三章  蜜月のころ  
 
 
初めての時は、まず最初に手のひらを差し出された。その上におずおずと自分の手を重ねるとすうと  
引きよせられて、手の甲へ静かな口付けを落とされたので、似合わぬ紳士ぶりに驚愕した。  
「ひっ」  
思わず小さな悲鳴を上げる。  
緊張で頭の中がパニック状態の望美に不機嫌な声が問いかけてくる。  
「――おい、何だその ひっ てのは」  
「だ、だって・・・もう何がなんだか」  
目の前がぐるぐる回って焦点が定まらない。身体は意識しすぎてガチガチに固まっているし、何で  
自分がここにいるのかさえ記憶が飛びそうになる。  
加えて。相手は数ヶ月前の望美なら絶対にありえないと絶叫しそうなこの男。  
「・・・黒くない泰衡さんなんて初めて見たし・・・」  
よくわからない言い訳を口ごもる。  
でも、けれど、初めて見る黒衣以外の姿が真っ白い寝着一枚で、これもあと少し時間が経ったら以下略  
で、その前に多分私が以下略で、ああもう知らないよ馬鹿ー略。  
腰より丈のある長い黒髪の束が肩に少しもたれかかってから前の方へと流れている。純粋な和人の血  
から創られる黒と、心の在り方を指し示す色である白の調和がいやになまめかしく瞳に映る。  
いやだ。エロい。無駄にエロい。この人のキャラの方向性からえらい外れている。この人にこんなのは  
求めていない。  
望美が文字通りの真っ赤な顔をして視線をそらしていると、ためらいがちに伸びてきた手が望美の頬の  
手前で停まり、軽く曲げた人差し指と中指の背で皮膚を優しく撫でてきた。  
「怖いか」  
なだめるような呟きが普段の調子とは全く違う。あなた誰ですかとつい心の中で一人つっこむ。  
――この人は、、私の心臓を破裂させたいだけなんじゃないだろうか。とさえ、勘繰ってしまう。  
「何を思っている。言ってみろ。・・・まだ、聞いてやれるぞ」  
こんな状態になっても一歩引いて状況を見ることができるのだけは流石に少々関心してしまった。  
望美の思考回路はもう滅茶苦茶になっていたが、気持ちは伝えないとと顔を上げた。  
思ったより接近している。眉間にしわさえよせていなければ綺麗に整っていて、女を惑わす影をつくる  
顔立ちだとよくわかる。  
――つい、せっかく交えた視線を放り出す。  
「あ、あの・・・ごめんなさい、いや、大丈夫なんだけど。ちょっとだけ、心の準備が・・・」  
「――そうか」  
ホッとしたようだ。拒んだら本当に引いたのだろうか、少しだけ疑問に思ったが、多分嘘ではないのだと  
何故か確信してしまう。私もこの人に相当おかしくなってしまっていると、望美は自覚している。  
この男はどうなのだろうか。  
望美本人が思うのもなんだが、――私より、格段にヤバいと思う。  
 
そもそも、こんな人だったなんて思いもしなかった。  
もっと冷淡で身勝手で、絶対に振り回されるんだと覚悟していた。  
結局の所は望美も泰衡を、孤独の中でも凛と立ち続けていられる一輪咲きの花だと思いこんでいたのだろう。  
他人などかけらも必要ない人間だと。  
望美側だけ勝手に心配して走り回って疲れ果てて、この人は大丈夫だと思い知らされて。  
間抜けに終わる付き合いになるかと思っていた。  
彼に抱いてしまった弱さへの不安を踏みにじってほしかっただけなのかもしれないとさえ思う。  
しかし、実際は案外普通の男だった。  
もちろん表面は相変わらず冷徹で、何を考えているかわからないのも事実だが。  
もっとも人なんて心の柔らかな部分に踏み込んでしまえば皆こんなものかもしれないと思う。  
・・・まあ、望美の場合は壁の外で駄々をこねてしぶしぶ裏口の戸を開けてもらった・・・みたいな気も  
するが。きっと気のせいだ。  
それでもこの仏頂面の下がり藤、最初は何か望美がたくらんでいるのではとえらい無駄な警戒をしていた。  
比較的早く打ち解けていったのは、望美の方がええいどうせ短い付き合いなら何とかして楽しんでやる、  
と氷点下攻撃にも負けず積極的にふるまった効果が大きい。  
大前提で神子としての立場を最優先という決め事があったので逢える時間は限られていたが、なかなかに  
面白味が強く密な数週間が流れた。皮肉の応酬も何だか違った内容を帯びていくのがわかる程に。  
誰にも変わらない対応をする冷たい外面からも色々読み取れるようになった。  
それをもとに接し方を変えると、向こうも何だか変わっていく。いちいちすごく嫌そうだが。  
 
なんだか、これ以上心の中に入ってくるな――と言ってる気が節々でしたけれど。  
この期に及んで諦めが悪いというものだ。  
この男にとって望美が神子という存在以上のものになってしまっていることが、  
もうずいぶん前からだった――ということは、すっかりばれてしまっているのだから。  
 
適当な付き合いと言い放ったわりには何かしら与えたがる男だった。  
奥州の誇る黄金文化の髄を極めた金細工やら金箔入りの漆塗りやらに心を奪われて見惚れていたら  
隣に音もなく現れて、  
「どれがいい。全てか」  
どうでもよさそうにさらりとした顔のまま軽々とのたまう。  
そうなのだ。黄金の都。白い肌。黒い長髪。高慢ちき。といえば、どこぞのおおおーなエジプト王。  
・・・は多分関係ないが、  
この男は金色の光で満ちる平泉の、いうなれば王子様ではないか。  
そうだった。望美はぽんと手を打つ。ある意味すっかり忘れてた。なんて陽の部分をつい忘れさせるのに  
長けてる男だ。  
しかし常日頃から『飽きたらポイ捨て』を懸念している疑心暗鬼の望美には手切れ金をちらつかせている  
としか思えず、むかむかしながらも「いらんからもっと逢いにこんかいこのボケツンデレが」のような  
ことをエセ健気乙女オブラートに幾重にもくるんで伝えたら、さすがにこの王子様も驚いたようで、  
姿を現す回数が増えた。泰衡相手に作戦勝ちしたみたいで望美はちょっとうれしかった。  
欲しくなかったわけではない。けども、望美とて何も知らぬわけでもない。栄耀栄華の都の金産出量は、  
現在かなりの減少数値をしめしているはずだ。その事実に加えて、  
実兄から汚名をきせられ追捕されようとしている九郎一行の一員として、この平泉にはまさに恩しかない。  
――そんな身で、もらえるものではないだろう。  
だいたいただでさえ戦神子という立場で平泉入りしたのに、かんざしさして豪勢なべべきてへらへら  
笑えるか、泰衡の馬鹿。この奥州バンコランが。  
 
