朝、外は季節外れの大雪だった。  
雪は嫌いではない。宙より来たりて大地に消える結晶。余分な色を含まず、余分な音を立てず、余分な跡を残さない。それは、『私達』を、以前のわたしを連想させる。………この星の言葉では郷愁、とでもいうのだろうか。  
今のところはまだ、多分これからもずっと、あそこに戻りたいとは思わないけれど、少しだけなら、こんな感覚にひたれるのも悪くない。  
 
でも………、何も今日降らなくてもいいだろう。  
 
雪は降り出したばかりらしく、まだ積もってはいない。でも積もるのも時間の問題だろう。交通機関がマヒしたらどうしようか。  
………今日は、彼と一日を過ごせるかもしれないというのに。  
空から落ちてくる自分の名前をにらみつけながら、わたしはどうしてこのような事態になったのかを回想していた。  
 
 
SOMEDAY in the SNOW  
 
 
「ああー、もうー! む、か、つ、くーーーーーーー!!!」  
涼宮ハルヒがそう言いながらSOS団の部室に入って来た。朝比奈みくるがおびえている。いつもの光景だ。  
「むかつくのよ、キョン!」  
いきなり彼にからみだす涼宮ハルヒ。彼は、やれやれ、と肩をすくめながら言い返す。これも、いつもの光景。  
「頼むから、一般人にも分かるように理由を説明してから怒ってくれ。いきなり噛みつかれてもどうしようもない」  
「団長様の考えている事ぐらいすぐに理解できるようになりなさい。あたしがツーと言えばあんたはカーと言うの、分かったわね!」  
「分かるか!!」  
「何よこのスカポンタス!!!」  
「誰だよ、スカポンタスって!!!」  
 二人はいつものやり取りを繰り返している。朝比奈みくるや古泉一樹が微笑ましそうな目を向けている事にも気付かずに。その間、わたしはずっと本を読んでいる。いつも通りの、幸せな光景。  
 
 どうやら、先程廊下で偶然出会った生徒会長に何か嫌味を言われたらしい。涼宮ハルヒと生徒会長はとにかく仲が悪い。性格の不一致という事だろうか、わたしには良く分からないけれど。  
「むかつくわねー、もう! 生徒会全員、食中毒でぶっ倒れればいいのに!」  
 涼宮ハルヒの願望は実現する可能性が高い。彼が慌てて止めに入る。  
「物騒な事を言うな! 大体お前に嫌味を言ったのは生徒会長一人だろうが。無関係の人の不幸まで願うんじゃない」  
 生徒会長は切り捨てる気らしい。最大多数の幸福を重視する、と、いったところだろう。  
「そうねー、じゃあ、会長以外の全員がぶっ倒れて、あいつ一人で生徒会の仕事をする羽目になるっていうのはどうかしら? うん、あいつはあたし直々に倒したいしね!」  
 結果的に、会長以外の全員にとばっちりがいく事になった。会長の顔を思い出す。何となくこんな感じで、要領良く生きていきそうだ、確かに。………古泉一樹の笑顔が少し引きつっている気がする。そういえば古泉一樹も生徒会の関係者だ。  
 
 
『何となく』、とか『気がする』という言葉は『彼』と出会う前までのわたしには無かったもの、エラーの一種だ。でも、今のわたしはそのエラーを受け入れている。………とても大事な『感情』の一種として。  
 
 
「まあ、それはそれとして。涼宮さん、ちょっと良いですか?」  
 古泉一樹が涼宮ハルヒの気をそらそうと別の話を始めた。  
「人づてに聞いた話で詳しくはよく分からないのですが、実はこの市のはずれに幽霊が出るという屋敷がありまして。ええ、今週末までには正確な場所も判明しますので、次の市内探索はそちらで行いませんか?」  
 現在、そのような反応は検出されていない。おそらく今週末までに『機関』の力でそれらしい何かを偽装するのだろう。  
「聞いたでしょ、キョン! 古泉くんのこういう地道な努力こそがいずれ世界を変えるような大発見につながっていくのよ!!」  
「聞いてるよ、効いては無いけどな」  
「どっちなのよ! まあ、良いわ。それで、古泉くん………」  
 涼宮ハルヒが詳しい話を聞こうと身を乗り出した時、部室の扉が開いた。  
 
