月の無い夜。  
彼女の名の月の夜。  
常の莢かな光から逃れるように、影は満ちてまた重なる。  
 
 
 
初めに誘ったのは、どちらだったか。  
今ではもう、記憶も曖昧でおぼろげだけれど。  
ただ。  
――もう還らないひとの背中を探し続ける彼女と。  
――もう届かないひとの背中を求め続ける俺とが。  
その寂しさを埋めるように。  
寄り添い、触れ合い、肌を重ね合うのに、時間は然程掛からなかった。  
 
……今になって思い返せばそれだけ、だった気がする。  
 
 
 
心は、想いは、無い。  
ただ、ひたすらに体を繋げて、求め合うだけ。  
――そんなことをしても、虚しいだけだ。  
云ってしまうには簡単だけれど。  
一度知ってしまった快楽は、熱は。触れ合う刹那の優しさからは。  
脱け出すことは、最早二人とも出来かねていた。  
 
 
 
――そして、今宵もまた。  
闇に紛れ、俺と彼女は……体温を分かち合う。  
 
 
 
ぎしり……と、設えた床が軋んだ。  
 
「あ…、はぁっ」  
 
彼女の中の其処を打ち付ける度、口の端から上がる吐息交じりの嬌声に脳を焼かれる。  
やけに白い肌が閉ざされた闇に映えて、目が眩んだ。  
 
ほっそりとした肢体に似合わない豊かな胸乳に手を伸ばせば、  
包み込んだ手のひらの内でそれは自在に形を変えた。  
吸い寄せられるように胸の先に実った果実を口に含む。  
 
もっと、もっと、と強請るように。  
目の前で揺れ動くそれを音を立てて舌先で嬲れば、俺の舌の上でそれは勃ち上がり、  
彼女が快楽に染まり始めているのを教えてくれた。  
 
荒い息と水音と。  
走る心音だけが夜を支配する。  
 
すんなりとした脚を抱え込み、より一層深く彼女の奥と繋がり合った。  
俺に絡み付いて離さない彼女の膣内(ナカ)を存分に堪能する。  
先端が敏感な場所を擽れば、彼女は喉元を反らせて微かな悲鳴を上げた。  
 
 
そう。  
もっと、もっと、感じて。  
何も考えられなくなるくらい。  
全て、忘れてしまうくらい。  
感じて、感じて。  
それだけしか見えないくらいに感じてしまえばいい。  
 
――彼女も、俺も。  
 
体をずらして、彼女を膝上に抱き上げた。  
より深く結び合い、強烈な快楽が二人を支配する。  
 
あられもない姿で俺の膝の上で踊る彼女。  
俺は息を荒げて彼女の柔らかな双丘に指を食い込ませ、腰を使って突き上げた。  
 
「っ……! ゆず、る……どっ……」  
 
目を見開いて過ぎた悦楽を逃すように、俺の名を呼ぶ彼女の口唇に指を挿し入れる。  
その続きを封じ込めるかのように。  
名を。呼んで欲しいのか、欲しくないのか。  
俺の中の真実は疾うに融けてしまっているから、最早判らないけれど。  
おとなしくされるがままに、指を咥えて舌を絡ませる彼女にも、  
きっと判らないのだろうなと思った。  
 
絡まる唾液。  
随分と卑猥な水音が、口唇と、繋がり合う場所から響いて来て腰の辺りがまたぞくりとする。  
それに促されるかのように綺麗な項と鎖骨に舌を這わせると、びくびくと小さく彼女が震えた。  
飲み干せなかった唾液が咽喉を伝うから、無我夢中に舌先で追いかける。  
それでもまだとろり、と彼女の胸元を汗と混ざって雫が辿り、なだらかな彼女の腹を滑り落ちた。  
俺は目の端で見咎めると、徐に彼女の口唇から指を抜き去り、  
塗り込めるようにして薄紅に染まった肌を愛撫する。  
 
突き上げたまま、胸の先の果実を摘み上げる。  
既に硬くなって久しいそれに触れる度、彼女の中に激しい快楽が走るようで、  
彼女は悲鳴じみた嬌声を上げながら、内に潜む俺をきりりと締め上げて来た。  
 
「……うっ、――そんなにきつくしないで……」  
 
思わず息を詰まらせて彼女に告げる。  
だが快楽の荒波に浚われている彼女は何も言えず、ただ首を横に振るばかり。  
 
「――しかた、ない、な……」  
 
俺は苦笑めくと下腹に力を込めて、解放への誘いを遣り過ごす。  
そうしてゆるやかに円を描くように彼女の膣内(ナカ)をひとつ、巡ると、  
彼女の背に腕を回してそっと床に横たえた。  
 
「もう少し……」  
 
こうしていたいけれど。  
……一度果てて置くのもいいのかも知れない。  
暗にそう告げると、彼女はまた震えながら小さく、けれど確かに頷いて寄越す。  
それを確認すると、俺は彼女の脚を肩に担ぎ上げて最奥を目指した。  
 