後になってみれば、好きな女に贈り物をして喜ばせたいとか、綺麗な装飾品を身につけたところを見たい  
なんて、男心としては全くおかしくはないと思うのだが。  
 
でも親密になってきた頃、流石に奥州の華である特産物をいらないなどと否定し続けるのはまずいと  
思い、意を決して初めて一つ特注加工品をねだってみた。  
――「お前たまに俺で遊んでるだろ」と思いっきり頬をつねられた。  
なんなのだ。金ぴかの等身大くがね像がほしいといっただけだ。どこがふざけているのだ。  
あれは未だに納得できない。飼い主のくせに生意気だ。  
 
甘味の足りない逢瀬の繰り返しではあったが、想い人は時折とても素敵な一面をちらりとのぞかせて  
くれるので、恋をしている少女はそれだけで十分満足だった。  
――まあ、あまり多くを望んでいないというのも一因だったが。  
なんせ『すぐ終わる付き合い』宣言されてたし。  
 
一度、後白河の義経追討の院宣にどうしても憤慨を抑えきれず泰衡に八つ当たりしたことがある。  
「もう本当に信じられない!!熊野で怨霊から助けてあげたのは誰だと思ってるの!?  
今度あのじいさんに会ったら速攻で院宣取り消させた後、問答無用であの頭ツヤが出るまで磨いて  
やるんだから!泰衡さん止めても無駄ですからね!私は本能のままに磨きます!  
はあーきゅっきゅっ」  
球体を磨くそぶりをする望美は、絶対馬鹿にされると覚悟の上での  
さあかかってこいやあな言動だったのだが、  
当の泰衡は表情も身体も微動だにせず返してきた。  
「そうか。  
ではその時に備えて、京からきた工人どもにでも上質なつや出しの技法を教わってくるといい。  
あなたが磨くのならさぞ望月と見まごう程の満ちた光を放つのだろうな――  
どんな腹黒い狸のハゲ頭でも」  
そう言って、少しだけふわりとした優しい笑みを見せた。  
望美はついそれに乙女心をときめかせてしまう。  
嗚呼。この、たまに見せてくれる極悪なノリの良さが、私の芸人の部分をつかんではなさない  
のね――と、頬を染めるのだった。  
 
――恋心などというものは所詮タチの悪い麻薬の一種である。  
ラリる望美の目がもし正常であったなら、黒衣の恋人の  
ものごっつい凶悪で人を馬鹿にしまくったニタリ笑いしか見えなかったはずなのだ。  
恋は盲目とはよく言ったものだと感心する。  
 
男は表情無く眉間にしわをよせ続けてその闇夜を保とうとするが、  
女はそれに染められることはない。  
最初は自分だけ笑っているのがつらかった。空しいと思っていた。  
だけど、そうじゃない。それは違うと気付いた。  
この人の心は自分から外されることなくちゃんと追ってきてくれていると、わかってしまった。  
その動かぬ頬に手を添えて、彼の為だけに花咲くような笑顔で笑う。  
相手は微塵も変化を表さないけれど、振り払うことも、眉根をよせることもない。  
初恋を実らせた、無垢で幼く純真な月の光は、次第に暗がりの世界を照らし出していく。  
それが良いことだと信じているからこそ、凶暴な程に。  
 
 
 
そんなこんなを纏めると。  
話をして、ケンカになって、皮肉を言い合って、ケンカをして。馬に乗って出かけた先で大ゲンカして、  
仲直りして初めて口付けをして、やっと恋人のようになれたと喜んだらまたケンカをふっかけられて。  
時折忠犬くがねの絶妙なキューピットサポートに助けられ、それでもケンカして。  
九郎はちょっと頭がアレだという点で意見が一致して二人でため息をつき、秀衡がうれしそうにくうっと  
泣きながら物陰より見守っているのにも気付かず、望美がポートピアを熱く語り犯人がひきつり、  
ケンカして、目が合って、そのままで――――  
気がついたらこんなことになってました。という、長々やったわりにはくだらないオチだった。  
 
 
四章  似た闇からの警告  
 
 
想いが実りゆく中途、気にかかるエピソードが一つ発生していたけれど、望美はあまり気に  
留めなかった。留めるべきだったのに。  
この恋心は朔と白龍にしか打ち明けていなかったのだが、事を明確に察知してしまっていたりする  
黒い・・・いや鋭い人間も、八葉の中にはいたりするわけで。  
武蔵坊弁慶その人なのだけれど。  
「君はいけない人ですね」  
と、お決まりのフレーズを口にして、哀しげに染めた端正な顔立ちを向けてくる。  
「二人で休む間も惜しんで戦の準備をしていると感心していたのに。まさかそのようなことに  
なっているなんて」  
「ごごごごめんなさい。でも」  
「わかっていますよ。もちろん鎌倉攻めが最優先という決め事はしっかりあって、恋仲として逢える  
時間は限られているのでしょう?」  
くすっと笑う。  
か、かなわないこの人には。と望美は縮こまる。  
結局口外しないという約束の代償として、次の日を丸一日弁慶に預けるというはめになった。  
な。なんなんだろう。びくつきながらついていくと。  
――なんのことはなかった。あの仏頂面と望美が対等に付き合えるのか、と心配してくれていたのだ。  
 
午前中は、「何か強迫的な言動をしてきた時はこれで迎撃を」と言って、一体何処から仕入れてきたのか  
泰衡の子供時代から現在に至るまでの様々なアレな小話、逸話を多数伝授してくれた。  
・・・その中にはどう考えても他人が見ているはずのない場面のものを含め、実に種々取り揃えてあって、  
改めて弁慶だけは敵に回したくないと思い知らされた。  
 