 
「にょ、ろーーーーん!」  
 ………挨拶なのだろうか? どちらにせよこの言葉だけで自分の存在をここまで強くアピールできる人は珍しい。  
「あ、鶴屋さん、どうしたんですかぁ?」  
「やあ、みくるっ、ひさしぶりだね! っても別れてからまだ30分もたってないんだけどっ、さっ!」  
 言いながら何故か抱擁を交わす上級生二人。この抱擁には何の意味があるのだろうか? 以前ためしに朝比奈みくるに抱きついてみたところ、きゅうーーー、などと言いながら気を失われてしまった事を思い出した。………今度は彼にやってみよう。  
 
 彼女の話によると彼女の親が所有する別荘の一つで幽霊騒動が起こっているらしい。古泉一樹が頭を抱えている。自分の話とかぶった、とショックを受けているのだろう。  
「でさっ、今週末ならあたしも時間がとれるっさ。だからハルにゃん達さえ良ければ一緒に行かないかいって話なんだけど、どっかな?」  
 さらに日にちまでかぶった。古泉一樹が机の下に沈んでいく。もしかしたら既にある程度の下準備は済ませてあったのかもしれない。  
 
「で、ハルヒ、どうするんだ?」  
 彼の質問に涼宮ハルヒはしばらく悩んだ後、  
「両方、行くわよ!」  
 と、答えた。  
「おい待て、ハルヒ。そんな強行軍、やったところで満足に時間も取れないだろう。時間が無けりゃ見付かるものも見付からないぞ」  
「うっさいわね! ちゃんと考えてあるわよ、アンポンさん」  
「だから誰だよ、アンポンさんって!」  
 彼の反論を無視して涼宮ハルヒは、  
「これが、勝利の鍵よ!!!」  
 と、ポケットからいつもの組み分け用の楊枝を取り出した。  
 
 
「いい、印入りのを引いた二人が鶴屋さんと別荘、無印の三人は幽霊屋敷探索よ」  
 どうやら、今回の探索ではSOS団は二手に別れる事になったらしい。五人それぞれが、一本ずつ楊枝を掴む。  
「せーのっ」  
 一斉に見せ合う。彼と朝比奈みくるが印入りだ。………少し、残念。  
「朝比奈さん、よろしくお願いします」  
「あ、はい、こちらこそ。よろしくお願いしますね。………て、あれ? な、なんで二人ともあたしをにらんでくるんですかぁ?」  
 涼宮ハルヒがにらんでいるのは確認した。はて、もう一人は誰だろうか?  
「ふええ、や、ちょっ、二人ともどこ触ってるん………、あんっ!」  
 おや、ふと気付くとわたしは涼宮ハルヒと共に朝比奈みくるをもみくちゃにしているではないか! ………これはエラーだ、仕方がない。我慢してもらおう。  
「おい、お前等、いい加減に………っ! ご、ごゆっくりー!」  
 止めようとした彼だったが、朝比奈みくるの胸がはだけ下着が見えた瞬間に、よく分からない叫び声をあげながら飛び出して行った。………では、いただきます。  
「いーーーーーやーーーーーー!?!?!?!?!」  
 
 ひとしきり感触を楽しんだ後、涼宮ハルヒがわたしに向きなおり、言った。  
「仕方ないわねえ、じゃあ幽霊屋敷に行くのは、あたしと有希と………」  
「あたしだねっ、よろしくっ!」  
 ……………………………………………  
「………鶴屋さん、なんで楊枝引いてるの?」  
 わたしも気付かなかった。………凄い人だ、本当に。  
 机の下で唸り続けていた古泉一樹を引きずり出し、やり直す事にした。  
 