 
――思えば。  
彼女の体に教え込まれた、男の何たるか。  
それを以ってして、“女を抱く”ということの本質を教えてくれたのは、彼女だ。  
それまでも頭では理解していたけれど、実践は伴わなかった。  
……あの人以外は興味なかったから。  
 
けれど。  
こうして、彼女と抱き合って、その柔らかさと温かさを知り得て。  
――俺は呆気なく溺れた。  
本当は互いに傷を広げているのかも知れないのに、癒されているような気がして。  
 
彼女の体に遺る、彼の残像。  
それを塗り替えようとは思わない。  
けれど今、彼女をこうしているのは彼の残像が教えてくれたものではなくて、  
俺が彼女を抱いて自然と得て、そして本能の指し示すままに動いているもの。  
 
――くだらないプライドなどこの関係には要らない筈だ。  
だのに、何故かそれに拘ってしまう自分に知らず苦笑いしてしまう。  
 
今、成すべきことは――ただひとつだけ。  
雑念は、追い払うべきだろう。  
 
彼女の肌から立ち上る汗の匂いと、俺のそれが交じり合って鼻をついた。  
肉ぶつかる音と、じゅぶじゅぶという水音が鼓膜を打つ。  
合間に形を成さない嬌声が滲んで――脳裏を焼く。  
俺の先から染み出たそれと、彼女の蜜が絡み合って交じり合って、繋がり合うそこから零れ出す。  
それはもう粘着性はほとんどなく、少しだけさらさらとして床に水溜りを作った。  
 
「っはぁっ……も……う……」  
「うん……俺も……だから、」  
 
逝ってください、と。  
目線で告げて、彼女の腰を抱え直した。  
そのまま勢い良く突き続ける。  
 
「やっ……は、…あぁ! あああぁあ!」  
 
彼女が、哭く。  
俺の額から汗がぽたり、と落ちて、彼女の肌を滑り落ちた。  
意識の向こうで火花が散る。  
 
もう、何も――見えなくなる……  
 
 
「やぁ…っ、もう…いやぁ……ああああ!」  
 
これ以上となく、彼女の中が収縮して俺を締め上げる。  
 
「ん…くっ、……はぁぁっ……っ」  
 
そして、弛緩すると同時に彼女の中から俺を引き抜き、  
堪えた欲情を彼女の肌の上に吐き出した。  
 
「――………」  
「――………」  
 
果てた後の気だるさに身を任す。  
喘ぎに似た呼吸を繰り返す彼女の横に寝転がって、目を瞑った。  
今、触れたら。たちどころにまた火が点くから、少し落ち着くのを待つ。  
 
――恋人同士なら、通常。果てた後抱き締め合って、睦言を囁くのだろう。  
二人にはあまりにも似合わない気がする、その行為。だから、少しだけ躯を離して。  
また、抱き合うにしろ何にしろ。呼吸が落ち着くまで静かに時が行くのを待つ。  
 
先程までの盲目的な熱情が、まるで、嘘みたいに。  
指先すら触れることなく、ただ、静かに。  
――それが、きっと二人には相応しい。  
心の奥、その何処かで小さく軋むものが、いつしか生まれていたとしても。  
 
お互いに、気付かない振りをして、一時の熱を求めて貪り合う。  
 
ただの一言も、名前を呼ばずに。  
違う誰かを心に抱きながらだから、夢うつつで間違えないように。  
一度のキスも、交わさないで。  
体だけの関係だからだろうか。何故だか、二人にはそぐわない気がして。  
何処か――罪を犯しているような気さえしたから。  
 
本当は既に罪は重ねているのかも知れないけれど。  
 
 
誰にも言わない。言う必要も無い、秘め事。  
もし、知られたら。  
優しい彼女の兄は心配するだろう。  
――そして、残酷なほどに優しいあの人も……心配するだろう。  
だから、闇を身に纏って、彼女の褥をそっと訪なうのだけれど。  
いつまで続くのか、続けていくのか、判らない。答なんて出せない。  
そして続くほどに、傷は癒すどころか深まって行くのかも知れない。  
自分が傷つくのは――互いに元より承知の筈だ。  
けれど、彼女には傷ついて欲しくない。  
そんな不思議な感傷が、俺の胸を突いて来て、抉るけれど。  
それすらも、無視して。冷めた躯に再び熱を点して。  
彼女を抱き締めて――温度を分け合って。刹那の優しさに浸かり込む。  
 
そして、また。  
走り始めた呼吸に、二人して我を忘れた。  
 
 
 
寂しさを埋めるように。  
埋めた刹那、新たに込み上げる切なさと空虚を埋めるように。  
体を繋げて、熱を追いかけるのに没頭する。  
小さな歪(ひずみ)に気付かない振りをして。  
 
月の無い夜。彼女の名の月の夜。  
満つることの無い月を求めて。  
胸から消えることのない誰かの面影を拭うように。  
けれどいつしか生まれた、小さな歪に気付かない振りして。  
 
 
寂しい月。それは、多分罪の月。  
脱け出すことなど不可能な、朔月の夜の迷宮。  
 

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