昼になると、  
「まあそういうこともありますから、せっかくですしついでに。  
もちろん君は何も悪くなんてないのですけれど、その望月の光に愚かに惑う男というものは  
これから先も必ずいるでしょうからね」  
と多分な甘言と共に、男に襲われた時の効果的な対処法などを教えてくれた。  
「・・・いやでも弁慶さん、男の人ってこれすっごくキツいんじゃないですか?」  
「何をいうんです望美さん。むしろすり潰してやるぐらいの勢いでいってください」にっこり  
「ひいい――!!」  
 
午後は午後で、「こういう時薬師を生業としていて良かったと思いますね」とかなり踊る声色で  
明らかに常人には必要ない薬その他を並べられ、効能の説明を受けた。  
・・・これ絶対個人的に使ってみてほしいだけなんだろうな。さすがに望美でもわかる。  
何だかうごうご動く物体やモザイク必至の何かに囲まれて、あっという間に夕暮れになった。  
この日一日で望美は何だか人生観が変わった。  
はい、弁慶さんに逆らおうなんて一生涯思いません。  
 
 
帰り道。鮮やかに夕日で染まる空を見上げながら、弁慶はぽつりと呟いた。  
「ねえ望美さん。君は九郎と泰衡殿が似ていると言ったそうだけれども。九郎という同じ光に  
焦がれ、その光が多くあたる場所にいたいと願ってしまう点では、僕と泰衡殿はとてもよく似て  
いるのかもしれません」  
「そうなんですか?」  
「ええ。ある意味強烈ですから、九郎は」ふふっと微笑む。  
「もっとも形はまったく違いますけれどもね。泰衡殿の表現方法は僕には少々理解致しかねます」  
「・・・」  
何を言いたいのか手に取るようにわかって悲しい。  
「・・・九郎は。  
今はまだ少々、兄上兄上と煩いかも知れませんが・・・そこが九郎の人を惹きつける、信じ  
貫こうとする純粋さという輝きの基の部分なのかもしれません。時間がないのはわかっていますが、  
お願いですから、もう少しだけ――待ってあげてくださいね」  
「・・・はい。弁慶さんがそう言うなら」  
お互いに少しずつ笑みを多めにのせて、頷きあった。  
 
もうすぐ高館に着くというころ。  
望美が今日一日のお礼をのべようとすると、  
「ああいけません、お礼なんて言ってはいけないんですよ君は」  
と止められてしまった。  
「何故ですか?」  
「だって望美さん。今日は泰衡殿が君のために丸一日を空けた日だったんですよ?忙殺の合間を  
縫って。朝方文が届いたのですが、僕が握りつぶして君をさらってしまったというわけです」  
これ以上ないというくらい輝かしい弁慶スマイルの背後に、見事な花々が咲き乱れる。  
沈黙。  
「ええ――――――っ!?べべべ弁慶さんそんな――――――っ!!!」  
「ふふっ、許してくださいね望美さん。  
僕もそれなり忙しくて、今日くらいしか空きが見つからなかった、というのは本当ですよ。  
それにね――  
求め焦がれたもう一つの光、満月の方は――  
これだけつけていた差をあっさり抜かれて持っていかれてしまったんですから・・・  
このくらいの意地悪はさせてもらわないと割があいません」  
・・・どこまで本気なのだろう、この男も。  
「さて日も暮れてきました。これから伽羅御所へ向かうというなら僕もお供させてもらいますよ」  
・・・なんだ、それは。弁慶さんVS.泰衡さんの構図になるのか、つまり。  
・・・この世の深淵にある暗闇でも呼ぶ気か。  
「このまま帰ります・・・」  
「そうこなくちゃ」  
にっこり。  
・・・ぐうの音も出なかった。  
 
高館前。弁慶の歩がふと止む。数歩先に進んでしまった望美が振り返ると、潔い決意の表情を  
した地の朱雀がそこにいた。  
「望美さん、君は決めた。進むべき道を。僕は。――いえ、僕達は」  
間をおき、重さをつけて言い放った。  
「君を信じています」  
唐突すぎて驚きを隠せなかったが、望美もまた真正面で対峙して誠意で返答した。  
「はい」  
弁慶は少し悲しげにうつむき、軽く丸めたこぶしを額に当てていった。  
「『人の恋路を邪魔する奴は馬に』――などと言いますが。正直、この状況下で君達のような二人が  
性急に近づいてしまうのはあまりおすすめできませんね――  
・・・君達の性分からすれば仕方ないことかもしれませんが。  
望美さん、所詮闇は光に勝てません。所詮孤独はぬくもりに――勝てないのですよ」  
何を言っているのかその時はまだよくわからなかった。  
ただ、心配してくれているのだけはよく伝わってきた。  
高館前の仁王立ちの死。あまりにも有名な、それを避けるため選んだ道でもある。  
望美は無意識に弁慶の黒い布をぐっとつかみ、無言で目を見つめ、あなたも私が必ず守ると訴えた。  
対する弁慶は目を丸くする。  
「おやおや。他の殿方と穏便に付き合っていくための手ほどきをしたばかりだというのに。  
君という人はそんな目で僕を見上げるのですね」  
そういいつつも弁慶は、何の他意も含まない微笑を望美のために浮かべてくれた。  
「君は本当にいけない人ですね」  
穏やかな二人の間を、弁慶のキャラソンがBGMとして何気なく流れていった。  
 
この数日後、ついに九郎は懐柔されることとなる。  
皆それぞれに頑張ったけれど、やはり弁慶の働きが最も大きかったのは言うまでもない。  
 
ところで。望美的に、弁慶とすごした次の日は地獄だった。  
瞬間冷凍しそうな視線をモロに浴び続けながらただただ謝り倒す、長い長い時間を泰衡に強いられたので。  
文を持ってきてくれた者のせいになどできない。  
ましてや実は弁慶さんが以下略なんて口が裂けても言えない。  
弁慶自身は庇うことを全く望まなかったが、平泉に黒い灰を撒くことは避けたかった。  
必然的に文を受け取った望美がただ忘れてただけ、という嘘の結末に陥る。  
望美はこの日一日で、泰衡なら某キグナスのダイヤモンドダストを絶対撃てると確信した。  
色は黒だろうけど。泰衡の馬鹿。どうせなら伝説のキグナス白鳥音頭も是非舞ってください。  
いや泰衡さんなら黒鳥か。  
・・・だったら私を責める前にオディール32回転きっちりスピンしてみせなさいよ!  
だいたい私がひろみなら泰衡さんはお蝶夫人でしょう!?  
今は二人で手を組んでダブルスの試合の真っ最中なのよ!  
コートにいるのは私一人じゃないはずよ!馬鹿ー!!  
と思考がカオスワールドへ逃げ出してしまうくらい大変だった。  
あまりにも無視されるので流石にかちんときて、移動途中の泰衡の前に立ちふさがり、  
ええいっとばかりにぎゅうと手を握ってみた。  
どうだ、何か反応してみなさい。にやりと上目遣いで笑ってみせる。  
面食らうとばかり思っていたのに、泰衡は変わらずの零度の眼差しで「それで?」と吐き捨ててきた。  
その挑発にのってしまい、望美は目もとまらぬ速さで近づいて、これでどうだと今度は口付けてやった。  
そしたらそのままぐいと物陰にひきよせられて、続けろと命令された。  
 
