、望美は軽く身体をほぐしていた。  
みんなから元気をもらって勢いがついた。最も、皆はいてくれるだけで幸せにしてくれるのだが。  
さあ頑張ろう。  
色々あるけれど、中でも一番に望美がやるべきことは。望美にしかできないことは。  
円滑に事を運ぶための潤滑油の役目なんじゃないかと思った。  
全てを停滞させる程重苦しい泰衡のまとう空気。これを正常に押し流してやれれば、この状況下でも  
衰えることを知らない英雄・九郎の人気との更なる相乗効果が期待できるのではないか。  
何にせよあんな態度では敵が多いのも道理、快く思われていないのも当然だ。  
屈伸をしながら思う。  
多分。今、望美は泰衡に最も近い。最も重要な課題である九郎の説得を一任されているし、奪われた  
逆鱗も戻されてそのままだ。  
・・・彼的には飼い慣らしたていのいい手駒、というだけかも知れないけれど。それでも。  
もう少し近づいてみよう。あの男を知ろう。まずはそこからだ。もうお互い赤の他人ではいられない  
はず。立場をわきまえて、この先を見据えるために接してみよう。  
身も軽く走り出すと、昨日将臣が言った不可解な台詞が脳裏をかすめていった。  
 
―しっかし、こっちの泰衡はなんかこう、どっかモロそうだよなあ。大丈夫か?あれ。  
 
もろい?あれが?――どこをどうひっくり返せばそう見えるのだろう?  
将臣くんが的外れなこと言うなんて珍しいなあ。  
 
忙しい日々が続くようになって、同時に泰衡と接する機会も多くなり、考えていることを聞いたり  
感じたり、あまり変わらないと思っていた表情の変化を知ったり何気ない仕草に気付いたりした。  
目が、勝手にこの人を追うようになっていた。どうも無愛想と嫌味だけで構成されているのでは  
ないらしい――とわかったからだ。  
選び、きめた立場は二人の間を確かに縮めたので、日々何気なく観察するには丁度良かった。  
その結果。  
孤高というよりは、あれだけの事をやり遂げても理解されない孤独な人だなという結論に至った。  
その次には――隣にいて支えてあげたいな、と考えていた。無論現在の立場とは別の意味で。  
そこまでいって、やっと。望美は自分に驚愕した。  
なに、私。  
・・・好きになってる。この人のこと。  
と。  
 
嘘。  
 
「・・・神子殿?」  
呼ばれてはっとする。泰衡は相変わらずの不審めいた冷たい眼光を飛ばしてくる。  
何処がいいんだ。こんな男の。  
と思いつつ、頬は紅く色づく。  
「・・・ふ、」  
「ふ?」  
「服を脱げ」  
「・・・は?」  
「ほ、本物のヤスなら肩に例のアザがあるはずよ!ないなら偽者だわ!!パチモンヤスよ!!  
わ、わわわ私だまされないんだから――――っ!!」  
突然自分に向けて意味不明な叫び声を放つ望美に泰衡は動揺のどの字も見せず、錯乱する彼女に  
心底から呆れたと言わんばかりのため息をつく。  
「そうか。では俺は偽者だ。良かったな。  
それから脱げと言うのなら日が落ちてからにしてくれ。  
代償はきっちりとあなた自身でいただくぞ。覚悟があるならいつでも来い」  
と吐き捨てて、くるりと前を向いてすたすた行ってしまった。  
とんでもないカウンターを喰らってしまった望美は、何だか心も身体も行き場がなく。  
自分ではわからないけれど、見事な紅顔になっている。  
「お兄ちゃんはだまってて――――――っ!!!」  
わかる人にしかわからないヤス妹の台詞を叫んで、反対方向にウワアアアンと全速力で逃げ去った。  
 