「そ、そんな、あたし揉まれ損ですかぁ? ていうか古泉くんずっとこの部屋にいたんですかぁ? じゃあ、古泉くん、あたしのはだ………、いやあああああーーーーーー!!!」  
 ああ無情、と先程読んだ本の邦題を思い出す。なるほど、実際に見るとよく理解できる。  
 朝比奈みくるがあまりに不憫だったので、とりあえず記憶がなくなるまで古泉一樹を殴っておく事にした。  
 
 
 今度はちゃんとSOS団の五人で楊枝を掴む。結果、  
   
印入り:涼宮ハルヒ、朝比奈みくる  
  無印 :長門有希、古泉一樹、他一名  
 
 と、なった。  
「ちょ、明らかにおかしい点があるだろう」  
 彼には何か不満があるのだろうか?  
「変更は認めない」  
「いや、そっちじゃなくてだな」  
「あきらめて」  
「いや、だから………」  
「あきらめて」  
「………はい」  
 ………いろいろあきらめてくれたらしい、良い事だ。  
 
 
涼宮ハルヒが不機嫌な顔でこちらを見てくる。彼女が彼と同じ組になる事はめったに無い。朝比奈みくるが言うには『照れている』という事のようだ。わたしにはまだよく分からない感情の一つである。  
とにかく、次の探索は彼と二人きりだ。その事は凄く『嬉しい』と思う。この感情はちゃんと理解できているはずだ。  
 
 
帰り道、他の団員と別れた後で、古泉一樹が話しかけてきた。  
「長門さん、今度の幽霊屋敷の件ですが、ちょっといいですか?」  
「………」  
 そういえば、すっかり存在を忘れていたが、次回の探索は彼だけでなく古泉一樹も一緒なのだ。………こちらの驚きが向こうにも伝わったらしい。  
「あの、もしかして、僕も一緒だというのを忘れていた、とか?」  
 ………正直に答えるべきだろうか。  
「まあ、それはおいておきましょう。長門さんは既にお気付きだと思いますが実は幽霊屋敷というのは『機関』の仕掛けでして、涼宮さんが来ないのでしたら意味が無いのですよ。でも、だからといって、何もなかったらまた涼宮さんの機嫌が悪くなりますからね。  
こちらで適当に話を作りますので、それに合わせていただけないでしょうか?」  
 断る理由は特に無い。頷いておく。  
「ありがとうございます。当日は、………そうですね、涼宮さんに定期連絡を入れる時は一緒にいる必要があると思いますが、その時以外は自由行動にしましょう。僕は席を外しますよ。彼と一緒にいたいんでしょう?」  
 ………いいのだろうか? わたしが彼といる事は古泉一樹にとってあまり良い事ではないのでは。  
「確かに涼宮さんの機嫌を損ねるおそれはありますね。でも、僕個人の意見としてですが、彼が誰を選ぶにせよ、あなた達の納得できる結果になって欲しいんですよ」  
 ………感謝の念を覚えた。  
「ところで話は変わりますが、僕は何故か今日の活動内容を曖昧にしか思い出す事ができないのですよ、頭にも何故か包帯が巻かれていますし………。長門さん、何か知っていますか?」  
 ………陳謝の念を覚えた。  
 
 
 そしてそれから数日後、つまり今日、外は大雪なわけである。  
 
 
 明らかに季節外れの大雪、これも涼宮ハルヒが『照れている』からなのだろうか?   
 とりあえず局地的な天候情報の改竄を申請してみる。………却下された、なぜ?  
 わたしが一秒間に10回の申請を繰り出していると、古泉一樹から連絡があった。  
 どうやら奮闘むなしく生徒会の一員だ、と判断されたらしい。胃腸の調子が悪いため今日は欠席する、との事だ。他の皆さんにも連絡しておきます、と今にも死にそうな声を残して電話は切れた。  
 涼宮ハルヒの現在位置を確認する。朝比奈みくると共に、既にこの町から離れている。  
 