付き合い始めてから始めて、長く長く抱き合っていた。望美は泰衡の首に手を回して、泰衡は望美の  
腰に手を回して。口付けてはにらみ合い、口付けては皮肉を飛ばしあう。一体どんな恋仲なんだと  
己でも呆れたが、まあこれが私達のかたちなのかなあと思い、そして格段嫌でもなかった。  
 
――余計なことをしたかな。  
風に吹かれてそう思う。  
弁慶としては確かに余裕の、勝算ある賭けではある。  
泰衡には悪いが、所詮弁慶達と泰衡とでは共にくぐって来た苦境の数が違うのだ。絆が違う。  
少し心配なことにはなったが、望美は絶対に自分達を捨てられまい。  
それ以前に。彼女も泰衡も、そこまで愚かしくはない。  
――この地を発つまでには、きっちりと決着をつけてくれていることだろう。  
 
ただ。  
二人が最終的に被る精神打撃量を換算すると、さすがの策士も心苦しくなってしまうようだったが。  
初めて男を想う少女と、延々と感情を封じてきた闇色の主。  
想いあうには二人ともあまりにも、心痛むほどに幼すぎる。  
それでも。  
『馬に蹴られて死んじまえ』なのだろうな――と目を伏せた。  
 
 
 
ちなみに。結局弁慶が伝授した対泰衡用迎撃マニュアルは――  
望美が奥州の王子様と対等に付き合っていくための凶悪極まりない飛び道具として、これでもかと  
いうくらい役に立った。  
昼に受講した文字通り必殺の残虐破壊攻撃(男限定)と、  
効果を聞くだけでついひきつるヤバい薬の出番だけは、さすがに最後までなかったが。  
 
 
五章  源九郎義経  
 
   
数日後。九郎に連れ出されて、他に誰もいない雪だけが残る静かな大地の上にいた。  
共に立ち上がる決意を真摯な眼差しで伝えられた。  
ただでさえ嬉しいのに、まず伝えるのは望美から、と思ってくれたのがさらに望美の胸を満たした。  
いつもまぶしい彼の破顔がさらに輝いてみえた。  
 
「・・・ところで、望美。お前にこんなこと訊くのも何なんだが・・・  
泰衡殿とも近しくなったお前なら、もしかしたら、と思うので訊きたいんだが・・・」  
言いにくそうに目を伏せ胸に拳をあてて、やや身体を傾ける九郎。  
「何ですか?何でも言ってください」  
望美は優しい声を出して先を促した。  
「・・・・・・あのな。・・・・・・・。弁慶と泰衡殿って・・・・何か、似てないか?」  
沈黙。  
「似てます」  
「そっ、そうか!お前もそう思うか!良かった!本当に良かった!!こんなこと普通誰に言った  
ところで理解などしてもらえんからな――」  
ものすごい喜びようを示す九郎に、理解者望美は驚く暇もないほど同情を感じていた。  
だって。――この堅物九郎が感激に任せて望美の両手指に自分の同じものを絡めて強く握っている。  
それだけでもう。  
普段の九郎が大量に蓄積している、いやさせられているストレスの蠢きを感じざろうえない。  
 
ああ、九郎さん。  
勇猛果敢な英雄のあなたも、  
ちょっと阿呆っぽいと言われ続けるあなたも、  
赤い彗星のごとくギャグシリアスあっち方面と何やらしても使い勝手の良い素敵なあなたも、  
やっぱり一人の普通の人間なんですね・・・  
 
でもね、九郎さん。  
九郎さんは九郎さんで大変なのはよくわかってるんですが、私も立場的にせつなかったりするんですよ・・・。  
例えばほら、好きな男のキャラソンとか、キャラソンとかキャラソンとか・・・  
だってあんなんアリですか?乙女ゲーですよ?普通は野の花でしょ?  
さあ好きに解釈してくれと言わんばかりの熱い友情ソングですよ?しかも九郎さん限定ですよ?  
ドキドキしながら聴いてたのに、もう私そのまま真っ白になるしかなかったですよ。  
ああ、今ならわかる。わかるんです。  
真っ白に燃え尽きたジョーの気持ちが、真っ白になった対戦相手のホセの頭が・・・  
 