なんで、なんでなんで。  
こんな奴相手に心臓が早鐘を打つ。  
 
高館に戻っても興奮の熱は冷めなかった。  
「そうね――きっとあなたは恋をしているわね」  
打ち明けた親友にまで認められてしまってはもうどうしようもない。  
しかも朔は目を伏せて頬に軽く手を当て困ったような顔をしている。きっと呆れているのだろう。  
それを見て望美も己を振り返り、はっと気付いてうなだれた。  
「そうだよね・・・そうだ。私、そんな立場じゃないのに。  
それに。銀のこと、だよね。朔が言いにくそうにしてるの。  
・・・・・・・ほんと、最低だよね」  
「望美」  
「いいの、わかってる。自分でもそう思うから」  
「望美きいて」  
落ち込む望美の手首をつかみ、朔は視線を自分に向けさせた。  
「これは私の勝手な視点から見たあなたなんだけど――  
きっとあなたは、今いだいているその想いが初めての恋なんじゃないかしら」  
望美は驚いて、ずっと一緒だった親友を見つめ返してしまう。  
「だって、初めて見るもの。そんなあなた。私こそちょっと驚いてしまっているのよ。  
――ふふっ、あんまりにも可愛らしくて」  
「でも・・・」  
「銀殿は本当にお気の毒だったけど・・・だからといってあなたが恋していたという理由には  
ならないわよ、望美。むしろそう思いこもうとしている方が逆に失礼だと私は思うわ。  
『私にあれだけのことをしてくれた人なのだから、私も彼のことが当然好きだった。』  
・・・違うかしら?」  
言葉がのどでつまって出てこない。  
「私にはどちらかというと、あなたが銀殿を追う目は、自分を助けてくれた彼を何とかして  
あげたい――という風に映ったけれど」  
「朔・・・」  
「そんな顔をするということは、当たりかしら。  
なんにせよ望美、あまり後悔に縛られない方がいいわ。きっと銀殿も望んではいないはずよ」  
朔はふと微笑んだが、望美の心は暗くなった。  
 
そうだ。結局、助けられなかった。  
――あの人を。  
朔のいう通りかもしれない。この気持ちは、恋ではなかったのかもしれない。  
でもだからといって起こってしまった現実は変わらない。  
朔の気持ちは嬉しいけれど、後悔するなというのはまず無理だ。  
――だって、あの人は私のために。  
 
「あっ、ごめんなさい、私・・・。駄目ね、励ますつもりだったのに・・・」  
肩を落とす朔の背に、あわてて手を回して顔をのぞきこむ。  
今度は望美が元気付ける番になる。  
「何言ってるの朔、うれしいよ。伝わってくるから、朔が励まそうとしてくれてるの。  
よくわかるから。いつも本当にありがとうね、朔」  
その笑顔を受けて、朔も眉根をよせた困り顔を残したまま微笑んだ。  
「・・・当然よ。このくらい。  
望美が兄上のこと未だに心に留め置いてくれてるのくらい、私も知ってるわ。  
そのぶん少しくらい軽くしてあげたいだなんて、あんな兄上の妹をしていたら誰でも思って  
しまうものよ。気にしないで」  
「朔」  
「それに、そうじゃなくても。  
私達は親友でしょ」  
「朔・・・」  
こんな駄目な自分を親友だと言い切ってくれるこの親友は、本当にできた人だと思う。  
こんな対が近くにいて支えてくれる現状を、なんて幸せなことだと望美は痛感した。  
「・・・でも、望美。  
心ばかりはどうしようもできないものとわかっているのだけれど。  
・・・お相手があの泰衡殿となるとさすがに、私も正直殴ってでも止めたくなるわ・・・」  
「・・・」  
・・・最後に“一体どんな趣味なの望美・・・”という嘆きの本音を聞いた気がした。  
 
 
けれどこの頃はまだ泰衡に対して母性本能というか、同情みたいなものがかなり雑じっていたと思う。  
あの堅物を傷つけそうな事実なので、ひそやかに墓場まで持っていく秘密だけれど。  
 
 

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