 状況を整理する。つまり、彼と、二人きりだ、という事だ。  
 
 なるほど、彼と二人きりになりたい時には、三人目が予期せぬ理由でいなくなれば良かったのか。今度の市内探索で使わせてもらおう。  
 ふと、彼は、この状況をどう思うのだろうと考えた。  
 ………シュミレート完了、87.3%の確立で探索の中止を申し出てくるとの結果。  
 それは………嫌だ。どうしようか………。  
 気付くと、彼に電話をかけていた。まだどうするか決めていないのに。  
「どうした、長門」  
 彼が電話に出た。それはわたしが聞きたい。わたしは一体どうしたいのだろう?  
「そういえば、今日は古泉のやつ、来れないらしいぞ」  
「聞いている」  
 反射的に返事を返して、気付く。まずい、この流れだと、シュミレーション通りならば彼が探索の中止を申し出てくる。  
 
「今日………」  
 
 彼の言葉をさえぎるように喋りだそうとした。が、後が続かない。当然だ、何を話そうかなんて考えていないのだから。ホンジュラスの今日の天候とか日経平均株価とかまったく関係の無い考えが何故か出てくる。  
もしかして、これが朝比奈みくるがよく陥っている『はわわわー』というやつなのだろうか? 朝比奈みくるに対処法を聞いておけば………、いや、やはり無駄だっただろう。対処法が分かっていればああはならないはずだ。  
 彼はじっと待っていてくれている。ありがたい、と同時に申し訳ない気持ちが溢れてくる。………考える。わたしは一体何をしたいのだろうか?  
………何が、したいのだろうか?  
 
「図書館………」  
 
 するり、と言葉が出てきた。行きたい、と思う。彼と一緒に、行きたい、と思う。  
「一緒に行くか? 図書館?」  
彼の言葉が聞こえる。………『嬉しい』、と感じた。  
風を切る音が聞こえてきたと思ったら、わたしが首を縦に振っている音だった。これでは彼に伝わらない。  
「………行く」  
そういう事になった。  
 
 
外が大雪のため、彼はいつもの公園まで徒歩で来るらしい。それならば、いつもより遅めに、マンションを出れば良いだろう。そう思ったわたしは、いつもより早めに、マンションを出た。  
 
 
待ち合わせのベンチの上に座って考える。図書館に行ってどうしようか? ただ一緒に行きたいな、と思っただけで、正直何のプランも無い。  
いつも通り彼の隣で本を読むだけで良いのだろうか? それは、彼が退屈だと思ってしまうかもしれない。  
朝比奈みくるのようにお茶を入れるとか? いや、駄目だ。図書館内は飲食禁止だ。  
涼宮ハルヒのように………、それができれば苦労はしない。  
………自分は、もしかして、面白くない女なのだろうか? そんな考えがわいてきて………、何か分からないけれど、この感情は、凄く、嫌だ。  
 
 
雪を踏みしめる足音が聞こえたので視線を上げると、彼がすぐそばまでやって来ていた。  
彼をじっと見つめる。あなたはわたしの事をどう思っているのだろうか?  
「………雪、積もってるぞ」  
彼のセリフで、やっとわたしは自分が雪まみれになっていることに気付いた。  
「………待っていたから」  
そのままの状態を指す言葉。面白い事なんて何も言えない。  
「すまん、遅くなった」  
そう言って、わたしの体に積もった雪を払い落としてくれる彼。彼の手がわたしの体に触れ、ぬくもりが伝わっていく、………気持ち良い、と感じた。  
いつの間にか、沈んだ感情も払い落とされていた。  
「じゃあ、行こうか」  
彼の後ろについて、歩く。途中で買ってもらった缶コーヒーは、とても『暖か』かった。  
 