望美がフフフフと怪しげな微笑で真っ白い世界へ逃避している間も、御曹司の苦悩の告白は続いた。  
「そう、何処がと問われると困るんだが――二人とも、俺にはかけがえのない人間には間違いない  
――それは永遠に変わらぬものといっていい――だが、だが――・・・」  
「・・・なんか、アレなんですよね?なんか黒いモノが自分のまわりでうごうごしてるみたいな感じ」  
「そう!そうなんだ!!わかってくれるか望美!!」  
「弁慶の笑顔がたまに無性に怖い」  
「そう!!!」  
「泰衡殿に至ってはおどろおどろしいとしか言い様のない怨念まがいの視線を常に送ってくる」  
「望美――――――――――ッ!!!!!」  
今明らかに九郎の中では例の星が爆発的に打ちあがっているのだろう・・・  
・・・こんなんで好感度あがっても決してうれしくはないが・・・。  
・・・この兄弟子のことはできる限り支えてあげなくてはならないな・・・心と精神の方を。  
望美は半目になってハハハハと心のない乾き笑いをこぼした。  
そんな望美の額に己の額を押し当てて、九郎は目を閉じ苦しげに吐き捨てる。  
「ああ望美・・・何故俺はあいつらから一歩でも遠のきたいと願ってしまうんだ・・・・!!」  
「九郎さん・・・。ああ九郎さん、わかります。きっと牢に閉じ込められてるくらいつらいんですね。  
でも九郎さん、いいんですよそれで。そうやって吐き出せば。  
大切な人達だからといって丸ごと全てを受け入れなくてもいいんです。  
そんなことしてたら九郎さん、壊れちゃいますよ。  
私だって泰衡さんに、背後から全力でかめはめ波撃ってやりたい時があります。  
だから、これからはそういう心にたまっちゃうことは、ばんばん私にブチまけてくださいね。  
私ききたいです。九郎さんが楽になれればうれしいから。・・・仲間なんですから」  
歪んでいた九郎の顔からすうと苦悩が消されていき、晴天が広がっていく。  
その両目には、微笑む望美が映っている。  
「望美・・・ありがとう。恩にきる。本当に俺は良い仲間に恵まれているな。  
そうだな・・・俺はこの幸せをもっとかみしめるべきだな」  
二人、口端をあげたまま、無言でこくりとうなずきあう。  
ここでやっと九郎は自分が彼女にありえないほど猛接近していることを自覚する。  
す、すまん!!と例の照れ姿を見せてズザザと遠のく兄弟子が、あまりに可愛らしくてくすと笑う。  
 
そしてついでに気付かなくてもいいことに気付く。  
 
ん。あれ?  
ちょっと待って?  
ひょっとして九郎さんがここまでのブラコンに陥った原因て、  
・・・まわりがこんなだったからも一因だったりする?  
 
・・・・・・・・。  
えーと。  
・・・まあいいや。  
英雄だって、そう!たまには弱音も吐かなきゃ駄目だよね!そうそう!!  
く、九郎さんも私が守ってみせるっ!!  
覇道を歩む決意をした神子は、無理やりに話をまとめ強制終了をかけた。  
 
 
・・・・わかってます。お願い。よくわかってるから。何も言わないで。頼みます。このとおり。  
 
 
帰り道を二人でたどる。隣を見やると兄弟子がふっと微笑む。  
息がぴったりだと言われた時の事を思い出す。  
反論する台詞もタイミングも同じで、さらにからかわれたっけ。今となれば良い思い出。  
この道は、トンデモモンゴルルートでも、見る者を萎え殺すアニメの待ち構える許婚絶叫ルートでも  
ないけれど。  
生き続け、輝き続ける源九郎義経の力になることができて、この純粋な信頼と友好の笑顔をずっと  
注いでもらえる人生というのは、なかなか素敵なものなんじゃないかと思った。  
 
できることなら。  
一秒でも一瞬でも長く、――好きな男と共に、その幸福を分かち合いたいと願う。  
 
 
・・・まず少しは九郎の身になって己の視線を省みてみるということを教えなきゃいけなそうだが。  
 
 
六章  交わる熱  
 
 
最初は勢いでどうとでもなるが、しばらくもすれば経験の差がありありと表れて両者を分ける。  
この男が初めての相手である望美には始めから分が悪かった。  
口付けるばかりにも飽きてくると、男などという生まれついての馬鹿は調子にのるもので。  
その唇は望美の顔の所々になだらかに移動しては時折軽い音を立て、横にある耳の柔らかな部分を  
甘咬みし、小さく息を感じさせるとそのまま首筋をゆっくりと降りていった。  
動きの遅さがかえって一つ一つの愛撫の感触を強めるので、似合わぬ優しげな甘さはさらに増して伝わる。  
望美の両腕は既に絡めを解いたというのに、望美の腰はしっかりと固定されていて動かない。  
さすがに見も心も火照ってきて焦る。  
首から上だけしか触れられていないのに、全身が疼いてたまらない。  
「やっ、泰衡さっ、ちょっ・・・あっ。ふあっ・・・」  
自分でも初めてきく己の甘い声が響く。きかれた、と思うと恥ずかしさで軽い目まいを感じた。  
「反省したか?」  
訊ねられてはっとして、感じていた甘みをはね飛ばす。  
「してます!超してますハイ!だ、だからもうやめてー!」  
「下手に他人など庇いだてするとろくな事にならん、と学んだか?」  
「ハイもうとっても!!・・・・・・・・ん?・・・・・・・・・・・・・・・・・。  
・・・何?庇いだて?って言いました?今・・・・。  
 
・・・・き、気付いてたんですか――――――――ッッ!!!?」  
「流石に八葉のどいつかまではわからんがな」  
良かった!!  
いや違う!!  
「ひっ酷・・・」  
猛烈な反撃を試みて口を開く。  
が、背に回された腕にぐいと距離を縮められ、再度の口付けで不満を塞がれてしまった。  
「うう、んむ・・・っ」  
ずるい。何だかすごくずるい。なだめるように優しく舌を絡めてくるのがさらにずるい。  
 
「――で?  
俺があなたの再三にわたる『一日くらい一緒にどこか遊びにいこう』の猛攻に惨めに屈したというのに、  
そのために用意した一日を見事に蹴り飛ばされた、というのはなんら変わることのない事実なのだが?  
――八葉がしでかした事の埋め合わせは勿論あなたがなさるのだろうな?神子殿」  
「ううう、わかった、わかりました、何でもするから今は離して・・・」  
支えられていなければ今にでもふにゃりと崩れ落ちそうだ。もしくはでろでろ溶け出しそうだ。  
「今宵は共にすごせるか」  
「はい!はいもういくらでも・・・・・   こよい?」  
我にかえる。今宵。今夜。今晩。・・・・・・共に。  
「え・・・」  
流石に意味のわからぬ年齢ではない。  
驚きで染まり、大きな目をさらに見開いて相手を見つめる。変に線が細く繊細に映った。  
顔と顔が近い。細めた目のまつげの一本一本までよくわかる。  
・・・冗談でかえせない。  
「あなたを抱きたい」  
皮肉屋なはずの想い人は、蛇行もせず嫌味も含めずに真っ直ぐな言葉を口にした。  
ぐらりと傾く。  
目まいがひどくなる。  
「・・・嫌か」  
――ずるい。  
どうせ、断る理由を持っていないのがわかっている。  
 
 
 
