青空に映える満開のソメイヨシノに薄く雪が積もった3月10日。俺らはようやく強制ハイキングから解放されることとなった。
お天気おねーさんを唖然とさせた早すぎる桜も、一転して降ったここらじゃ遅い雪も、
世間様では地球規模の異常気象のせいってことになっている。
ついでに言えば、今夜はほぼ満月。雪が残れば雪月花を愛でられるってわけだ。
涼宮信者のスマイル君なら、これもあのバカ女の望みだ、なんてご高説をぶつに違いない。
そんな与太話を信じてやる義理はサラサラないが、俺たちの門出を飾るには悪くない。ま、涼宮にしちゃ上出来すぎる光景だな。
式の開始を1時間も遅らせやがった雪も、いつの間にか跡形も無く蒸発し、
一応立ち入り禁止の屋上では、小汚いコンクリの隙間から気の早い雑草が芽を出し始めていた。
わざわざこんな所にまで足を運んだのは、特に意味があってのことじゃない。
ただ、今日みたいな日には、胡坐でもかいてボーっとするのも悪くないってことを、この3年間で学んだだけだ。
俺が青春の第2幕最終章を堪能していると、ちっとばかし肌寒い風が、土の匂いとともに慣れ親しんだ毒舌を運んできやがった。
「お、いたいた。なに一人でたそがれてんのさ。チャック開きっぱのくせに」
「ほっとけ。男には一人になりたい時ってもんがあるんだよ」
「それが卒業式とは、顔に似合わず随分とロマンチストじゃないか」
童顔の相棒がにこやかに毒舌を吐きながら隣に腰を下ろす。
「やっぱいい眺めだよね、ここ。 どうせならクラスみんなで来ればよかったかな」
「漢のロマンが分かるやつだけが、自然とここに集うんだよ」
「それは意訳すると、バカと煙はなんとやらってことかい?」
ったく、良くぞ俺様はこの毒舌に3年間も耐え忍んできたもんだ。どうして世の女の子は、この精神力を評価してくれないのかね?
「ケッ、今日も絶好調じゃねーか。式の時、何度も上を向いてたやつの言葉とは思えないね」
「うっさいな。僕は僕なりに高校生活の〆を謳歌しただけさ」
それがまた似合ってて、待ち構えた後輩の女子達から、ボタンを剥ぎ取られていた辺りがムカつく。袖口のヤツまで完売御礼にしやがって。
しかも、一個だけ残したボタンの行き先を誤魔化し、クラスの女子達からブーイングの嵐を受けていた辺りがさらにムカつく。
「そういえば、谷口のは全部残ってるね」
「うるせー。これは従兄弟の後輩の友達にやるために、泣く泣く断っただけなんだよ。
だいたいだな、俺らはブレザーなんだから、第2ボタンもヘチマもねーんだよ。
あれは心臓の近くにあって、その人の鼓動を一番刻み込んでいるからこそ意味があるんであってだな・・・」
「なにその昭和の少女マンガ」
一刀両断かよ。しかも昭和差別かよ。回顧厨扱いかよ。
「まったくもって最後まで口の減らないヤローだよな、お前も。
これのせいで、告ってきた女にフられやがったくせによ。しかも4回も連続で。たしか毎回密かに凹んでたよな」
「おっウワサをすれば、われらが青春のSOS団の面々じゃないか」
話し逸らすのが下手なんだよ、お前は。
と、伝家の宝刀を大人げなくぶちかまして得た久しぶりの勝利に酔いつつ、相棒の指差す方向に目をやった。
そこには、器用に後ろ向きで歩きながら、何かをまくし立てているであろう横暴女を先頭に、
下僕その1とその2、それに無口娘とスーツを着た女神が続いていた。
「われらが青春・・・か」
「うん。われが青春・・・だったね」
そういえば、キョンや涼宮とは3年間ずっと、長門有希とは2年間同じクラスだった。
古泉から電波話を聞きつつ、キョンと涼宮の仲を応援してやってくれと頼まれたのは、2年半くらい前だっけか。
1年のときから野球やったり、溜池で泳いだり。果ては変なエッセイを書かされたり。今となっちゃいい笑い話だ。
「そういえば、ずっと前から聞きたかったんだが、お前ってさ」
「ん?」
「なんで古泉のバカ騒ぎに付き合ってたんだ?」
「・・・谷口こそ、なんでだよ」
「俺はあいつが約束した輝かしい未来のためだぜ。お陰様で地元国立にも受かって、親戚一同の出世頭ってやつだ。
もちろん大事な大事な親友を助けるためってのが、一番の理由だけどな」
センターの自己採点では、案の定ばっちりE判定だった。
だが、いったいどんな魔法を使ったんだか知らんが、古泉はきっちり約束を守った。
もっともそのせいで、今日受け取ったばかりの卒業アルバムの裏表紙は、予備校進学組の呪詛でいっぱいになったけどな。
「1番目がキョン、2番目が進学なら、5分の借りを返す為ってのは3番目かい?」
相棒はニコニコ笑いながら、ズバッと核心を突いてきた。
やっぱり気付いてやがったか。長い付き合いだからな。別に隠し通すつもりも無かったし。
思えば5年も掛かったわけか。なげえ5分だったよな。ほんと。
「ふん。一寸の虫にも5分の魂って言うだろ。普通の人間でも、やり続けりゃなんかの形にはなるってことを証明して見せただけだ」
「咲いた花なら、散るのは覚悟ってか。不器用だよね、谷口も。 あと、余計なことだけど、『ごふん』の魂じゃなくて、『ごぶ』だよ。『ごぶ』」
「ほっとけ。だいたいさっきから質問返しばっかしてねーで、お前はどうなんだよ。俺と違って、進学のためなんて理由は認めねーからな」
「もちろん僕だって、1番目は大事な大事なヘタレのためさ。中学以来の腐れ縁だからね」
「ヘタレて。んで、1番目ってことは、2番目は?」
「5秒の借りを返す為さ」
「5秒?」
「うん。去年の今頃だったかな。一言『そう』ってね。でも、顔はこっちに向けてくれた」
そういえばこいつは、いつぞやの俺の大スクープを興味なさげにスルーしたっけ。
それでなんとなく、あれだけおいしい話を広める気が失せちまったんだったな。
「・・・そっか。何でもできるくせに、肝心なとこで不器用だよな、お前も」
「うっさいな。5年の5分に比べれば、去年の5秒のほうが、多少はマシさ」
「それって、どんぐりの50歩100歩を笑うってやつじゃないか?」
「どれだけ混ざってんだよ、それ。 因数分解して、全部に注釈つけてやろうか?」
「遠慮しとくわ」
遠くのグラウンドから、野球部のバットがボールをはじく音が風に乗って響き、どこからともなくブラバンの調子の外れたラッパの音が流れてくる。
「でさ」
「ん〜?」
「忘れものは、見つかったの?」
「・・・ああ。でもキョンにやった」
「そか」
「ん」
繰り返される緩やかで平凡な日常の音。だが、明日からはもう、俺たちの音はここにない。
「でもさ、楽しかったよね、僕ら」
「だな。お互いアホだったけどな」
風の匂いは少しだけ苦く、空は抜けるように青かった。
どちらが言うともなく立ち上がり、お互い顔を見合わせる。
「それじゃ、やりますか!」
さすがは相棒。どうやら、ここに来た目的は同じだったようだ。
「うし!」
「せーの!!」
国木田の一個だけ取っておいたボタンと、俺の一個だけ外したボタンが、キラキラ光りながら青空の彼方に消えていった。