 
図書館に着いた。雪のせいか、通りも図書館内も今日は人が少ない。  
わたしにとっては宝の山とも言うべき本棚の前に立って、ふと、ある事を思いついた。  
彼にお勧めの本を紹介するというのはどうだろう? これならわたしでも喋り続ける事ができるし、なによりごく自然に彼に話しかけることができる。よし、そうしよう。  
………決意を新たに本棚に向かったその時だった。  
 
 
(情報生命体の反応を検出)  
情報統合思念体からの情報が流れ込んできた。検出地点は、ここだ。  
(この情報生命体は涼宮ハルヒの居住する地の図書館を中心に、半径200mの球状情報制御空間を形成。内部にいる生命体を吸収し、自己の複製として再構成するのが目的。生命体自体の持つ能力は極めて微弱、当該空間内に取り込まれたインターフェイス、  
パーソナルネーム長門有希単体、能力制限モードでも処理は可能、と判断。これを同インターフェイスに命じる。他のインターフェイスは引き続き各個体に与えられた命令を続行せよ)  
………本を選ぶのに夢中になって、周囲への注意を怠っていた。確実にわたしのミスだ。  
周りにいる普通の人間はみんなその場に倒れ、眠りについている。彼も椅子に座った状態で眠っている。それ以外に異常な点は検出されない。良かった、とりあえず無事と言っていいようだ。  
続いて敵性生命体の情報を検索、………なんだ、これは?  
 
明らかに情報統合思念体の補助無しで対処できる相手ではない。それなのに思念体からの指令は能力制限モード、つまりわたし単体の力で殲滅せよ、だ。何かの間違いだろうか?  
わたしの検索結果と共に補助申請を出す。………返答は『却下』。命令は『殲滅』。何度か申請を出したものの結果は全て一緒だった。  
どうやら、思念体からの援助は期待できないらしい。でも、わたし一人で対処できる相手ではない。………彼を、守らなくては。  
 
………それがわたしの『存在理由』だ。  
 
携帯電話の電波は遮断されている。外からこちらへ偶然連絡が来ることは無いだろう。こちらから助けを求める事が出来そうな相手を考える。他のインターフェイスは思念体からの命令がないと動く事はない。  
不確定な情報爆発を起こす可能性のある涼宮ハルヒを巻き込むわけにはいかないし、連絡しようとしたところで、思念体が邪魔するだろう。  
朝比奈みくるは、今涼宮ハルヒと一緒にいる。隠し事の出来ない彼女の事だ。確実に涼宮ハルヒにこちらの状況が伝わってしまうだろう。  
………最後に、いつも笑顔を絶やさない、ある少年の顔が浮かんできた。  
 
 
連絡を終え、彼が眠る机へと向かう。既に図書館全体にシールドを張っているが、生命体の攻撃によりいつ破れてもおかしくない状況だ。わたしが図書館から出て攻撃し、別の方向に引きつける必要がある、と判断した。  
「あなたは、わたしが守る」  
独り言。彼は眠ったままだ。  
助けがこなかったら、わたしは負ける。彼にももう、会えないかもしれない。彼の寝顔を記憶に焼き付けておく事にする。………他にも何か言わないといけない事があると思った。考える………、思いつかない。でも、  
「ありがとう………」  
自然に出てきた言葉があった。後の言葉は、帰って来てから考える事にしよう。  
 
 
攻性因子を生命体にぶつけながら、図書館の入り口を出る。生命体は図書館を取り囲む形で存在しているため、完全に引き離す事は不可能。わたしに可能な限り多くの攻撃を集中させるしかない。  
 
ふと、以前読んだ時代小説を思い出す。  
 
「SOS団、団員その2、長門有希」  
 
名乗りをあげる。力が湧き上がる気がする。  
    ………気がする、だけ。だけど、それはきっと大事な事だ。  
 
 ドンッ、という音と共に先程までわたしがいた地点にクレーターが出来る。  
 
 データ上ではわたしの存在情報中34%を攻性因子に変換させれば倒す事は可能。でも、それだとわたしが『わたし』でなくなってしまう。………それは、最後の手段。  
 今はただ外部からの助けを待つ、………こないかもしれないけれど。  
 