・・・正直床までいく仲へ進展するとは思っていなかったのだ。  
深く付き合う気はないって言い捨て続けてたくせに。  
何故そんなに身をよせて、顔をのぞきこむ。私が視線を与えるのを望んでいる。――宝物のように扱う。  
現に今、望美の方が軽くひいてしまっているくらいの想いを寄せられている。  
この人は変わった。表面からはけしてわからないが、変わった。望美が変えたのかもしれない。  
落ち着くまでこうしていると優しく抱かれているだけで、望美はもう十分おかしくなりそうで。  
春近しとはいえ未だ雪の名残る奥州の冬。凍てつく大地は人と人との距離を縮めさせるのだろうけど。  
遠く、遠くからその腕の中へとたどり着いた望美には、抱きしめるぬくもりが余計に伝わってしまうことを、  
多分この土地を深く愛しているこの男は知らない。  
 
「もういいですよ。――うん、落ち着いた」  
そうか、と短い了承。  
広がる白布の上に寝かされると、しゅる、と小気味良く封印がほどかれる音。  
落ち着いたと言ったわりには思わず心の内でぎゃあああああああきたついにきたあああああと  
開始の合図をわめき散らした。  
あまりの気恥ずかしさについ腕で覆い顔をかくす。  
変な表情を笑われたり皮肉を言われたりしたら、喧嘩を仕掛けてしまいそうで。  
だから、顔が見えないと不満げに呟かれた時は本当にどうしようかと思った。  
泰衡は「大丈夫」と、何度繰り返したかわからない三文字を再度口にして、戸惑う望美の手首を持ち上げる。  
「笑いも皮肉ったりもしない。――怯えるな」  
見透かされてる、と頬にさらなる紅をさす望美の唇を、泰衡の軽く開いた口からのぞく赤い舌がかすめたが、  
拒まれていないのを空気で読み取ると深く入ってきて口内で絡んだ。  
優しい。気持ちが静かな波を取り戻してゆく。軽い音と共に離れていってしまうのが名残惜しかった。  
(・・・中に誰か別な人、入ってるわけじゃないよね・・・)  
うっとりとしながらもとんでもなく失礼な疑念を抱いてしまい、あわててかき消そうと目前の男の名を呼ぶ。  
「やっ、ややや泰衡さん、あの・・・!」  
「・・・?」  
「えーと・・・その・・・」  
用があったわけではないので後が続かない。困った。  
『は、犯人はヤス!』とか言ってごまかしたらまた思いきりつねられそうだし。  
――結局、頭の引き出しからはこれしか出てこなかった。  
「ええと――す、好きです。大好きです――泰衡さん」  
何か返してくる前に、がばっと彼の首に両腕を回し必死にしがみつく。絶対からかわれるとふんだ  
己の紅潮しきった顔を見せまいと躍起になっていると、背中の向こうでは小さな笑い声がしばらく  
続いた。  
 
寝着を解いて現れた裸体はなめらかな絹織のようで、透る白い肌と潤む宝玉の瞳をはめこんだ震える  
表情は男の乱暴な衝動を強く駆り立てるものだったけれど、望美に触れる手のひらは彼女の  
初めての怯えをよくわきまえていて、ただただ欲しいという欲求まかせになることをしなかった。  
弾力で返す柔らかなふくらみをもみしだかれ、その先端を口に含まれたり指で弄ばれたりする。  
「・・・・っん、・・・・・っ」  
舌はざらと熱く、指は無視しようと試みても、意地悪く快楽を呼んできた。  
漆黒の黒い髪が望美の肌の上でうねり、広がる。この男を選んだのだと、今更ながら自覚する。  
そのうち下肢に手が伸びると、自分の世界で横行していた下卑た雑誌によくある『やっ!そこ汚いよ・・・』  
みたいな台詞が本当に出そうになった。格段に跳ね上がる快楽の波にあっという間に押し流されて  
消えてしまったが。  
「うう・・・っ、ん・・・ん、んぅ・・・あっ、・・・」  
先程から内側にとどめたいのに漏れゆく声が、こもった音で外に出て行く。自分の太股の間からは  
唇ごと秘部を刺激する舌が、初夜の望美には耐えがたい淫猥な音を静かな部屋の中に投げ出していた。  
途中、無理にとどめないで声を上げた方が楽になると言われてしまい、これ以上困らせないようにと  
大人しくうなずいた。初めてで仕方ないとはいえ、いっぱいいっぱいそのもので申し訳ない気持ちになる。  
気遣ってくるから、余計。  
舌の次に侵入ってきた長い指に身体がのぞける。我慢するまでもなく跳ねるような声があがった。  
秘肉の壁が指に絡みつき締めつけて、その入り口からは指の動きとともに熱過ぎる愛液がとめどなく  
あふれ出す。  
のぞける身体が吐く息が熱く甘くなっていく。  
外部からの刺激に加え、今好きな男の目に自分がどう映っているのかと心にかけると、目にはうっすら涙が  
にじむ。普段は喧嘩ばかりで皮肉を飛ばしあう相手の女が、全てをゆだねて自分の送る快楽ごとに  
身をよじらせるというのは――一体どう感じるものなのだろう。耐えきれず、目をぎゅっとつぶる。  
 
それにしても。  
先刻から耳からの刺激にも身構えてるというのに、全然言葉で乱暴してこないのはどういうことだろう。  
この男の皮肉はオプションだから、散々な言葉攻めに遭うと覚悟していたのだが。  
どうしてだろう。戸惑う嬌声をあげつつも、気恥ずかしさからの逃避も兼ねて理由を追いかけてみる。  
 
 ひどいことはしないから、ということなのかな。  
 だから気持ちを言葉にしない分はわかってくれ、ってことだろうか。  
 つまり、ずっとこのまま大事にするから、となって・・・  
 
 最終的には。  
 もうどこにもいくな、と。  
   
 ああ、そういうことか。  
 
 
わかりにくいなあ、もう。・・・この人らしいけど。  
 
一瞬だけ穏やかな気持ちに満たされたが、それもすぐ下肢への新しい快楽の波でかき消された。  
 
やがてゆっくりと入ってきた指はゆっくりと出ていき、抜け出す時にひときわ大きな甘いしびれを  
残していった。身も心も薄紅の彩に染まった望美は今、自分が息をのむしかない程の艶やかさを  
帯びているのがわからない。身体ごと浮遊しているような錯覚。とろんとした瞳は当てもなく宙を  
さまよっていた。  
ただ、ああ次かな、とだけ思う。  
 
力を抜くよう言われても、やはり破瓜は強い痛みを伴ってやってきた。  
奇声に近い悲鳴をあげてしまい、自分に覆い被さる身体に無我夢中でしがみつく。  
大丈夫、と何度も約束してくれたのを必死に信じようとする。  
柔らかな肉の壁はゆっくりと挿入を受けとめて、だんだんと奥の方へと沈めていった。  
「・・・うあっ、っ、あぁ・・・」  
それでも、やはり。ほんの少しだけ、逃げられるものなら逃げたいという思いが脳裏をよぎる。  
やめて、という言葉がのどまで迫り上げた。  
「――――はぁ、はっ・・・」  
荒い息遣いのまま顔を横に倒すと、行き場を求めて自分が放り出した片手に別の手が絡んできたのに  
気付いた。指と指とが交わって、大きい手の方が少し自分と絡めを強くしたのが瞳に映る。  
驚いた。手が、つながってる。――この人の方からつないできた。  
改めて身体だけを求められたのではないと知る。  
おぼつかない意識の中、正直何をされるのか――と怯えていた事実を少しばかり恥ずかしく思った。  
けれど。  
あまりにも甘くて優しすぎて、――逆に惑う。  
本当に。どうやら、知らぬ間に。ほんの少しでもいいから近づきたいと彷徨う間に。  
――かなりやばい所まで足を踏み入れてしまったようだ。  
その彷徨いの暗い森の主は、望美が少し落ち着きを取り戻したのを察したらしい。  
彼女の頬に軽く己の頬をよせた後に幾度目かの口付けをしてから、  
「――――少し、動く」  
とだけ言って、腰に手を添え少量の交わる快楽を求めだした。  
痛みの芽は摘み取れないが、動かれると酔わされるような甘美が訪れて下肢から全身へ広がる。  
物理的に与えられる甘味ではなく、心の方に注がれる甘酒と見守られる視線が律動により  
効いていくのだとわかる。  
初めての躯は締めつけるのだろうか。少々苦しげな面持ちで、相手が小さく呻いたのを耳にした。  
もう一度、黒い髪の緩やかに流れる首に手を回した。ひきよせると簡単に望美のもとに落ちてきた。  
熱が交じる。鼓動が伝わる。吐息がまた少し熱くなる。  
絶頂の近い上の空な頭で好きな男の名を何度も呼んだ。何度も何度も。  
お互いの髪がさらさらと何度も絡み合う。  
「――――っ・・・」  
望美がついに限界まで昇りつめてくたりとなると、彼女を気遣いながら攻め立てていたものは  
早々に躯から引き抜かれ、熱いものが外で吐き出された。  
愛液と血にまじり、白い皮膚の上で情交の跡になって残る。  
終わった、という安堵と解放感と、心からあふれて満ちる幸福感とを混ぜこぜにした大きな息がもれた。  
・・・少し、何故か違和感がよぎったけれど。  
頭を撫でられこめかみに口付けられると、何もかもどうでもよくなる。  
好きな男が優しくてとてもうれしかった。  
だから、まあいいやですませてしまった。  
 
「・・・一つ、言わせていただきたいのだが」  
心臓がとびあがる。  
「はい・・・」  
胸を高鳴らせて言葉を待った。  
初めての秘め事の後、ささやかれる言葉といえば大抵甘いものと相場は決まっている。  
 
――――普通なら。  
 
この男ときたら、心底から嫌そうに望美を睨みつけて苦情を吐いた。  
「・・・うるさい。突然狂ったみたいに人の名前を連呼するな。甘ったるい声で・・・耳障りだ」  
すごいです。  
初夜からダメ出しです。  
さすが鎌倉侵攻なんてトンデモ行動一緒に起こす心強い相棒です。本当にありがとうございました。  
あっけにとられる望美の目前で大きなため息をつき、また彼女に倒れこんだ。乱暴に一言投げ捨てる。  
「・・・頭の中が真っ白になった」  
・・・。  
ええと、それは。  
怒っていいのかわからなくなった。なんだか非常にずるい。  
「えーと。それはどうも・・・すいませんでした」  
釈然としないものはあるけれど、ついそう言ってしまった。  
 
もう眠ろう、ということになった。後始末まで手ほどきを受けるとさすがに目を合わせづらい。  
無言でうんうんと首を縦にふる。  
終わったらもう用はないとばかり背を向けられるかと心配していたが、ちゃんと共に夢へおちるまで  
抱いていてくれる気らしいので安心した。  
良い初夜だったと思う。  
名残る痛みさえも自然に感じる。この人で良かったと思う。  
――夢のほとりでもまた逢いたいと思う程、心の中での存在比率が高まっている。  
「・・・おやすみなさい、泰衡さん」  
「ああ」  
返事をした。当然といえば当然なのだが何だかくすぐったい。  
「・・・また明日。神子殿」と、望美の髪を一度だけ撫でつけた手のひらの主はささやいた。  
しかし、どちらかというとその声は、明日も目覚めたらまたこの女に逢えるという幸福が勝手に  
口から出た、といった感じであった為。  
「ひいいっ!!」  
その好きな女は再度全身ひきつることとなった。  
「・・・・」  
焦がれてやまない甘いムードなどというものをかなりの割合で自分で踏みにじっているのに、  
この望美は悲しいかな、最近気がついた。  
「何だ・・・今度は・・・」さすがに疲れた顔にのせる呆れの色が濃い。ぐったりと低い声で問う。  
もうどうにでもなれといった風である。  
「すすす、すいませんだって今の、全然いつもの神子殿って呼び声と違ったんだもん・・・」  
ドキマギとしてまた赤く染まる頬をのぞきこみながら、相手はまたやれやれと言いたげな息をつく。  
「――それでは逢瀬時の俺は、直にあなたの名を呼んでも許されるということだな」  
「え・・・」  
異存などあるわけがない。むしろ呼んでほしい。  
そんな強引なもってき方しなくても別にOKなのにと思う。  
・・・が。  
「泰衡さん・・・私の名前ちゃんと正確に覚えてますか?間違えたら私多分暴れちゃいますよ?大丈夫  
ですか?わざと他の女の人の名前呼ぶとかいう意地悪もなしですよ?」  
「・・・あなたは時折とんでもなく萎えることを言うな・・・」例の星がボロボロ落ちる音がする。  
「・・・間違えたらそれこそ暴れるなどと言わず、ご自慢の剣で一突きになさるといいだろう」  
耳元で呟かれた名は正しかった。  
が、先刻の『神子殿』より、遥かに――まったく何処から出してきやがったのか――  
艶やかで蜜の濃い甘い声だった。  
絶対わざとだと思った。  
結局またひいいいっと鳥肌をたてる望美に覆い被さって、何度も呼ぶ口元が笑っていたから。  
 