(敵性生命体から三個の攻性質量体を感知)  
 避ける。避ける。弾く。  
 
 敵の攻撃は今のところは単純なものである。物理的な手段、すなわち攻性因子を大小様々な『槍』に変換してこちらを貫こうとする事、それだけだ。『槍』は生命体とつながっており、避けられた『槍』は再びその中へと戻っていく、その繰り返し。  
これだけの情報量をもちながらあまりに稚拙な攻撃、おそらく何か別の事に情報を使っているのだろうと推測される。  
 
 地面から突き出てくる『槍』をシールドで相殺する。  
 
 時間稼ぎが目的のこちらには好都合だ。他の攻撃を行わないのだとすれば、図書館に張ったシールドが壊されない限りは、13時間43分17秒、半日以上は持ちこたえられる。  
 
 上下、左右、前後、六方向からの攻撃。  
 左からの槍をシールドで弾き飛ばしながら移動、残り五つを避ける。  
 
 『槍』の数が多い事だけが厄介だ。避けられるものは避けて、無理なものはシールドで弾く。………この数さえ少なければ24時間以上戦えるというのに。  
 
 正面から、一本。体をひねって簡単にかわす。  
 
 油断していたわけではなかった。ただ、想定していなかっただけだった。  
 
 
 ………自分が避けた『槍』の先に人が倒れていた。  
 
 
 おそらく図書館に行く途中だったのだろう。まったく見ず知らずの赤の他人だ。  
 最重要項目は『彼』の安全の確保、最善の行動はそれ以外は見捨てる事、彼以外の『他人』は全て、見捨てる事。  
 では、どうしてわたしは図書館全体にシールドを張ったのだろう。本当に『彼』だけを助けるつもりなら彼の周囲のみに張れば良かったのに。………何故?  
 
 思わず動きを止めたわたしにここぞとばかりに『槍』の雨が降り注ぐ。  
 
 どうすれば良いのか分からないまま、『他人』の周囲にシールドを張り、先程自分が避けた『槍』を弾き飛ばす。  
 
 ………自分へのシールドは、間に合わなかった。  
 
 無数の『槍』に串刺しにされる。何とか守り通した頭部の中で警告音が鳴り響く。  
 
(有機体部位に深刻な損傷が発生、情報処理能力38%に低下)  
 第二陣の『槍』は既に形成されている。この体では避けきれない。  
 
 ………どうやらもう、時間稼ぎは出来ないらしい。何故か、彼の笑顔が浮かんできた。  
 
 そうだ、と思う。  
(わたしが『他人』を見捨てると、あなたはきっと悲しむ)  
 多分それが、先程の答えだ。  
 
 両手で体を貫く『槍』を固定、生命体へとつながる情報ルートを構成した。  
 
 まだ間に合う。わたしの存在情報全てを攻性因子に変えて打ち込めば、この生命体を消滅させる事が出来る。そうすれば、『わたし』はいなくなるけれど、『彼』は助かる。  
 
 ………あなたは、助かる。  
 
 『わたし』がいなくなったら、涼宮ハルヒの観測のため、思念体は『長門有希』を再構成するだろう。でもそれは『わたし』ではない、『わたしの記録』を持っているだけの別な存在だ。  
 
 『わたし』という存在は、今日、消えるだろう。  
 
(あなたはそれに気付くだろうか?)  
 気付いて欲しい、と思う。でも、気付くと彼は苦しむだろうから、気付かないで欲しい、とも思う。  
 
 これも走馬灯というものだろうか? ふいに、いつもの部室での光景が頭に浮かんできた。  
 涼宮ハルヒが朝比奈みくるに抱きついている。服を脱がそうとしているようだ。彼が涼宮ハルヒの腕を引っ張って、朝比奈みくるから引き離す。そのままいつもの口げんかを始める二人。古泉一樹がいつもの感じで微笑みながら、そんな二人を見守っている。  
朝比奈みくるがひたすらオロオロしている。  
 わたしは朝比奈みくるに入れてもらったお茶を飲みながら、本を読んでいる。読みながら、彼等の声を聞いている。………彼等の事を感じている。  
 