 
 
 
 
 
 
だんだん だんだん 壊れていったのだ。この人も、私も。気付かぬうちに。  
暖かな陽だまりに放置され、音もなく腐りゆく果実のように。  
 
 
朝。時折響く小鳥のさえずりの中、思いは自分の世界の歴史の中にいる男へ向かう。  
 
そういえば自分の世界での泰衡さんて、最後には源頼朝の要求に屈して、兵を高館へさしむけて・・・  
その後結局家来に裏切られて討たれちゃうんだよなあ・・・で、無残に晒し首。  
中尊寺蓮――泰衡が蓮。そうだ、以前インターネットで見かけたことがある。大輪の美しい古代蓮。  
八百年ずっと泰衡の首と眠っていた種子は数年前目覚め、鮮やかに花開き、大地を彩っている。  
信じられないぐらいきれいで清浄な花。  
思い出して、望美はついぶるりと震えた。――あちらでの話だ。こちらではその花は存在さえしない。  
・・・そう、関係ない。  
奥州藤原氏百年の栄華。終止符を打ってしまった四代目。  
兎角マイナスイメージの強い人物だが、最近では見直しの動きも結構あるらしい。無能、優柔不断と  
誤解され続ける彼の生涯を紐解こうとする人達がいてくれるのを、直接関係ないとはいえこちらの  
世界での泰衡とこんなことになった望美はつい嬉しく思い、感謝してしまう。  
しかしつくづく理解されない男だ。あっちでもこっちでも。  
 
――まあ、何にせよこちらの泰衡さんに縁遠い話には違いないんだよね。  
九郎九郎九郎超九郎って感じだし。  
うん、そうそう。  
 
・・・そう。  
 
あまり動かしたくない身体を横たえたままに隣の男に見入る。上半身だけ起こしてけだるげにしていた。  
疲れているはずだ。最中ずっと、すごく気をつかってくれていた。  
白んできた空の光が部屋にも届く。黒衣姿とは違う素の造形の良さが輪郭を強める。  
実際誰をも息をのませることができるくらい彩と艶の備わった容姿なはずなのに。  
「――なんだ」  
全てをブチ壊すまがまがしいオーラと凶悪なまでの流し目をよこしてくるんだから、  
本当どうしようもないお兄さんだと思う。  
望美は慣れたからもうあまり気にならないけれど。  
「いえ――綺麗な人だなと思ってただけですよ」  
「・・・からかっているのか」面白くなさそうに眉根をよせる。  
「そんなまさか――本当にそう思っていたんです。  
もっとヒョロヒョロしてガリガリでホネホネロックかと思ってましたから」  
「・・・・」  
「いでででででで」  
結局つねられた。  
「そ、それにしても・・・昨夜は何というか、ありがとうございました」  
「何が」  
無粋なつっこみを入れるなというのに。望美は昨晩ほどではないが赤くなり、頬の痛みも忘れて言葉を  
つなぐ。  
「ええと、優しくしてくれて――ずっと安心して任せていられました――という理由で、ありがとう  
ございました」  
気持ちを伝えたくて、ぱぱっと正座してから頭を下げようと身を起こすと、下半身に痛みが走り思わず  
うめいてしまった。  
「おい、何をしてる。動くな。大人しくしてろ」  
「は、はい・・・」  
間抜けな言動になってしまったことに少々情けなさを感じたが、横になるとすう、と手が伸びてきて  
髪や額、つねった頬を撫でていってくれるのが何ともいえない。  
交わる快楽とはまた違う、ふわふわした浮遊感に酔う。  
すると、ぽつり。  
「・・・逃げられたくないからな」  
望美的には意外な“ありがとう”の答えが返ってきた。  
頬を撫でていた大きな手に自分のひとまわり小さな手を添えて、くすと笑う。  
「何処へですか?もう同じ道しか私達には残ってないでしょう?それすっごく無駄な心配ですね」  
――ずっと一緒ですよ。これは飲みこんだ。まだ少し重い言葉な気がして。――まだ。  
 
「では、俺はもう行くぞ。お前は今日はゆるりと休め。いいな」  
「・・・はい」  
つい心のままに素直な返事をしてしまう。視線が合って、向こうがふいと逸らした。  
(――あ、今、照れた)  
ちょっとだけ可愛い人だなどと、普段はかけらも思わぬことを思ってしまい、微笑がこぼれる。  
服を着込む布の音だけ。会話はないけれど、なくても大丈夫という安心感が漂う。  
――なんか。いいなあ、こういうの。満たされる。  
今度の時は私が髪をくしけずってあげたいな。嫌がるかな。そんなことないよね私達、もう。  
出掛け。ねだる望美に面倒そうにもう一つだけ小さな口付けをおとすと、出口へ歩を進めていった。  
「あの・・・次は私も何かしますね。泰衡さんばかりがんばらせるの、悪いし」  
振り返る。  
「・・・みこど・・・望美が?」  
「はい、がんばりますからっ」  
破顔する望美とは真逆に、泰衡は何故か神妙な顔つきになった。  
そして一言。  
「いや、いい。・・・ねじり切られそうだ」  
 
   何 を 。  
 
・・・晴れやかな笑顔のまま固まった望美の顔はだんだん黒いものを帯び、身体はわなわなと震えだした。  
「や、泰衡さん・・・今私にも明らかに頬をつねる権利が発生したと思われます。ええ、確実に」  
「そうだな。俺もそう思う」  
「ですよね!さあ、こっちへきてください!!」  
「断る」  
「泰衡――――――――――――――――――ッッ!!!!!」  
雪が枝からぼろぼろ落ちる。清らかな空気がさらさらと流れ込む、あたたかな朝の光で満たされた――  
奥州平泉は藤原家次期当主、泰衡の一室にて。  
 
 

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