 幸せな日々だったと、そう思い、  
      ―――思って、彼を想う。  
 
 第二陣、わたしの機能を完全に停止させようと、全方向から現状では測定不能な量の『槍』が迫る。  
 
(ああ、そうだ)  
 図書館の窓際で、眠っている彼に、伝えたい言葉を思いついた。  
 
 夏休みに、SOS団全員の前で言った言葉。意味も分からず命じられるままに放った言葉。  
 今、同じ言葉を使ったら、彼にこの想いは届くだろうか?  
 
 届いて欲しい、と祈り、  
 あの時には無かった、大事な『エラー』を込めて、  
 
 
 想い、願った。  
    ―――願い、発した。  
 
 
 「………だいすき」  
 
 
 …………内の全ての情報因子を攻……………………と……………………に向かっていた  
『槍』……………………止し…………………御空間の向こう………瞬だけ見……………  
…影は、(……………)、どうして彼………こに、(大丈…………)と言……………の代わ  
………………報結合を解………………子を生命………………込もうとする。………女の  
隣に人……………………会………………が………敵と認………………えよう…………、  
(…該生命…………連結解………………)そ……………声が鳴……………………里が会  
……………ている。彼……………………わって……。Yes, m………re………何……………  
……の瞬間、わた………かっ………………無くな…………………………………………、  
 
 
 ………正体不明の生命体が光の粒子となり、雪の舞う空へと消えていったのを、わたしはぼんやりと眺めていた。  
 視線をおろすとよく知っている人の姿が見えた。でも彼女がここにいるはずがない、………いや、彼女だからこそ、ここにいてもおかしくはない。………と、いうかわたしはここで何をしていたのだろう? ………情報記録に混乱が見られる、修正不能。  
 そもそも有機体部位の損傷を修復するための情報因子すら何故か不足している。情報統合思念体への接続を申請、………却下された、何故?  
 このままだと彼女が彼女である事を確認するより先に強制待機モード、人間でいうところの睡眠状態に移行してしまう。  
 
 踵を返し、図書館の中へ向かう。  
 
 ………途中躓きながら、それでも倒れず、進む。  
 
 ………………意識を失う前に、何故だろう?   
 
 ………………………その前に一目、彼の顔が見たかった。  
 
 
 ………わたしが目覚めたのは、彼に背負われて図書館を出たところだった。雪は、まだ降り続いている。  
「有希、調子悪いの?」  
 涼宮ハルヒがわたしの方を見て、そう聞いてくる。………彼女は、いつこちらに戻ってきたのだろうか?  
 情報統合思念体との接続はまだ許可されないままだ。わたしの記録には残っていないのだが、おそらく何らかの不確定要素があるのだろう。よってわたしはまだ、上手く体を動かす事が出来ない。  
「そうらしいな。昨日あんまり寝てないんじゃないか」  
 彼がそうフォローを入れてくれる。涼宮ハルヒは俯いて、  
「何よ、有希ばっかり。あたしだって少しはそんな事されてみたかったりするかもしれないじゃない」  
 と、少し顔を赤らめながら小声で呟いた。………少しだけ優越感。  
「ハルヒ、何か言ったか?」  
 小声で言ったせいか、彼には聞こえていなかったようだ。涼宮ハルヒはふくれ面を作り、言う。  
「何でもないわよ、ドンタコス!」  
「誰だよ、ドンタコスって!」  
 彼が言い返す。………いつも通り、とても、とても、幸せな光景。  
 それを感じながら、わたしは再び眠りについた。  
 ………彼の服をギュッと握り締めながら。  
 
 
 彼に背負われてマンションに戻ってきた頃には、すっかり日が沈んでいた。まだ上手く動く事の出来ないわたしは、入浴以外の全ての行動に彼の介助を必要とした。本来ならば入浴も一緒に出来れば理想だったのだが、  
彼が土下座までして拒否してきたので断念する事にした、………少し残念。  
 彼が敷いてくれた布団に横たえられ、毛布をかけられる。彼は一仕事終えたかのようなため息をついた、………もしかして、このまま帰るつもりなのだろうか?  
 
「意気地なし」  
 何故かそんな言葉が出てきた。必死で聞こえない振りをしている彼が、少しかわいい。  
「と、いうか、お前もしかして動こうと思えば普通に動けるんじゃあないか?」  
「無理」  
 まだ、接続は許可されない。それに、動けるようになったら彼は帰ってしまうだろう。  
「………そっか。」  
「そう」  
 これは、多分わたしの我侭。彼はこんなわたしをどう思うのだろうか?  
 彼は、わたしの頭を撫でながらこう言った。  
「お前の我侭ならいつだって聞くさ」  
 ………考える。とりあえず、今はそばにいて欲しい。それから、図書館はもう行ったから、あと出来なかった事は、彼に言いたかった事は………、  
 
(………だいすき)  
 
 何故か、覚えのない言葉が出てきた。今言うべき事ではない、………けれど  
「………おふろ」  
 想いだけ込めて、小さなお願いをする。  
「………今度、な」  
 返ってくる優しい答、暖かな声。  
「…………やく………そく……」  
 そのまま、わたしは眠りに落ちた。  
 
 
 雪は夜半過ぎまで降り続けていたらしい。途中で一度目覚めたわたしは、隣で寝ていた彼を自分の毛布の中に引きずり込んだ。………風邪を引くといけないから。  
 
 
 毛布の中は二人の世界、二人の鼓動だけがこの世界に響いている。  
 
    ………願わくば、明日も今日と同じく、何でもない、幸せな日々でありますように。  
 
 
 
 次の日である。目覚めると涼宮ハルヒの手によって、彼が壁際まで追い詰められていた。  
 
「待て、ハルヒ。落ち着いて話し合おう。一緒にSOS団を作り上げた仲だろう」  
「who are you?」  
「既に俺を俺と認識する気は無いのか!」  
 彼が困っている。フォローを入れなくては。  
 涼宮ハルヒに話しかける。  
 
「昨日、わたしは体調を崩してしまった。そこで、彼に頼み込んで看病してもらった。………それだけ」  
「有希、こんな犯罪者、かばう必要ないんだからね!」  
 涼宮ハルヒは頑なである。もう少し、フォローを入れる必要がありそうだ。  
「かばっているわけではない。彼は非常に紳士的にわたしに接していた。犯罪的な行為をされたという事はない」  
「ぐ………」  
 黙りこむ涼宮ハルヒ。よし、もう少しわたしが助けられたという点を強調しておこう。  
 
「わたしは彼の行動に嬉しさを感じこそすれ、不快感はまったく感じなかった。………それに、彼は今度、わたしと一緒に入浴を行う、と約束してくれた」  
 
 一番嬉しかったところを強調して伝えた。  
 
 おや、二人の動きが止まっているではないか。どうしてだろう?  
「………ハルヒ、俺達って、今までいろいろあったよな!」  
「What is this?」  
「既に俺を人とすら認識しないつもりか!」  
 何故だろう? 事態が悪化したような気がする。人の心というのは難しいものである。  
「ハルヒ、お前、発音良いな」  
「うがーーーーー!!!!!!!」  
 ………あ、キレた。  
 
 こうなってしまってはわたしに出来る事は何も無い。彼の悲鳴を後に部屋の奥へ移動する。  
   
 ………カーテンを開け放つと雪は止んでおり、雲一つ無い青空が広がっていた。  
 
 
 言い忘れていた事ではあるが、   
      ―――わたしは、こんな天気も嫌いではない。  
 
 
 

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